晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(135) 火葬-7 12/22

2014-12-22 | 地名・山名考

2014.12.22(月)曇り   「中世の葬送・墓制」を読み直す-1

 「中世の葬送・墓制」(水藤 真著)には火葬の際に穴、穴賃という文章が見られる。これは火葬場に穿たれた浅い穴を指すものとして穴虫の仮説を進めてきた。ところが中世の葬送に関する書物をいくら読んでも穴という表現は出てこない。火葬場の設備についても、窯、炉などは随所に出てくるのだが穴というのは、土葬墓、火葬骨の穴という表現しか出てこない。いずれの本も借本なのですぐに手にとって調べるわけにいかない。本書を再度借りて、徹底的に穴に関する箇所を読み直すことにした。

ついでに藁葬や積石塚など気になる部分もメモっておくことにした。

P3  藤原良通1188年没、火葬の際藁が使用された。九条兼実『玉葉』ー藁葬
P25 注(1)『吾妻鏡』文治四年十月十日条 「以レ藁火葬云々」ー藁葬
P6  藤原俊成1204年没、『明月記』元久元年十二月一日条 「可レ掘レ穴由下知了、・・・」墓所を選定して墓穴を掘らせた。ー土葬の穴
P37 醍醐天皇930年没、「まず御穴内に地敷を鋪くことにつき先例が調べられ・・・」ー土葬の穴
P43 天台座主権少僧都良源 没後のことを決めていた。『廬山寺文書』生前に石の卒都婆を立てるように望んでいるが、もしそれを為す前に没したときは、まず穴を掘り、骨を置き、土を埋めた上に仮の卒都婆を立て、云々ー火葬墓の穴
P93 栂尾高山寺高弁1232年没、『御葬法作書』「穴底散二土砂一事」ー土葬の穴
P103 藻壁門院(九条兼実の孫道家の子、堀川天皇の后)『明月記』御棺は、北を枕にし、穴の底の石辛櫃の内に奉安され云々ー土葬の穴
P136 梶原景時1200年没、政争に巻き込まれ討たれる。『東関紀行』「猶うちすくるほとに、ある木陰に、石をたかくつみあけて、めにたつさまなる塚あり。」ー集石墓か

 穴が火葬場に穿たれた浅い穴と断定した二つの文書以外のものを挙げてみたのであるが、実に見事に土葬における墓穴、火葬における火葬骨を入れる穴を表している。穴虫=穴蒸し=火葬という仮説がいきなりくつがえりそうな様相である。次に問題の二つの文書を検討してみよう。つづく

【作業日誌 12/22】カビ取り大作戦、店周り終了


【今日のじょん】今日は今期最低気温、-3℃(8時現在)
モモ姉さんが来たのでドッグランどに出しておいたら、寒さのせいかくしゃみばっかしている。?
 

  

 

コメント
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