・ゲゲゲの鬼太郎[第5作] 第100話「さらば父よ! 脅威の天狗王」
(脚本/三条 陸、絵コンテ/西沢信孝、演出/小牧 文、作画監督/藪本陽輔)
とうとう、『ゲゲゲの鬼太郎』第5作が終わってしまった。
後番組として4月から『DRAGON BALL KAI』が始まる事が分かって、まだストーリー半ばの『鬼太郎』がどうなるかと心配し始めたのが2月の頭だったが、枠移動などの措置はなく『鬼太郎』は3月いっぱいで終了となった。
だから、第100話が放送上での最終回となったが、中身はどう観ても3年目が続く事を前提として作った、単なる妖怪四十七士覚醒の1エピソード。この回をもって放送が終わる事についてのフォローは、本編には全くない。それどころか、冒頭で鬼太郎に「妖怪四十七士もようやく半分」と言わせているくらいだ。
あえて、最終回っぽいところを探すとすれば、これまでに見つかった四十七士がある程度集まって再登場した事くらいだろうか。これにしても、一年目の締めとなった第51話と同様に、あくまで「一区切り」としての四十七士のおさらいのために出したのだろうが。また、EDで鬼太郎の挨拶があるが、いかにも無理矢理入れた感じだ。
すでに「オトナアニメ」の三条陸インタビューで言及されているように、劇場版が第100話と第101話の間を想定して作られているため、たとえば無理にぬらりひょん一味や西洋妖怪を倒して最終回としてまとめる事は事実上不可能だったが、それにしてもここまで完全に「普通の話」で、誰が見ても明らかな打ち切りだと、かえって清々しい気分にさえなってくる。
アニメ版『DRAGON QUEST』(アベル伝説)のように、奇跡的に第2期として再開するケースもあるのだから、下手に最終回っぽくまとめるよりは、普通の話で終わった方が自然に第101話としてシリーズを再開できるだろう。そう考えれば、終わり方はこれで良かったのかも知れない。
話は黒鴉の覚醒エピソードで、単体で観ればなかなかいい話だった。冒頭はもだえる黒鴉のシーンから始まって、そちら方面の需要も満たしている。
それはともかく、今年に入って陰が薄かったねずみ男に、過去の回想を交えた美味しい場面があったのがよかった。これがなかったら、8クール目のねずみ男は、ほとんど印象に残らなかったと思えるほどに出番も活躍も少ないまま終わっていたところだった。
また、黒鴉の父、黒雲坊役は大塚周夫氏が務めた。
大塚氏は今期、白山坊役で既に出ていただけに、最終回になって別の役で出番があるとは予想できなかった。これは、嬉しいサプライズだ。本シリーズの白山坊が今までになくコミカルなキャラになったのと対照的に、黒雲坊は完全な悪役キャラで、前シリーズ・第4作での白山坊を想起させられた。強そうなのに、最後はあっさりやられたところも含めて。
しかし、放送から五日が経って、ある程度落ち着いたので冷静に話を観直す事が出来たが、放送当日は「一体どうやってオチをつけるんだ」と気になって、どうしても話に集中できなかった。
これは、今回だけではなく打ち切り濃厚となった2月以降の話全てについて言える事なので、いずれじっくりと観返したい。
それにしても、3年目に続くはずだった伏線の数々が放置されたままでの放送終了となったので、気になる点が多い。
・ぬらりひょん一味との決着
・西洋妖怪との決着
・中国妖怪との決着
・四十七士全員完全覚醒
このあたりのエピソードは、テレビシリーズ再開が無理なら、OVAでもいいから描いて欲しいものだ。
このようにあらためて気になる点を挙げてみると、本当に全然話に片が付いていない。映画と絡めた四十七士展開はともかくとして、敵勢力をあんなに多く出したのは、今更ながら大風呂敷を広げすぎたのではないかと思う。チーなんて真の姿を現す事すらなかったし、相当に長期にわたって展開させる構想があったのだろう。
放送が続いていれば、それらを観る事が出来たと思うと、本当に残念だ。
テレビシリーズの放送が終了したのだから、シリーズ全体を振り返っての感想を書きたいところなのだが、内容的に完結していないせいで、今は全然そんな気分になれない。いずれ、気が向いたら「2年目まとめ」と言う形でのまとめを書くかもしれない。
ともかく、スタッフの皆さん、2年間お疲れさまでした。楽しい作品をありがとうございました。
次の日曜、4月5日からは後番組『DRAGON BALL KAI』が始まる。『鬼太郎』と同様に、東海テレビもフジと同時ネットだ。これで同時ネットも3年目となり、どうやら定着したのは喜ぶべき事だろう。関西テレビなんて今年に入ってから28分枠を30分枠に拡大したにも関わらず、未だに一週遅れだ。
元の『DRAGON BALL Z』は本放送で観ていただけに、今回の『DRAGON BALL KAI』でどの程度変わるのか興味のあるところだ。セリフが新録なのだから、音声が元のままだと話がつながらなくなるくらい思い切って編集するのだろう。
ただ、30秒版の新番組予告で流れた悟飯の声を聴くと衰えが感じられて、ちょっと不安だ。悟空はあまり気にならないのだが。他のキャスト陣も、当時の声が完全には出せない人もいそうだし、気になるところだ。亀仙人のように別人になっているキャラもいるし。
キャストと言えば、郷里大輔氏は『鬼太郎』に引き続いて閻魔大王役を演じる事になる。他にも『鬼太郎』の出演者が結構多い。どちらも東映アニメーション制作で青二プロがキャスティングを仕切っているから当然なのだが。
ただ、今回の場合は野沢さんが元祖鬼太郎なだけに、妙な因縁を感じてしまう。『鬼太郎』を押しのけての後番組が、純粋な新作アニメでないのは寂しい。フジテレビも、いよいよ余裕がなくなってきたのだろうか。それでも、気になるから観てしまうのだが。
(脚本/三条 陸、絵コンテ/西沢信孝、演出/小牧 文、作画監督/藪本陽輔)
とうとう、『ゲゲゲの鬼太郎』第5作が終わってしまった。
後番組として4月から『DRAGON BALL KAI』が始まる事が分かって、まだストーリー半ばの『鬼太郎』がどうなるかと心配し始めたのが2月の頭だったが、枠移動などの措置はなく『鬼太郎』は3月いっぱいで終了となった。
だから、第100話が放送上での最終回となったが、中身はどう観ても3年目が続く事を前提として作った、単なる妖怪四十七士覚醒の1エピソード。この回をもって放送が終わる事についてのフォローは、本編には全くない。それどころか、冒頭で鬼太郎に「妖怪四十七士もようやく半分」と言わせているくらいだ。
あえて、最終回っぽいところを探すとすれば、これまでに見つかった四十七士がある程度集まって再登場した事くらいだろうか。これにしても、一年目の締めとなった第51話と同様に、あくまで「一区切り」としての四十七士のおさらいのために出したのだろうが。また、EDで鬼太郎の挨拶があるが、いかにも無理矢理入れた感じだ。
すでに「オトナアニメ」の三条陸インタビューで言及されているように、劇場版が第100話と第101話の間を想定して作られているため、たとえば無理にぬらりひょん一味や西洋妖怪を倒して最終回としてまとめる事は事実上不可能だったが、それにしてもここまで完全に「普通の話」で、誰が見ても明らかな打ち切りだと、かえって清々しい気分にさえなってくる。
アニメ版『DRAGON QUEST』(アベル伝説)のように、奇跡的に第2期として再開するケースもあるのだから、下手に最終回っぽくまとめるよりは、普通の話で終わった方が自然に第101話としてシリーズを再開できるだろう。そう考えれば、終わり方はこれで良かったのかも知れない。
話は黒鴉の覚醒エピソードで、単体で観ればなかなかいい話だった。冒頭はもだえる黒鴉のシーンから始まって、そちら方面の需要も満たしている。
それはともかく、今年に入って陰が薄かったねずみ男に、過去の回想を交えた美味しい場面があったのがよかった。これがなかったら、8クール目のねずみ男は、ほとんど印象に残らなかったと思えるほどに出番も活躍も少ないまま終わっていたところだった。
また、黒鴉の父、黒雲坊役は大塚周夫氏が務めた。
大塚氏は今期、白山坊役で既に出ていただけに、最終回になって別の役で出番があるとは予想できなかった。これは、嬉しいサプライズだ。本シリーズの白山坊が今までになくコミカルなキャラになったのと対照的に、黒雲坊は完全な悪役キャラで、前シリーズ・第4作での白山坊を想起させられた。強そうなのに、最後はあっさりやられたところも含めて。
しかし、放送から五日が経って、ある程度落ち着いたので冷静に話を観直す事が出来たが、放送当日は「一体どうやってオチをつけるんだ」と気になって、どうしても話に集中できなかった。
これは、今回だけではなく打ち切り濃厚となった2月以降の話全てについて言える事なので、いずれじっくりと観返したい。
それにしても、3年目に続くはずだった伏線の数々が放置されたままでの放送終了となったので、気になる点が多い。
・ぬらりひょん一味との決着
・西洋妖怪との決着
・中国妖怪との決着
・四十七士全員完全覚醒
このあたりのエピソードは、テレビシリーズ再開が無理なら、OVAでもいいから描いて欲しいものだ。
このようにあらためて気になる点を挙げてみると、本当に全然話に片が付いていない。映画と絡めた四十七士展開はともかくとして、敵勢力をあんなに多く出したのは、今更ながら大風呂敷を広げすぎたのではないかと思う。チーなんて真の姿を現す事すらなかったし、相当に長期にわたって展開させる構想があったのだろう。
放送が続いていれば、それらを観る事が出来たと思うと、本当に残念だ。
テレビシリーズの放送が終了したのだから、シリーズ全体を振り返っての感想を書きたいところなのだが、内容的に完結していないせいで、今は全然そんな気分になれない。いずれ、気が向いたら「2年目まとめ」と言う形でのまとめを書くかもしれない。
ともかく、スタッフの皆さん、2年間お疲れさまでした。楽しい作品をありがとうございました。
次の日曜、4月5日からは後番組『DRAGON BALL KAI』が始まる。『鬼太郎』と同様に、東海テレビもフジと同時ネットだ。これで同時ネットも3年目となり、どうやら定着したのは喜ぶべき事だろう。関西テレビなんて今年に入ってから28分枠を30分枠に拡大したにも関わらず、未だに一週遅れだ。
元の『DRAGON BALL Z』は本放送で観ていただけに、今回の『DRAGON BALL KAI』でどの程度変わるのか興味のあるところだ。セリフが新録なのだから、音声が元のままだと話がつながらなくなるくらい思い切って編集するのだろう。
ただ、30秒版の新番組予告で流れた悟飯の声を聴くと衰えが感じられて、ちょっと不安だ。悟空はあまり気にならないのだが。他のキャスト陣も、当時の声が完全には出せない人もいそうだし、気になるところだ。亀仙人のように別人になっているキャラもいるし。
キャストと言えば、郷里大輔氏は『鬼太郎』に引き続いて閻魔大王役を演じる事になる。他にも『鬼太郎』の出演者が結構多い。どちらも東映アニメーション制作で青二プロがキャスティングを仕切っているから当然なのだが。
ただ、今回の場合は野沢さんが元祖鬼太郎なだけに、妙な因縁を感じてしまう。『鬼太郎』を押しのけての後番組が、純粋な新作アニメでないのは寂しい。フジテレビも、いよいよ余裕がなくなってきたのだろうか。それでも、気になるから観てしまうのだが。
僕は3期アニメ世代で、平成版の鬼太郎2作品は余り見たことは無いのですが、日記を拝見した限り今回の「鬼太郎」にはまだまだ伸び代があったみたいですね。
そういえば、同じ高山さんが演じる「コナン」も放送時間が移動して、とうとうゴールデンタイムのアニメ番組は無くなってしま・・・あ、「ドラえもん」と「クレシン」が残ってた(笑)。
にしても、やはりアニメでは数字が取れなくなったんでしょうねぇ。
「DB改」に関しては、僕も「どんな風に仕上がるのか」という興味はあります。
ただ、アニメの悟空は、「ブウ編」辺りから訛りが強烈になった印象があって(例:3べぇ(倍)界王拳!!)、今回はどのくらい悟空が訛っているのか、それが心配です。
それ以外では、個人的にチチ役を初代の荘真由美さんが演じて頂ければ言うこと無いです。
しかし、確かに19時のアニメがこれでほとんど無くなったのは寂しい事です。そんな中でテレビ東京だけは月曜19時台に枠を増設していますが、新作が間に合わなかったのか、『ヒカルの碁』再放送ですからね。
今回の『鬼太郎』のようなケースは、数年前までのフジテレビなら関東ローカル放送にしてでも一応の区切りはつけていたと思います。実際、第3作の「地獄編」はローカル枠でした。今や、それすら出来ないくらいにテレビアニメのコンテンツとしての力が落ちているのかも知れません。
悟空の訛りですが、たしかに『Z』の後半からかなりきつくなっていました。さらに『GT』になると、原作がないせいか余計に訛り丸出しで、聞いていてかなり気になった記憶があります。今回の『改』は、予告を観る限りではそんなに訛ってはいませんが、本編で本格的にしゃべるとどうなるかはまだわかりませんね。
なお、公式サイトによるとチチ役は2代目の渡辺菜生子さんが演じるそうです。今となっては、渡辺さんの方が浸透していると言う判断なのでしょう。
他にも、ナメック星最長老や占いババ、カリン様などは『Z』の途中で声が替わりましたので、今回はどなたが声をあてるのか、気になります。