前回の続きとして、映画「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」の、作品全体の感想をまとめておく。
今回の「新魔界大冒険」は上映時間が112分で、これは「ドラえもん」映画史上最長となる。
にも関わらず、この映画を観終わった後、特に長かったとは感じなかった。パンフレットを見直して112分と書いてあるのを見つけ、それでやっと2時間近く経っていた事を知ったくらいだ。
だから、少なくとも観ていて退屈に感じる事はなく、全編を通してじっくりと観る事が出来た。その点では、よくできた映画だった。
また、今回は例年になく練り込まれた脚本作りがされていると感じた。
藤本先生亡き後の映画は、昨年の「のび太の恐竜2006」を含めて、話の展開にどうしても突っ込みたくなる部分が散見され、観ていて気になったのだが、今回は小説家の真保裕一が脚本を手がけただけあって、作品全体としてまとまりがあったし、原作で気になった部分も上手くアレンジして疑問点が解消されており、「魔界大冒険」のみならず、「ドラえもん」と言う作品全体を熟知した上で書かれた脚本だと言う事が伝わってきた。
ちなみに、「原作で気になった点の変更」とは、
・ドラミが助けに来るまでの伏線を、前半部分に追加
・魔界歴程を二つに分けて、魔王の心臓の秘密を後半まで隠した
・姿を消す道具を、石ころぼうしからモーテン星に変更
・魔王の心臓の場所を、「赤い月」に変更
などの箇所。
特に、原作及び旧映画では「「虫のしらせアラーム」がなったから」と言う理由だけでドラミが助けに来ていて、ちょっとご都合主義が過ぎると思っていたので、今回はよい改変だったと思う。
ただ、これらの改変によって疑問点が解消されたのはいいのだが、ドラえもんのポケットの中や、魔界歴程探しなどの場面が追加された事によって、作品が少し間延びしてしまった感もある。
先に「観ていて長いとは感じなかった」と書いたが、それはあくまで作品全体の事であり、部分部分については、この場面はもう少し短くてもいいのではと思う箇所もあった。
特に、前半の一つの山場にさえなっていた魔界歴程探しは、今回のオリジナル要素となるメジューサ(原作とはほぼ別人)のお披露目として、どうしても描く必要があったのだろうが、ちょっと長すぎたと思う。まあ、偽の美夜子を出したあたりは、原作を知っている人間にとっても意表を突いた展開で、面白かったのだが。
さて、ここまでは原作の改変部分について取り上げたが、本作では、オリジナル要素が作品の重要な要素として追加されており、この点についても語っておきたい。
最大のオリジナル要素は、美夜子の母を登場させて、満月親子にドラマチックな物語を用意した事だろう。
原作でチョイ役だったメジューサを上手く活かしており、面白い設定だとは思ったのだが、満月親子の描写に少し力が入りすぎていて、肝心の主人公であるドラえもんやのび太たちが食われていたように感じた。
2時間ほどの映画でこのエピソードを描くからには、美夜子やメジューサの出番を多くして、メジューサの正体がわかった時のインパクトを強くする必要があった事はわかるが、それによって本来の主役の陰が薄くなっては、本末転倒だろう。どちらかと言うと、映画よりは連続物のテレビシリーズ向きの設定だったのではないか。
また、母娘の物語に重点が置かれた事により、美夜子のキャラクターも、お姉さんキャラという印象だった原作や旧映画とは異なり、しずかとあまり年が変わらない程度に幼くなった印象を受けた。この事自体、悪いとは思わないが、映画ドラでは初めてのお姉さんキャラであり、ドラやのび太たちならずとも思わず「美夜子さん」と、さんづけて呼びたくなるキャラだっただけに、少々寂しい。
ただ、美夜子のイメージがやや幼めになった事で、やはりオリジナルとして加えられた、しずかとの交流は自然に描かれており、特にエピローグのシーンは綺麗にまとまっていたと思う。この二人の描写は、さすがに女性監督だけの事はあると感じた。
大きなオリジナル設定には、もう一つ「現実世界と魔界世界のシンクロ」があったのだが、正直言ってこちらは「蛇足」に感じた。
現実世界で起こったブラックホールによる天体異変が、「もしもボックス」で魔法世界を作った事によって、魔界星の脅威に変わり、さらに魔界星の滅亡によって現実世界の脅威も去ると言う展開は、両方の世界の危機をじっくりと描けば面白い展開になったかも知れない。
しかし、本作では、現実世界の危機はアバンタイトルとエピローグでわずかに描かれただけであり、ほとんど満足な説明もない。それに、魔法世界にいたドラやのび太は、現実世界の危機を知らないまま話が進んでいたので、あくまで魔界星の侵攻に対して立ち向かっていただけであり、話に深みが加わったとも思えない。
この設定によって、満月博士が魔法世界では満月牧師となったが、そもそも「現実世界では満月博士」と言う設定自体が描写不足なので、意味のない改変に感じてしまった。それに、現実と魔法世界をシンクロさせてしまうと、後半で説明される「パラレルワールド理論」との矛盾が生じてしまう。
満月親子の話だけで十分ボリュームがあったのだから、こちらの設定は、無理に入れる必要はなかったと思う。
以上のように、よかったと思う部分も、逆に失敗ではないかと思う部分もあるが、全体としては「魔界大冒険」の基本ストーリーは残したままで、新しい要素をたっぷり盛り込んでおり、原作や旧映画を知っている人にも新鮮に楽しめる展開の作品になったと思う。
ただ、どうしても気になる所もあったので、触れておきたい。
まず、個人的には原作で好きな部分である魔界星での冒険がバッサリとカットされてしまった事は残念だ。一気にデマオンとの対決を描いてスピーディーな展開を目指したのだろうが、タイトルの「大冒険」の要素が薄れてしまったと思う。
そして、魔界星での冒険が無くなった事で、ジャイアンの歌のシーンがなくなった上に、ジャイアン最大の見せ場だった「たのむぜ名投手」の役も、のび太に取られてしまい、スネ夫共々冒険に付いてきただけの存在になってしまっている。映画は、ジャイアンの男気が発揮できる貴重な舞台なのだから、これは勿体ない。
また、迫力のある場面の描写を優先していたためか、出木杉による魔法の解説や、魔法世界の生活についての細かい描写の多くが省かれてしまい、緻密な設定と描写の積み重ねによって作品世界に現実感を出す、藤本作品らしさが少し足りなかった感じがする。
さらに、大魔王デマオンが、直接ドラやのび太たちの前に立ちはだかったり、自ら悪魔軍を指揮して出陣するようになってしまい、「大」魔王と呼ぶにはスケールが小さくなってしまった事も残念だ。デマオンには、あくまでどっしりと構える「大魔王」で、いてほしかった。
ここまでは、主にストーリーについての感想を書いてきたが、作画についても触れておきたい。
今回は、前作「のび太の恐竜2006」の小西賢一から、金子志津枝に作画監督がバトンタッチされた。金子氏は、大山ドラ後期に作画監督として参加して、特に可愛らしいしずかちゃんの絵が印象的だった人だ。
作画監督は交代したものの、前作で試みられていた柔らかい感じの絵は継承されており、特にドラえもんが実に柔らかそうに描かれていたのが印象的だった。
また、原画マンの個性を尊重して作監修正が少なかった前作と比べると、今回は全体としての作画の統一に力が入れられており、作画の暴走は少なかったが、その分、落ち着いて画面を観る事が出来た。
しかし、前作でも少し気になった事なのが、絵で見せる演出としては、最近のドラ映画ではどうも「涙」の描写が過剰気味にだと思う。原作ではサラッと描かれているような場面まで、やたらボロボロと泣かれると、白けてしまう。「涙」に頼らず、それでいて、観ていて自然とジーンとくるような画面づくりを目指していただきたい。
作画については、鑑賞時はもっと印象に残っていた場面もあったのだが、さすがに観てから3週間以上経つと、細かいところは忘れてしまう。パンフレットを観返しても、本編の迫力にはかなわないので、作画についてはこのくらいにしておく。
思うままに書いていたら、案外長くなってしまった。前回と今回を合わせると、結局「のび太の恐竜2006」の感想よりも長いのではないだろうか。そろそろ、まとめておこう。
結論は、前回の「感想・声優編」で書いたとおりで、声の要素を抜きにすれば、単体で観ても映画として面白く、意表を突いた展開が仕掛けられているので、原作や旧映画を知っていても、やはり楽しめる作品に仕上がっていたと思う。
そう言う割には、ここまで割と辛口の批判が多かったと思われるかも知れない。
結局、声がどうしても気になったせいで、どうも作品に完全には没頭して観る事が出来ず、どこか醒めて一歩引いた気持ちで観ていたために、結果として普通に観ていたら流す部分まで気になってしまったようだ。
私にとっての本作は「ゲストに声にさえ馴染めれば、素直に楽しめたかも知れない作品」なので、心から「面白かった」と言う気にはならない。しかし、決して「つまらなかった」訳ではない。だからこそ、余計に評価に困るのだ。
来年の映画は、仮に芸能人を使うにしても、大前提として「声の演技が出来て、キャラのイメージにあった声の持ち主」を選んで欲しい。もし、それでも声が気に入らなかったとしたら、単に好みに合わなかっただけだと諦める事が出来る。今年は、声以外の要素はよかっただけに、キャスティングが残念でならない。
今回の「新魔界大冒険」は上映時間が112分で、これは「ドラえもん」映画史上最長となる。
にも関わらず、この映画を観終わった後、特に長かったとは感じなかった。パンフレットを見直して112分と書いてあるのを見つけ、それでやっと2時間近く経っていた事を知ったくらいだ。
だから、少なくとも観ていて退屈に感じる事はなく、全編を通してじっくりと観る事が出来た。その点では、よくできた映画だった。
また、今回は例年になく練り込まれた脚本作りがされていると感じた。
藤本先生亡き後の映画は、昨年の「のび太の恐竜2006」を含めて、話の展開にどうしても突っ込みたくなる部分が散見され、観ていて気になったのだが、今回は小説家の真保裕一が脚本を手がけただけあって、作品全体としてまとまりがあったし、原作で気になった部分も上手くアレンジして疑問点が解消されており、「魔界大冒険」のみならず、「ドラえもん」と言う作品全体を熟知した上で書かれた脚本だと言う事が伝わってきた。
ちなみに、「原作で気になった点の変更」とは、
・ドラミが助けに来るまでの伏線を、前半部分に追加
・魔界歴程を二つに分けて、魔王の心臓の秘密を後半まで隠した
・姿を消す道具を、石ころぼうしからモーテン星に変更
・魔王の心臓の場所を、「赤い月」に変更
などの箇所。
特に、原作及び旧映画では「「虫のしらせアラーム」がなったから」と言う理由だけでドラミが助けに来ていて、ちょっとご都合主義が過ぎると思っていたので、今回はよい改変だったと思う。
ただ、これらの改変によって疑問点が解消されたのはいいのだが、ドラえもんのポケットの中や、魔界歴程探しなどの場面が追加された事によって、作品が少し間延びしてしまった感もある。
先に「観ていて長いとは感じなかった」と書いたが、それはあくまで作品全体の事であり、部分部分については、この場面はもう少し短くてもいいのではと思う箇所もあった。
特に、前半の一つの山場にさえなっていた魔界歴程探しは、今回のオリジナル要素となるメジューサ(原作とはほぼ別人)のお披露目として、どうしても描く必要があったのだろうが、ちょっと長すぎたと思う。まあ、偽の美夜子を出したあたりは、原作を知っている人間にとっても意表を突いた展開で、面白かったのだが。
さて、ここまでは原作の改変部分について取り上げたが、本作では、オリジナル要素が作品の重要な要素として追加されており、この点についても語っておきたい。
最大のオリジナル要素は、美夜子の母を登場させて、満月親子にドラマチックな物語を用意した事だろう。
原作でチョイ役だったメジューサを上手く活かしており、面白い設定だとは思ったのだが、満月親子の描写に少し力が入りすぎていて、肝心の主人公であるドラえもんやのび太たちが食われていたように感じた。
2時間ほどの映画でこのエピソードを描くからには、美夜子やメジューサの出番を多くして、メジューサの正体がわかった時のインパクトを強くする必要があった事はわかるが、それによって本来の主役の陰が薄くなっては、本末転倒だろう。どちらかと言うと、映画よりは連続物のテレビシリーズ向きの設定だったのではないか。
また、母娘の物語に重点が置かれた事により、美夜子のキャラクターも、お姉さんキャラという印象だった原作や旧映画とは異なり、しずかとあまり年が変わらない程度に幼くなった印象を受けた。この事自体、悪いとは思わないが、映画ドラでは初めてのお姉さんキャラであり、ドラやのび太たちならずとも思わず「美夜子さん」と、さんづけて呼びたくなるキャラだっただけに、少々寂しい。
ただ、美夜子のイメージがやや幼めになった事で、やはりオリジナルとして加えられた、しずかとの交流は自然に描かれており、特にエピローグのシーンは綺麗にまとまっていたと思う。この二人の描写は、さすがに女性監督だけの事はあると感じた。
大きなオリジナル設定には、もう一つ「現実世界と魔界世界のシンクロ」があったのだが、正直言ってこちらは「蛇足」に感じた。
現実世界で起こったブラックホールによる天体異変が、「もしもボックス」で魔法世界を作った事によって、魔界星の脅威に変わり、さらに魔界星の滅亡によって現実世界の脅威も去ると言う展開は、両方の世界の危機をじっくりと描けば面白い展開になったかも知れない。
しかし、本作では、現実世界の危機はアバンタイトルとエピローグでわずかに描かれただけであり、ほとんど満足な説明もない。それに、魔法世界にいたドラやのび太は、現実世界の危機を知らないまま話が進んでいたので、あくまで魔界星の侵攻に対して立ち向かっていただけであり、話に深みが加わったとも思えない。
この設定によって、満月博士が魔法世界では満月牧師となったが、そもそも「現実世界では満月博士」と言う設定自体が描写不足なので、意味のない改変に感じてしまった。それに、現実と魔法世界をシンクロさせてしまうと、後半で説明される「パラレルワールド理論」との矛盾が生じてしまう。
満月親子の話だけで十分ボリュームがあったのだから、こちらの設定は、無理に入れる必要はなかったと思う。
以上のように、よかったと思う部分も、逆に失敗ではないかと思う部分もあるが、全体としては「魔界大冒険」の基本ストーリーは残したままで、新しい要素をたっぷり盛り込んでおり、原作や旧映画を知っている人にも新鮮に楽しめる展開の作品になったと思う。
ただ、どうしても気になる所もあったので、触れておきたい。
まず、個人的には原作で好きな部分である魔界星での冒険がバッサリとカットされてしまった事は残念だ。一気にデマオンとの対決を描いてスピーディーな展開を目指したのだろうが、タイトルの「大冒険」の要素が薄れてしまったと思う。
そして、魔界星での冒険が無くなった事で、ジャイアンの歌のシーンがなくなった上に、ジャイアン最大の見せ場だった「たのむぜ名投手」の役も、のび太に取られてしまい、スネ夫共々冒険に付いてきただけの存在になってしまっている。映画は、ジャイアンの男気が発揮できる貴重な舞台なのだから、これは勿体ない。
また、迫力のある場面の描写を優先していたためか、出木杉による魔法の解説や、魔法世界の生活についての細かい描写の多くが省かれてしまい、緻密な設定と描写の積み重ねによって作品世界に現実感を出す、藤本作品らしさが少し足りなかった感じがする。
さらに、大魔王デマオンが、直接ドラやのび太たちの前に立ちはだかったり、自ら悪魔軍を指揮して出陣するようになってしまい、「大」魔王と呼ぶにはスケールが小さくなってしまった事も残念だ。デマオンには、あくまでどっしりと構える「大魔王」で、いてほしかった。
ここまでは、主にストーリーについての感想を書いてきたが、作画についても触れておきたい。
今回は、前作「のび太の恐竜2006」の小西賢一から、金子志津枝に作画監督がバトンタッチされた。金子氏は、大山ドラ後期に作画監督として参加して、特に可愛らしいしずかちゃんの絵が印象的だった人だ。
作画監督は交代したものの、前作で試みられていた柔らかい感じの絵は継承されており、特にドラえもんが実に柔らかそうに描かれていたのが印象的だった。
また、原画マンの個性を尊重して作監修正が少なかった前作と比べると、今回は全体としての作画の統一に力が入れられており、作画の暴走は少なかったが、その分、落ち着いて画面を観る事が出来た。
しかし、前作でも少し気になった事なのが、絵で見せる演出としては、最近のドラ映画ではどうも「涙」の描写が過剰気味にだと思う。原作ではサラッと描かれているような場面まで、やたらボロボロと泣かれると、白けてしまう。「涙」に頼らず、それでいて、観ていて自然とジーンとくるような画面づくりを目指していただきたい。
作画については、鑑賞時はもっと印象に残っていた場面もあったのだが、さすがに観てから3週間以上経つと、細かいところは忘れてしまう。パンフレットを観返しても、本編の迫力にはかなわないので、作画についてはこのくらいにしておく。
思うままに書いていたら、案外長くなってしまった。前回と今回を合わせると、結局「のび太の恐竜2006」の感想よりも長いのではないだろうか。そろそろ、まとめておこう。
結論は、前回の「感想・声優編」で書いたとおりで、声の要素を抜きにすれば、単体で観ても映画として面白く、意表を突いた展開が仕掛けられているので、原作や旧映画を知っていても、やはり楽しめる作品に仕上がっていたと思う。
そう言う割には、ここまで割と辛口の批判が多かったと思われるかも知れない。
結局、声がどうしても気になったせいで、どうも作品に完全には没頭して観る事が出来ず、どこか醒めて一歩引いた気持ちで観ていたために、結果として普通に観ていたら流す部分まで気になってしまったようだ。
私にとっての本作は「ゲストに声にさえ馴染めれば、素直に楽しめたかも知れない作品」なので、心から「面白かった」と言う気にはならない。しかし、決して「つまらなかった」訳ではない。だからこそ、余計に評価に困るのだ。
来年の映画は、仮に芸能人を使うにしても、大前提として「声の演技が出来て、キャラのイメージにあった声の持ち主」を選んで欲しい。もし、それでも声が気に入らなかったとしたら、単に好みに合わなかっただけだと諦める事が出来る。今年は、声以外の要素はよかっただけに、キャスティングが残念でならない。