『藤子・F・不二雄大全集』第3回配本の発売から、はや半月が経った。
ちょっと遅くなったが、まずは『オバケのQ太郎』第2巻から、感想を書いておく。
第2巻の感想を一言で言うと、「面白い」に尽きる。第1巻は連載初期の話が収録されたので、作品の形が落ち着くまでの試行錯誤の跡が見受けられたが、2巻になるとQちゃんと正ちゃん、大原家の面々と言ったメインキャラクターの性格や立ち位置も固まってきて、作風が安定している。
本作の面白さの要素は色々と挙げられるが、特にQちゃんと他の登場人物との会話のやりとりが抜群に面白い。Qちゃん本人はいたって真面目なのに人間界の常識を知らないが故の話の「ずれ」がとぼけた笑いを生み出している。
個人的に、2巻で一番好きなのは「うそつきはだれだ」でのパパとの会話だ。「クリーニングのうたがいがかかってるんだ」から「さすがはわしの子だ」までの流れは、何度読んでも笑える。その2ページ前の「パパがガチョウになったよ」も吹き出しの中のガチョウパパの絵とも相まって、いい味を出している。
他にも、会話のずれによるおかしさで笑える部分はたくさんあるが、これをいちいち挙げていくと、それこそきりがなくなってしまう。
また、私がこれまで一番よく読んだ『オバQ』の単行本はてんとう虫コミックス版全6巻だった。今回の全集版2巻はてんコミ収録作品の割合が高くなり、なじみのある作品が多くなったので、その点でも1巻に比べてより親しみを感じる。
そんなわけで、この第2巻は発売から半月でもう何回も読み返している。『オバQ』はFFランド版も全20巻中の17冊までは持っているので、これまでもそれなりの作品数を読む事は出来たのだが、今回のように雑誌ごとに発表順にまとめられると、また新鮮な気持ちで読む事が出来る。
逆に言えば、FFランド版の編集のいい加減さを再認識する事にもなった。連載初期の話がいくつか終盤の巻に収録されていたり、ドロンパ初登場の「アメリカオバケ」を収録した8巻以前にドロンパが登場する話を入れてしまったりと、もうちょっと何とかならなかったのかと思ってしまう。
そう言えば、「アメリカオバケ」は少年サンデーではなく「小学五年生」に掲載された話だから、全集第1期の5巻までには入らないわけか。てんコミでは第1話の次に「ライバルをけおとせ」が収録されており、Qちゃんの大原家住みつきエピソードとして馴染み深かったが、これも掲載誌は「小学三年生」なので収録は第2期だろう。おなじみの話が抜けているのはちょっと気になる。
これまでの単行本では、著者自身の意向を汲んだ上で各誌掲載分が入りまじっていたわけで、今回の掲載誌別での収録は、ある意味では著者の意志を無視したからこそ出来たと言える。『オバQ』にせよ『ドラえもん』にせよ、FFランドを含めてこれまでのような編集方針では全話網羅は難しいだろうから、この点に関しては天国のF先生に「ごめんなさい、どうしても全作品まとまった形で読みたいんです」と、読者も編集者も謝っておいた方がいいのかもしれない。
また、「著者の意志」と言えば、無視できないのがいわゆる「差別用語」の改変だ。全集の巻末には「改訂は最小限にとどめる」とあるが、これは裏を返せば「やむを得ない部分は改訂する」と言っている事になる。
実際、2巻ではいくつか、生前のF先生の手が入っていないと思われるセリフの変更がある。例えば、「ニコニコ運動」では「エヘラエヘラ」と笑う、どう見ても頭がおかしい人物に対して、正ちゃんは「あれで痛くないのかな?」と言っているが、さすがにこれは不自然だ。この話はてんコミ未収録だが、FFランド版では「少し病気なんだ」となっている。
これ以上古い版となると虫コミだが、残念ながらこちらは持っていない。正ちゃんが頭を指さしているから「パーなんだ」くらい言っていても不思議ではない。これは機会があれば、確認してみたい。
他には「戦争はおわったのに」で、Qちゃんと正ちゃんが足跡を見て「怪物かもしれない」と怖がる場面も無理がある。あの大きさで怪物はないだろう。元は「人食い人種」だが、『パーマン』の「怪獣さがし」のように「こわい人」にしてしまうと、「こっちが食べものになっちゃうぞ」につながらなくなるので怪物にしたのだろう。
作品が全集にまとまり今後も読み継がれていく事を考えれば、改変せざるを得ない部分があるのは理解できるが、本当に極力最小限にとどめて、今回見受けられたような不自然な部分は無いようにして欲しい。
ともかく、『オバQ』第2巻は本当に面白い。こんなすばらしい作品が20年間も単行本が入手困難だったのだから、本当に勿体ない事をしてきたものだと思う。未収録作品を含めて、続巻がますます楽しみになってきた。
ちょっと遅くなったが、まずは『オバケのQ太郎』第2巻から、感想を書いておく。
第2巻の感想を一言で言うと、「面白い」に尽きる。第1巻は連載初期の話が収録されたので、作品の形が落ち着くまでの試行錯誤の跡が見受けられたが、2巻になるとQちゃんと正ちゃん、大原家の面々と言ったメインキャラクターの性格や立ち位置も固まってきて、作風が安定している。
本作の面白さの要素は色々と挙げられるが、特にQちゃんと他の登場人物との会話のやりとりが抜群に面白い。Qちゃん本人はいたって真面目なのに人間界の常識を知らないが故の話の「ずれ」がとぼけた笑いを生み出している。
個人的に、2巻で一番好きなのは「うそつきはだれだ」でのパパとの会話だ。「クリーニングのうたがいがかかってるんだ」から「さすがはわしの子だ」までの流れは、何度読んでも笑える。その2ページ前の「パパがガチョウになったよ」も吹き出しの中のガチョウパパの絵とも相まって、いい味を出している。
他にも、会話のずれによるおかしさで笑える部分はたくさんあるが、これをいちいち挙げていくと、それこそきりがなくなってしまう。
また、私がこれまで一番よく読んだ『オバQ』の単行本はてんとう虫コミックス版全6巻だった。今回の全集版2巻はてんコミ収録作品の割合が高くなり、なじみのある作品が多くなったので、その点でも1巻に比べてより親しみを感じる。
そんなわけで、この第2巻は発売から半月でもう何回も読み返している。『オバQ』はFFランド版も全20巻中の17冊までは持っているので、これまでもそれなりの作品数を読む事は出来たのだが、今回のように雑誌ごとに発表順にまとめられると、また新鮮な気持ちで読む事が出来る。
逆に言えば、FFランド版の編集のいい加減さを再認識する事にもなった。連載初期の話がいくつか終盤の巻に収録されていたり、ドロンパ初登場の「アメリカオバケ」を収録した8巻以前にドロンパが登場する話を入れてしまったりと、もうちょっと何とかならなかったのかと思ってしまう。
そう言えば、「アメリカオバケ」は少年サンデーではなく「小学五年生」に掲載された話だから、全集第1期の5巻までには入らないわけか。てんコミでは第1話の次に「ライバルをけおとせ」が収録されており、Qちゃんの大原家住みつきエピソードとして馴染み深かったが、これも掲載誌は「小学三年生」なので収録は第2期だろう。おなじみの話が抜けているのはちょっと気になる。
これまでの単行本では、著者自身の意向を汲んだ上で各誌掲載分が入りまじっていたわけで、今回の掲載誌別での収録は、ある意味では著者の意志を無視したからこそ出来たと言える。『オバQ』にせよ『ドラえもん』にせよ、FFランドを含めてこれまでのような編集方針では全話網羅は難しいだろうから、この点に関しては天国のF先生に「ごめんなさい、どうしても全作品まとまった形で読みたいんです」と、読者も編集者も謝っておいた方がいいのかもしれない。
また、「著者の意志」と言えば、無視できないのがいわゆる「差別用語」の改変だ。全集の巻末には「改訂は最小限にとどめる」とあるが、これは裏を返せば「やむを得ない部分は改訂する」と言っている事になる。
実際、2巻ではいくつか、生前のF先生の手が入っていないと思われるセリフの変更がある。例えば、「ニコニコ運動」では「エヘラエヘラ」と笑う、どう見ても頭がおかしい人物に対して、正ちゃんは「あれで痛くないのかな?」と言っているが、さすがにこれは不自然だ。この話はてんコミ未収録だが、FFランド版では「少し病気なんだ」となっている。
これ以上古い版となると虫コミだが、残念ながらこちらは持っていない。正ちゃんが頭を指さしているから「パーなんだ」くらい言っていても不思議ではない。これは機会があれば、確認してみたい。
他には「戦争はおわったのに」で、Qちゃんと正ちゃんが足跡を見て「怪物かもしれない」と怖がる場面も無理がある。あの大きさで怪物はないだろう。元は「人食い人種」だが、『パーマン』の「怪獣さがし」のように「こわい人」にしてしまうと、「こっちが食べものになっちゃうぞ」につながらなくなるので怪物にしたのだろう。
作品が全集にまとまり今後も読み継がれていく事を考えれば、改変せざるを得ない部分があるのは理解できるが、本当に極力最小限にとどめて、今回見受けられたような不自然な部分は無いようにして欲しい。
ともかく、『オバQ』第2巻は本当に面白い。こんなすばらしい作品が20年間も単行本が入手困難だったのだから、本当に勿体ない事をしてきたものだと思う。未収録作品を含めて、続巻がますます楽しみになってきた。