はなバルーンblog

藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン(ネタバレもあるので要注意)

F全集『ドラえもん』第3巻感想

2009-10-28 00:25:39 | 藤子不二雄
 先日、『藤子・F・不二雄大全集』第4回配本が発売された。
 今回の3冊は、今のところ巻末の特別資料室や解説を読んだ程度で、本文はまだあまりちゃんと読んでいないのだが、『ドラえもん』についてはどうしても我慢のならない事があるので、先にここで書いておく。


 もうすでにF全集を手にされた方が多いだろうから改めて説明するまでもないかも知れないが、今回単行本初収録となった「クルパーでんぱのまき」が「おかしなでんぱ」に変更されてしまっているのだ。ご丁寧にも、初出時扉ページのサブタイトルも消されている。



左・初出版、右・全集版


 当ブログの過去エントリを読んでいただければおわかりいただけると思うが、私はこれまでF全集におけるセリフ等の改変についてはある程度やむを得ないと考えていた。しかし、今回ばかりは見過ごせない。
 前述の通り「クルパーでんぱ」はF全集が単行本初収録であり、これまでガチャ子と共に存在を抹消されていたに等しい作品だった。そんな扱いだったから、今回の改竄がF先生の意志によるものではない。いや、既刊分のF全集でもF先生死後の改変と思われる部分は散見されており、それだけが問題なのではない。
 今回、私が憤っているのは、この改竄がいわば「だまし討ち」的な形で行われたからだ。F全集の公式サイトでは収録タイトルとして「クルパーでんぱ」として紹介しており(10月26日現在、未だに「クルパーでんぱ」のまま)、更にドラ第3巻実物の帯にもしっかりと「クルパー電波」と書かれている。





 ここまでしておいて、本を開いたら「おかしなでんぱ」。これでは、『ライオン仮面』の続きを読んだフニャコ先生のごとく「なんだ、こりゃ?」と言いたくなってしまう。
 第4回配本は、個人的な都合で発売日の翌日に書店で受け取ったが、発売日には既に改竄の情報がネットに流れており、本を手にした時はこわごわ、おそるおそる開いて、本当に改竄されていてガックリときた。帯にまで「クルパー」と書いておいてこれでは、詐欺だ。


 そもそも、なぜ今回のような改竄が行われたのだろう。
 単純に考えれば「クルパー」という言葉が頭の弱い人を示す「クルクルパー」を連想させる(と言うか、「クルパー」はクルクルパーから作った言葉だろう)からなのだろうが、F全集では既に『ドラえもん』第1巻の「けんかマシン」で、はっきりと「クルクルパー」が使われている。私は、これを見て「クルクルパーがOKなら「クルパーでんぱ」も大丈夫だな」と思ったので、今回の措置には合点がいかない。第1回配本と、第2回以降とで編集方針が変わったとしか考えられない。

 また、この改竄はF先生の作家性にも関わる重要な問題をはらんでいる。
 1960年代後半から『ドラえもん』初期あたりまでは、F先生の中で「クルパー」という言葉がお気に入りだったらしく、「クルパーでんぱ」以外にも『チンタラ神ちゃん』(合作)の「クルパー教」、『ウメ星デンカ』の未収録作品(手元にないので特定できず)と、やたらと「クルパー」が作品中に登場する。「クルクルパー」を縮めて「クルパー」はいかにもF先生らしい造語だし、何度も使っていたのだから先生にとってお気に入りだったのではないかと推察できる。
 いずれ、全集の第2期以降で『チンタラ神ちゃん』や『ウメ星デンカ』も刊行されるだろうが、その本の中で「クルパー」を目にする事が出来るかどうか、現状では望みは薄いと言わざるを得ない。この改竄は、F先生独特のギャグを殺してしまう、愚かな行為だ。


 今までは、F全集の「言葉狩り」は静観してきたが、さすがに今回は黙ってはいられない。近いうちに、何らかの行動を起こしたい。
 せっかくF先生の遺された作品の集大成として刊行される全集なのだから、こんなバカバカしい改竄は、これっきりにして欲しい。少なくとも、今回のケースが全集の巻末に書かれている「改訂は最小限にとどめる」に当たるとは、とても思えない。