はなバルーンblog

藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン(ネタバレもあるので要注意)

今さらながらの手塚アニメ

2009-04-25 02:35:31 | 手塚治虫
 私にとって、テレビ番組の録画には二つのパターンがある。
 一つ目は、普段観ている番組の深夜&留守番予約録画で、これは基本的に「録ったらすぐに観る」ためのものだ。特に気に入った作品は残して、あとは観たら消してしまう。
 二つ目は、「いつ観るかわからないが、とりあえず録画しておく」というケースだ。主に、CSでの旧作アニメで気になる作品が放送される場合に、このパターンが多い。DVD-RAMに保存しておいて、観てみて面白ければ続けて全話観るし、自分には合わないと思えば録画内容を消去してディスクは使い回せばいい。
 VHSテープ時代ほどには保存に場所を取らないので、とりあえず全話録ってそのまま放置した作品は多い。「いつか未来に観る作品」は、今も増え続けている。



 前置きが長くなったが、こんな話をしたのは、まさに今「いつか観よう」と思って録っていた作品を観ているからだ。
 それは、当ブログでも取り上げていたが、2007年夏の日本映画専門チャンネル「夏休み!まるごと手治虫アニメシアター」で放送された手塚アニメの諸作品だ。
 当時録画した作品のうち、1月下旬からから『ワンサくん』を観始めて3月までに全26話を観終わり、続けて『鉄腕アトム [第2作]』(以下「カラー版」)に手を出した。現在、『アトム』は第15話まで観ている。


 なぜ急にこれらの手塚アニメを観たくなったのかは、自分でもよく分からない。何かちょっとしたきっかけがあった気がするが、とにかく、ある日突然『ワンサくん』がどうしても観たくなった。こういう事があるから、「とりあえず録っておく」は、やめられない。
 『ワンサくん』を観終えた後、せっかくだから他の手塚アニメも続けて観ようと思い、手元に録画のある『鉄腕アトム』『海のトリトン』から、次は原作者の手がしっかり入っている作品を観たいと考えて『アトム』を選んだ。

 以前のエントリにも書いているが、カラー版『アトム』の第1話は脚本・原画・絵コンテ・演出・メインキャラクターと「手塚治虫」の名前だらけで、手塚先生が大変に力を入れていた事が伺える。
 原作漫画で何度も描かれたアトム誕生シーンではあるが、カラー版ではアトムがお茶の水博士に救われるところまでで3話も使っている。特にアトム(飛雄)と天馬博士の親子関係が深く掘り下げられており、これがアトム誕生編の決定版と言ってもいいのではないだろうか。

 なにしろ、原作ではアトム誕生の話はあまり扱いがよくない。短編では、一番ページ数の多いサンコミックス版「アトム誕生」ですら、たったの23ページだ。
 さすがに、長編の『アトム今昔物語』では多くのページを割いてアトムの誕生が描かれているが、これは一挿話の扱いにされてしまっており、印象が薄い。個人的には、アトムの目覚める場面より、その直前のタイムスリップした方のアトムが爆破される場面(初出版ではアトムが自爆)の方が、印象が強いくらいだ。
 だから、カラー版で純粋にアトムの誕生が丁寧に描かれていたのはよかった。ただ、天馬博士がアトムをサーカスに売る下りが、アトムが騙されて自分で契約してしまう展開に変えられていたのは、ちょっと気になったが。
 白黒版アニメではこの「息子を売り飛ばす」描写にアメリカからクレームが付いたそうだから、カラー版であえて変えたのだろうが、この改変によって天馬博士はいつの間にか話から退場する展開になってしまい、天馬博士の印象が少し薄くなったのは残念だ。


 今回、カラー版『アトム』は原作ファンとしての視点で観ているが、原作付きエピソードは現代(と言っても1980年当時の、だが)的アレンジでどのように味付けされているかが興味深く、また「アトム対アトラス」シリーズはオリジナルエピソードのため、先の読めない面白さがある。
 つい先ほど第15話「ロビオとロビエット」を観たところだが、原作の悲劇的ラストがしっかり描かれており、後味は良くないが、不思議な余韻を感じるエピソードだった。
 「ロビオとロビエット」は白黒版アニメをレンタルビデオで観た事があったが、こちらはお茶の水博士の修理でロビオとロビエットが復活する展開が付け足されており、この時の私は子どもだったが、既に原作を読んでいたので「蛇足」と感じたものだった。

 「ロビオとロビエット」に限らず、カラー版は原作通りロボットに悲劇の訪れる結末も多い。これはもちろん原作の味の一つなので余計な改変がない方が嬉しいのだが、第12話「ダムダムの首」、第13話「電光人間」と、2話続けてロボット破壊オチの話が続くのには参った。
 特にダムダムは可哀想で、何とかしてやったらいいのにと思ってしまった。これは原作も含めての突っ込みだが、首を変えなくても中性子光線の機能だけをとっぱらう事は出来なかったのだろうか。
 ちなみに、「ダムダムの首」の原作「顔のないロボットの巻」の連載中に白黒版アニメの放送が終了したため、ダムダムはカラー版がアニメ初登場だった。厳密に言えば、『ジェッターマルス』のOPアニメに登場してマルスにぶっ壊されていたが、本編には出番はなかったようだ。


 と、言った具合に、現在はカラー版『アトム』を観るのがすっかり楽しみになってしまった。
 このエントリ、最初の予定では『ワンサくん』の感想をメインにして、カラー版『アトム』は軽く触れる程度にするつもりだったのだが、気が付くと『アトム』の話だけで結構長くなってしまった。
 その気になれば、カラー版『アトム』の感想でまだまだ書く事も出来るが、とりあえずはこの辺にしておこう。『ワンサくん』については、またいずれ触れたい。



 思えば、藤子不二雄作品と手塚治虫作品、漫画はどちらも子供の頃から愛読してきたが、藤子アニメはシンエイ版『ドラえもん』以降の大部分の作品をリアルタイムで観てきたのに対して、手塚先生存命中に限れば、手塚アニメの本放送に触れる機会はほとんどなかった。物心ついた頃にカラー版『アトム』の後半を観ていた程度だ。これは、タイミングが悪かったとしか言えない。
 さらに、シンエイ藤子アニメは地元の名古屋テレビでしつこいくらいに何度も再放送されたのに対して、手塚アニメの再放送はそれほど多くなかったため、旧作に触れる機会もあまり無かった。再放送でほぼ全話を観たのは『ふしぎなメルモ』と『悟空の大冒険』くらいだ。『鉄腕アトム』の白黒版は、前述のレンタルビデオとテレビの特番で数話分を観ている。

 だからこそ、もう「いい歳」になってしまった現在、旧作ではあっても新鮮な気持ちで手塚アニメに触れる事が出来る。カラー版『アトム』第16話以降も楽しみだ。
 更に、東映チャンネルでは先週から『ミクロイドS』が始まった。『デビルマン』の後番組でスタッフも被っているせいかテイストが似ていて、手塚カラーとは別の、独自の世界になっている感じだが、これはこれで面白い。
 4月に入って始まったアニメ新番組もそれなりに観ているが、今期は「これは」と強く惹かれる作品が今のところ無くて、「そこそこ面白い」レベルのものを何本か観ている程度だ。そのため、旧作アニメの鑑賞に十分な時間が取れるのは、怪我の功名と言うべきか。当分は、カラー版『アトム』で楽しめそうだ。