最近、時間が足りない。
それも、「○日までに××をしなければいけないのに、時間が無くて間に合わない」と言うような、具体的なものではない。毎日、ある程度規則正しい生活をしているつもりだし、睡眠もそれなりにとっており、忙しくて眠る暇もない訳ではない。それに、テレビアニメは最低でも一日に2本(=1時間)は観ており、趣味の時間も作れる状況だ。
だと言うのにも関わらず、「時間が足りない」と感じるのは、裏を返せば毎日過ごしている時間をムダに使っているような気分になっているせいのようだ。自らの毎日を振り返ってみると、そんなにだらけた生活をしているとも思えないのだが。
「BOOK OFFで延々3時間立ち読み」など、本当の意味での明らかな「時間の無駄遣い」をしていた学生時代と比べると、ここ数年で時間の大切さは理解したつもりだ。
たとえば、休日に遠出をすると丸一日、泊まりでは二日以上家を空けるので、帰宅時間によって後片づけや翌日の支度などが大違いになり、「あと1時間あれば」と思う事も多い。これなどは、実家暮らしで特に自分には責任のない学生時代には思いもよらない事だった。
また、よく「朝の5分は貴重」と言われるが、それを本当に体感するようになったのも、仕事に就いてからだ。アニメを観ている時間と、朝の支度をする時間は、同じ30分でも体感としては後者の方が時間が早く過ぎているとしか思えない。「ドラえもん」に出てくる「時間ナガナガ光線」は、このような心理的状態を変化させる道具なのだろう。これを浴びせさせられて、つまらないアニメを延々と観る羽目になったら恐ろしいだろうな。
調子に乗ると話がそれてしまうが、とにかく毎日何かに追い立てられているようで、落ち着かない。一体何がこの心理状況を作りだしているのだろう。「狂時機」でも「タンマ・ウオッチ」でも「時門」でも何でもいいからドラえもんの時間操作系道具が欲しい気分だ。
実のところ、ある程度まではこの心理状況の原因は推察できる。多分、最近このブログばかり書いていて、本サイトの「はなバルーン倶楽部」(特に「ドラちゃんのおへや」)をさっぱり更新していないせいだろう。
以前に書いたように、現在自分の藤子度が下がっている状態なので更新する意欲自体はあまり沸かないのだが、それでも半年間更新していないとアニメや単行本のデータも古くなるので、全くの放置はよくないと気になってしまう。
さらに、このブログも毎日更新しても大丈夫なくらいにネタはあるのだが、現状はご覧の通り、多くて週3回更新が限度だ。さすがに毎日書き続けるまでの時間はない。だから、ブログに書けずに時機を逸してしまったネタも、積もり積もって結構な量になっている。一部、下書きとして残っている物を読んでみると、たとえば1年前の東海地区と関西地区のアニメ放映状況の比較などのネタが出てきたくらいだ。
このように、サイトやブログの更新が必ずしも自分の思い通りにできていない事が積もり積もって、今の「時間が足りない」気分を形作る要因の一つになっているのだろう。
また、学生時代と比較して大きく変わった点に、自由に使える金が増えた事がある。
こうなれば欲しいものにより多くの金をかけるようになるのは必然で、試しに本で比較してみると、2002年に購入した新刊本が約50冊なのに対して、2007年は120冊まで増えている。また、DVDも昔は「これだけはどうしても」という作品を夏・冬の賞与時期にBOXで買う程度だったが、昨年春頃からは常に毎月最低2枚は買うようになってしまっている(「みなみけ」が終わったら、次は「墓場鬼太郎」…)。
本やDVDはいったん手に入れれば自分の好きな時に楽しめばいいはずだが、徐々に「未読」「未見」が増えて、今では捌ききれない状況だ。特に、文庫本は値段・サイズ共にお手頃なので、どんどん増えてしまい、気が付くと本棚を圧迫するので恐ろしい。
これらの「積んでしまった」本を早く読まなければ、まだ封も切っていないDVDも観なければと言う気持ちも、心理的な圧迫となって「時間が足りない」という気持ちを作り上げているのではないだろうか。
だらだらと書いてしまったが、結局のところ、ネットを含めて「時間を潰す物」がありすぎるからこそ、逆に何によって時間を潰していいのか困り、それで「時間が足りない」と思うようになっているのだろう。ブログやサイトの更新だって、出来ない物は開き直ればいい。この件で、ここ数日間モヤモヤとしていたが、思い切って文章にする事で、ようやくある程度すっきりした。
だから、ここで挙げたようなものが無いところに旅行にでも行ってみれば、気分転換になるかもしれない。4月中は仕事もある程度ヒマだろうし、考えてみるか。
と、言う訳で今回の駄文はおしまい。ここまで、おつきあい頂けた方には、御礼申し上げます。
それも、「○日までに××をしなければいけないのに、時間が無くて間に合わない」と言うような、具体的なものではない。毎日、ある程度規則正しい生活をしているつもりだし、睡眠もそれなりにとっており、忙しくて眠る暇もない訳ではない。それに、テレビアニメは最低でも一日に2本(=1時間)は観ており、趣味の時間も作れる状況だ。
だと言うのにも関わらず、「時間が足りない」と感じるのは、裏を返せば毎日過ごしている時間をムダに使っているような気分になっているせいのようだ。自らの毎日を振り返ってみると、そんなにだらけた生活をしているとも思えないのだが。
「BOOK OFFで延々3時間立ち読み」など、本当の意味での明らかな「時間の無駄遣い」をしていた学生時代と比べると、ここ数年で時間の大切さは理解したつもりだ。
たとえば、休日に遠出をすると丸一日、泊まりでは二日以上家を空けるので、帰宅時間によって後片づけや翌日の支度などが大違いになり、「あと1時間あれば」と思う事も多い。これなどは、実家暮らしで特に自分には責任のない学生時代には思いもよらない事だった。
また、よく「朝の5分は貴重」と言われるが、それを本当に体感するようになったのも、仕事に就いてからだ。アニメを観ている時間と、朝の支度をする時間は、同じ30分でも体感としては後者の方が時間が早く過ぎているとしか思えない。「ドラえもん」に出てくる「時間ナガナガ光線」は、このような心理的状態を変化させる道具なのだろう。これを浴びせさせられて、つまらないアニメを延々と観る羽目になったら恐ろしいだろうな。
調子に乗ると話がそれてしまうが、とにかく毎日何かに追い立てられているようで、落ち着かない。一体何がこの心理状況を作りだしているのだろう。「狂時機」でも「タンマ・ウオッチ」でも「時門」でも何でもいいからドラえもんの時間操作系道具が欲しい気分だ。
実のところ、ある程度まではこの心理状況の原因は推察できる。多分、最近このブログばかり書いていて、本サイトの「はなバルーン倶楽部」(特に「ドラちゃんのおへや」)をさっぱり更新していないせいだろう。
以前に書いたように、現在自分の藤子度が下がっている状態なので更新する意欲自体はあまり沸かないのだが、それでも半年間更新していないとアニメや単行本のデータも古くなるので、全くの放置はよくないと気になってしまう。
さらに、このブログも毎日更新しても大丈夫なくらいにネタはあるのだが、現状はご覧の通り、多くて週3回更新が限度だ。さすがに毎日書き続けるまでの時間はない。だから、ブログに書けずに時機を逸してしまったネタも、積もり積もって結構な量になっている。一部、下書きとして残っている物を読んでみると、たとえば1年前の東海地区と関西地区のアニメ放映状況の比較などのネタが出てきたくらいだ。
このように、サイトやブログの更新が必ずしも自分の思い通りにできていない事が積もり積もって、今の「時間が足りない」気分を形作る要因の一つになっているのだろう。
また、学生時代と比較して大きく変わった点に、自由に使える金が増えた事がある。
こうなれば欲しいものにより多くの金をかけるようになるのは必然で、試しに本で比較してみると、2002年に購入した新刊本が約50冊なのに対して、2007年は120冊まで増えている。また、DVDも昔は「これだけはどうしても」という作品を夏・冬の賞与時期にBOXで買う程度だったが、昨年春頃からは常に毎月最低2枚は買うようになってしまっている(「みなみけ」が終わったら、次は「墓場鬼太郎」…)。
本やDVDはいったん手に入れれば自分の好きな時に楽しめばいいはずだが、徐々に「未読」「未見」が増えて、今では捌ききれない状況だ。特に、文庫本は値段・サイズ共にお手頃なので、どんどん増えてしまい、気が付くと本棚を圧迫するので恐ろしい。
これらの「積んでしまった」本を早く読まなければ、まだ封も切っていないDVDも観なければと言う気持ちも、心理的な圧迫となって「時間が足りない」という気持ちを作り上げているのではないだろうか。
だらだらと書いてしまったが、結局のところ、ネットを含めて「時間を潰す物」がありすぎるからこそ、逆に何によって時間を潰していいのか困り、それで「時間が足りない」と思うようになっているのだろう。ブログやサイトの更新だって、出来ない物は開き直ればいい。この件で、ここ数日間モヤモヤとしていたが、思い切って文章にする事で、ようやくある程度すっきりした。
だから、ここで挙げたようなものが無いところに旅行にでも行ってみれば、気分転換になるかもしれない。4月中は仕事もある程度ヒマだろうし、考えてみるか。
と、言う訳で今回の駄文はおしまい。ここまで、おつきあい頂けた方には、御礼申し上げます。