今年もやってきた、9月23日。藤子・F・不二雄先生が亡くなられてから、もう11年も経ってしまった。
せっかく休日でもある事だし、今日は藤本作品をじっくり読み返そうと思っていたのだが、午前中に行った書店でたまたま「封印作品の闇」(安藤謙二・著)を見つけて読んでしまい、気分がすっかり重くなった。
「封印作品の闇」は、「封印作品の謎2」を加筆修正した文庫版であり、藤子作品からは「オバケのQ太郎」「ジャングル黒べえ」の2作品が取り上げられているのだが、文庫化に当たって「オバQ」について特に一章分が追加されている。
あらかじめ断っておくが、この「封印作品の闇」という本自体は、私は評価している。これまで、商業出版で触れられる事がなかった「封印作品」にまつわる事情について、作者・周辺関係者から当時の資料に至るまで可能な限りの調査が行われており、結果的に封印された理由がはっきりしない場合が多いにも関わらず、読み応えがある。
ただ、今回の「オバQ」加筆分は、「オバQが出版できない理由」について、藤子両先生関係者の「感情のもつれ」として個人名まではっきり書かれてしまっており、正直なところ、ファンとしては「知りたくなかった」内容だ。だから、よりによって今日という日に読んでしまったのは失敗だった。
まあ、この本で証言している「小学館の元幹部」の発言については、ある程度差し引いて受け止めるべきだとは思うが、だとしてもショックな内容だ。詳細については、あえてここでは書かないので、この本の該当部分を参照していただきたい。
藤子作品には限らず、漫画が商業作品として一度世に出たからには、その作品は作者だけのものではない。
著作権が作者にあるのは当然だが、読者には作品を読んで楽しむ権利がある。もちろん、「商業作品」である以上、こんな事は言うまでもないのだが。
「オバQ」は、「週刊少年サンデー」リアルタイム読者から、シンエイ版アニメで知った人まで、「ドラえもん」と同じか、それ以上に幅広い年代層に愛読されてきた作品であり、今でも「読めるなら読みたい」と思う人は多いはずだ。それなのに、現役で入手できる単行本が存在せず、その理由は、作者自身の意志による封印でもなく、現在では世に出せないような表現があるためでもない(厳密に言えば、「国際オバケ連合」は自主規制されてしまったが)。
あらためて自分で書いてみると、あまりの理不尽さに腹が立ってきた。
今更こんな事を言っても仕方がないのだが、「藤子不二雄」コンビ解消時に、「合作」扱い作品の出版について、両先生の間で確固たる取り決めをしておいていただきたかった。
もちろん、当時はお二人とも「オバQ」がこんな状態になるとは思っていなかっただろうし、1990年代に入ると、てんコミ藤子作品の大半が品切れ状態となり、またFFランドも301巻完結に伴って書店ではあまり見かけなくなっていたから、殊更「オバQ」をはじめとする合作作品についての出版を考えるような状況ではなかったのだろう。
だが、「藤本先生の遺志」として遺族や藤子プロですら方針を変える事が出来ないような取り決めが交わされていれば、他のてんコミ藤子作品のように、品切れになっても文庫版での復活はあり得たかも知れない。そう考えてみると、現在の状況は残念としか言いようがない。
もう、何度も書いているような気がするが、現状での藤子・F・不二雄作品の扱いは、「ドラえもん」とそれ以外とで、あまりにも差がありすぎると思う。
藤子プロが、本気でこれからも藤本作品が読み継がれていくようにと考えているのであれば、今の状態は実にいびつだ。「ドラえもん」以外にも面白い藤本作品はたくさんあるが、その中でも「ドラ」と並ぶ代表作と言って差し支えない「オバQ」が埋もれたままの状態は、ファンとしては理解しがたい。
藤子プロの伊藤社長は、安藤氏の取材に対して「藤子・F・不二雄の遺した作品は非常に膨大で、生前と変わらぬ人気を博しているものが多くございます。その中で藤本の遺志や作品世界を守りつつ、より多くのファンのみなさまに喜んでいただける活動を優先的に行っております。」と返答している。この言葉と、最近の出版状況から解釈すれば、藤子プロとしては「オバQ」は、世に出すべき優先順位としては「モッコロくん」より低いと考えているらしい。いや、もちろん「モッコロくん」の単行本化自体は非常にありがたかったのだが。
実際は、前述のように「感情のもつれ」が原因なのだとしたら、この返答は「建前」だと言う事になるが、そうだとしても、よくこんな事を言える物だ。藤本作品を守り、伝えていくべき責任者が「我々は「オバQ」の作品価値を理解していません」と言ってるのと同然ではないか。建前なら建前で、もうちょっとまともな事を言って欲しい。
とりあえず、今日は手持ちの「オバQ」単行本を何冊か読み返したが、どうしても心のモヤモヤが晴れず、こんな文章を書いてしまった。これを読んで、気分の悪くなった方がいらっしゃったら、お詫びします。
これまでも、そしてこれからも、藤子両先生とその作品に対する気持ちは変わらないが、少なくとも今の藤子プロおよび藤子スタジオの一部の人々に対しての不信感を消す事は出来ない。まさか本当に「オバQ」の復活を望む声が藤子プロには伝わらないのだとしたら、なによりファンとして非常に残念だ。
せっかく休日でもある事だし、今日は藤本作品をじっくり読み返そうと思っていたのだが、午前中に行った書店でたまたま「封印作品の闇」(安藤謙二・著)を見つけて読んでしまい、気分がすっかり重くなった。
「封印作品の闇」は、「封印作品の謎2」を加筆修正した文庫版であり、藤子作品からは「オバケのQ太郎」「ジャングル黒べえ」の2作品が取り上げられているのだが、文庫化に当たって「オバQ」について特に一章分が追加されている。
あらかじめ断っておくが、この「封印作品の闇」という本自体は、私は評価している。これまで、商業出版で触れられる事がなかった「封印作品」にまつわる事情について、作者・周辺関係者から当時の資料に至るまで可能な限りの調査が行われており、結果的に封印された理由がはっきりしない場合が多いにも関わらず、読み応えがある。
ただ、今回の「オバQ」加筆分は、「オバQが出版できない理由」について、藤子両先生関係者の「感情のもつれ」として個人名まではっきり書かれてしまっており、正直なところ、ファンとしては「知りたくなかった」内容だ。だから、よりによって今日という日に読んでしまったのは失敗だった。
まあ、この本で証言している「小学館の元幹部」の発言については、ある程度差し引いて受け止めるべきだとは思うが、だとしてもショックな内容だ。詳細については、あえてここでは書かないので、この本の該当部分を参照していただきたい。
藤子作品には限らず、漫画が商業作品として一度世に出たからには、その作品は作者だけのものではない。
著作権が作者にあるのは当然だが、読者には作品を読んで楽しむ権利がある。もちろん、「商業作品」である以上、こんな事は言うまでもないのだが。
「オバQ」は、「週刊少年サンデー」リアルタイム読者から、シンエイ版アニメで知った人まで、「ドラえもん」と同じか、それ以上に幅広い年代層に愛読されてきた作品であり、今でも「読めるなら読みたい」と思う人は多いはずだ。それなのに、現役で入手できる単行本が存在せず、その理由は、作者自身の意志による封印でもなく、現在では世に出せないような表現があるためでもない(厳密に言えば、「国際オバケ連合」は自主規制されてしまったが)。
あらためて自分で書いてみると、あまりの理不尽さに腹が立ってきた。
今更こんな事を言っても仕方がないのだが、「藤子不二雄」コンビ解消時に、「合作」扱い作品の出版について、両先生の間で確固たる取り決めをしておいていただきたかった。
もちろん、当時はお二人とも「オバQ」がこんな状態になるとは思っていなかっただろうし、1990年代に入ると、てんコミ藤子作品の大半が品切れ状態となり、またFFランドも301巻完結に伴って書店ではあまり見かけなくなっていたから、殊更「オバQ」をはじめとする合作作品についての出版を考えるような状況ではなかったのだろう。
だが、「藤本先生の遺志」として遺族や藤子プロですら方針を変える事が出来ないような取り決めが交わされていれば、他のてんコミ藤子作品のように、品切れになっても文庫版での復活はあり得たかも知れない。そう考えてみると、現在の状況は残念としか言いようがない。
もう、何度も書いているような気がするが、現状での藤子・F・不二雄作品の扱いは、「ドラえもん」とそれ以外とで、あまりにも差がありすぎると思う。
藤子プロが、本気でこれからも藤本作品が読み継がれていくようにと考えているのであれば、今の状態は実にいびつだ。「ドラえもん」以外にも面白い藤本作品はたくさんあるが、その中でも「ドラ」と並ぶ代表作と言って差し支えない「オバQ」が埋もれたままの状態は、ファンとしては理解しがたい。
藤子プロの伊藤社長は、安藤氏の取材に対して「藤子・F・不二雄の遺した作品は非常に膨大で、生前と変わらぬ人気を博しているものが多くございます。その中で藤本の遺志や作品世界を守りつつ、より多くのファンのみなさまに喜んでいただける活動を優先的に行っております。」と返答している。この言葉と、最近の出版状況から解釈すれば、藤子プロとしては「オバQ」は、世に出すべき優先順位としては「モッコロくん」より低いと考えているらしい。いや、もちろん「モッコロくん」の単行本化自体は非常にありがたかったのだが。
実際は、前述のように「感情のもつれ」が原因なのだとしたら、この返答は「建前」だと言う事になるが、そうだとしても、よくこんな事を言える物だ。藤本作品を守り、伝えていくべき責任者が「我々は「オバQ」の作品価値を理解していません」と言ってるのと同然ではないか。建前なら建前で、もうちょっとまともな事を言って欲しい。
とりあえず、今日は手持ちの「オバQ」単行本を何冊か読み返したが、どうしても心のモヤモヤが晴れず、こんな文章を書いてしまった。これを読んで、気分の悪くなった方がいらっしゃったら、お詫びします。
これまでも、そしてこれからも、藤子両先生とその作品に対する気持ちは変わらないが、少なくとも今の藤子プロおよび藤子スタジオの一部の人々に対しての不信感を消す事は出来ない。まさか本当に「オバQ」の復活を望む声が藤子プロには伝わらないのだとしたら、なによりファンとして非常に残念だ。