はなバルーンblog

藤子不二雄や、好きな漫画・アニメの話がメイン(ネタバレもあるので要注意)

タイムボカンシリーズの映像ソフトが揃った

2023-02-11 15:40:14 | タイムボカンシリーズ
 先日、『タイムボカンシリーズ 逆転イッパツマン』DVD-BOX2を入手した。
 これで、長年集めていたタイムボカンシリーズ(昭和放送の作品)の映像ソフトを全て揃えることができた。と言っても、全てを『タイムボカンシリーズ DVDコレクション』で揃えたわけではなく、『ヤッターマン』は後から発売された廉価版だし、『タイムボカン』に至ってはレーザーディスクだが。





 とりあえず、全部集めて記念撮影してみた。こうやって並べると、やはり気分がいい。

 思えば、私が初めてタイムボカンシリーズに触れたのは、幼稚園児の時だった。当時本放送中だった『タイムパトロール隊 オタスケマン』を何とはなしに観るようになって、その後『ヤットデタマン』『逆転イッパツマン』『イタダキマン』と、シリーズ作品に次々と触れていき、すっかりファンになったのだ。
 なお、『タイムパトロール隊 オタスケマン』本放送中に東海テレビでは朝の時間帯に『タイムボカン』も放送しており、シリーズ第1作に触れることができたのは幸運だった。
 もちろん、『ヤッターマン』『ゼンダマン』も何度も再放送されていたので、そちらで観ることができた。

 そして、次なる段階は放送の録画だ。VHSビデオがわが家になってきてからもタイムボカンシリーズは頻繁に再放送された。なかでも『ヤッターマン』がいちばん多かっただろうか。それらの再放送を可能な限り録画して、手元に残しておくようにしたのだ。『ヤッターマン』『ゼンダマン』『逆転イッパツマン』『イタダキマン』は全話の9割方録画できたが、『タイムパトロール隊 オタスケマン』『ヤットデタマン』は一部の話数しか録画できなかった。
 また、名古屋では幼少時に観たとき以来、第1作『タイムボカン』の再放送がなかったので、これをなかなか再見することができなかった。そんなわけで、1990年代当時の私は、ぜひ『タイムボカン』をもう一度観たいという思いが強かった。

 そんな私の願いが叶えられたのは、大学生の時だった。
 当時、既に発売していた『タイムボカン』のLD-BOXを購入したのだ。当時の映像ソフトは今より価格が高く、この『タイムボカン』の場合は税込みで88,000円だった。よく憶えていないが、おそらく定価で買ったと思う。大学生で大して裕福でもなかったのに、よく買ったものだ。それだけ、『タイムボカン』を観たい思いが強かったのだろう。
 LDでは『ヤッターマン』『ゼンダマン』も発売されていたが、ほぼ全話録画が手元になることもあって、さすがにそれらは買えなかった。

 さらに時代は流れて、映像ソフトはDVDが主流となり、パイオニアLDCより、タイムボカンシリーズの全話をBOX化した『タイムボカンシリーズ DVDコレクション』の発売が発表された。
 このDVDシリーズは連動購入特典などもあったのだが、発売当時は全部は買うことができなかったので、思い入れが強く、かつ手元に録画が残っていない『タイムパトロール隊 オタスケマン』『ヤットデタマン』を新品で購入するにとどめた。その後、『ヤッターマン』は2BOXの廉価版(初回版は3BOX)が発売されたので、それを新品で購入した。
 その後は、『ゼンダマン』『イタダキマン』のBOXを中古で購入して、さらに『逆転イッパツマン』のBOX1も買い、最後に『逆転イッパツマン』BOX2が残った状態だったのだが、今回ようやくそれを手にすることができた。『逆転イッパツマン』も再放送の録画が手元にあるので、DVDの購入優先順位が低かったのだ。
 さらに言えば、時代がDVDからBDに変わったのも大きかった。DVDをまだ持っていない時点で『逆転イッパツマン』のBD-BOXが出てしまったので、どっちを買うかと悩んだこともあった。結局DVDにしたのは、なるべく『タイムボカンシリーズ DVDコレクション』を優先したいという気持ちと、BD-BOXには解説書が付いていないという事実による。

 今回、ようやくタイムボカンシリーズの映像ソフトがひととおり揃ったが、そうなるとさらに欲は生まれるもので、『タイムボカン』もDVDで揃えて並べたくなってきてしまった。さらに言えば、『ヤッターマン』も初回版のBOXがほしい。廉価版には解説書がないのだ。
 もし、それらを果たしたら、今度はBD-BOXが欲しくなるんだろうな。私の考えることなど、簡単に想像が付く。とにかく、今は揃ったことを喜びたい。

2022年の終わりに

2022-12-31 23:20:36 | 日記・雑文
 今年も、もうすぐ終わり。
 例年のように一年を振り返ろうと思うのだが、今年はなんと言っても藤子不二雄A先生が亡くなられたことが最大級にショックな出来事だった。藤子ファンとして、これほど悲しいことはない。
 もちろん、A先生のお年を考えると、いずれはと覚悟しなければいけないことではあったが、それがこんなに突然にやってくるとは思いもしなかった。

 私は藤子ファンとしてこのブログに追悼文を書いたし、藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」の会誌にも、こことは異なる内容の追悼文を載せてもらった。
 残念だったのは、仕事の都合でどうしてもお別れの会に行けなかったことだ。A先生を悼む気持ちはもちろんだが、自分の気持ちにある種の整理を付ける意味でも、参加したかった。平日だったのが大きい。もしかしたら、私の他にも参加したくてできなかった人はいたのではないだろうか。
 A先生が亡くなられてから、あっという間に時が過ぎた気がする。テレビではNHKがいくつかの追悼番組を流したが、それ以外の局がほとんど追悼番組をやっていないのは残念だ。特に、テレビ朝日はあれほど世話になっておきながら、CSのテレ朝チャンネルで追悼特番を組んだのみで、地上波では音沙汰なしだ。
 各種雑誌でもA先生の記事はたくさん掲載されたが、特集と言える内容だったのは『昭和50年男』と『北國文華』くらいか。小学館はあれほど世話になっておきながら、以下くどいので略。
 非商業出版の同人誌においては、先述の「ネオ・ユートピア」会誌と「パラレルソレイユ」の最新号でA先生の追悼特集が組まれ、それぞれに読み応えのある内容だった。商業誌でできない内容もあるので、意義のあることだったと思う。
 なんとか、今後も藤子不二雄A作品が読み継がれていけばと思うが、A先生に限らず、現役で活動していない「昔の漫画家」の作品を今の読者が手にとるかとなると、なかなか厳しい面もあるのだろう。不完全な状態で出ている各種単行本も、完全版が出版されれば嬉しいのだが。特に『魔太郎がくる!!』あたりは何とかして欲しいところだ。
 ともかく、一ファンの立場としてはこれからも藤子A作品を読んで、応援していくだけだ。

 今年は、藤子不二雄A先生以外にもいろいろな方が亡くなられた。
 いちいちお名前を挙げることは控えるが、いちばん最近と言うことで、水木一郎アニキの訃報は特に衝撃的ではあった。私の母と変わらない年齢なので、まだまだ活躍していただきたかった。
 生きていればいつかはこういう別れもあるが、やはり寂しいものだ。

 アニメ関連では、面白い作品にはいくつも巡り会うことができて、その点では幸いだった。
 ただ、個人的にアニメ関連で今年いちばんのニュースは、ようやく『疾風!アイアンリーガー』のBD-BOX化が決定したことだ。この作品はLDで全話揃えてしまっていたが故にDVD-BOXにはあえて手を出さず、そのうちBDが主流となってからは10年以上もBD化を待ち望んでいたのだ。まさに、待望の発売決定だ。
 テレビシリーズ全52話+OVA全5話+特典映像と、けっこう話数が多いので、最近多くなってきている「SD画質で1枚のディスクに話数を詰め込みました」な、なんちゃってBD-BOX化だったらどうしようと思っていたが、今回はちゃんと2K画質でディスク枚数は8枚なので、画質にも期待できる。ライトニングクラッシュやスーパーノヴァが高画質で観られるのだから、来年3月の発売が本当に楽しみだ。

 ここには書かないが、今年は個人的にもいろいろあって、激動の一年だった。
 来年に向けての課題もいろいろあって、ひとつずつ乗り越えていかねばならない。とにかく、やれるだけのことはやろう。と、言うわけで、今年一年ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。

FミュージアムでSF短編の原画を鑑賞

2022-11-03 20:20:29 | 藤子不二雄
 9月3日から約2ヶ月ぶりに、10月29日に藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた。
 目的はもちろん、始まったばかりの「藤子・F・不二雄のSF短編原画展」だ。

 藤子ファンにとってはSF短編は説明不要の名作揃いだが、このミュージアムでは開館してからの11年間、ほぼドラえもんをメインとした展示を行っていた。正直、ドラえもん以外の作品メインの展示は半ば諦めていたところなのだが、そこへ来ての「SF短編原画展」だ。これは、鑑賞しないわけにはいかない。





 基本、原画の撮影は禁止だが、今回の展示は入り口部分のみ撮影可だった。撮ってもどうって事ないような気もするが。
 ともかく、「ミノタウロスの皿」から始まって、「ドジ田ドジ郎の幸運」「じじぬき」「流血鬼」「ベソとこたつと宇宙船」「イヤなイヤなイヤな奴」「値踏みカメラ」「四畳半SL旅行」などなど、SF短編の名作の数々の原画が展示されており、すっかり見入ってしまった。
 そして、今回の展示でも『ドラえもん』関連がないわけではなく、「神さまごっこ」など、SF短編とタイトルが共通するエピソードなどが紹介されていた。
 どの作品も原画は素晴らしいが、そんななかで「イヤなイヤなイヤな奴」は原稿の上部に手書きで「いやな奴」(ページによっては「イヤな奴」)と書かれており、なんだか妙におかしかった。冷静に考えれば、単にタイトルを短縮して書いただけなんだろうけど。なお、この字が藤本先生の手によるものかどうかは不明。と言うか、さすがにそこまでは解説されていない。
 解説と言えば、展示の説明でおなじみの「おはなしデンワ」が、今回の展示より自分自身のスマホからアクセスして使うタイプに変わっていた。やはり、感染対策の一環なのだろう。

 なお、今回は展示を観る前に、真っ先にミュージアムショップに行って、「『ミノタウロスの皿』の皿」を購入した。
 作品の内容を考えれば、ある意味では非常に悪趣味なグッズではあるが、SF短編のこういうグッズが出ること自体が非常にレアなので、購入しない選択肢はなかった。意外とサイズは小さいが、買えてよかった。





 といった感じで、なかなか収穫の多いミュージアム訪問であった。まだまだSF短編の名作は多いので、展示の入れかえも楽しみだ。「老年期の終り」の原画はぜひ観たい。
 そして、SF短編原画展が終わった後も、ドラえもん以外の作品を中心にした展示をまたやって欲しい。個人的には初期作品にもスポットをあてて欲しいが、原画が残っていない作品が多いから、難しそうだな。

Fミュージアムとトキワ荘へ

2022-09-24 16:19:26 | 日記・雑文
 9月3日、4日と、川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムと東京都豊島区のトキワ荘マンガミュージアムへと行ってきた。

 まずは9月3日に藤子・F・不二雄ミュージアムを訪れた。
 この日は、言わずと知れたドラえもんの誕生日。そして、ミュージアムの開館記念日でもある。今年で、ミュージアムは開館11周年だ。
 9月3日はミュージアムが非常に賑わって盛り上がるというのは前から聞いていたので、以前から9月3日に訪れたかったのだが、なかなか都合が合わなかった。今年は、土曜日と言うこともあって訪れることができたのだ。

 噂に聞いていたとおり、この日のミュージアムは非常に賑わっており、11年前の開館初日を除けば、私が訪れた中ではいちばんの盛況だった。
 友人・知人も多数来ており、おなじみの方から二十年ぶりにお会いする方、それに初めての方まで、多くの方にお目にかかることができた。この日の盛り上がりを肌で感じることができて、行ってよかった。
 それにしても、はらっぱ横のショップ「藤子屋」まで行列ができているのだから、本当にすごい賑わいだ。あの店にはあまり混雑する要素がない気がしていたのだが。

 そして、東京に泊まって翌日はトキワ荘マンガミュージアムへ。
 この施設が開館してからずっと気にはなっていたのだが、こちらもなかなかタイミングが合わずに訪れる機会がなかった。なにしろ、あの「トキワ荘」を再現した施設なのだから、『まんが道』ファンとしては行かずにはいられない。
 実際、行ってみるとこだわりが随所に感じられる施設であった。階段のギシギシ言う音から始まって、臭ってきそうなトイレ(ここは「便所」と言うべきか)に、実際に当時を再現したいくつかの部屋と、なるほどトキワ荘とはこういうところだったのかと感じられる作りになっている。もちろん、私は本物の「トキワ荘」実物を見たことはないのだが、それでも『まんが道』を通して非常に親しんでいた建物であるため、なんだか懐かしさすら感じられた。














 トキワ荘マンガミュージアムの1階では『漫画少年』の全号展示が行われていた。
 もちろん、実際に手にとって読めるわけではないが、藤子不二雄先生も新漫画党の一員として活躍したあの雑誌だ。トキワ荘ともども、『まんが道』ファンとしては見逃せない展示だろう。ズラッと並ぶ『漫画少年』の数々は、なかなか壮観な眺めだった。それにしても、国会図書館にもわずかしかない『漫画少年』を、よく全号揃えたものだ。

 トキワ荘マンガミュージアムを出たあとは、ふるいちトキワ荘通り店で少し休んだ後、「松葉」へ。
 「松葉」も、『まんが道』ファンには説明不要の中華料理屋だ。ここも、これまで不思議と訪れる機会がなかったのだが、ようやく入ることができた。








 チャーシュー麺をいただいた。
 正直なところ、『まんが道』を読んで、自分の中で「松葉のラーメン」が「ものすごく美味しい」というイメージが形成されてしまっていたので、それに比べるとまあ「普通に美味しい」という感じではあった。さすがに、想像の中の味には勝てないか。でもまあ、美味しいラーメンではありました。

 こんな感じで、一泊二日の旅行はおしまい。なかなか、楽しい二日間だった。
 東京方面にはもっと頻繁に行きたいのだが、時間的および金銭的な都合から、なかなかそういうわけにはいかない。だから、今回二つの施設を訪れることができたのはよかった。

藤子不二雄A先生追悼で氷見へ

2022-05-05 20:50:21 | 藤子不二雄
 5月3日、急に思いたって藤子不二雄A先生の出身地である富山県氷見市に行ってきた。

 この日に、特に氷見で何かイベントがあったわけではない。しかし、何となくいてもたってもいられない気分だったのだ。
 藤子不二雄A先生が亡くなられて、今の氷見はどうなっているのか、それを自分の目で確かめたいという気持ちが強かった。そのため氷見に行くには、ゴールデンウィークで連休になるこの時期をおいて他にないと、そう思ったのだ。

 当日、8時40分大阪発の特急サンダーバードに乗って出発し、金沢で新幹線つるぎに乗り換えて、11時41分に新高岡に着いた。大阪からでだいたい3時間で着くことになる。
 ただし、まだ新高岡であって氷見ではない。新高岡から氷見に行くために、いくつかのルートが考えられたが、今回は氷見市内まで行くバスを選択した。このバスに揺られること約1時間で、ようやく「氷見中央」バス停までたどり着いたのだった。自宅を出たのが7時40分くらいなので、結局氷見に着くまでに5時間かかったことになる。近いようで遠い地だ。

 氷見に着いたら、時間が時間なのでまずは昼食をとろうと思ったが、氷見の中心部であっても意外とやっている店はあまり多くない。
 最初は、以前に行ったことのある海鮮丼の店に行こうと思ったのだが、いざ行ってみると満員で店外にも待ちの人が多数で受付を終了しており、待つことすらできなかった。まあ、行ったのが13時少し前なので、仕方がないところか。
 その後、氷見漁港の食堂に行くも、ここも、受付終了。そうなると、もう他に思いつかなかったので、ちょっと歩いたところにある道の駅に設置されている「ひみ番屋街」まで行って、フードコートで食事を取った。

 食事をして落ち着いた後は、氷見市内の藤子不二雄A先生ゆかりの地を巡った。
 昨年氷見を訪れたときの記事にも書いたが、氷見では「藤子不二雄Aまんがワールド」として藤子A先生のキャラにまつわるスポットが多数設置されている。それを今回も回ったし、光禅寺にも行った。
 特筆すべきは氷見潮風ギャラリーで、なんと入場希望者が多数訪れているため、入場規制をしていたのだ。ここには何度か来ているが、こんなことは初めてだ。やはり、潮風ギャラリーで藤子A先生を偲びたいという人が、私の他にも多くいたのだろう。実際、県外から来ている人がどれくらいいたのかはわからないが。
 なお、私が見た限りでは、潮風ギャラリーの展示に特段の変化はなく、昨年訪れたときとほぼ同じだった。夏には富山新聞に連載されていた「記者A」と連動して藤子A先生の記者時代に関する展示が予定されているとのことなので、それに合わせてA先生が亡くなられたことについても触れられるのではないだろうか。
 なお、潮風ギャラリーでは「記者A」のスクラップブックも用意されており、全88回の連載を読むことができるようになっていた。実際には、藤子A先生とほぼ関係ない回も多いので、88回分を全て読む必要はないような気もするが、とにかく「記者A」を読みたいのであれば、氷見潮風ギャラリーに行くといいだろう。

 そうして市内の藤子A先生関連スポットを回っていると、いつの間にか夕方になっていた。
 とりあえず、氷見駅まで行ってJR氷見線に乗り高岡まで戻ったが、すでに夕方であるので特に行くような場所もない。時間に余裕があれば藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーにでもいくところだが、あいにく閉館間近の時間だった。
 とは言え、まだホテルに行くには時間が早い。結局、バスに乗って以前にも行ったことのある高岡市内のブックオフに行ってしまった。ここでは、数冊の本を購入。それはいいが、高岡駅前まで帰るバスがなくて、30分くらい歩く羽目になった。道がわかりやすかったのはよかったが。
 高岡駅まで歩く途中には、藤子両先生が本を買っていたことで有名だった文苑堂書店高岡駅前店があった。この店は3年前にすでに閉店してしまっているが、まだ店の看板も当時のまま残っている状況で、後に入る店もないという駅前商店街の厳しい状況を垣間見てしまった。

 とにもかくにも、高岡駅前まで戻り、あいの風とやま鉄道で富山市に向かった。
 実は、今回の旅行を思い立ったのが遅かったため、氷見や高岡のホテルが全く空いておらず、富山市のホテルにせざるを得なかったのだ。富山市までは鉄道で約20分なので、そんなに遠いというわけではないが、微妙に面倒なのは言うまでもない。
 昨年は6月末に氷見・高岡を訪れたので全く問題なく宿が取れたが、今回は連休中なのを甘く見ていたようだ。

 こうして氷見での一日は終わったが、翌日は高岡市立中央図書館で『ドラえもん』の初出データを調査した。
 この図書館にあるのは、あくまで「初出誌のコピー」ではあるが、カラー掲載の作品はカラーでコピーされており、ほぼ「初出誌に準ずるもの」として調べる価値はある。なお、『てれびくん』『小学二年生』の付録掲載作品については初出の付録が入手できなかったらしく、コロコロコミック再録からのコピーで間に合わせているのはちょっと残念。やはり、付録の入手は難しいのだなあ。

 今回、氷見に行ったことで、何となく気分が少しスッキリしたような気はする。
 もちろん、藤子A先生が亡くなられたことは今でも悲しいのだが、氷見の様子を自分で見たことで、少し気分が整理できたような、そんな感じだ。
 次に氷見・高岡に行くのがいつになるかはわからないが、次は楽しいイベント絡みだったらいいなあ。久しぶりに、藤子ファン仲間と一緒での氷見・高岡旅行もしてみたい。