大氷柱かくまで太き都落ち 成田一子
九州では、あまり見ることのなくなった氷柱だが、作者は宮城県在住である。氷柱も時に「大氷柱」となる日もあることだろう。ところが、「かくまで太き」となると、さらに北上しないと見られないと思われる。「都落ち」とは、そんな都心部からさらに遠く居ることへのアイロニーであり、諦観なのだろうか。一方で、作者らしい楽しさがある句であることは言うまでもない。「滝」2月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)
九州では、あまり見ることのなくなった氷柱だが、作者は宮城県在住である。氷柱も時に「大氷柱」となる日もあることだろう。ところが、「かくまで太き」となると、さらに北上しないと見られないと思われる。「都落ち」とは、そんな都心部からさらに遠く居ることへのアイロニーであり、諦観なのだろうか。一方で、作者らしい楽しさがある句であることは言うまでもない。「滝」2月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)
何度か転居をしましたが、
それぞれに良い自然と人との出会いがありました。
まだまだ終の棲家は未定です(^^)/
京都から南の太宰の地へも都落ち。
所は移っても変わらぬものは人の情、大和魂は何処へ移っても、やがてそこが都に、でしょうか。