「客観写生と言えども、それは主観である」というような虚子の言葉をどこかで読んだことがあります。確かに、客観的に捉えた写生であっても、どこを写生するかとなると主観が働きます。今日、「阿蘇」の例会で、主宰が話されたことは、この虚子の言葉でした。先人が見て来たことを辿るのではなく、自分の目が捉えたものを詠まなければならないと、俳句の難しさを感じながらも、俳句の可能性に心弾む思いでした。(Midori)
手鏡の中の刹那や星流る みどり
*俳誌「阿蘇」土曜例会、岩岡中正主宰選
手鏡の中の刹那や星流る みどり
*俳誌「阿蘇」土曜例会、岩岡中正主宰選
刹那の積み重なりが一生と思えば、今現在の1分1秒が何やら「切なく」おもわれる。
小野小町は「花の色はうつりにけりな・・・・」と詠みました。
小野小町は秋田県湯沢市小野の生まれ、と言われておりますが、わが家内はその末裔(嘘ですが)と思えば・・・思えないか。
まさにみどり俳句。