十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

残菊

2016-02-10 | Weblog
残菊に我が来し方を括るなり      本田久子

まだ咲き残っている菊を括りながら、残菊に自分の来し方を投影している作者である。最も美しい時を過ぎてなお、咲きつぐ菊を括るということは、「我が来し方」を括ることに似ているという一つの諦観。「括る」に二つの意味が込められた詩情高い一句である。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

4 コメント

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括る (久子)
2016-02-10 22:03:03
狭い庭の菊の花二鉢、良く咲きながら、良く背丈が伸びて、やがて晩節を一本の芯柱に括る事に。
括りながら、ふと紐の一本、一本が家族の顔、近所の人、語り部の人達、そして俳句の方々に思えて来た。 何かしら、明日開く蕾があれば、たとえ小さくても、見守って下さる方々のお陰あってこその自分では。
 
句評をありがとうございます。
あるがままに、でも精一杯前向きに・・・・と思っての、ちょっと恥ずかしい一句です。。、
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来し方 (みどり)
2016-02-11 06:16:31
私には、まだまだ来し方と言えるようなものは何もありませんが、
人生は、ずっと続いているのだな~と思うこの頃です。
掲句は、確か、南関句会で、一番に頂いた句です。
>あるがままに、でも精一杯前向きに・・・
そうですね♪
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残菊 (浩子)
2016-02-11 14:32:26
「菊」は古より和歌や小説の世界に登場し菊に因んだ俳句の季語も沢山あって、数ある花の中でも日本人にとって身近且つ特別な存在…。
残菊や枯菊にさえ心を寄せる、こんな繊細で深い情緒を持つ日本人っていいですねー。
私も行く末を“あるがままに、でも精一杯前向きに”生きたいと思います。
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残菊 (みどり)
2016-02-11 17:47:37
菊の美しい時だけでなく、その行く末までも、
見つめる心、すごいですね!
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