年忘地震を超え来し人ばかり 岩岡中正
熊本市内で毎月開催される例会は、常に50人ほどの参加者で一杯になる。昨年4月の大地震を境に、「地震」を詠んだ句が大半を占めるようになったが、次第にその数も徐々に減りつつある。それだけ、会員の誰もが地震を目の当たりに経験し、今も尚その復旧の最中にあるということだ。しかし、句会場で見る句友の顔は、いつもと変わらない笑顔である。まるで、地震などなかったかのように・・・。「年忘」で、ともに過ごした人々の顔も、そんな笑顔であったと思われる。「地震を超え来し人ばかり」には、互いに言葉にしなくてもわかり合える共通の感情が、流れているように思えた。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)
熊本市内で毎月開催される例会は、常に50人ほどの参加者で一杯になる。昨年4月の大地震を境に、「地震」を詠んだ句が大半を占めるようになったが、次第にその数も徐々に減りつつある。それだけ、会員の誰もが地震を目の当たりに経験し、今も尚その復旧の最中にあるということだ。しかし、句会場で見る句友の顔は、いつもと変わらない笑顔である。まるで、地震などなかったかのように・・・。「年忘」で、ともに過ごした人々の顔も、そんな笑顔であったと思われる。「地震を超え来し人ばかり」には、互いに言葉にしなくてもわかり合える共通の感情が、流れているように思えた。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)
今年の「謹んで」には一層身近な、申し訳けない様な心地で、一人ひとりのお顔を、お話を思いながら賀状を書いている頃の句会でした。
この一句に、何かしら、ほっとしたのを覚えています。
まだまだ、ようやく片付き始めた方もおられる様子、少しでも早い復興をお祈りいたします。
主宰の平明な句にも、深い思いやりが感じられました。
皆さん、とっても明るく元気です。