底紅やパーマネントの母若し
梵鐘の余韻に一葉落ちにけり
あさがほや子規の遺せし空のいろ
大いなる闇を舞台に花火果つ
*「阿蘇」11月号、岩岡中正選
選評の前に、最近決まって言われることに、「俳句がパターン化している」ということである。俳句そのものが、五七五の短詩形であり、「や」「かな」などの切れ字による「切れ」を持つ韻文であるため、いくらかのパターン化は致し方ないと思うが、伝統俳句独特のパターン化は確かに存在する。無意識のうちに陥っている「パターン化」、自己パターン化も合わせて、心に留めておきたいもの。(Midori)
梵鐘の余韻に一葉落ちにけり
あさがほや子規の遺せし空のいろ
大いなる闇を舞台に花火果つ
*「阿蘇」11月号、岩岡中正選
選評の前に、最近決まって言われることに、「俳句がパターン化している」ということである。俳句そのものが、五七五の短詩形であり、「や」「かな」などの切れ字による「切れ」を持つ韻文であるため、いくらかのパターン化は致し方ないと思うが、伝統俳句独特のパターン化は確かに存在する。無意識のうちに陥っている「パターン化」、自己パターン化も合わせて、心に留めておきたいもの。(Midori)
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