十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

☆師(8)

2016-02-23 | Weblog
 しかしながら、菅原鬨也先生の俳句界における目覚しい活躍は、同時に本人も気づかないところで、自律神経が金属疲労を起こしていたのです。「俳句と、新聞社という不規則な職場環境の両立は、無理だったんだなあ」と、ふともらす先生の言葉を何度か聞いたことがありました。
 第3句集『飛沫』のあとがきの中で、鬨也先生は、
“入院は確かに私を変えた。退院後いつしか宮沢賢治の句に手を染めていた。必然的に仏教書を少しく読むこととなった。折しも『櫂』の創刊があった。仏教に精通した岡井省二先生に無鑑査同人として迎えていただいた光栄と縁をしみじみ思ったことであった。(中略) 第二句集『遠泳』上梓以降のおよそこの五年の間、予期せぬ出来事の何と多かったことかと感慨に耽った。頑健だった父の急逝もそうだが、その父の死をはさんでさまざまなことが起こったというのも不思議なことである。『櫂』の入会、『鷹』同人辞退が思いもかけぬことなら、『滝』を創刊主宰することになった偶然。幼い一誌ではあるが、もはや選者という立場に立とうとは夢想だにしなかった。”と書いています。
 鬨也先生の俳句は、この頃から、湘子の抒情を根底に置きながらも岡井省二の仏教思想における存在詩に、次第に影響を受けることになります。
  
  乱反射山湖にのこし燕去る
  湯槽より疲れし菖蒲引上ぐる
  掌にのこる逃げし螇蚸の力かな
  鉤残し鮟鱇たるを全うす  
  月光の粒木犀の香を散らす
  かまへつつ猟人の靴地をゑぐる

『飛沫』に収められた平成2年から平成5年に詠まれた作品ですが、これまでには少なかった一句一章の写生の効いた秀句が多く見られます。湘子の抒情から省二の存在への確かな変容の表れでしょうか。(つづく)

2 コメント

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もっと丈夫な体だったら (博子)
2016-02-23 19:33:57
 鬨也先生は、見事に二人の師の教えを詠んでみせましたね。

鬨也先生の弟子であったことを誇りに思います。

そういえば、もっと、もっと、たくさんの人に自分を知ってもらうチャンスを逃した闘病だったと聞いたことがあります。

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誇り (みどり)
2016-02-23 20:05:30
いろいろ先生を辿るのは楽しいです。
これからが、先生の真骨頂です。
句に深まりが生まれ、素敵な句がたくさんです。
私にとって、先生は偶像化してしまっていましたが、
先生のこと、いろいろ教えてくださいね。



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