夫もはや行けぬ慈悲心鳥の谷 高橋満子
夫にまた加はる恙梅雨に入る 〃
共に、「夫」を詠まれて切ないが、それを凌駕しているのは、俳句としての詩情の高さと、構成の巧みではないだろうか。一句目の「夫もはや」、二句目の「夫にまた」の上五から予想される悲しみは言うまでもないが、「慈悲心鳥」という、どこか救いのある鳥の名の斡旋に、作者の思いの深さが伝わって来た。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)
夫にまた加はる恙梅雨に入る 〃
共に、「夫」を詠まれて切ないが、それを凌駕しているのは、俳句としての詩情の高さと、構成の巧みではないだろうか。一句目の「夫もはや」、二句目の「夫にまた」の上五から予想される悲しみは言うまでもないが、「慈悲心鳥」という、どこか救いのある鳥の名の斡旋に、作者の思いの深さが伝わって来た。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)