ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

平和を築く絵画展!

2006年04月05日 | 世界の問題
 私の敬愛し尊敬する小野忠熈先生が、来る5月10日から一ヶ月間の日程で、京都立命館大学国際平和ミュージアムを会場に、国際平和ミュージアム主催の2006年度春季特別展として、「平和を築く・小野今絵画展」を開催されることが決定した。

 私は1989年に、「まちぐるみ公園化構想懇談会」なる勉強会で初めてお会いして以来、勝手に私の実父は21歳の時に他界しているのだが、この町での「お父さん」として慕いながら、事ある毎にお伺いして、示唆に富んだいろんな言葉やご意見をいただいている先生であり、私にとっての師匠と言っても過言ではない方なのである。

 画号を小野今とされている先生の生い立ちから現在に至る経歴は、簡単には語れないのだが、1920年に香川県に誕生されているので、今年86歳になられる高齢なのだが、絵と平和に対する内に秘めたる熱い思いは強く、今回の絵画展のテーマも、「平和を築く」とされているのである。

 お若い頃から絵を描くことがお好きで、東京の美術学校に入学が決まっていたのだが、絵描きで飯は食えないとの反対で、立命館大学地理学科を卒業され、広島県生羅中学、高校の教諭を経て、山口大学教授になられ、考古地理学という学問の第一人者として、「高地性集落論」の専門家として高名な先生でもあります。

 1983年に学究生活を離れられて、私達の町、たなべに縁あって引っ越してこられてからは、独特の絵画観を持たれて、とってもエネルギッシュかつユニークな発想の作品を描かれて、現在に至られたのです。

 私は、先生と奥様と長きに渡り、親子の様に付き合いをさせていただいて、多くの価値観、人間観を教えられ、特に教育と平和に関する強い意志と希望を抱かせていただく示唆を授かったと思っているのである。

 今回の「平和を築く・小野今絵画展」は、特に平和への希求が強く表現された作品が中心で、まさに国際平和ミュージアムが主催されるにふさわしい作品の数々と内容となっているのである。

 小野先生は、「憲法9条メッセージ・プロジェクト」の呼びかけに、「無謀に始めた悲惨な第二次世界大戦の猛省から生まれた日本国憲法は、平和と安らぎを願望する人類の至宝です」という言葉を寄せられていて、「大正、昭和、平成の世を生き、戦争を身をもって体験し、八十路(やそじ)の坂を越えた主権者として、良心から全身全霊で9条を守り憲法の活用を切望します」と熱い思いを吐露されています。
 
 小野今画伯の「命の燃焼の証」とも言うべき貴重な作品の数々が立命館国際平和ミュージアムに寄贈されたので、そのお披露目と共に、「平和と安らぎ」の先生のメッセージを感じていただきたいと思います。

 ぜひ、5月10日から6月10日まで、月曜日を除く9時半から16時までの開館時間に、足を向けてください。

 なお、5月14日と28日の日曜日には、午後2時から先生による作品解説が行われます。みなさんご覧下さい。感じてください。そして発信しましょう。
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飼い犬の食べ物嗜好

2006年04月04日 | 地域の話題
 私は動物好きだが、犬猫どちらかと言えば犬好き派である。

 小学生の頃から実家で犬を飼っていて、その当時は犬の散歩や餌やりが私の仕事となっていたのである。

 現在のようなドッグフードなどが余り普及していなかった時代でもあったので、いつも犬の餌は家庭でのご飯の残りを中心に工夫したメニューで作っていたのである。

 犬の餌つくりで鮮明に覚えているのは、愛犬エスの餌として外米と小麦を混ぜたご飯を醤油や薄い味噌で味付けし、出し雑魚やおかずの残りを小さくきざんで炊き込み、味見をしてみると結構うまいと感じて自らの腹が空いている時などは、犬もネコ舌だからと冷ます間に、二口、三口と食べたこともあった。

 犬とて生き物である。味ないご飯より美味しい方がいいに決まっていると、自己満足ではあったが、少し冷めた作り立ての「犬のご飯」をエスが食べる間、見守っていたのである。

 今思うと人間の好みの味と犬の嗜好は違ったかもしれないのに、一方的に「うまいだろう!」と私の味付けを強要していた感もあったようである。

 犬は雑食だとは言えペットとして飼われている犬の中には変わった嗜好の食べ物を好むのもいて、私が知る飼い犬の食べ物で変わり種をご紹介しよう。

 まずトマトの好きな雑種犬がいて、あの赤いトマトが嫌いな子どももいるのに、むしゃむしゃと美味しそうに、サラダとしてでなく丸ごと食べるのである。

 また漬物の「古漬け」が大好物という犬がいて、あの糠漬けの匂いがたまらないのかシッポを振って所望までして、ぽりぽりと食べるのである。

 いくら雑食とは言え犬の動向や気性から見ていると、動物性タンパクとでも言おうか肉や魚類が大好物ではないかと思ってしまうのだが、トマトなどの生野菜や、古漬け等の漬物好きがいるのには驚いた。

 週末の宅配有機八百屋の配達では、数匹のお犬様に毎週お目にかかるが、最初激しく私に対して吼えていた「あおい」は、ある時地鶏の桜卵に皹が入ったので、ひとつ割ってやったところ、それからは私の車を見る度に思いっきりシッポを振って「おねだり」をする様になったのである。

 さぞかし桜卵が美味かったらしく、ついつい一生懸命の「あおい」の喜ぶ様に出会うと、ひとつ卵を割ってでも食べさせたいと思ってしまうほど、必死で所望するのである。

 やはり飼い犬を慣れさせるためには食べ物が一番である。

 一度食べた美味しい餌は誰からもらったかも含めて決して忘れないのが飼い犬のようなので、トマトや古漬けではなく、美味しい卵の味がわかる犬たちと友達になったのである。

 いつも一生懸命にシッポを振って歓迎してくれる「おおい」だけでなく、隣の家の飼い犬「さくら」も時々この卵を味わっており、一個の卵が取り持つ縁で、とっても仲良くなっているのである。

 美味しさが解る犬たちと、たまには一緒に仲良く生卵を食べようと思っている。
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春の土筆と菜の花を食す。

2006年04月03日 | 季節の話題
 やっと「春」を実感できる季節となった。

 全国各地からの「さくら」の便りや、日常生活の中にも春を感じる出来事が、いろいろと増えて、心から「春の訪れ」を嬉しく思うものである。

 先月末、隣町の友人の家庭を久しぶりに突然訪ねたのだが、長男が東京の大学に一浪して入学が決まり、妹は公立高校への進学が決まったと、ご両親が喜びと共に、ほっとされている処だったのである。

 我ながらグッドタイミングの訪問だったと感じたのだが、その兄妹を幼稚園と赤ちゃんの頃から知っているので、私自身も大変嬉しく思い、二人の新しい進学の門出に出会えたことに格別の感を覚えたのである。

 兄貴の方は中学時代に不登校に陥って、両親、担任の先生達をはじめ周辺の大人たちや妹にも心配をかける状態があった。

 しかし何とか高校進学も果たし一浪して東京の私学に合格したことは、ご両親にとっても大変うれしいことだったと思うが、本人が一番、自立のきっかけとしての東京での一人暮らしのスタートを切れる喜びを感じていたことだろう。

 彼は社会の物事に対して、自分自身の意見や感想をしっかりと持っている青年で、世の中を少し斜めに見てしまっている面もあると思われるが、実直な感性の持ち主であり、いろいろ議論やぶつかることが大学生活や一人暮らしで生じるだろうが、乗り越えてほしいと願っている。

 妹の方も現代っ子的な女子高校生とは一風変わった個性の持ち主であり、自ら自分は少し変わっていると思っているのか、回りの人たちを変わっていると思っているみたいである。

 私は彼と彼女に「少し変わっている」のは、当然であり、個性を大切に主張すべきは語って議論し、多様な意見や考え方価値観に遭遇しつつ、伸びて行ってほしいと願っているのである。

 いずれにせよ二人の個性的な子どもが、高校、大学と進学し、新たな学びと生活にチャレンジする新学期を迎えようとしていることに、とっても新鮮な喜びと刺激を僕自身もいただいたと感謝しているのである。

 その夜、東京へと再度出発する彼の実家での、家族との最後?の夕食に私も厚かましくも仲間に入れていただき、楽しい会話と共に何やら励ましの言葉をと思いながら美味しく食事をいただいたのである。

 春を告げる「土筆の卵とじ」と「菜の花のお浸し」は格別の季節の味であり、これからの彼らが「すくすくと伸びる」ことと「花をつける予感」の象徴のようにも感じられたのである。

 その後夜行バスに乗って東京へと旅立った彼と、コタツに半分以上体を滑り込ませて大好きな音楽のMDの整理をしていた彼女の、新年度の生活に幸多かれと祈りながら記念撮影をして別れたのである。

 将来に夢を抱いて、いろんな困難やトラブルを乗り越えて、たくましい大人に成長することを願って、彼らの健康とご家族の幸せも祈るものである。

 新しい春の出発、進学に花を添えた「つくし」と「菜の花」は、お母さんの愛すべき手料理であり、言葉少なく見守っておられる、ご両親の深い愛情を感じてほしいものである。
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セリーグ開幕、阪神初勝利。

2006年04月02日 | プロスポーツ
 セリーグも金曜日から開幕し、昨年の覇者阪神タイガースは、本拠地阪神甲子園球場を高校選抜野球大会に提供しているため、開幕ゲームの敵陣ヤクルトの東京神宮球場での戦いとなった。

 2003年度と2005年度にセリーグ優勝を果たしたが、日本シリーズでは当時のダイエーホークス及び千葉ロッテマリーンズに負けて、日本一にはなれなかった我が阪神タイガースだが、今年はセリーグを連覇して1985年以来の日本一に輝きたいところである。

 私の記憶では昭和37年と39年に、当時藤本定義監督の下で戦後の阪神タイガースの黄金期の優勝という時代があったが、それ以来の平成の阪神タイガースの黄金期を迎えていることは間違いない。

 1962年と1964年の阪神タイガースの優勝は、村山、小山、バッキーらの投手陣の活躍が主で、クリーンナップを打つ藤本、並木、ソロムコなどは、さほどホームランも打てない打線だった。

 その当時、歌手島倉千代子と結婚して話題になった、四番の背番号5の藤本ですら、何と22本の本塁打でホームラン王になれた時代でもあったのである。

 しかし村山、小山、バッキーは、先発したら完投するのが当たり前の時代であったので、今の中継ぎや押さえなどと言う役割の投手交代など、ほとんどなく完封、か完投が多くて、投手王国といわれていたのである。

 現在のプロ野球は投手の分業化が進み、先発、中継ぎ、クローザーなどと言う、役割分担で、オールスターの投手選抜枠も設定される時代となっている。

 しかし、あの時代にも名人や職人気質の救援投手がいて、石川緑、池内など懐かしい選手達が、独特のセットアッパー的な役割を担って「いぶし銀」の如く活躍していたことを思い出す。

 宿敵巨人軍には懐かしい「8時半の男」と称された宮田投手がおり、今のクローザーと呼ばれる走りの投手であり、独特の存在感で実力を発揮して人気を博していたことも思いだす。

 阪神タイガースの今期のスタートは、ヤクルトに二連敗し阪神ファンとしては暗いスタートとなったが、特に昨夜の2戦目は3-0でリードしていたのに、安藤が不用意にもヤクルトの新人武内に3ランを浴びて同点にされ、クローザーとして初登板した久保田が何ともだらしない満塁押し出し四球で、さよなら負けしたのである。

 汚名挽回の3戦目の今日は絶対負けられない一戦だったが、先発江草が頑張って打線も徐々に点を加えて、6回に関本の今期初ホーマーに刺激され、シーツの2本と金本の初本塁打も飛び出して、漸く阪神らしく9-1で快勝し、今シーズンの初勝利をあげたのである。

 長いペナントレース146試合のたった3試合が終わっただけだが、ファン心理はドキドキひやひやで、敵陣ヤクルトの古田徹也選手兼監督へのはなむけの勝利を捧げた緒戦はともかく、2戦目の敗北は前年度優勝チームとしては情けない負け方であり、今シーズンの先行きを危ぶむ気持ちさえ感じたのである。

 さあ、始まったプロ野球の球春だが、春遠しの気候と気温の性でナイトゲームはドーム球場以外は相当寒そうだが、野球はテレビ観戦もいいが今年も生のゲーム観戦をぜひ甲子園でしたいと密かに計画している。

 さあ阪神タイガース!。今年も熱く戦ってファンを興奮と喜びの時に誘ってほしいものである。祈・セリーグ連覇と日本一!
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新年度が始まった!

2006年04月01日 | 季節の話題
 昨日から今日へと一日が経っただけである。

 しかし、昨日は早朝に思わぬ雪が降り、夜半には気温が1度に迄下がったのである。どうしたことか、今は春なのか冬なのかと問うてみたくなる位の3月31日から、一夜明けて今日4月1日は何と18度にも達する春の陽気となった。

 昨夜、ご近所のホームセンターに、ちょっと日用品を求めて20時頃に立ち寄ると、何だが店が意外と賑わいざわついていて、「これは何だ!」と一瞬思ったのだが、その訳はすぐに解けた。

 大学の新入生達が明日の入学式を前に地方や親元から出てきて、下宿先いや学生マンションなどに入居し、生活を始めるための日用品の類を購入しに、多くは親御さんが付き添って買い物をしていたのである。

 今日の午前、午後とわが町京田辺市にある同志社大学と同志社女子大の入学式が行われた模様で、3月まで高校生だったフレッシュな新入学生に混じって、ちょっとお兄さん、お姉さんの浪人組もいたと思うが、とにかく保護者同伴の新入生が多いのにはビックリだった。

 狭い大学周辺の道に一目見れば同大、同女の新入生と思われる若者達が、晴れがましい気持ちとファッションで行き来していて、まるで桜を見なくても「春」を感じるような賑わいを感じたのである。

 何となく嬉しい感じや楽しい感じの気持ちは周辺に伝わるようで、八百屋の軽自動車で私は傍を通っただけで、その晴れやかさに便乗したいような空気が漂っていて、とても地域の住人たちまでもが、嬉しい気持ちにさせてくれる「新年度」の実感があった。

 それにしても、現代の若者である大学の新入生は、少子化の中の「大切なわが子」であることは間違いないのだが、両親と思える親御さんの付き添いや、中におじいちゃん、おばあちゃんまで揃って「晴れの日」の祝いの一日を一緒に過ごしていると思えるファミリーご一行様も、あちこちに見られた。

 何とも微笑ましいとでも言いたいところだが、幼稚園や小学校の入学式なら、いざ知らず、大学生にもなっているのに、まだ親離れか子離れかが出来ていない様に思えて、ちょっと違和感すら感じたのである。

 時代が違うと言えば、それまでだが私達の大学入学の時代には、保護者が入学式に付き添うなんて、ほとんど見られなかったし、新入生本人が親がその様に申し出ても、「来なくてもいい」と断るのが普通だったと思う。

 現代の大切な「一人っ子」または「二人っ子」への期待と見守りたい親御さんの気持ちは少しは理解が出来るが、就学前から幼稚園、小学校、中学校、高校と親と二人三脚のような学校生活を送ってきた子ども達が大半のようで、大学に入学しても、まだ二人三脚の続きのような実態と思えて情けない限りである。

 大学生と言えば少なくても18歳以上の青年の男女である。

 もういい加減に親離れするか、親の方が子離れする時を逸しないで突き放す必要がある時期ではないだろうか。

 「かわいい子には旅をさせ」の精神は今も大切なことで、大学入学を機会に、しっかりとした自立生活へのエールを自他共に送ってもらいたいものである。

 同志社大学及び同志社女子大学の新入学生諸君、入学おめでとう。

 この地、京田辺キャンパスと下宿、学マンで、社会的自立への第一歩を、しっかりと歩み出していただきたいと思う。
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