ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

携帯画面の中の成人たち

2005年01月09日 | 地域の話題


 本日は朝から今年の初づくしを5つも経験した。そんな大げさなことではないが予定していた消防出初式、成人式、初釜があった上に、初ボウリングまでしてしまった。ついでに初ラーメン、初餃子を外食したのである。

 初物づくしはともかく成人式は午後1時から体育館で行われた。成人式はずっと1月15日だったのに数年前からか、祝日法とやらの改正で1月第二月曜日となり、毎年日が変り今年は10日となったが、わが町の成人式は前日である、今日9日に行れたのである。
 
 新成人は体育館に午前11時過ぎから集まり出していたが、1時の開式時間を過ぎても一部の参加者がなかなか席に着かないので、司会者の女性が何度も何度もマイクで「新成人の皆様で立っておられる方がおられるので開式できません。是非お座席にお座りください」と促して、やっと5分ほど遅れて式典が始まった。
 
 ここ数年毎年のことだが、ほとんどの女性が和服の晴れ着姿なのはいいが、大半の女性が体育館といえども室内に入ってもショールを首に捲いたままだし、式が始まっても携帯を手に画面と首っ引きでメールをしているものもいる。

 ともかく周りの雰囲気や注意など、そっちのけで自分の世界に入り込んで夢中というか、周りからどう見えているのかなど気にならないかの様な振る舞いや存在が多いような気がしてならない。

 式そのものは市長や来賓数人の挨拶と「20歳に一筆啓上」と称する事前に葉書で、20歳を機にお世話になった人たちや自分の心境等を、200字にまとめた文章で記し、感謝や将来への夢など自由に書いてもらったものを選考し、この式典で入賞作品の表彰が行われるのだが、比較的と言うより大変静寂の中で淡々と式典は進行し一部は滞りなく終了した。

 二部に入ると、関西のお笑いの殿堂である吉本の芸人によるトークショーとなり、少しは反応と言うか賑やかさが出てきたが、タレントに「お前らほんとに新成人の二十歳か?」と言われるぐらいおとなしく、「お前らほんとは三十路やろ!」と冗談を言われるほどであった。

 私はここ数年この成人式に来賓として列席しつつも、他の自治体ではニュースになる様な騒ぎがあったり、混乱を巻き起こす様な新成人がいたりでは困るのだが、わが町の成人式は何とも皆が大人しすぎて、何とも元気のないというか、若さ、エネルギーすら感じられない様に感じて、何故かちょっと物足りなさを覚えているのである。

 晴れ着姿やスーツ姿の男女の新成人たちの顔、顔、顔を見つめていると、ほとんどの女性も男性も、各々の視線は、限られた隣りの人か一緒に来た友達だけに注がれている様で、自分の着物の着付けの乱れや、中には自分が腕に下げているバックのチャックが空いている女性がいたが気づかない振る舞いに、老婆心ながら注意をしてあげても「ありがとう」の一言の礼もない。
 
 つまり自分の世界、自分の関心、興味以外に視線は全く行かず、まるで歩きながら携帯メールを打つ、ながら族というか、前もよく見ず誰とすれ違おうとも関係なく、下手すると自転車や通行人に接触しても、我関せず、何でよけてくれへんの?てな感じで平気なのである。

 見るからに個性的なヘアカラーや目だった髪型や服装の新成人もいるにはいるが、本当の意味での人間的な個性がにじみ出る様な溌剌とした、目立った若者が少なくなっている様に思えてならない。

 誰もが時代の申し子の様に、携帯電話の小さな画面とにらめっこしている如く、携帯画面の中にすっぽり入り込んでしまいそうな視野の中で、メールだけでなく生活しているのではないだろうかと思ってしまうのは、私だけの勘ぐりに過ぎないのだろうか。

 新成人よ携帯画面にとどまらず、もつと大きな視野で物や人や社会を見て、大いに若さとエネルギーで酉年にちなんで、飛躍していただきたいものだ。「見る前に跳べ!」誰かの小説のタイトルでもあるが、時には見ないでも若さは跳べる、素敵な時代であるはずである。期待する。
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感動的な死の知らせ!

2005年01月08日 | 感じたこと


 私の親友であるHの親父が亡くなった。しかし、亡くなる日のドラマは実に感動的であった様である。

 Hは現在、ある女子高校の英語教師であり、バスケットの顧問、監督として日夜多忙な毎日を送っている。彼の親父は小学校の教師として障害児教育に携わって60歳の定年を迎えられたのだと思う。

 私が知る限りは明るく実直な性格で、さすが元教師と思われる話し振りや態度で、息子の友人である私たちにも親しく接しお話いただいた方であった。麻雀とプロ野球のヤクルトがお好きな人であった。私は長らくお会いはしていないが、昨年の秋には久しぶりに電話で元気な声も聞いていた。

 今年の元旦の年賀状にHの親父さんからのものがあり、95歳のご自分と87歳になられる奥さんと二人でお正月を元気に迎えられると書いておられた。息子である私の友人Hからの賀状はまだきてなかった。お正月気分もそろそろ終わりの6日の朝、遅れた10数枚の賀状に混じってHからの喪を知らせる葉書が突然舞い込んだ。「12月28日に父が急逝した」と記されていた。

 その夜、久しぶりにHに電話して、親父さんの死にびっくりしたと伝えたら、彼がその経緯を語ってくれたのである。

 彼はバスケの試合やら指導で昨年暮れも27日までは多忙だと、お父さんには24日頃告げていたらしく28日の朝、お母さんから電話があり、お父さんが近くの町医者が年末年始はお休みだから、今朝お父さんが自分で電話して10年来の親しい医者に行くので、車で送ってほしいとのことであった。

 彼は了解し、家から1.2分のマンションにお住まいのご両親を車に乗せてお医者さんへ連れて行ったそうだ。別に異常や特にお悪るかったわけでもなかったらしい。
 しかし医院に着いて階段を上る時に、親父さんがちょっとしんどいとおっしゃったので、彼は親父を肩に負ぶって医者の部屋に入ったそうである。

その直後ベッドに横たわった親父さんの口元の一瞬のゆがみを見て、これは変だ何かある、ちょっと普通じゃないと思って、妹さんにすぐに電話をしたそうだ。その直後親父さんの心臓が止まり、何と消えるように自然体のまま亡くなられたそうである。

 何とも「見事な死」だったみたいである。親父さんにとっては、彼の奥さんと息子の前で、しかも親しいかかりつけのお医者さんと看護婦さんのいる部屋に入って、今がチャンスとばかりにスゥーと時を選んで、絶好?のタイミングで、この世を去られたみたいである。享年95歳の堂々たる自然死であった様だ。

 しかも友人Hに言わせれば、前日の27日に彼の職場である高校で忙しくバスケのクラブ練習を見守ったり、体育教官の部屋を行き来している時に、同僚の教師から「先生、誰か訪ねて来られている様ですよ」と言われて、誰とも約束はないと思って体育館階下の通路を見ると、親父さんらしい姿が3,4秒見えたらしい。でも錯覚か似ているだけで見間違いかなと思って、その後は気にしなかったそうだ。

 親父さんが息子の職場に、初めて死の直前の挨拶に見えていたのだろうと思うしかない。
信じる、信じないではなく、ありうることであり、あったのである。しかし肉体は間違いなく、そこから1時間余もかかるご自宅にあったことをお母さんが後日語っておられたらしいが、彼が見たのは、親父さん以外ではなかったと私は思う。

 ともかく95歳の人生の最後の時を、目に見えない強い意志と人為的な計画を超えたところで準備し、この時を迎え選ばれた、H君の親父の死の経緯と前日の姿に、彼自身が感動を覚え「親父は俺に全く自然体の死を、ものの見事に見せてくれた」と語ってくれた。

 私も、彼の親父の死に感動を覚えざるを得なかった。奥さん、息子や二人の娘さんたち、お孫さんたちの仕事や学業に何の支障もない日を選んで、亡くなられる日を自らが決められた様にも思える、自然体かつ迷惑を最小限にとどめた、見事な死だったようだ。お見事!ご冥福を祈る。
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負け犬と敗北感

2005年01月07日 | 感じたこと

 
 昨年から、やたら「負け犬」と称される、特に女性の適齢期?を過ぎた30代後半以降の結婚していない人を笑うような表現やタイトルが目立っている。誰かは知らないが「負け犬の遠吠え」なる結婚へのレースに乗り遅れた女性を嘲笑するかのようなエッセイか単行本もどきものを書いたことが、きっかけとなったみたいである。

 正月になって初めて会った若い女性職員に、新年の挨拶をした際に「お正月はどうでしたか?」と話かけたら、24.5の彼女は「バーゲンに行って何も買わずに帰って、敗北感を味わった」と言うのである。
 「へぇー、何で何も買わへんかったら負けた気がすんねんやろ・・?」私にはわからなかった。
 
 彼女は、いろんなテレビ宣伝やチラシに誘われて正月バーゲンとやらに初めて往った様だが、周りの女性たちが元気よく、あれもこれもとたくさんのバーゲン品の買い物をする中、人出の多さと混雑に圧倒されて、何も買わずというより何も買いたくなくなって帰ってきた様子なのである。

 「負け犬」や「敗北感」なんてものは客観的に観れば、何の劣等感を抱く存在やや置いてきぼりをくらった立場などではなく、ご自分さえしっかりとした主体的価値観や人間観、人生観をお持ちなら、なんら問題など感じる必要のないことである。他人にとやかく言われることでもないし、ほっといてくれである。

 なのに多くの女性が何故か、この「負け犬」や「敗北感」を感じさせられてしまっているのは、たぶんにマスコミメディアが面白おかしく取り上げたり、一部の特集やニュース映像などでも一時集中して取り扱うからに他ならない。

 全く30代以降の大半の女性が「負け犬」と感じているが如く、また大半のバーゲン客がブランド品をはじめ福袋や高級品などに群がって財布から万札を使い果たすような気分やムードでいるように、結婚や消費を一方的に善としてあおり、助長させているだけである。

 世の女性たちの多くはそうではないだろう。しかしテレビ、雑誌を中心とした面白ければいいとする視聴率や消費経済優先の価値観では、こうしたムードを当たり前の価値観と感じてしまう様な「しかけ」がたくさん演出、コーディネイト、プロデュースされているのである。

 またもや騙されてはならない! 慰めでも、負け惜しみでもない、30代、40代の個性的シングル生活万歳である。また、いくら不況、不景気かもしれないが、バーゲンと言う名の業界、商店の在庫一掃の低価格販売に付き合う必要はない。

 本当に赤い糸かどうかは分からないが、いい出会いとチャンスがあれば結婚したらいいし、本当に必要なもの好きなものに出会えたら、安く買うにこしたことはない。あまり自分を「負け犬」と卑下したり「結婚」への安売りをしたりせず、「敗北感」なんて気分ではなく「安物買いの銭失い」と昔から言われるように、本当にいいものに出会ったら買う賢い消費者になりましょう。

 くれぐれも女性たちよ、おかしな社会的風潮や流行に惑わされず、わが道をゆっくり確実に歩んでくださいませ、ませ。

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言うとおり教育

2005年01月06日 | 日本の課題


 20世紀の終わり頃から、日本では「ゆとり教育」と言う名の文部科学省のお墨つきの教育テーマが、盛んに持て囃されたり話題となった。しかし昨年暮れ「世界中での日本の学力の低下」との発表から、早くも学力向上、学力復活が議論され出している。

 そもそも「ゆとり教育」なるものが眉唾の「言うとおり教育」ではなかったのかと言う、学校現場での意識的な先生方の評価、批評があるみたいである。たまたま小学校の先生が5人寄られた新年会に、私は教師ではないが参加して、この「ゆとり教育」ではなく「ゆうとおり教育」の実態を改めて感じたのである。

 戦後、日本の教育制度や考え方が大きく変り、教育基本法をベースに教育委員会が独立行政組織として、その地方、地域の主体的な教育の環境整備と予算を行政との二人三脚で実現する様にとの体制になったはずである。しかし、この教育委員会制度は急速に形骸化し、教育委員や教育委員会も行政機関としての教育委員会事務局に支配されて、ほとんど意味をなさないものになってしまっている。

 戦後60年を経過して、教育基本法も憲法同様に改悪し、政治的、思想的にも再び戦前、戦中の国体維持のための教育の復活をもくろむ様な内容、テーマを全面に打ち出そうとしている様である。

 そんな危機的、教育実態、教育現場で何が「ゆとり教育」なんぞあるはずがない。目指すは「ゆとり」と称して、多くの児童、生徒には学校5日制と総合学習などによる授業時間数の減少を説明し、一部の優秀な児童、生徒を中心とするエリート優先教育への移行をもくろんでいるのである。

 現に、井深大や著名な財界、学者たちが日本の知識や技術力を世界で生かすためには、多くの普通の児童、生徒の教育に平等に公費をかけるのではなく、優秀な生徒を選抜したり飛び級させても、徹底した教育環境と予算をかけて、未来の日本を担う人材を育てるべきと着々と指南し、文科省も実はそうした方向で教育環境、予算を変化させてきている。

 しかし、表面的には「ゆとり」を謳い、実際は大半の児童、生徒には従順に批判力をもたない「言うとおり」の人間を育てることを目的とした教育実践を、学校、教師たちにも「言うとおり」にやれと圧力をかけているのである。

 戦後60年を迎えようとしている日本の教育の今後は、21世紀を担う子どもたちにとっても、この地球の未来を託す私たちにとっても、大変重要な課題であることは言うまでもない。

 学校現場の先生方がまず児童、生徒の本当の人間的成長を願って、批判力と選択肢を持った真の人間力を身につけられる教育実践へ、具体的な問題提起と「言うとおり教育」を脱して、真の「ゆとりのある教育」つまり、お互いの違いや特徴、個性、人格を尊重した上で、心豊かに信頼と愛情と希望を持って生きられる社会の一員になれるよう、教育的配慮の行き届いた教育実践を目指してもらいたいものだ。

 決して誰かさんや国家権力、また財界や親にとって都合のいい「言うとおり教育」に乗せられず、「ゆとりある人間」に成長することのできる教育に、我が子や地域の子どもたちを委ねようではありませんか。
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戦後60年還暦

2005年01月05日 | 世界の問題
 1945年8月に日本が全面降伏して敗戦した第二次世界大戦の終結から、今年が60年目に当たることから、マスコミメディアはこぞって「戦後還暦」を報じている。

 私たち日本人の多くが「戦争を知らない子どもたち」となりつつある今、過去の日本と現代の日本を戦争という行為を通して、より深く真摯に考察しなければならない時にあると言ってもいいのではないか。

 あの太平洋戦争とも呼ばれた第二次世界大戦では、アジアを中心に6千万人もの人が犠牲となり、しかも民間人が4千万人も殺されたと言われている。

 昨年夏の中国各地でのサッカー・アジア杯の会場内外での日本に対する激しいブーイングは記憶に新しいところであるが、日本国内では小泉首相の靖国参拝や第二次世界大戦の史実についての反論、異論が台頭し続け、中国侵略、南京大虐殺や従軍慰安婦問題なども、歴史的事実と異なると主張する連中の言動が目立っている。

 一方、石原東京都知事などは全く歴史的認識を間違った視点で強調し、教育現場における日の丸掲揚と君が代斉唱の強制などを平気で行い、多くの現場教師が内心の自由をも侵されるような処分を不当に受けている。

 戦後60年と一口では語れないが、高度成長経済の右肩上がりが昭和の末期まで続き、今思うとバブル景気がはじけた後の、戦後50年の節目の年に元社会党の村山富市首相が、初めて日本の侵略戦争に対する反省と謝罪をしたように記憶している。

 しかし10年が経過する今、やはり小泉ファシズム内閣が台頭しだして、日米同盟という安保条約を背景にした任侠の密約のような印籠を振りかざして、イラクへの違憲自衛隊の派兵を強行し、現代にそぐわないと戦争への道を可能とする憲法の改悪をもくろみ、着々と準備を進めている。戦争の反省と謝罪は何処へ行ってしまったのだろう?

 日本の21世紀の歩む道は? 60年前に二度と、広島、長崎の被曝や沖縄での痛ましい犠牲と惨状を繰り返してはならないと、国民全てが誓い、日本国憲法と教育基本法など、国民主権、基本的人権尊重、戦争放棄などを大切に制定したのに、今「戦争を経験した大人たち」が中心となって、再びこの国を誤った方向へと歩ませようとしている。

 戦後60年還暦は、ぜひ「戦争を知らない子どもたち」の世代が中心となって、これからの世界の中での日本の役割を、軍事力ではなく、経済力と平和主義で人道的リーダーシップをとれる国へと、民間主導で、市民が自主的に歩んでいこうではありませんか。

 中央集権の国家の時代から、住民、生活者主体の地方主権、市民参画の本当の市民自治を実現して、少数の自分たちの権力や利権を目的とした政治家や財界人、知識人などに影響されず、人として真面目にお互いの相互協力で平和で安全、安心の社会づくりを目指そうではありませんか。

 
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初夢!

2005年01月04日 | 感じたこと


 正月三が日があっというまに終わった。皆さん「初夢」ご覧になりましたか?私は大晦日から昨晩までたくさん夢をみましたので、どれが初夢か分かりませんが、いろいろ考えさせられました。

 実は子どもの頃から、何故か「初夢」は正月二日の夜に見るものと伝え聞いて来たのですが、どうもおかしくないのかなと思っていて、ずっと不思議に感じているのですが、この年齢になるまで確信をもてる様な説明や回答には出合わなく、今年も正月を迎えてしまいました。

 「初夢」とは年の始めに見る夢だとすれば、大晦日の夜寝床について、たぶん朝方にみるている夢が、実際は一番早く、年が改まってから見た夢のはずです。でも中途半端だと言われるならば、間違いなく新年を迎えている元日の夜に見る夢が、正真正銘の「初夢」のはずです。しかし何故か江戸時代から「初夢」は正月2日の晩に見る夢のことと伝えられているのです。

 いつ観た夢であっても、自分にとって新しい年を意識して初めて見た夢であろうと思えば、それが初夢であっていいわけですが、昔から不思議に思っていたことのひとつでもあります。

 今年はたぶん二日目の夜に非常に抽象的ですが、こんな夢を見ました。
 何かの選択、決断の時が迫っていて、何か条件というか情報が不足しているけど、そっちを選択して突き進むか、それともまだ決断の時ではないと判断して、暫く様子を見る選択をするかを迷っている夢でした。

 今朝のNHK連続テレビドラマ「わかば」で宮崎の南田洋子扮するおばあさんが、初夢に「富士山に茄子を咥えた鷹が飛んでいる」夢を見たと言ってましたが、初夢に見ると、その年は幸運であるとされる「一富士、二鷹、三茄子」なんて具体的な風景、鳥、野菜が出てくる夢を見た覚えがほとんどありません。

 しかし江戸の昔から庶民の中で、このような言い伝えがあるのは、たぶん富士山のような高く美しい山は高い目標や理想、出世を、鷹のように空高く大空を自由に飛ぶことはの、可能性広がりや行動力、また豊かに実った茄子は、作物、財産、、子宝などに恵まれることを願った庶民の夢だったのでしょう。

 また庶民は「宝船とバク」の絵を枕の下に入れて眠ったりして、宝の船のようないいことが自分や家族に訪れて、悪い夢の場合は、夢を食う動物とされたバクが食べてくれると信じ、そうした絵が流行っていたそうです。

 私の今年の「初夢」ごとき夢は、自分のこれからの人生と生き方への暗示と受け止めたいと思いますが、またいい夢をみられるように宝船と悪夢を食べる獏のイメージを寝る時に抱いて、今晩も新たな「初夢」をみられるように眠りたいと思います。

 皆さんもぜひ、いい「初夢」をご覧になってください。正月三が日に夢を見れなかった人も、変な夢だったと思う人も「初夢」のリベンジを試みてみてはどうでしょうか。
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甘南備山初登山!

2005年01月03日 | 地域の話題


 恒例の新春甘南備山初登山に今朝参加した。登山といっても標高189mの小さな丘陵のような山である。しかし、わが町のシンボル的な山であり古くは平城京の時代から由緒ある縁多き山なのである。
この山頂で田辺町時代から、新春初登山行事が行われていて今年で46回目だそうだ。

 私は京田辺に住んで25年目のまだまだ新住民だが、この山のある薪地域は古の平城京時代には、権力のあった東大寺へ薪を奉納していて地名になったと言われている。また春を告げる東大寺のお水取りに奉納される孟宗竹も、京田辺から毎年2月の11日に切り出されて、復活した松明講の皆さん方の手と足によって現在も東大寺に運ばれている。

 由緒あるついでに記すと、京田辺は京都、大阪、奈良のちょうど中心に位置する関係からか、かなり古い時期から人が住んでいたらしく、遺跡や遺物が多く出土しており一番古いものは約2万年前の旧石器時代の石核が発見されている。

 この地は継体天皇が511年に山城国で初めて都を置き「筒城宮」と称したらしく、田辺町時代の郡名「綴喜」として,また都の存在していた地は、字名「都谷」として残っている。
 同志社大学が19年前に京田辺キャンパスとして移転した場所がその地に近くて、現在は同志社大学キャンパス内に「筒城宮跡」が移転し残されている。

 少なくとも1500年程前は日本の中心であった時代があり、今にその時代の息吹を感じさせる自然や名所旧跡が他にもたくさん市内には点在しているのである。

 あのトンチで有名な一休禅師が晩年、盲目の蓮如と過ごされたと言われている酬恩庵、通称一休寺もあり、町のシンボルデザインにも漫画の一休さんが使用されている。また最近は、かぐや姫伝説の翁が住んでいた集落が三山木山本ではないかとの説も浮上して、かぐや姫の里としてのアッピールも始まっている。

 我が家から往復1時間半程度の山登りであったが、大晦日から正月二日間の食べすぎを癒し、適度な運動と共に、多くの知人、友人たちに出会い、山への上り道、下り道と頂上での神社への参拝と記念行事の前後に、新年の挨拶を簡単に交わすことができて、一石三鳥の甘南備山初登山であった。

 一番身近で手軽に登れる山ではあるが、貴重な動植物が生息し、大切な保水力のある緑の樹木が保全されている甘南備山は、京田辺に流れる木津川とならぶ自然環境として誇れる郷土の里山であり、これからも機会ある毎に人々の憩いと歴史に思いを馳せる地としても、保全していかなければならない貴重な山であることを再認識した。



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年賀状を愉しむ!

2005年01月02日 | 感じたこと

 お正月2日目を迎えた。大晦日の除夜の鐘撞きを終えて深夜2時過ぎに床に入った。元旦は8時前に目覚めたが、若い頃のような新年を迎えての溌剌とした新しい何かが始まるという、ドキドキとするような気分は希薄になっている。

 しかし、家族での新年の挨拶とお雑煮と御節をいただき寛ぐ頃に、元旦の最大の楽しみである年賀状の束が郵便配達のお兄さんのバイクで届けられた。郵便受けから年賀状を持って入り簡単に差出人と賀状の裏を確認する。ひとり、ひとりの顔と近況が少しづつ伝わってくる。

 私は、この年賀状の束を持って年始の挨拶に車を走らせて、自分の実家と家人の実家を訪問することが、元旦の恒例行事となっている。

 そして正月2日目は、自宅でゆっくりと年賀状を一枚一枚拝見して、差出人の様子をイメージしながら、暮れに出し忘れた相手からいただいている分については、返信としての賀状を早速手書きで書くのである。

 公職選挙法での禁止事項であるので、市内の友人、知人に年賀状を出すことが出来ないので、いただいた方には宛名書きと一筆を手書きで添えて返礼として出すことは許されているので、数十枚を投函した。

 年々誰もが歳をとるので、いただく賀状の傾向をつぶさにみると、よく時代の趨勢と年齢層によるデザインや写真選択の様子が顕著に変化していることに気づく。

 今年の年賀状も当然パソコンで印刷されたと思われるものが一番多いが、家族や旅行先の写真や気に入ったデザイン選択には、その人のこだわりや大切な気持ちが読み取れるものがある。変ったところでは封書にご自分の通信や作品を同封されたものや、宛名は間違いないが裏面が真っ白のがじようもあり、慌てて出されたものもある。

 私は若い人たちの家族写真や、手づくりの版画や筆で描かれた文字と絵の賀状が一番味わい深いと思っているが、自分の賀状はなかなか理想の賀状にはほど遠いので、少しでも個性ある自分の文字で、ひとこと、ふたこと、思いつくままではあるが文章を必ず添えている。

 今年の一番の名文句は、<お年玉にかえて「ありがとう倍菌」を贈ります。2005年心春>であった。
日本や世界の雲行きがおかしい、あやしいと察知されて、いろいろ綴られた文章も目立っている。

 決してワクワする様な正月ではないが、多くの励ましと勇気をいただいた年賀状に感謝して「ありがとう倍菌」をぜひ活用して「世直し」にはせ参じましょう。元気なあなたに逢えるのを楽しみに。


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今年は防災、防犯の年に!

2005年01月01日 | 地域の話題

 未曾有の大災害となったスマトラ沖、インド洋大津波の被害はまだまだ拡大している。
 昨年12月26日に発生したマグニチュード9.0と言う海底地震に端を発した大津波は、インドネシア、インド、スリランカ、マレーシア、タイ、ミャンマーなどの海岸沿いに住む住民と、多くの観光客などを一瞬のうちに飲み込んでしまったようである。

 日が経つにつれて行方不明と死者の数がうなぎ上りに増えて、元旦の新聞では12万3千人と報道されている。まだ通信回線の不通や情報不足もあり、それ以上の被災者がカウントされる可能性も高い。

 昨年は日本でも10個の台風が本土に上陸し各地で風水害の被害が続発し、11月の新潟中越地震では多くの被災者と死者、行方不明者が出た。今年2005年1月17日で、あの阪神淡路大震災から満10年になるが、天災は忘れた頃にやってくると昔の人は言ったそうだが、本当に日々の生活では忘れかけていたのではないだろうか。

 国、府県、そして住民にもっとも身近な市町村などの地方公共団体も、度重なる各地の被災の経験に学んで、いろいろな防災対策を講じているはずではあるが、突発的にいつ起きるか分からない天災には、必ずしも万全な対策とは言えないことが多い様である。

 ひとり、ひとりの住民が自分たちの住む家の周辺の地形や河や山の形状と危険性などの情報を、地域の行政などが作成しているハザードマップなどを参考に前もっての情報収集し、いざという時の避難や対応個々にシュミレーションして、確認しておく必要もあると思われる。

 そのための地方行政と地域コミュニティーの役割も重要で、きめ細かな説明と緊急時の連絡体制や避難経路や誘導、通報と共に、社会的弱者である子供、高齢者、障害者などの把握と、隣近所のプライバシーを尊重した上で、ご近所の家族構成や居住形態の把握つまり、どの部屋で誰が寝ているとか昼間や時間帯による在宅の様子なども、隣人同士の必要な情報のひとつではないかと思う。

 多くの教訓を10年前の阪神淡路大震災は投げかけてくれたが、昨秋の新潟中越地震で生かされたものもあるが全く生かされなかったものもある。全国津々浦々、何処にでも日本は地震や天才的災害は起こる可能性があることを改めてイメージして対処方法を備えたいものだ。

 また一方、子どもたちを取り巻く凶悪な事件の多発に心を痛めることが多くあった昨年だったが、昨年暮れにようやく奈良の女児誘拐殺人事件の容疑者が逮捕された。安全のために子供に持たせたGPS携帯が、逆に遊ばれた様な異常な事件であった。しかも見知らぬ小学生女児なら誰でもよかったと供述している容疑者の人物像に、何ともやり切れぬ憤りと異常さを感じる事件であった。

 こうした突発的な被災や因果関係のない犯罪被害などに誰もが会いたくはない。しかし、こうした被災や被害を最小限に食い止めるための最大の対策は、地域社会の住民たちがより関心を持って、日常的な生活空間で如何にお互いの個性やプライバシーは尊重しながらも親しく付き合えるかが鍵である。

 いざと言う時の情報と第六感と言われる様なインスピレーションなども、日頃の人間関係や情報量によって対処方法が見つかり、大きな被害や被災を最小限にと止める大きなきっかけになり得るはずである。

 隣近所が親しく日頃の挨拶と愉しい会話やよもやま話を、奥様だけでなく老若男女を越えて出来るコミュニティーの再発見と愉しい集いやイベントの仕掛けなどが、人間的知恵として改めて必要な時代である。
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