ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

少年の心の闇!!!

2006年06月22日 | 日本の課題
 一昨日に起きた、奈良の医者家族三人の焼死事件で、行方不明だった長男、16歳の少年が京都で二日ぶりに発見され、殺人、放火容疑で逮捕された。

 有名な中高一貫教育の高校二年生の少年の「心の闇」に今回も、ほとんど誰もが気づくことなく、取り返しのつかない事件、犯罪行為を犯してしまったみたいである。

 何故か在籍していた高校の校長が度々インタビューに応えているが、どうも違和感があるのだが、小学校時代の同級生、その保護者、近所の住民たち等、誰もが勉強のよく出来る明るい、いい子であると証言しているのである。

 しかし彼の心の中には、人に話さない「心の闇」とでも言うべき、葛藤と憎しみに近い非人間的な感情が、いつのまにか蓄積していたのであろう。

 今朝、京都市内の邸宅に忍び込みワールドカップをテレビで観て、眠ってしまっていたところを、その家の住人に見つかり110番され、近くの路上で自転車に乗っていて職務質問され、住所、名前を名乗り、おとなしく任意同行されたらしい。

 二日前の全く信じられない様な凶行に及んだ少年とは思えない、「おとなしそうな坊ちゃん」として一目には映った少年が、本人が供述したところによると、親父に成績のことで叱られて、父が当直でいない我が家で、母と二人の幼い兄弟を犠牲に、殺意を持って放火、殺人を計画的に行ったらしいのである。

 どうも周辺の彼を知る多くの友達や近所の住民、知人達の証言とのギャップが、今回の事件でも大きすぎるし、想像を絶する「心の闇」を察知することが出来なかった、両親を初め、多くの教育関係者も含む大人たちの「見え方」「見かた」に問題があるのかもしれない。

 JR環状線のある駅に電車が到着し、小学生の男女4.50名が教師と思われる人の引率で駅のプラットホームに整列させられているところに出くわした。

 しばらく様子を見ていると、いくつかのグループに分かれて点呼をとり、確認して次の行動へと移るのだが、先生の目に後姿の子供が目に映った。

 「○○、また何で××にちょっかい出すんや」「自分がしてほしくないことは、他人にはせんとけ」と注意を投げかけた先生、注意を受けた少年がいた。

 傍にいた年配のおじさんが自問自答していた。「今は手を出せへんし、ちょっとしたことで暴力、体罰やと言われるもんな」と・・・。

 その御仁にしてみれば、何でピシャツッと悪い子を叩けへんの?と言いたげであった。

 叩けば良いと言うのではないが、他人の痛みや苦しみ、辛さ、情けなさなど、子供の頃から家庭や学校での人間関係の中で、人と人との感情の軋轢やすれ違いを明確にお互いが認識して、我慢したり、反省したり、話し合ったりする機会と自覚が殆ど無いのではないのだろうかと思った。

 少年の「心の闇」の解明は、これからされるのだが、この根は深く、衝動的な様で、今までの生育過程での長期に渡って熟成された感情として、育まれていたのではないかと感じている。
コメント (1)
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