「人は人に感動し、そのようになりたいと倣う」 平成天皇被災地にて
関係サイトより転載
数年前のこと、ある中央官庁出身議員、とはいっても女癖がわるくチョイ悪だったせいか少し生涯賃金が劣り落ちればタダの人と揶揄される議員を勧められた男の行状について、あまりにも行儀が悪いことを茶飲み話に聴いたことがある。
もちろんこの手の男は東大法学部の落ちこぼれが多いようだが、どこか計算高く情緒性の薄い無教養の人間が妙な附属性価値を天ぷらコロモのように装い国会をのし歩いている。
案の定、出身官庁の悪どもと利権遊びに熱中する。
各省庁はそれぞれの権能を用いて都合のよい規制をつくり、今は独立行政法人となった公団を遊び場にして素餐を貪っていた。公団理事長はそれぞれ技官や事務官の指定席となりOB天下りの収容先だった。
この男は女と金に行儀が悪かった。
公団理事長には業者に資金を捻出させ千葉に別荘をつくり、女は国会に近い繁華街に居を与え、公団発注の業者の振り分けをさせたり、狡猾な女も業者に車を支給させたり便宜供与に勤しんでいた。この議員の趣味なのか女は西洋人と間違えるような装いをしている。
あるとき、女の存在が女房にばれたときも「彼方がその立場にいられるのは誰のお陰・・」と恫喝し、女房も愛情が微かなのかその関係を承諾したという。
提供する業者も大手には逆らえない末端の事業者に上乗せ過剰請求をさせるが、ときに立て替えをしたのに発注がなく、事業に窮する者も出てくる。製薬、教育、建設など各業界にもその様な汚れ役がいると聴く。
議員仲間でも知れ渡ったが当選回数を重ねるたびに利権を振り分ける力もつき、要職にもつき名も知れ渡るようになるにつれ、幾分か顔つきがこわもて風に変わってきた。
支那派遣軍若杉参謀(三笠宮殿下)は泥沼の戦況の原因は、「日本人が真の日本人でなかった」と部下の言を引用し、その範として「大御心に沿う行動」として、ときに略奪暴行で現地の民衆の心を得られなかった現地軍を諭している。
さて、文中の小者は大御心に沿っているのだろうか。
そんな茶飲み話だったが偶然にも大手週刊誌の記者が遊びに来た。こちらも興味深く聴いていたが、その記者は「小者なので記事にもならない、どこにでもある話ですね」と慣れた口調で笑っていた。しかも、政権が変わってもその関係は崩れないと言葉をつないだ。
ただ、国民には眼に見える直接被害は無いようだが、議員を選択する場合たとえとるに足らないスキャンダルだとしても「小事は大事の端」という、彼らの行儀の悪い遊び場が魔屈として増殖したら、不審、怨嗟、不信となって政策遂行の障害になる恐れがある。
官僚や御用学者の一時預かりが駅弁大学の教授となり、校舎建設が大学新設利権となり、薬剤認可の枠組みはシンジケートなって製薬利権となり、選挙区に道路予算を付ければ議員もサービスエリアや道路の経常管理経費を人と金の利権とする。
江戸の雲助や街道利権をもてあそんだ稼業人がいるが、民法のないころは掟や習慣によってホドよい環境をつくっていた。今では道路をつくり、道路を管理し、通行者を規制する、総てが各省庁の利権構造に組み込まれた。
しかも、それが明け透けになってきている。本来は国民には隠れた下支えの現業だったが、事務職や技官を含めた収奪構造であることは国民の多くが承知することとなり、しかも抗するすべもない。
それは小者だからの問題ではなく、「小者ばかり」になってきた感がある。
「小人、利に集い、利薄ければ散ず」
小者は利があるところに集まり、利がないと察知すけば散りぢりになる、という古語だか、政党政派の離合集散などは最もよく表れたその類いだ。
「小人の学、利にすすむ」
小者の学びは名利に向かい、今どきの浮俗の附属性価値であり、何ら人格を代表しない地位、名誉、財力、学(校)歴に邁進する。それを亢進させ収入を担保し、より不作為の安全性を謀る公的位置の一群と、それを学問の目的として勧める浮俗の価値感がある。
しかも「利は智を昏からしむ」とあるように、我利ばかり考えると狡知ばかりが発達して、本来の自由闊達な智が衰える。利を「財利」のみに考える浅薄な数値評価が近ごろの風潮になっているのもその表れだ。
やはり「利は義の和なり」利は自他の調和と正しい行為の集まったものが真の利と導くように、いまどきはそんな野暮で古臭い喩が良く似合う現状でもあろう。
いま、小者は上っ面は大物になった。
だだ、もともと党の旧字は「黒を賞する」と書くように、白より黒が賞賛される「党」だ。
悪党はあるが善党とは云わない。
益々増殖するのは間違いない。それに倣う子分も同じ道を歩むだろう。
そんなやるせない世間だが、頼りにする治安機関も似たり寄ったり、心に思うのは被災地で膝を折り、頭を垂れる天子様だけか・・・・