後ろ姿で魅せる も組 竹本
拙考だが、いま耳目を集めている天皇の譲位の問題を別の切り口から眺めてみたい。
それは数多の身の「分」を問わず、人生の始末についてである。始めは無頼でも宰相になるものもいる。辞したあと故郷で子弟の育成に身を捧げる賢人もいる。 あるいは糜爛した都会にとどまり勲章待ちする者もいる。頭を下げて握手する、それは世俗では「売り込み」という。同じ議員でも人生の末(すえ)はさまざまだ。
いまはネット社会である。知ってほしい。わかってほしい、と書き連ねアップしたら未来永劫ネットの海に漂う。筆者のごとく人生の備忘として健忘や痴呆に備えんと駄文の記録帖代わりに用いているが、それさえも人の歴史の集積とは申せ効を期すまでのことではない。だが始末はどうするかと考えれば、世間に意を晒したことからして不用意なことだ。かように「始」めと「末」は厄介なものだが、その始末のつけようで人物が判ることでもある。
「お辞めになる時のことを考えて言動を気をつけなさい」安岡氏に就任挨拶に訪れた大企業の社長に教導した言葉だが、祝いどころではない、それほど社長には浮かれる立場ではないということだ。
とくに御上のことゆえ普段は昇位や分配に勤しむ議員や売文の輩や言論貴族まで、いくらか畏まった意見を述べているが、明確な整理はみえてこない。
禁を破って幕府に民の救済文を送った光格天皇 (現陛下の直系)
http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/d/20160809
麻生太郎財務大臣(元総理)のことを以前のブログに書いた。
得てして育ちのよい家柄に生まれた人間に二つの処世のかたちがある。
一つは家の風格や柄に順って庶民からみれば窺い知れないその世界に留まり、血統ゆえの生活域で生涯を暮らして伝統血脈を繋ぐことを生涯の糧とするか、もしくは下界ならぬ世俗に飛び込んで物わかりのよい姿をあえて出して、大向こうの歓心を買うのか、いずれかだが麻生氏は後者の類だが、貴族趣味のいい漢であることは間違いない。
あの吉宗も遠山の金さんも暴れん坊将軍や桜吹雪の判官で人気がある。副将軍の黄門さんもそうだが、悪しき権力に諫言して身を賭して一揆をおこした大塩平八郎とは一味違う。腕まくりして庶民の中に入って車座で一杯ひっかける福岡の名物市長進藤一馬や地位を捨てた田中正造なども本物の下座観を持った至誠の人物だ。問題意識の如何だが、今どきの高位高官はそんなことはしない。
大塩平八郎
麻生氏の妹はひげ殿下と愛称された三笠宮に嫁いだが、ひげ殿下も皇族においては臣籍降下問題などで、゛あなた方と同じ゛と皇室の煩いにもなったことがあったが、庶民の苦渋や困窮に添うような下座観はなかった。ともに庶民派として軽薄な民には人気があった。
制度や思想はともかく、その立場はこの世に存在している。たとえ維新の無頼者でも官位と財を得れば爵位は頂ける。もともと天爵のないものが偶然、人爵紛いに位置すると寄り添うものが増え、座りのよい床の間の石として重宝される。その効用は曖昧だが、逆に共産党のように闇雲に民主・人権・差別だと否定されると、これも曖昧だが慣れ親しんだ存在に愛顧が湧いてくる。これを論証するのが左右の御用学者だが、これとて瓦版に毛の生えた売文の親方には逆らえない。
庶世に親しむことを旨とすることが一種の流行り事になった。プライパーシーを露呈することで、゛あなたと同じ゛゛心は一緒゛を表わすのだが、この時代、政治家の選挙のように笑い、手を振り、津々浦々の目立たない、いや、鎮まりを以て敢えて隠れて暮らしている人々を訪ねて、その生活を晒す。マスコミもそれに同調する。これが善行の心遣いだともてはやす。
一例だか、昔の保護司は仮釈放や試験観察の犯罪者が訪れると本人の更生の妨げになる恐れがあると、あまり保護司の存在を世間に周知しなかった。あくまで対象とする人間への配慮だった。つまり隠徳の作業だった。
ところが予算獲得の宣伝なのか、犯罪予防や更生援助の社会的協力への啓蒙ということで、保護司も組織運動が盛んになり、相談活動・更生保護の周知など世間にその姿を具現するようになった。面白いもので、そうなると一部ではあるが町会長や議員などの一人多役の人たちが己を売る(存在周知)用として受任することが多くなり、制度を支える褒章制度によって自身の格付を求める人も出てきた。
本来はやんごとなき立場において隠れた善行を己の能力範囲で行なうべきことが、表に出ることによって多忙になり、思索が落ち着きを失くし、守護すべき時と存在を単なる経過の上に載せて、しかも慣性となり、真の任務すら忘却するようになる。
時は移り、自由や人権要因もあるが更生保護の対象者と保護司の関係は変わることはないが、外的要因(おもに自主的要望ではなく、官吏からの通達指示)の猫の眼政策によって本意は薄まり、それによって使命的志願はほとんどなくなり、数多の少年育成や犯罪防止をとなえる諸機関や諸団体の運動に似て集団化、恒例化、数値化に埋没してきた。つまり似て非なるものだか、非なるものの差別化が乏しくなったのだ。
江戸の火消し鳶頭のも組の竹本の呟きだ。
任侠稼業と同じでシマがある。銀座通りの松坂屋やライオンビヤホールを越して天ぷら屋の天国あたりまでだ。これも代が替わると力関係で広くも狭くもなる。
あくまで旦那があっての稼業で、頼まれればトブさらい(掃除)もやるのが仕事師だ
もちろん売り物は、義理と人情とやせ我慢の三拍子だが、近ごろでは口達者が幅を利かせている。竹本は彫り紋の意匠は水滸伝、木遣りはキングのCDにもなっている。梯子のことは云わなかったが、若いころは成らしたようだ。
竹本の人生観は「ほど」だ。むかし浅草寺の住職から聴いたことだ。
≪男を売るのに忙しかった。女房ともいっときは難しくなった。売るときは鬱陶しいときもある。「売る」とは大勢に知ってもらい、縁をたくさん作る。仕事どころではない、谷町から貰った羽二重の赤筋袢纏(はんてん)と、それに合った襦袢に帯や小物が粋な江戸鳶の恰好だが、旦那紛いに職人鳶が小ぶりなポチ袋に折りたたんだ撒きもの(心付け、チップ)を着物の袖に目立たぬように投げ込むことも小粋な仕草だ。
そうなると色々なところにお呼ばれして顔も売れる。人は頭を下げ歩く道も拓き旦那も増える。旦那(たにまち)にはヤクザの大立者もいるが、稼業違いだし男芸者でもないのでホドに付き合う。だだ、そんなことばかりでは出銭も多くなり、身を狭めるようになる。できるのは昔なら50.今なら60くらいまでで、その後は広くなった世間を狭めるようにしなければ、売った男気も枯れ落ち葉になってしまう。そのタイミングだが、呑みたくない酒を旨そうに呑み、野暮な野郎とも付き合うが、終いには懐が寂しくなり、身体もどこかおかしくなる。それも始末の機会だが、やはり連れ合い(嬶・女房)が肝心だ。
外で一杯やっても寿司屋の土産は七寸(七寸の寿司おり)を持って帰る。それを肴に女房の前で一杯やる。女と遊んで酔って帰っても待ってる女房と座卓を囲む。改めての話もないが
世間のいい加減さから比べれば落ち着くもんだ。
そのうち意地を張らずに付き合いも遠慮するようになる。付き合い銭は出しても出役は丁重に断るようになる。これができなければ、人生の始末が付かない。粋な女とも離れがちになるが、惜しくなる男は野暮天だ。≫
竹本とはいつもビヤホールでは一緒だった。野郎どうしでは色がないので界隈の女を連れて行く。地下鉄から上がれば三越、松坂屋などのネクタイ売り場にいってビヤホールに誘うとやってくる。毎回違うので竹本に「レコ(彼女)ではないですよ」と断りを入れると、「形つけちゃいけないよ、わざわざ来るのは気が良かったからだ、いま目の前にいるのが一番だ。大事にしろよ」
竹本は養子だが義父は鳶頭の神様と呼ばれた竹本金太郎、高雄山に記念碑もある。
「いや、親父と比べられるわけでもないが気負いはあった。彫りものもそうだが木遣りは適わない。楽譜はないが、あの頃のオヤジの木遣りを耳で覚えているが、なかなか届かない」
そんな竹本が再々言ったのは、
≪広げたら閉じるのが難しい。とくに誘われ、持ち上げられ、たとえ業界で大事なことでも、それが当たり前になって、自分もそれが天職のように思ってしまう。おおくは思い込みと欲だが、もたもたすると人に迷惑をかけることにもなってしまう。たしかに後に続くのが、「帯に短し、たすきに長し」では苦労もあるし、つれあいが稼業違いから来て、しきたりだの、粋だの、男気だの言われてもチンプンカンプンで逃げられることもある。
このあいだも褒章をくれるというので女房と皇居に行った。鳶頭の礼装、しるし袢纏ではなく紋付き羽織だ。陛下も大変だ。こんな集まりが幾度もあって視察や慰問、観劇もある。政治家に頼まれて海外にも行かなければならない。いくら国民に近づくことが大切だといっても、皇居でゆっくりする暇もない。それと神さんも奥の方で鎮座しているから有り難味があるが、あまり表に出てくるようになると馴れがでてくる。喰ったり飲んだりも人前に晒さないのもやせ我慢の江戸っ子なんだ。≫
松平容保 討幕軍から追われ青森むつに転封させられ斗南藩を創設
松平容保の縁者を妻として、おしるしは会津に縁のある「若松」の秩父宮殿下
先帝の昭和さんは「私が外出することで国民の普通の生活を制約してたりするので・・・」と、あまり出かけなかった。マスコミに妙なことを書かれることも少なかった。
近ごろでは出かければ衣装や泊った場所、なかには行楽シーズンに車列を整えて観光客の車を規制渋滞させて山歩きするなど、皇室、いや皇室のアットホームな姿を人々に見せるようにもなった。
奥の方からお出まし願ううちは好いが、万たび鑑賞、観劇、スポーツを見せられたのでは、゛目垢゛がついて有り難味もなくなる。私事(プライベート)は隠れてすることだ。覗きや見世物は立場違いを薄めて、゛何ら俺たちと変わらないじゃないか゛と思うようになる。親父も博打や女遊びをしたり酔っぱらって喧嘩もしたが、渡る世界も分別しないで親父をバカにすることはなかった。いまは男女ならずとも親子同権のようになって、親子喧嘩、子供の非行、不倫などの制約のない煩いが増えている。
先帝が御病気の時、人は「かわいそう」と言ったが、どこの家で親父が具合悪くて可哀想というか。どこか関係が曖昧になっている。俺も学校は出ていないがそのくらいのことは分る。
それと、代繋ぎが難しい。親が果実の生る木だと思っても、子供は枯れ木にしか見えないことがある。ましてアメリカンファミリーのように夫婦と子供の家庭なら飲み食いや旅行もまとまりやすいが、家となると自分の判断は先祖、親、自身、子供のことを考えて今を判断するが、環境の違う嫁がくるだけで統一もなくなり、しまいに暗転することもある。
精一杯、でき得る限り、と我が身を国民に晒しても、元気なうちはあれもこれもと出役が増えてくる。出ないことの役割と目の前に出る役割の威力は今後のことだが、どこかで狭めなければ政治家の新年会や忘年会廻りのようになって、来なければ批判の対象にもなる。だからと云って無理をすれば跡継ぎは大変だし、後継ぎなりの方策さえ難しくなってしまう。
自分の時にできた付き合いは、自分の代で始末をつけなくてはならないだろう。
お出ましになることより大切なことがある。
不特定多数の人々に近づくとは、同様な趣味や嗜好を好むものでなく、多くの国民に御姿を見せることではない。ことに国民を煩わせ熱狂する騒ぎを起こすものでなく、鎮まりを促すものでなくてはならない。後の天皇が子供背おぶりを被写体に晒し、車列を整えて私事である我が子の課外授業に押しかけることなど、日本人の倣いにある慎みある行動ではないだろう。
ときに、浮俗の欲望が支配する今どきの価値観に異なることを恐れず棹差すことも必要となる。人に「添う」が、存在のそもそもの本意に「沿う」ことでなければ、本来あるべき信をいずれ毀損することにもなる。それはいつの間にか微かになる心であり、更新や覚醒に購えない肉体の衰えであろう。
結果の「御答え」には応えるべきだろう。だが国民の学びとして感じたことは、幼・青・壮・老の始末に課された勤労だけでなく、代を繋ぐ「分」の役割と存在を浮俗から離れて行うべきことだ。
再び竹本は言う
≪俺も稼業のためと意地で男を売りいくらか世間に貢献できたが、子供の教育は女房任せだった。それが役割であり、女房も分別が付いていた。お陰かどうか稼業の跡継ぎは実子ではない。広げたものを狭くすることは難儀だったが、己にあった欲が見つかっただけ助かった。近ごろでは死んでもないのに俺のことを語りにするものも出てきた。それが聞けただけでも、いい人生だった。≫
「学歴もないが、このくらいのことは百も承知だよ」
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