己の在り処を探求するとき、それは些細な一章から発見できることがある
ことさら分析するつもりは無いが、そこには童心(わらべ心)、男女の別、禽獣との別が見て取れる。以下に紹介する文は世に繁茂する数多の論とは趣の違う俯瞰の洞察である。
《「西洋の哲学や地政学などの文献をいくら読んでも、生の人間が存在しているこ
とを感じない、安岡先生の言葉には人間がいます」
地政学を学んでいる友人が私に語ったことです。
分けて分けて細かく分けて分離し分析する、そこに理論や枠組みを作りそのいず
れかに分析したものを当て嵌める。
これが西洋流の思考パターンであります。
私は、博士論文は目方で決まる(文書量の多さ)と言ってからかうのですが、
東洋でたった一言で言えることを数百ページも使う。そんな西洋を見抜く人は少
なく、書物の分厚さに圧倒されてカブレて行った明治以降の日本人にも多く見ら
れる傾向です。
この方の文章はどうやら西洋流に当て嵌りますね。
官製学歴や地位名誉といったものだけでなく、思想・信条にも枠があることに気
づかない。多くの人は自分自身をその枠に当て嵌め、その枠の中で生涯を終える。
果たしてそれが不幸と云えるかどうか私にはわかりませんが・・・》
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