まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

ベンガル盛衰の要   2011 あの頃

2023-07-24 15:16:36 | Weblog

          大人が読み聞かせる

 

日本のマスコミは初心に還れるのだろうか・・・・



日本の地図ではインドの右、彼の国では西側にベンガル湾が広がっている。
昔は西ベンガル、隣はミャンマーである。インドが独立し翼となる地域を東パキスタン,西パキスタンと分け、現在はパキスタンとバングラディシュという国名となっている。

言語はベンガル語、インドはヒンドゥー語。宗教は大部分がイスラム、そしてヒンドゥーと仏教がある。よくインド仏教とは言うが、もとはインドの一地方であったベンガルが最も仏教が盛んだった。

そもそも仏教寺院は僧侶の学問所である。その広大な史跡はバングラデッシュにある。
その理由は教育に適した気候環境と人々の情緒に、調和心と真っ当なものに対しての順応性が豊かだったからだ。いま言われる貧しさからではない。

譬えはヒマラヤの麓の小国ブータンにもある。仏教国である。
ちなみに今のバングデッシュの仏教史跡にあるとおり、多くの仏教徒が隣り合った地域に渡り仏教は広がったが、ブータンはチベット仏教の影響があるというが、それも当初はベンガルの寺院で学んだ僧侶たちによるものだ。

そのブータンの若き国王は時流の流れで国民に自由化を促がした。もともと今までの方策でも不満はなかったが、馴染んでみようという試行だった。
すると、まず表れたのは女性や子供たちの西洋文化の模倣だった。衣服、化粧、便利品、それによって家族が徐々に変化した。それは情緒の問題として新旧の軋轢にもなることだった。ムーブメント(運動)は「易きに流れる」そのものだった。幸せ感、あるいはその度数さえ新しい価値に翻弄されそうだった。

国民の大多数はその国王の試行に気が付いた。このままでは祖国がなくなる。それは賢明な先見だった。「国王様、もうこの様な自由化は結構です」国民は王様に諫言した。
英明な国王は大多数の国民の意を汲み取り、歓迎した。
先ごろドキュメント放送で人々にインタビューしている。
「幸せですか?」『今のままで本当に幸せです』

ゲームセンターやパチンコもなければ子供たちはモバイルも手にするものは少ない。
インフラも循環型で先進文明人が言う便利さもないが、国民には笑顔と落ち着きがあり、自然界とともに感謝も添えている。

法は狭い範囲の掟や習慣で国民の規範は充分成り立っている。

温泉、グルメ、旅行、イベントに煽られることもない。






          壁に貼り出された新聞




彼等は死生観を明確に持ち、そう生きることが「幸せ」と実感している。
昔のベンガル地方、バングラデッシュもそうだった。
だが、豊かさを比較するようになると貧しいことを、恥、競い、憎しみ、争い、他国の侵入が順次、頭をもたげてくる。国内でも人格を反映しない身分が発生し、貧者、富者が明確に色分けされ、一部の国民は怨嗟を起こし、国家に諦め観を定着させる。
それは政治が行なう政策や簡易な分配では解決しない。かえって怠惰な欲望を喚起し、反発さえ巻き起こし国家は混沌とする。

国民は混沌を振り払おうと強い指導者を求める。一過性の到達ではあるが、そこでも力あるものや臣下や取り巻きの欲望は物事に善悪を発生させる。

ブータンのように賢い臣下ならいいが、外部の糜爛した文化に晒されると国内に持ち込む人たちも出現する。本来はそれを選択して法制を整え、教育や分配にも慎重な政策を執るのが為政者だが、鎖国もその選択肢のようだ。
また権力を威力として虚飾する指導者もでてくるが、こと独立以来バングラディシュは、ある人物を誇りとしている。

その独立の父はラーマン。暗殺されている。その子女が現在の首相で国民には絶大な人気がある。最貧国といわれて久しいが国民は首相を尊敬、いや大好きである。
彼女には色々な逸話がある。もちろん実話である。国民はそれを語り継いで反対勢力から彼女を守っている。未だに外国勢力からの暗殺の危惧があるからだ。
過去に何度も襲撃され多くの側近が亡くなっている。






          楽しみにしていた3月号

https://www.flickr.com/photos/59344194@N03/    (資料写真)

子供新聞を授業にも活かす



勢力とは何か・・・。
一つの理由は、貧しくとも気高く独歩する伝統的な国民性にもある。もちろん彼女は父から語り伝えられたことを本に、現実政治に滞留している患いについて深く考察している。また「最貧国」である故の諸外国からの援助が慣性のようになり関係職位を汚していることも判っている。それが企てとして影響を及ぼそうとする外国勢力と結びついていることも知っている。

彼女は国民の歓迎を盾として、ときに強く厳しい政治を遂行する。ときおり軋轢がある宗教も問わない。国民と同じ衣服を着て、皮膚に病を持つ貧しい人達でも温かく抱擁する。つまり普通のやさしい小母さんのようで、それがこの国の国母なのだ。

昔から精密作業が巧みな民族に譬えられ、川岸の植物から紡いだ薄い繊維で何メートルの生地を衣服にまとっていたが、小さくまとめると指輪のようになる技術も彼等の作業から生まれている。当時は英国の植民地。小ズルイ商人が政府(英国)に懇願し、たかが植民地という意識なのだろう、巧みな技術を持った職人の指を切り落とした。
                          (プロビール・シャカー談)

日本との関係も深い。詩人タゴールと岡倉天心、インド独立の英雄スバス・チャンドラ・ボーズ、東京裁判のインド判事ラダ・ビノード・パルは西ベンガル、いまのバングラデッシュだ。
一時、多くの青年が来日した。顔を見ると亜大陸のどの国か判別も付かず、中東の青年が混じると、ついぞインド人と総称していた。
その中で技術を修得して、気心の会う女性と結婚して永住している青年もいる。
その分野は多岐にわたり、印刷技術、科学、医学、IT、工業など、堪能な日本語を駆使して活躍している。もちろん心は祖国の復興である。

そのためには善い習慣を持った子供を育てることが、繁栄を一過性に終わらせない要だった。識字率40%強 人口比率は日本と逆で青少年の底辺は広い。その子供たちに正しい問題意識を育てるために新聞発行を思い立った。







           教材として読み上げ


子供が取材して記事を書き、絵や詩歌の得意な子供はそれを書き、そのまま紙面にする。
様々な子供新聞はあるが、大新聞の市場開拓を意図して大人が作る新聞が大多数だ。そして必ずコマーシャルが入る。これは子供の衣をつけた大人の商業新聞だ。

ベンガルの子供新聞はコマーシャルもなく、しかも無料だ。







キシロチェットロ東京支局 取材 平井和成住職



それは新しい展開だった。子供が大人に取材する。童の心で時に辛辣に質問する。

その本人が記事を書く。記事を書く子供が増えた。読む子供が増えて大人も興味を持ってきた。

いまは1000部だが壁にも張り出すほど人気が出てきた。日本からの記事は在日の小学生が休日に取材する。

スポーツ少年、簡易ソーラー、名僧と寺院、それを紹介している。渋谷の忠犬ハチ公や日本の昔話も記事になる。







       現地編集長 プロビール・シャカー




費用は筆者、友人、在日子供記者の父親が工面している。現地には日本の奥さんと子供を日本に残して、覚悟の生活のなかで新聞発行に懸けている友人がいる。
皆、無名だ。しかし有力である。

社会や国を興すことは息の長い作業である。

収益や名誉も忌避する人たちでしか成せないことだ。

好きな首相に倣ってみたい。子供の成長を見たい。

その意味では子供たちの清純な問題意識と夢はバングラデッシュの人々を転化することになるのではないか、淡い希望が広がる。

それは、ブータンが自由化試行の末に辿り着いた幸福感、国民と共に地に伏し歓喜を興した国父ラーマン、日本とベンガルという旧来の縁が、新しい蘇りとして子供たちに正しい価値観を学ぶ機会になる、そんなささやかな願いが無名の徒にある。

いま、話題になっている自由報道協会の責任者も伝えてきた。
「子供でも総理に取材できるようにする、そんな自由な子供たちの取材は喜んで歓迎します」

先ずは子供たちに聞いてみたい。

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