東京府長 後藤新平
九月六日の稿に、≪どちらにしろ、その時の猪瀬くんの態度に、その後が判る≫と題して書いた。
前知事は「維新」の人気に便乗して国会に再度の足場を企て、作家仲間だが権力遊泳に長けた猪瀬氏を都政能力も考えずに後任に推薦した。それは観人則にいう人物をみる眼の無さであり、それより前知事自身の御都合でもある。
尖閣問題でも国内で宣言するでもなく、わざわざ米国のヘリテ―ジ財団で白人を屏風に言い放っている。曲がりにも国政を取り仕切る野田総理と意を通じたのならまだしも、あるいは相手にならないと増長したのか、それから隣国との迷走は続いている。藪から棒とはこのことであろう。作家なら言辞には深遠な納得性があることは知っているはずだし、そこにたどり着くために筆を操ることも熟知しているはずだ。包装紙を解くには、やみくもに破くのはヌーベルバーグといわれた松竹の監督選別だったらしいが、この国の人々は包装紙は丁寧にほどき折りたたむことを倣いとした。
いわんや為政者が声高にカジノ(ばくち場)を設営して税を集めることはしなかった。マカオや香港、ラスベガスは外の人(他国)を集める手段だが、まちづくりを孔子の言に借りれば「内の人よろこび、外の人来たる」とあるが、博打場を作ることなど念にはない。
多くの災いは「人災」であり「債」も「猜」も人の行いだ
あるいは祭り騒ぎで岩戸を開ける神話に倣ったかのか、地球のドサ周りであるオリンピックを呼び寄せ、真に見るべきこと、考えることを目くらませさせるようなイベント政治といわれる、゛目立ち政治゛には呆れているのも深層の国民感情だ。
踊り子はよく踊った。「4000億用意している、キャッシュでいつでも使える」と鼻をふくらませた。イベント好きの総理の上前をはねるように都知事外交にも入り込んだ。
国も自治体も若い政治は新鮮さを失くしたように内より外に躍動を求めはじめている。
あと7年、仮借した人気に踊る知事は狡猾な連中、とくに前知事の虎の威におののき、隠れた者たちは、同じ虎の衣を寸借した知事の重さを量りながら、以外にもその軽さに謀りごとの容易さを知った。
まさに「小人、利に集い、利、薄ければ散ず」である。その群れは「小人の学、利に進む」が多数である。
その踊りは滑稽で、いっときは使いようがあったが、近頃では目障りになった。
とくに宝の山を前にして邪魔になった。政府(総理)は厚労省と文科省に分けられていた権益をオリンピック担当相としてお友だちの文科大臣に一括して任せた。
「こちらはキャッシュで4000億ある・・・・」といえば、泥棒、強盗,詐欺師、利権屋は虎視眈々として狙うのは明らかだ。まずは金庫の塀を高くしてから言うべきだが、軽い成り金だった。
いま徳洲会の選挙形態が問題になっている。ここにも利のために小人は集まった。
知事もその一人だが、紹介したのは前知事との関係もあったという。まだまだ喰いついたものもいるが、どこかコントロールされているような複合的事件のようだ。
≪その後・・・≫見えてくることがあるだろう。
山賊の酒盛りの首謀者と漁夫の利を得る者は、やはりオリンピックのドサ周りに喰いつく白アリなのだろう。
たまには防腐剤を塗り直さなくてはならないが、生産も追いつかないという。
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