まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

天安門・あれは「民主化」でなく「官倒」だった

2020-06-09 11:23:58 | Weblog

2012  6  再掲載

         意味不明の民主化ではなく「官倒」なら日本でも起きる

 

北京の空は青かった。広場は爽やかな若者たちの希望があった。

 

1989年5月の戒厳令、そのデモのスローガンは「官倒」と「下台」だった。

若者達は民主化を求めて天安門を埋め尽くした・・

西側の新聞論調はみな一緒だった。ただ、付和雷同組は別として指導者達の中にはこの段階で西洋型の民主化が行なわれたら混乱することを知っていた。

後年、映画化された「天安門の若者達」では学生寮での性の自由と、公の政治より自分達の自由を謳歌するための抵抗だけではなく、大衆を恃んだ要求が行なわれていた。

                

 それは乾いた砂がまとまるすべを失い、気候頼みの突風によって巻き上げられることと同じようだった。

たしかに天安門の中心に立つ革命塔を拠点とした学生たちは孫文の「天下公の為」を掲げていた。まさに天安門の毛沢東肖像画に対峙するように・・・

デモは雲一つない北京長安街路を間断なく続いた。構成は各職域からなり公式発表は五十万人だった。筆者も向こう側に渡るのに数十メーター流れに随うしかなかった。それが6月4日未明の制圧の一週間前のことだった。

「民主化」は、彼等に聞いても意味不明だった。各職場の服装なのでどんな職業かは判別できた。トラックに旗をなびかせた青年を乗せて走り回るものもいた。でも民主化と大書したものは少なかった。

彼等は強権を持ち優雅な生活をする党幹部に真の矛先があった。

               

 一時は最高実力者の鄧小平おじさんから信任のあった胡総書記、後任の趙さんのやり方に明るい未来があったように見えた。だだ大衆のスピードは速すぎてコントロールが効かなくなった。「早すぎる!・・・混乱する!」と鄧小平おじさんは心配した。

若者達は胡さんや趙さんをいじめる守旧といわれた老幹部に矛先を向けた。そして彼等の既得権と潤いである賄賂と腐敗に青年らしい疑問を投げかけた。その象徴が李鵬氏だった。それは周恩来おじさんの縁者であったための巧みな責め方だった。

そのスローガンは「李鵬下台」(地位から下りろ)と汚職官吏の「官倒」だった。

腐敗汚職といっても12億のうちの数パーセントである。ある意味ではあからさまな行為である。強権があるので狡猾さは目立たず、堂々とした既得である。

後日談だが、六年後に北京の高官が訪日した。筆者は問うた。

「あの頃の青年はみなエリートだった。北京大学、精華大学、そして一人っ子で大事にされていた。それが国や人のことを考えていた。今までの中国人のイメージにはない仁義と公徳心があった。あの一二九抗日のときには抗日の意味もわからず、当時の金で七拾銭の日当を貰って参加した。もちろん校長や先生のピンはねもあった。デモの意味が解らなかった。でも今回は戦車に轢かれ兵士の水平発砲で多くの犠牲者もあった。あの青年たちに世界は感動した。私は日本は中国にいずれ負けると思った。あの高貴な精神は残っていますか・・・」

『いまは皆お金です。教師も生徒も学問の目的は財貨の成功です』

たしかに鄧小平おじさんの考えていた通り青年達の行動は拙速だった。5月13日の共産党本家のゴルバチョフに懇請するような青年たちの考えは大人の面子を汚した。青年達も突き進んで止めるすべを失くしていた。

しかし成果はあった。汚職腐敗撲滅の清風運動は政権の表層を飾るように歴代指導者のスローガンになっている。

朱容毅は賄賂が発覚した幹部を「殺せ!」と命じている。つまり習慣性となっている人情に代えて副える金銭と便宜が矩を超えて莫大になってしまい、政権の屋台骨まで揺るがしかねないことを危惧したのだ。彼の国には民主が無いというが、民の情感のために汚職官吏を処刑するのだ。ここで人権などと騒ぐものはいない。

          

           中曽根・胡耀邦 青年3000人交流 

              

 翻って我国はどうだろう。年末の忙しいときに官吏は狡猾にも早々と年玉を出した。

まずは以下の産経12/28に掲載された不埒な内容の記事を参照されたし。

政府は30日までに、審議官以上で出世コースを外れた中央省庁幹部を処遇する高位の「専門スタッフ職」の年収を1200万~1400万円とする方針を固めた。人事院は各府省数人の任用にとどめるよう内閣官房に求めた。調整が終われば人事院が同職の給与水準について追加勧告を行う方針だが、「高級窓際官僚をつくるだけだ」との批判は避けられそうにない。

 高位の専門スタッフ職は、主要ポストを外れた幹部官僚が省内に残ることができるようにし、天下りを防止するという目的で新設された。6月に閣議決定した退職管理基本方針に盛り込まれ、職務は「部局横断的な重要政策の企画立案サポート」と規定された。

 各府省にはもともとポストから外れた課長補佐、室長、課長級を処遇する専門スタッフ職(年収650万~1100万円)がある。

 制度創設時は審議官級も専門スタッフ職への移行が想定されたが、審議官級の年収は1369万~1585万円、局長級が1734万円で年収差が大きすぎるとの指摘があった。

          

          1989年㋄  戒厳令下の小学校 

 

賄賂は貰わないしデモもしない。だから・・・

これはさもしい嫉妬ではない。先に述べた12億の中国の数パーセントの数を先ず考えてみたい。国家のパラサイトとなった食い扶持公務員の人口比率である。媚び諂う外郭も比例する。

官民の所得数値比較だが、平均は「官」六百数十万、「民」四百数十万、基準は民間企業五十人以上の職場で課長クラスという。その基準に達するのは何人いるかは公表されていない。あるいは平均所得と総人数を掛け合わせて国家予算に占める税収と対比したらいいだろう。おんぶに抱っこに慣らされた国民が互いにキズ口を舐めあいながら、いつの間にか辿り着いた実態だ。

増税などは帳尻併せの駄策でしかない。国民は説明責任と躍らされて騒ぐが、予算に占める総人件費、退職積立金、あるいは各種補填金、警察の交通反則金や罰金の譲与総額と使途などはマスコミでさえ明確にできない。

国家公務員、地方公務員、独立行政法人、もちろん都営や市営の交通機関や教員、警察官、などを含むと粗い数字では一千万人いる。一億二千万のうち働いている人口は半分としても、そのうち所得納税者は何人いるのだろうか。近頃では年収150でワンルーム同居が増えている。もちろん、2~300万が当たり前な世界になっている。

否応なしに拘らず生活保護受給者など各種扶養受給も税の恩恵を受けるものだが、公務員の生涯賃金や年金、恩給などに比べたら、まるで比にはならない。

                       

 たしかに世の母親をはじめとして一族郎党は子供を公務員にさせたがる。あるいは現業である警察官、自衛隊、教員はどのような仕組みがあるのか世襲のごとき様相がある。中国の宦官募集に陰茎を切り取って応募させ、めでたく合格すると一族郎党が便宜供与にあずかり、賄賂も入る。裏金,隠蔽もだいぶ似てきた。

乱暴な言い方だが飲み屋談義で、゛世の中を変えなくてはならない゛と言おうものなら五人に一人はタックスイーターであり、゛このままでいい゛という連中も必ずいる構成だ。そこに家族の員数が入ればなおさらである。民は文句を言いながらその位置に留まっていなければ成り立たない社会なのである。

この点は中国より、もっと酷い。比率が違う。中国人は「そんなものだ」と考えられるが、あまりのタックスイーターに手も足も出ないのが我国の実態である。

欧米ではタックス、つまり税を喰う人間とぺイヤー(払う)立場を峻別している。なにも源泉で納税しているといっても給料を税で補っている立場は違うのと弁えている。だから言葉も主張も烈しい。

法と人権とはいうが、こうも さもしく卑しい連中に投網をかけられたような社会は龍馬伝や坂の上の雲のごときガス抜きでは収まらなくなってきている。それとも目くらましの小遣い銭に満足する婦女子のように愚かになってしまったのだろうか。そろそろ「官倒」と「下台」に命を賭したほどの命題に学ぶべき機が熟したのではないだろうか。

外の賊を破ることは易いが、内なる賊は討ちがたし。(王陽明)

こんなときは、いつも陽明が出てくる。

国は一人によって滅び、独りによって興る。さしずめ官の類によって滅ぶのだろうか

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