まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

銀座酔侠伝  やさしい漢たちは逝った  そのⅡ (加筆未完)

2018-07-06 08:15:41 | Weblog

 

 

人の縁はいどのようにも広がる。

平凡社の下中の邦さんと青森の弘前に桜を見に行った時もその女性は同行している。

いろいろあったようだが、人の口では艶のある想像もするが、それだけでは続かない。竹本の云う「ホド」がイケメンにはあったのだろう。

 

常連にはけっこう艶っぽい、いや男女の欲っぽい話もあるが、大きくもめた話は聞かない。不倫だとか浮気などという野暮な言葉も聞くことはない。ときに独り者から、ひかれ者の愚痴も出るが、野暮な男は余計に持てないといわれると、天を恨んで観念している。

そんな風だから二人は野暮な小心者の陰口にさらされることもあったようだ。

 

いつごろからか近所に住むシャレ男だが老境に入ってもオトコということは忘れていない。

そんなオトコだから常連の力加減、つまり顔が利くかどうかを量って迎合する。スキャンダルや博打ものと風俗を掲載している新聞のブンヤだが、めぼしいネタを仕込むとご注進してまとわりつく手合いが多い世界のオトコだ。

はじめは竹本にまとわりついていたが、竹本は相手にしない。もろちん長谷川など人を見る眼があるものは相手にしない。はじめは紺ブレザーを着込んで、小林老のモノマネで女性客にビールを出すが、しばらくするとノコノコと席まで押し掛ける。いつもは入口に向かってキョロキョロと落ち着きのない呑み方をするが、同じような仲間が集まるが、今までの常連にはない下衆な風情がある。

女性席に押しかけても老境のスケベイ面で話題も少ない。普段はネガティブなことばかり口を突くものだから、洒落たネタもない。銀座のホールにビールを飲みに来るような女性は場末の居酒屋談義はしない。普段はゴミ出ししている女性でも目いっぱいシャレているが、男より同性の目を気にするのが女性だ。幾らビールが飛んでこようが、スケベイ男が同席に珍入されては格好もつかない。

だいたいがグラスを贈っても、礼は欲しがらないもの。まして,有り難くないものを勝手に贈ってノコノコ押し掛ける厚顔廉恥は老境の重みとは思えない。

だだ、手に負えないものだから、゛無理だね゛と眺めていたイケメンに手招きで助っ人をたのむ軽さのお陰で、別の縁が運ばれてきたことを思うと、まんざら無駄ではない。

 

ただ、「俺がビールを出して知り合ったのに・・」と、ひかれ者の小唄を唸られては、竹本ですらも失笑することしきり。

そのスタイルが通用しないと判ると、こんどは着物姿で来るようになった。幾らかマシだが話す内容はイケメンの陰口やホラ話が多かったが、その類は友を呼ぶたとえで、その種の客が増えてきた。なかには地上げ屋まがいの不動産屋の手代がいるが、これも仕事柄ホラ吹きで嘘話をする。みな勝手に金持ちだとか、大物だとか勘違いする。欲張って近づく者もいたが、単なる手代だと判ると潮が引くように離れていった。

それは小林老や竹本、長谷川が気風として守り続けた常連の倣いが失くなることでもあった。一期一会の縁を愉しみ、地位や名誉や学歴、家柄など、なんら人格を代表しない附属価値に人を選別もせず、まして分かったとしてもベタベタ寄り添う男芸者など、一番嫌う連中だった。だからこそ稼業任侠や職人など数多の老若男女にかかわらず、まして出自や職業貴賤など関知しない意識が器量として培われたものにとって、ブンヤは異質な人間だった。

竹本もそんな男の醜態をいやな顔もせず、間(マ)を置いた関係で歓談していたが、話は上っ面の軽い話しかしなかった。

そんな男のヨイショに気分良くなる客もいたが、下心が透かして見えると離れていくようになる。懐が乏しくなった男や、和装形(なり)に重さを錯覚して興味を持った女もいたが、そのうち一時は日に多いときは五席二十人来た常連席も、一、ニ席で四、五人になってしまった。

野暮で助平なオスはいても、漢(おとこ)がいなくなると、オンナも寄ってこない。

竹本は「オトコは好かれなくては」と・・・・、その通りになった。

 

        

              下中

 

奇縁もある・・・

イケメンがいつもの独りドライブに箱根に向かったときのこと。湖畔から大観山に向かうつづらに朽ちそうな小さな案内板があった。「パル・下中記念館」とある。

うっそうとした敷地に仏教施設のようなものがある。研修場とかかれた建物もある。記念館は入口が雑木に覆われジメジメした周囲には覆い被さるように苔もむしていた。気になったがパルはラダ・ビノード・パル、極東軍事裁判(東京裁判)のインド選出の判事だということは知っていた。もう一人の「下中」は解らなかった。

いつもの常連席にときおり女性連れでくる初老の男性とグラスを傾けた。顔見知りだが、ここのシキタリで名前はあえて聞かず、もちろん職業も、まして懐銭の話などはご法度の世界だ。何気なく、「箱根にパル博士と下中という人の記念館があるのですが、その下中という人物が何者なのかわからないのです・・」と話したら、「私が下中です。それは父の弥三郎ですよ」と。

心理学者のユングが同時性とか必然の偶然とか説いているが、まさにいつものビヤホールで、しかも幾らか顔見知りの目の前の人物が、あの考えていた下中の息子さんだったとは、何のめぐり合わせだろうと唖然とした。ライオンビヤホールはその様なことがしばしばある。

それ以来、箱根の記念館に同伴したり、お陰で記念館を覆う雑木が伐採され内部の貴重な資料を検索することができた。出版社の友人たちと下中氏とともに津軽にも足を延ばし、桜を堪能すると、「こんど我が家の庭にある桜の観桜会をしたいので幹事をしていただけますか・・」と企画を依頼された。

雪ヶ谷の一段高い石垣に囲まれた広い庭で観桜の会が毎年催され、多くの客が招かれた、その人選は幹事の独断で決めた。

 

        

    邦さんと弘前

 

下中氏は邦さんといっていたが、よくモテた。銀座の老舗バーに集まる文壇、出版会の連中は手伝いできていた新劇の女優が狙いだった。みなそうだった。それを邦さんがゲットした。

女優は患った邦さんに添って黒髪が白くなるのもかまわないくらいに、かいがいしく動いた。

いろいろな事情を聴いて「看取りやさん」と名づけたが、邦さんも誰もそれは知るところではない。伸びさかりの気鋭の女優だったが、水谷八重子のたっての望みで私生活の世話をして最期まで看取った。次は尾上松緑、つぎは辰之助、そして邦さんだ。

慰労がてら横浜のバラ夜景に誘った。

「星(運命)なんだよね」

「そうかしら、でも苦労ではないのよ。縁がそうさせているようで・・・」

目の前においてはシャレた言葉も出ないので歩きながらの独り言のようだったが、それがまるで自分に言い聞かせるようで、ときおりバラに触れながら無口になる。

「花食って、知ってる?」

白いバラの一片を口に含むと、深紅のバラに駆け寄ってそれを口にふくんで、

「へぇー、キザなようだけど夜だからね」

「もっとキザはワイングラスをもって気に入った色をつまむ人もいるょ」

それは邦さんが亡くなってからしばらくした頃だった。

取りなしの好い女だが看取り屋にならなかったら、いっぱしの女優になっていただろう。

ときおり誘われたが「(あの人とは)続いているの・・」と聴かれると、「面白い縁さ・・」と応えるが、そこからの会話は途切れてしまう。さすがに場面の間(ま)は心得ているが、観客ならやきもきしながら息をのむ場面だ。

時が来れば多くの泡友も逝った。

通夜ではいろいろなことが伝わってくる。

「家では話もしなかった」「いつもどこに行っていたのか」生前の感謝を告げても横を向いてしまうご遺族もいた。逆に始めてビヤホールまで来てハマってしまう連れ合いもいた。

 

ともあれ、常連の丸テーブルは家族内のことなど話題には乗らない。なかには女房が酒豪で旦那がきまり悪くなって来なくなったこともある。なかには入り口が気になるのか人の会話もそぞろになる人もいる。大体が異性目当ての助平おやじだが、注意するのも野暮なことだ。とくに男の嫉妬はありもしない陰口が先行して、大のオトナが気色わるい態度をはじめるが、だいたいはモテないしビールも集まらないし、相席にも気を遣わない。

 

ホールからの流れは、並びの「天国」でかき揚げか金春通りの「よし田」の鴨せいろだ。

燗のつまみは卵焼きと鴨、仕上げはソバに酒をかけて出汁つゆですする。それでも話が「語り」となって気分がいいから一刻はもつ。混みあってくると腰は軽く次にまわる。

よく葬式の清めで勝手な飲み食いをして座が重い奴もいるが、タダなら尚更のこと腰が軽くなければならない。なかには酩酊する焼香客もいるがみっともないし野暮だ。

天婦羅の天国は新橋へ行く道すがら厠を借りるが、気が引けるのでコノワタとかき揚で酒をつきあうこともあるが、話し相手は天国の倅の家庭教師だった店長だ。ことのほか腰が低い。

気が向くと月島の「花ちゃん」ここでは始めでマグロの脳天やホホをもらった。女房はがらっばちだが板前の亭主に惚れて店を切り盛りしている。亭主は男前なので監視付きということだ。ここのカミさんのように器量が広ければいいが、寿司屋によっては連れの女にサービスでもしようものなら仕込み場の暖簾から怖い眼をして旦那をにらんでいるカミさんもいるが、旦那は鬼瓦でもじれったくなると女は怖い。

 

新富町の「新古亭」にも寄る。新富芸者の姉妹だが、妹は竹本の佳き友人だ。あとで竹本から相続だと奇妙な話があった小づくりの可愛い女性だ。

竹本の侘しい昔の話だが、休みに一杯やろうと誘って出かけようとしたところ、おみっちゃんのスポンサーが来た。仕方ねぇーと諦めざるを得なかった竹本の侘ししさは、昔のことだが聴かされている方も言葉がない。後年、おみっちゃんとビールを飲みながらのことだが・・・・

 

             

            文化人との付き合いも多かった稲能

 

人形町の「松葉寿司」に連れていかれた。

結婚しない姉妹が八十になる母を手伝っている。はな板は白い割烹着を羽織って髪をまとめた昔はそうとうな美人だ。伊能は必ず武勇伝と金の話をする。すると黙ってネタを整えていたカミさんが、

「伊能さん。金持ちはねぇ、つかってなんぼのことよ。持っていたって金持ちとはいわないよ」

きまりが悪いのか、伊能は黙ってこちらに銚子を向ける

閉店近くに銀座から電話を入れたことがある。

「間に合うならちょっと小腹が空いているのでいいかな」

「どれくらいで」

「二十分くらいだが」

着いてみると客は終いまぎわなのでいなかったが、ネタは並んでいる。すぐヌル燗と水が並べられた。酒の出し方で、゛ほどほどに゛゛これくらいで゛゛もう酔っているから゛と酒の温度も気を遣うが、水は寿司ネタを味わうための口すすぎのようなものだ。はじめからガリ生姜はいただけない。

板(調理台)の脇から地下の仕込み場をのぞくと、パタパタとうちわを叩いている。

なにー・・・・。

シャリがなくなれば断ればいいものを、銀座から二十分で来るといってカミさんに並べられたネタをつまんで四十分、電話を入れてから飯炊きをしていた・・・。

娘二人が文句も言わずオカミの指示でシャリを炊いていた。

そういえば、昔あの辺一帯はヤクザが多く、どこの飲食店もタダ呑みかツケで困り果てていた。

中にはたたむ店もあった。いつか女将はボソボソと問わず語りをした。

「アタシは女でよかった。男手もなくそれはヤクザも来て払わなかったりしたが、娘二人で困るもんだから、親分のところにいって話した。掛け合いなんて言う勇ましいものではなかったが、女だから手を出すわけにもいかず、話は了解してくれた。だれも怖がって行かれなかったが、この町で寿司が握れなくなったら困るのは皆さんですよ、と話したらわかってくれた。それいらい苛めも脅かしもなかった」

 

毎年三越本店で寿司職人が集まった催しがあるが、その中心に白い割烹着を着たカミさんがさっそうと寿司を握っている。聞くところによると二の腕に毛はないし年寄りの掌は温度も高くない。強くもなく柔らかすぎず、大きさもほどよい。まずはお目にかかれない稀な職人だ。

いまだかつてその気風と、人に気遣いを起こさせない細やかな気配りは、男まさりの威勢はないが抱え込む母心がある。たしかに面前に並べられると粗末にはできない代物となる。

水天宮のゆかりは腹帯とニッキ味の黄金饅頭かと思っていたが、とんでもない女将、いや人物が居たものだ。母にしても、女房にしても、色にしても、惚れ惚れする、そんな夢想の女性でもある。

伊能もたまには好い処を案内する。

 

そういえば、伊能の仲のよい女性は宝塚出身だ。芸能評論家アンツルこと安藤鶴雄の親戚で、下中の邦さんとも遠い親戚だ。女房とは違いさらった訳ではないが、景気のいい時に品川ああたりの店で知り合ったらしい。あの性格だから毎日のように通って口どいたという。   荒くれの土方と宝塚の女優、取り合わせも異様だ。

「手籠めらされたのでは・・・」

女性は黙っているが伊能は女自慢で格好つけている。

「すみれの花・・咲くころ・・・」

伊能は天下とったように誇らしげに聴いている。

その後女性は高円寺に移り住んだが、焼きもちやきの伊能は度々訪れて連泊している。ああ見えて女房には気を使うのか直前に仕事だといって出かけるが、できた女房は意地を隠して三日分の下着をバックに詰めて送り出している。それを抱えて行くほうも行くほうだが、高円寺の女性も判って受け入れている。あるとき聞いたことがある。

「伊能さんのことだから余程でかい話をしたり、武勇伝を言っていたのでは・・」

「私の用心棒のつもりみたいなもので居なくては困ると思っているみたいね」

「あの乱暴者だから脅かされたり叩かれたりして、仕方なくと想像したものですよ」

「そう見えるけど、あれで人が気になって細やかだから、優しくもなり、修羅にもなるのよね」

「そういえば自分の気に入った同士を勝手に兄弟分にするけど、面倒見がいいですね。戸惑ったことに八王子のテキヤの親分や右翼の会長が今日からお前の兄弟分だ、と勝手に決めるけど皆イイ人達ですね。そういえば八王子も北九州から人妻をとってきたけど、伊能さんもそうだ。しかも夫婦はできた女性で仲いいね。」

「不思議な人よね。あなたみたいな静かな人も好きで、いつも気にかけていますよ」

 

気のおけない仲間が厚い情を交わすようになるのは自然だった。

 

以下 次号につづく

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