竹本と左後 伊能
鳶のむかし話もある。
横浜の戸塚に基礎足場の仕事がいきつけの旦那の注文が入った。旦那は温情のつもりだが、足場をもっていくにはトラックを用意しなくてはならない。あいにく手配できなかった。
断ることも報いることにはならない。親父の金太郎の「いくぞ!」と一声で職方は腰を上げた
昔ながらの大八車に足場と荒縄を積んで銀座から戸塚までの道中が始まった。
品川から蒲田、多摩川の六郷橋を渡って川崎だ。姉さんの握り飯を土手でほうばりながらの一日掛かりだ。押すもの、曳くもの、交代しながら歩く。煙草はキセルタバコが重宝だ。キザミを火口に丸めて吸うが、終わると手のひらに落としてコロコロと転がすと火傷はしないし火種は残る。その間、タバコ入れからねじり出したキザミを丸め、火口に入れて手のひらの火種でとぼすと、器用な奴は銀座から戸塚までキセルを吸いづづける者もいた。
良かったのは誰からともなく木遣りがあがってくる。基礎杭の地ならしに使う曲もあるが、歩きながら景色を見ながら唄うのも格別だ。大八を転がす調子もとれるし、順番にはじまると木遣りの稽古にもなる。
とくに親父がいると甲高い声でフシの好い木遣りが始まる。調子の連呼も合わさって気分が上がる。あの頃は録音機もなく聞き耳だけだったが、今は唄われない好い曲がある。想い出しているんだが、つながらなくて惜しい。気風(きっぷ)も啖呵も切れるし、義理と人情とやせ我慢、木遣りも聞き惚れる、あんな赤筋(鳶頭)はもう出てこない。みんなで高尾山に親父の顕彰碑を建ててくれたと竹本は懐かしむ。
「近ごろは、どっちが旦那なのかわからなくなった。役職は背広来て挨拶もしなくてはならない。木遣りはCDで習い、彫り物は電気彫り、車はベンツ、ホテルで梯子乗りじゃ軽業芸人だ。世の習いは逆らっちゃいけないが、気風も人情もスカスカじゃ吉宗(制度を作った徳川吉宗)まえのゴロツキか遊び人だよ。任侠と江戸鳶は似ているようで分別が違う。鳶仕事は旦那に頼まれればドブさらいもするが、博打打ちはしない。どっちが楽なのではなし、格好いいとも思わないし、比べる下衆な了見はない。それが土方衆とは違うところだし、土方衆も稼業やくざとは違うところだ。それが金と女と酒は同じ欲だと境がわからなくなっているが、女の付き合い方も、金の遣い方も遊びの仕方も、それぞれ違うのだ。まともな稼業やくざも土方も鳶もそのことは分って辛抱しているんだ。粋筋は道なりの道理がなくては単なる、゛まねごと゛の悪戯だよ」
「お前がやればなぁ」しまいには、イケメンの気風にいつもの言葉が・・・
イケメンは伊能にはよく苦言を言った
「伊能さん、陽が高くなって帰ってくるなら、しかめっ面はいけないよ」と、老若弁えずに話したが、黙って二階に上がってしまった。後日、「あんときは、お前にいわれて格好悪かったなぁ」とビールを差し出されたことがあった。
ただ、そんな荒くれでも,気は繊細だった。伊能の義兄弟となる竹本と席を共にしていると、こちらの席には寄ることもなかった。帰りには「すし屋にいるから来いよ」と、ぶっきらぼうに伝えるが、ことのほか竹本のことも好きたが、こちらが席を共にしていると気にかかっていた。
そんな男だが、卜部侍従を紹介してくれたのもその縁だった。
よく入江侍従も来ていたが健啖家といわれるように豪快な飲みっぷり。世間は、あの世界は堅ぐるしいと思っているが、話は洒脱で飽きさせない。なかには弁当を差し入れして、ちゃっかり宮内省御用達と宣伝していた宴席料理屋もいたが、その後は相手にされなくなった。
「入江さんが亡くなって陛下はお嘆きに・・・」と聞くと、陛下は「入江は食べ過ぎで亡くなったのか」と、冗談か本気なのかわからない御下問があったという。
その卜部氏も泡友が開いたライブハウスの開店日には横浜からわざわざやってきて、「こんな裏芸があったとは・・」と挨拶をしていた。
右 卜部氏 中央 安岡正明氏
そのイケメンが安岡正篤氏の縁で勉強会を開くと悦んで講師を受任して、度々激励の書簡を送っている。葉山の御用邸に皇太后のお付きで行くことになったときは差し入れにサッポロビールの提供を伝えると、「ビールは揺らせたら落ち着かないと美味しくないですね」と、運搬方法まで依頼するビール好きだった。
伊能は天皇即位のとき使用する高御座(たかみくら)の設営関係の御役を頼まれたが「俺は前科がある」と、仲の良い新川の山口政五郎に委ねている。ともかく筋目はうるさいが、人生は足を踏み外すほどに奔放だった。
政五郎も人情に細やかな頭だ。伊能は「あいつは本物だ」と強引に連れて行ってくれた。
伊能の祖父の五十回忌もなじみの芝プリンスホテルで世話したのが政五郎だ。自分の授章祝賀会でも、わざわざ寄ってきて「兄弟は大変だったね」と、伊能が勝手に義兄弟にした男の病のことを覚えていて、労ってくれる気配りがある。
山口政五郎 氏
深川八幡の祭りでは伊能を先頭に立てて練り歩くような人を立てる情もある。どうゆう訳だか伊能と仲良かった仲間は鳶の世界では名を上げている。竹本は銀座も組の組頭として名跡を守り、靖ちゃんこと鹿島靖之は江戸消防記念会の会長として江戸時代から続く鳶の歴史を守っていた。政五郎は鳶のことは政五郎に聞けといわれるくらい全国にファンがいる。また江戸情緒の語り部として多くの文化的事物の収集家でも有名である。
゛うるさい兄ちゃん゛といわれながら、伊能は気が付けばお節介を焼いていた。
その竹本だが、「人は好かれなくてはいけねェ」と、大言を吐くこともなく、「俺たちは旦那あってのものだ。頼まれれば溝(どぶ)さらいでもする。仕事師は旦那気分になってはいけない」と、常連会の会長も最後まで固辞していたが、やはり人柄がそれを押した。
ときおり、おなごを連れて「友達ですよ」といえば、「格好つけてちゃいけねェ、一緒にいるときが一番の女だ。可哀そうじゃねぇか」と、渋い顔をみせた。
間をおくと、「近ごろ来ねぇじゃねえか・・」と電話が来る。そんなときは、選りすぐりのトモダチを二人連れて近所の飲み屋でカラオケを歌ったが、必ず女房には七寸(寿司箱の寸法)を土産に頼んでいた。ともかく女房に惚れて優しかった。恒例は毎年正月の三日にライオンの二階で二人っきりで杯を傾けた。
「なにごともホドが大事だ」「若い頃は型つけて付き合いを広げ、男を売っていたが、この歳になると付き合いを狭めるようにしている。物ぐさといわれようが、丁度いい生き方はそんなもんだ」
あるとき本人は決して語ることもない、まして自慢することもない背中の彫りものを見たことがある。その後の付き合いで東京温泉ではいつも拝ませてもらったが、その類にも位(くらい)があるらしい。サウナ室に入ると、混んでいれば人は隙間を空ける。それが何人もの刺青者が居ても、みな席を寄せて空ける。あるときオンナトモダチが「頭(かしら)の見たいわ」と言われて返す言葉がふるっていた。「二人っきりでお前の背中も見せてくれたらなぁ」
相続?のことも面白かった。
いつものように呑んでるときに、突然、「あれ、おまえに相続するよ」と。
小づくりで可愛い人だが、干支を繰り返すような年の差だ。
だが、断るわけもいかず、「兄弟かね・・」と呟いたのを想いだす。
ことは、たとえ冗談でも少しよけて返すのは此の手の倣いだ。それにしてもホンノリとした関係のオナゴを相続とは恐れ入った。
気分のいい女性なので新富では何度か軽いお付き合いをしていただいた。
亡きあと酔客のなかで面白おかしく相続の話をしたら、文句を言うわけでもなくグラスを当てられた。
たしかに粋なしぐさだった。
その生き方を「竹本のように生きるのが本当だ・・」と逢うたびに懐かしんでいたのが長谷川一郎だ。いっとき煩いごとでホールに足が遠のいたとき、「行ってんのか?、いゃ俺も近ごろ行っていない。騒がしくてなぁ」後の理由は付け足しのようだったが、それくらい人の付き合いの善し悪しを知っていた。
伊能もそうだった。ある高名な人を紹介して伊能なりにつき合っていたが、心底が割れてその人間と付き合いを絶ったが、あくまで伊能との付き合いに掉さしてはいけないと思って黙っていた。どこからか伝わったのか、「俺はやめるよ、あんたの方が見る目はある」と、その人間との付き合いを一切、絶っている。
ふつうは、高名であわよくば良い気分になれる人間にでも、そんなことに価値を置いていない。「偉かろうが、金になろうが、そんなこと」といわれると、緊張感も湧き、教えられもする。長谷川もそんな人物だった。
長谷川も竹本と同じ好かれる人だった。大手新聞の大物からもよく誘われていた。後楽園の巨人のボックスシートもあの人の「遺言形見」だと、券を回してくれた。その席はバックネット裏の丁度テレビ画面に足が映る七段目くらいだ。
「だれ連れて行っても分からない位置だね」
「良く分っているよ」
膝も不自由で二丁目の自宅から五丁目のビヤホールまでタクシーだった。帰りはオイル(アルコール)が入るので、そろり徒歩の帰路だった。七丁目のホールをよけてから八丁目の小料理屋、月島のすし屋、あるいは江の島神社の参拝、そして八景野島のしま寿しと、いろいろ連れ立った。
ときおり新浦安の順天堂へ行ったが、「伊能もここで亡くなったなぁ」と、感慨深げに建物を見上げていた。
長谷川は「どうしてんだよ」
『来いよ』とは言わない。
そんなときは好きな銘柄のワインを補充すると、また「どうしてんだよ」と連絡をよこす。
伊能は「たまには来いよ」
竹本は「話したいことがあるんだ」
三者三様だが、あの雰囲気でわかる奴と飲みたいだけ、それも逝った。
「伊能さんの夢見たよ」と竹本にいえば、『今、誰と飲んでいるのか心配でおまえにやきもちを焼いているんだよ』あの貌を思い出して保土ヶ谷に墓参に行った。
仕事人の気風なのか、伊能と竹本には色よい逸話が良くあった。なぜか巻き込まれ?もした。
前後する逸話だが、松屋の脇に福富太郎のキャバレーがあったときのこと、伊能が来てくれという。黙って傍に座っていてくれとのことだろうが、一人ではおぼつか無いらしい。なにしろ場面まで設定して色々思案するのが伊能の癖だ。屏風代わりだが、大のオトナが頼むことならそれなりの理由がありそうなものだ。伊能も取りまとめて体裁よくは言えない。こっちも聴かずにその場の雰囲気で察しなくてはならない。いまどきの説明責任などの手間のかかる無粋な仲ではない。
要は、竹本とうまくいっていた女が、情が深くて、あっさりした竹本が避けているが、女がいうことを利かない。仲をもってみたものの、なにしろ伊能の面姿は人が怖がる。そこで助っ人のような頼みだった。
伊能はそんなときは独りでは行けない。伊能も宝塚を添えもので連れてきた。
言うことは一点張り「竹本は悪い人じゃない」と涙を流して説得する。女はそんなこと解かっているから惚れたのだ。
「なぁ、そうだよなぁ」
そのたび相槌をこちらに要求する。
もともと身持ちの固いといわれる竹本はビヤホールで呑んでいる。連れていくわけもいかず、伊能はいつものように仕切っている。兄弟と言いあっているが、そんな強引な仕切りに竹本も鬱陶しく感じているが、今回に限って伊能が義狭心?で受けて立っている。でも相手は罪もない情の厚い、しかも年若の利口そうな女性だ。しかもなかなかの美麗だ。
伊能は泣きださんばかりに竹本をかばっている。いや、鬼が本当に泣いていた。
普通はそんなことくらいで好いたものが「そうですか」と、引き下がるわけではないが、こんな時には口を開くアトとサキが問題なってくる。別れ上手は女に先に口を切らせるものだが、今回は伊能のおせっかいで、しかもボキャブラリー(会話単語)の乏しい伊能が「竹本は悪い人じゃない」と連呼されては、女も、゛分かっているよ、そんなに言何度もわないで゛と、話もうっとうしくなり、何が悶着の原因なのか聞くまでもなく、黙って引き下がるのがオトナだと、勝手に納得してしまいかねない。
伊能は喧嘩でも相手より興奮度を上げて、理屈そっちのけで口から泡を飛ばし、それは熊のヨダレ状態になり、人間離れした形相で戦闘状態の啖呵を切るものだから、相手は大人の人間ではなく、赤子の泣き止まないなき声にヘキヘキするように冷静になって、しまいには呆れてしまう。伊能が苦手なのは低姿勢で冷静に理を詰める人間だ。くわえて伊能を褒め上げることだ。下手すると瞬間湯沸かし器にもなるが、巧く行くと般若が好々爺の翁(おきな)のような形相に変わる。
キャバレーハリウッドはホステスもいる。場所感覚も伊能らしい可笑しさがある。
「色々あるが、ここはよくないょ。後でゆっくり話しましょう」と、話を切った。
伊能はあんなこと言うから、てっきりアンタと二人っきりで話すのかと思ったが、そんな慰めをしたら二人がデキてしまうのかと心配になった、と妙な絵を描いていた。
「ありがたいオコボレだが、頭と兄弟の弟より、こればっかりは兄貴になりたいね」
伊能を残してタクシー乗り場まで送った。話すことはなかったが、女性は何気にのみ込めたようだった。
竹本金太郎 氏
伊能はビヤホールにとって返して竹本に「タ―さん、うまく言っといたよ」
後で竹本に聞くと、ことさら頼んだわけでもない、と。
何のことはない。伊能が竹本に呑み仲間の女の話を振って
「最近会ってないのか」竹本の女と思い込んでいる
「飲むと悪酔いしてなぁ」
「それはよくねぇ」ここから思い込みとカン違いが始まった。
「銀座の鳶頭が女にてこずっていてはサマにならねぇ」
「近ごろは連絡していないが、俺がいなとき来ていたみたいだ」
なんの変哲もない会話だが、伊能は竹本が嫌がっていて、それでも女はやってくる、そのうち困ったことになる、と思い込みの先走りをした。
竹本も説明するのもかったるいし、まして伊能のこと、お門違いでやり込められてトバッチリが来たら面倒になるので、ここは伊能の独り芝居に水を差さずにおこうと思っていた。
新聞タネになった洲崎遊郭での伊能の出入り悶着も、まるで鬼の形相で「ターさん行くぞ」と、まるで映画のように行ったはいいが、相手の方も常人ではない伊能の形相に警察を呼ばれて二人はブタ箱入り。これとて伊能の武勇伝には必ず語られる一説だ。
もてる男は、人の勝手な思いにも流れに任せるようだ。
竹本がなぜ好い女を避けたのか聞いたことがある。
「アレはイイ女だよ、躾けはいいし男を立てる。玉にキズは呑むと限度を知らない。タクシーで送ったときゲロを吐いた。運ちゃんに謝って俺もその掃除を手伝った。何度かあったが、そんなことでうっとうしくなった。車のシートと床掃除じゃかっこう悪いやなぁ」
竹本も女性の呑み癖を自覚させようとしてつれなくしていたが、伊能の先走りには諦めもあり、いつものホドで眺めて悠然としていた。「縁があれば戻ってくるよ」と。
米 イメージは増田氏(竹本)提供
以下 次号につづく