まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人間考学 安倍君の器量と度量  終章

2018-03-19 13:51:03 | Weblog

 

簡記すれば、

 

政外(せいがい)・・・政治政策のピントが合わない 内外情勢を錯覚して施策を誤る

内外(ないがい)・・・内政がおぼつかないと外で気勢を上げ危機を煽る

謀弛(ぼうち)・・・・謀が漏れる。秘密が漏洩する

敬重(けいちょう)・・尊敬されるものがいなくなる。わからなくなる

女厲(じょれい)・・・女性が烈しくなる。男が弱くなる

 

この兆候が表れたら何れ国家は国家の態を失くし、滅びる。

自から滅び、自壊する。それは、我を失くし茫然自失した姿を現わす。

無関心や問題からの逃避は、その前兆として表れる。

 

以下はブログ小章の抜粋

 

「五寒」に表れる、゛謀弛゛の姿

 

内外、政外、謀弛、敬重、女厲、が国家の衰亡、亡国に表れる現象であり、その前段に人々の心ら表れる姿や、その原因となる病巣に「四患」を当ブログで紹介し、その例示も再三記してきた。

 

後の祭りを語ったり、あまり現象の現れていない状況でその兆候を警告したところで浮俗の耳には入ってこない。

 

あまり政治はともかく、政局のことは当ブログの趣には馴染まないが、時々の人々の姿に表れたり、誘引されたり、「五寒」にいう現象が絡み合うと、個々の興味や得意分野、あるいは己にかかる厄災などから発する言葉や行動なりが、騒然とする状態下にあると、それぞれの関係を拙考「人間考学」の手順を追って解きほぐすと、その現況の行き着くところや、解決が見えてくると考える。以下は筆者の愚論だが、お節介を記してみたい。

 

「内外」と「謀弛」が顕著に現れたのは米英が推し進めたイラク戦である。内政問題を覆い隠し外に向かった衝突は大量破壊兵器の保有が前提にあった。しかし無かったことが漏れ、露呈した(謀弛 はかりごと弛む)。それによって情報部の管理力は疑われ、その推進役であった米英の政策責任者への信頼は失墜し政権交代にすすんだ。それは政策責任者への敬重(信頼と尊敬)の失墜でもあった。

 

そしてリーマンショックである。これは「四患」にある偽、私、放、奢そのものであった。

゛偽りの数値によって私企業が法規範を逸脱し奢った゛まさに偽私放奢の流れである。

その結果「五寒」に推移するのである。

 

つまり人の衰えの問題なのである。

 

 

 

 

今回の尖閣問題でもその通りの道筋をなぞっている。また、゛なぞる゛ことが予見できる人物たちによる結果でもあった。

外交上における各種会議、資源問題など必須と思われているが、往々にして会うことに意義がある程度の内容しかない会議、それに拘って内政のスケジュールなりシステム転換を図るような本末転倒な状況がある。

 

ビデオは漏れ、税官吏の汚職、閣僚の放言などは精神の弛みであり、公務員の偽りと私事である。もちろん信頼や尊敬などは見る影も無い。

 

選挙当選、政権交代の謳いはマニュフェストの偽りと政権党の弛緩によって国民の怨嗟を助長した。弛みの政治主導ではなんのことはない。

 

奢りは「驕り」でもある。公務員の待遇と高額給与は、国民状況を判っていながら知らない振りをした狡務員や公無員の群れの増殖がある。

 

もちろん「上下交々、利を獲る」ように、国民にもその倣いは顕著になっている。

母親は安定職だと子供に公務員へとせかし、教育界、知識人にまでその食い扶持の用学に陥っている。人生を説き、夢を描く男子のへ風圧は「女厲」にある、女性の荒々しさ、烈しさとなって表れる。それは方向性のさもしい比較競争でもある。

 

浮俗の噺だが、浮気調査は時を代えて男子の側からの相談が多くなり、パチンコとサラ金は女性客のほうが多くなっている。それに付随して警察白書には場所まで記されないパチンコ屋のトイレの自殺は女性客が多くなり、しかも一日何十万も稼ぐときがあり、損することもあるパチンコは博打場ではなく、法律的には健全な遊技場扱いである。この便法の適用と立法の促しは警察である。

 

よりによって、そこに自由と民主と平等や人権が添えられれば、より一層、放埓(やりたい放題)、民主(人は人)が四患を顕著にさせ、家庭や教室でも「敬重」の存在は無く、もちろん政治の要諦である「信」や尊敬など、どう考えたらいいか、尊敬とは何か、と理解の淵にも届かない情緒が漂ってきた。

 

学生も学歴だけはとっておけばと商業教育のお客となり、当選すればと居眠り議員や、総理まで目力のないウツロナ様相を晒している。みな、こんなはずではなかった、と思いつつも俸給と待遇に魂を滅ぼしている。

 

以上、成すべきことを避けて、゛言いたいこと゛を垂れてみたが、この症状が治らなければ亡国である。「亡国とは亡国の後に、その亡国を知る」といわれるくらい、自然に忍び寄ってくる。あのローマ、ギリシャ、大英帝国、もそうだった。

また、亡国のたどりはことのほか楽しいものだという。

そして、すべてが、偽、私、放、者をたどって「五寒」に行き着き、打つ手も無く滅んでいくようだ。

 

身近な世界や政治の携る人間も同じ日本人だ。しかし気が付く人間と、覚醒転化する人間がいる。またただ騒ぎ立てるものもいる。

 

四患」と「五寒」を透かして世の中を観察することをお勧めする。

まずは「見る」ことと「観る」そして「診る」ことから適所にあった治療が始まるはずだ。

 

以上の例文の参考引用ですが、巷では器量度量は任侠の世界と思っている者もいるが、口舌批評の種でもなければ、学び舎でのアカデミックな理屈ではない。それゆえに結果は対象となるものの姿によって量られるものだ。

それは農、漁、工、を生業(なりわい)にしている人の方が自得している。

戦後、復興のままならない中、陛下は全国を巡察している。

国民は陰ながらその人物の器を量り安堵した。

そして、相手の心を思いはかって慈しみを添える「忠恕」を知った。

 

安倍くんにはそれを望まない。

せめて、怨みは吾身で受け、謗りは他に転嫁しない

そんな器量と度量を日本の総理はあったのだと期待したいだけだ。

 

終章

 

 イメージは関連サイトより転載しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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