A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【追悼】近藤等則さんの想い出~ICPオーケストラ/地球を吹く/ペーター・ブロッツマン/灰野敬二/ビル・ラズウェル/中原昌也/豊住芳三郎/ポール・ニルセン・ラヴ/浅川マキ/沖至etc.

2020年10月19日 00時17分49秒 | 素晴らしき変態音楽


近藤 等則(こんどうとしのり)生誕:1948年12月15日、死没:2020年10月17日(71歳没)

近藤等則の個人的なイメージは、70年代後半から80年代半ばにかけて、海外を舞台に前衛的なサウンドを追求した”フリージャズ侍”というもの。意志の強そうなキリッとした眉の精悍な顔つきと新体道で鍛え上げた肉体がその印象を裏付けた。80年代前半は海外のフリージャズ・ミュージシャンの招聘を行い、今は無き法政大学学生会館ホールなどでライヴを数多く企画していた。筆者は1982年5月のミシャ・メンゲルベルク&ICPオーケストラの初来日公演やペーター・ブロッツマンとの共演をはじめ何度か観た記憶がある。フリー系ミュージシャンは他にもいたが、近藤だけが海外の猛者の向こうを張って孤軍奮闘している印象を受けた。しかし、1984年に結成した近藤等則&IMAは、フリクションのレックも参加し、ファンキーでカッコ良くはあったが、往年のプログレバンドが80年代にこぞってMTVポップ路線に転向するのに似た”前衛の敗北”のように感じてしまった。アヴァンポップという胡散臭いネーミングにも馴染めなかった。

90年代に入り、プログレ組の中で唯一MTVに魂を売らなかったフレッド・フリスの『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』に呼応して、「越境」を合言葉に世界中の音楽が交感を始め、フリスはもちろん、ビル・ラズウェル、ジョン・ゾーン、アート・リンゼイ等が音楽の境界を大きく広げた。1993年に近藤がそれまでの活動すべて打ち切り、アムステルダムへ音楽拠点を移したのがこの「越境運動」に関係あるかは分からない。近藤の話では「人に向かってだけ演奏することに疑問を覚えた」というのが動機のひとつだという。イスラエルを皮切りに世界中の大自然の中でエレクトリック・トランペットを吹き、地球の鼓動と共振・共鳴する『地球を吹く(Blow the Earth)』の旅を続けた。

2007年に日本の自然を相手に演奏を始め、ドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』を制作。2012年にアムステルダム生活を終了し帰国。日本でのライヴ活動を精力的に行うとともに、2014年に音楽ダウンロード販売サイト「近藤等則レコーディングス Toshinori Kondo Recordings」をスタートさせ、多数の作品をリリースしてきた。筆者は2011年から2017年の間に何度も近藤のライヴを観てきた。筆者のフリージャズ体験の原点である近藤等則の想い出をブログ記事から抜粋することで、筆者なりの追悼文の代わりとさせていただきたい。(敬称略)

ビル・ラズウェル+近藤等則+山木秀夫+DJ Krush@渋谷WWW 2011.5.17(tue)
アンビエント風のベースのハーモニクスで始まったステージは、うねるように表情を変え、ヘヴィーなビートにのって激しいトランペットのブロウと切れ味鋭いスクラッチ・プレイが炸裂、さらに怒涛のベース・ソロやドラムの連打が満員の会場に響き渡る。近藤さんのトランペットを生で聴くのは20数年ぶりだったが、当時のストイックなプレイに比べ多彩な音色が宙を舞う演奏が印象的だった。70分強のステージを見終わった若い観客が「凄かったね~」と語り合っているのがこの日のライヴの凄さを象徴してした。

百鬼夜行の回想録~フリージャズ編:ICP BOXとICP オーケストラ(2012年12月18日記)
近藤が手がけたプロジェクトがミシャ・ベンゲルベルクとICPオーケストラの初来日ツアーである。ミシャ・メンゲルベルグ(p)、ハン・ベニンク(ds)、ペーター・ブロッツマン(sax)、マイケル・ムーア(sax)、ケシャバン・マスラク(sax)、近藤等則(tp)など総勢10名からなるビッグバンド。半分以上は初めて聞く名前だった。1982年5月8日(土)、会場は日本教育会館一ツ橋ホール。超満席だった。それまでレコードやテープでフリージャズやインプロを聴いてきて、シリアスで冷徹な世界こそ「前衛」であると思い込んでいたがそれを見事なまでにぶち壊す衝(笑)撃的な演奏だった。テクニックや音のでかさも凄いが何よりも視覚的に面白い。何度も会場が爆笑の渦に巻き込まれた。

本田珠也+近藤等則+灰野敬二+ナスノミツル@新宿Pit Inn 2014.1.21(tue)
エアシンセから始まり、宙を舞うトランペットがリードする展開からハードコアな四つ巴の鬩ぎ合いへと突き進む。渦巻くサウンドの嵐の中で灰野が「たった一度しかない今という宝物~」と歌った瞬間に四人のスピリチュアル・ユニティが完成した。哀愁のトランペットのアンコールを含み60分の旅路の果てから生還した四人の顔は全力を出し切った心地よい疲労感に輝いていた。ジャズでもロックでもなくただひたすら「音楽」というセッション。途轍もなく大きな奇跡を目撃したのではなかろうか。

ペーター・ブロッツマン+近藤等則+豊住芳三郎/マニ・ノイマイヤー+八木美知依@SDLX 2014.3.12(wed)
田原坂の戦いの西郷軍による抜刀斬り込み攻撃を思わせる切っ先鋭い音の刃は、「地球を吹く」で聴ける大地を包み込む雄大なサウンドとは別次元。70年代にトランペット一本持って単身海外に渡り道場破りのように現地の即興現場に斬り込んだ武闘派インプロヴァイザーの顔が表に浮き出る。巨体から銃撃するマシンガンタンギングと電気操作で歪み木霊するペット炸裂音が獣の咆哮のように反響し合い、野性のジャングルか砲弾飛び交う戦場へ紛れ込んだかのような錯覚に陥る。

近藤等則『地球を吹く in Japan』上映会&ソロ・ライヴ@青山CAY 2014.4.18(fri)
日本の自然は柔らかい音じゃないとコミュニケーション出来ないと言う。しかも季節によって音色を変えなければならない。そんな繊細な日本の自然の力に惹かれて3年に亘り続けた即興演奏の旅の記録がドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』。時系列的な旅紀行ではなく、幾つかの時間・場面がカット&ペーストされお互いに反響し合い、映画の中では殆ど語られない近藤の心と音楽の動き・変化がじわじわ伝わってくる。プログラムされたリズムや電子音に呼応したトランペット演奏は、かつての刃のようなフリーインプロヴィゼーションとは全く印象は異なるが、山や川や草木との対話による紛うこと無く本当の「即興演奏」である。

近藤等則+ペーター・ブロッツマン+中原昌也@恵比寿LIVE GATE 2015.4.21(tue)
中原のソリッドな電子ノイズと、近藤の浮遊するエレクトリック・トランペットが飛び交うエレクトロの嵐の中で、ブロッツマンが独り屹立する勇猛な風景を幻視したが、ステージ上ではもっと混然一体のアトモスフェアが生またのではなかろうか。それは対峙とか共感とか友愛とか交歓という言葉では表現しえない『未知の創造の場』の現出ではなかったか。

【闇夜のジャズ・カヴァー集】近藤等則『あなたは恋を知らない』/KYOTO JAZZ SEXTET『MISSION』(2015年04月29日)
俺はこのアルバムでも闘ってるつもりだよ。世界中の誰もやってないスタンダード・カヴァーをやったと思っている。ジャズのスタンダード集は数えきれないほど出ている。そして、その99%がアコースティック・アンサンブル。で、俺はそれをエレクトリック/エレクトロニックでやった。同じスタンダード・カヴァーでも、まるっきり違う背景で作ったつもり。アコースティック楽器でそのままスタンダードをやっても面白くもなんともないしね。(近藤等則談)

【トランペットの皮算用】ドン・チェリー/レスター・ボウイ/沖至/近藤等則(2015年06月10日記)
新体道で培った壮観な面持ちには、常に闘い常に交歓してきた男=漢の生き様が皺のように刻み込まれている。無伴奏ソロ作『Fuigo From A Different Dimension』(79)に於けるペットの可能性と不可能性を暴露するかのような挑戦は、今となっては忘れかけた過去かもしれないが、世界の中の日本に少しだけ引っ掻き傷を残した功績は後の世に語り継ぐべきだと信じている。

近藤等則@Red Bull Studio 東京 Hall 2015.11.29(sun)
スケールの大きな宇宙サウンドに留まらず、電子ノイズに拮抗するべく細かいタンギングで音の肌理を操作して、音階無き旋律を吐き出すトランペット奏者の心の奥底に棲みついている極端音楽家の魂を解放する。これは単なる立体音響のデモンストレーションではない。音楽家の脳内ヴィジョンを実体武装化することで、人間のイマジネーションを無限に拡張する神の所業への挑戦かもしれない。

ペーター・ブロッツマン+ポール・ニルセン・ラヴ+近藤等則「音の哲学に向けて」@専修大学生田キャンパス 2017.4.23 sun
ブロッツマンの生音に近いブロウと近藤のエレクトリック・トランペットが鬩ぎあう真ん中でふた回り以上若いニルセン・ラヴが、音のスクリーンを粉砕するドラミングの妙を発揮する。1時間あまりのセットは、緩急を繰り返す度に表情を変化させ、アコースティックとエレクトリック、ロングトーンと微分音、破壊と創造、喧嘩と仲直り、聖と俗、超自然と日常、といった形而上・形而下の概念を形成するように思えた。

浅川マキさんが逝っちゃった(2010年01月19日記)
私は1980年の「ONE」というアルバムが好きだ。川端民生(b)、山下洋輔(p)、近藤等則(tp)、山内テツ(b)という面子によるフリージャズをバックに歌うマキさんの佇まいはアングラの香りがプンプン漂う魅力的なものだ。

近藤等則さんの思い出(2011年03月10日記)
実は私は一度近藤さんを引っぱたいたことがある。混雑した井の頭線の列車の中でたまたま同じ車両になり、私が降車するときに吊り革を掴んでいた手が偶然に近藤さんの頭にぶつかったのだ。「スミマセン!」と謝ったものの、近藤さんの苦々しげな顔が忘れられない。

ラッパから
飛び出してくる
自然の音

今宵はレコードを廻しながらご冥福をお祈りします。
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