壊れかけのテープレコーダーズの遊佐嬢のツイートで國學院大学若木祭に鳥を見たと一緒に出演することを知り、ちょうど渋谷へ出る予定があったので行ってみることにした。どうやら後夜祭に出るらしい。大学に着くともう祭りは終了した模様で見物客の姿もなく学生がところどころに集まっているだけ。後夜祭の会場は中規模の講堂だった。出演スケジュール表に「30分前倒し」と貼ってある。外の階段には大勢の学生が座り込んで騒いでいるが、講堂内は閑散としていて30人くらいの客の前で鳥を見たが演奏中だった。叙情的なフォークロック・ナンバーと激烈な爆音インプロ・ナンバーの2曲だけ聴けた。高円寺ミッションズ以外で彼らの演奏を観るのは初めてだったが、大きな会場に響き渡るファズ・ギターとバリトン・サックスの咆哮が気持ち良い。激しい演奏中にスタッフが「マキでお願いします」とパネルをステージに掲げ、ギターのナカオ氏がメンバーに合図して終了。山崎氏によると前半は学生向けにビートのある曲をやり、後半本領発揮したとのこと。
すぐに壊れかけのテープレコーダーズのセッティング。オルガンを設置しドラムを調整するだけなので速やかに進行。サウンドチェック無しのぶっつけ本番だが、その辺は手慣れたもの。ギターのコモリ氏はいつも通り裸足でやる気満々。観客も徐々に増えてきた。1曲目からコモリ氏はジャンプしたりステージ前でギターを振り回したりしてトバす。前列の客やスタッフがリズムを取ってノッている。いい雰囲気になってきた。遊佐嬢のオルガンと歌も良く聴こえ、ゆさちゃん萌えの私も楽しんでいると、4曲演奏したところで主催者の学生がステージに駆け寄りストップをかける。「大学に6時半終了と申請したから」との言い分。「僕たちはオンタイムで来た筈だけど」と不満そうなコモリ氏。「アンプを使わずに弾き語りじゃだめですか」とベースのshino51氏が提案するが一切ダメだと言い張る。灰野さんや広重さんならここでブチ切れるところだが、コモリ氏は大人しくアンプのスイッチをオフにすると、生音でギターを弾いて歌い出す。完全アンプラグドで1曲演奏。観客が全員ステージ前に集まり親密で温かい雰囲気が生まれる。壊れかけならではの素敵な空間だった。
演奏が終わると他の学生たちが会場にゾロゾロ入って来る。さっきダメ出しをした学生が記念写真を撮るのでみんなステージに並んで、と呼びかけている。おいおい、6時半で撤収じゃなかったの?と思ったが、学生さんたちの祭りの最後を締める後夜祭なので仕方ないか。鳥を見たのメンバーがそれをバックに記念撮影していて笑った。
早稲田祭~國學院大學と二日連続で学園祭に行ってみて自分の大学時代を思い出した。10代終わり~20代前半の子供と大人の狭間の多感な世代に4年間(それより長い人もいるが)過ごす大学というのは非常に特殊な環境だと言える。高校までは義務教育の延長で「学校とは行くべきもの」だったのが、受験戦争を勝ち抜いて晴れて大学生になった途端に「学校はサボってもよい」ものになり勉強以外の楽しみを多数経験することになる。サークル活動やアルバイトや学外での社会活動など、それまでの制約から解放され自由な世界へ投げ出される。卒業して社会へ出ると「社会人」としての責任を負わされ、また制約に縛られることになる。自我が芽生えて以降、何物にも縛られない自由を満喫できる4年間というのはとても貴重かつ不思議な世界だった。
昼に起き出して学校へ行き学食で食事、そのまま授業に出ないで喫茶コーナーか部室でダベッて時間を潰したり楽器の練習をしたりして、夜はコンパで街へ繰り出す。試験が近付くと回ってくるノートを持って10円コピー屋へ。学園祭になると俄然張り切ってチラシやパンフレットを刷ったり看板を描いたりして準備し、当日は一端のミュージシャン気取りでステージに立ち内輪ウケの大騒ぎ。まだ学生運動の名残があり、夜に過激派が”学園祭粉砕”と攻撃してくるかもしれないと機材を守るために教室に泊まり込んだこともあった。最近どこかの大学で酒を飲んで騒ぐ学生がいるので学園祭が飲酒禁止になったと聞いたが、当時は酔った勢いの器物破損行為や救急車の出動は日常茶飯事だった。
大学生が全員そうだとは言わないが、今思うと余りに自堕落で非生産的な4年間だった。しかし社会へ出る前のモラトリアム期間として必要だったのかもしれない。大学に行かず社会に出た方からは「甘えるな!」と怒られるだろうが、どうしてもあの自由な世界に甘い郷愁と羨望を抱いてしまう。このブログの読者に大学生の方がいたら言っておきたい。人生に一度しかない完全なる自由を有意義に楽しんでほしいと。
女子大生
その特権は
今だけよ
学校へ行ってきます。