マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

港神戸ぢゃ味噌だぜぇ

2011-02-16 11:09:15 | Weblog

むかし、餃子はそれほど食べられていなかった。 餃子より焼売の方が先輩格だ。焼売は華僑たちが持ち込んだもの。焼餃子は、水餃子の余りものとして翌日、自然に凍った餃子を鍋で焼き直して(だから鍋貼と称す)食卓に出した。
そいつを憶えてきた中国東北地方からの引揚者たちが、戦後に渋谷恋文横丁辺りから始めた、というのが定説になっている。いつの間にか餃子人気はうなぎ昇りとなり、今や中華から独立した国民食の一つとなっている。





ここは港・神戸。神戸で焼餃子といえば、味噌だれで食べる。なぜか神戸だけにある食性。
大陸にいる時、日本人たちは黒酢を受け付けず、味噌で食べていたということで、
戦後、南京町のぎょうざ苑が始めたといわれている。すでに60年。
元町「赤萬」も50年近いのではあるまいか。





味噌だれはだしで延ばしてあるのだろう。ニンニクもきかしてある。
二つの味で食べられるのはうれしいね。


味噌餃子、文句なく美味い!


それと、どうしても必要となるのは・・・・・





これだ! これは不可欠。

一心不乱に餃子つまむ → たれつける → 口へ運ぶ → 咀嚼する → ビールを流し込む、を繰り返すと、

2人前なんて、あっという間になくなった。






それにしても、なぜ焼売は餃子に大きく水をあけられてしまったのだろうか。
高度成長期の、王将などのめざましい躍進。ビールとの抜群の相性にもよるだろう。
もっちゃりした焼売の食感より、バリッとした鍋貼の歯切れのよさが好まれた。
時代の空気というのもあるだろうが、あんに入れたニンニクがポイントかもしれない。
ニンニク=精がつく。大いにスタミナ食として、働き手たちの栄養源と理解されたこともあるのだろう。
そういえば、やたら嫌われたニンニクの匂いも、韓流などの影響もあるのか、それほど言わなくなった。



             餃子舗  赤萬      神戸市中央区北長狭通り2