いつの間にか肉料理といえば、焼肉になってしまった。
ソウル五輪の88年(パルパル)辺りから、巷に焼肉が増え、家庭で当たり前のようにキムチが出て、
完全に焼肉は一ジャンルとして市民権を得た。
しかし、あえて言いたい。 諸君ら、ビフテキを忘れていないだろうか。
いくら良い肉であっても、薄切りにして炙り、タレで食べたりする焼肉では少々感動が薄くないか。厚切りにし、コックさんが仰々しく焼いてくれ、ぐわしっと噛む喜び、ビフテキのダイナミズムこそ、大いなる野生時代への回帰。ステーキとコリアンバーベキューでは土台土俵が違う。声を大にして言いたい、「汝のテキを愛しなさい」。
焼肉けっこう、塩で始めて、タレでご飯を行くうまさは、拙者も認めるところ。だが、焼肉はあくまでも日常の延長線上にある。たまにはハレの直会である最上の肉・ビフテキを忘れず味わってもらいたい。
というわけで、記念日的な日に、目指す店へ。
阪急 桂駅からたっぷり歩く。 これから肉を食いに行くと思えば、なんでもない。
このキッチンから味は紡ぎ出される。 新しいとはいえないが、よく手入れされている。
鍋前の磨き込まれた壁を見よ。浅田真央が滑り出しそうだ。
洋食屋のいいニオイがし、今から始まる饗宴の気配が漂っている。
まずは定番のジャガイモのオーブン焼き。
ここは近江牛の専門店。ミスジを造りで。
明治の文明開化の時代から、こうして牛肉をワサビで食べたりしていた。
日本人だなぁ。
タン塩焼き レモンなし。レモンは臭みをカバーするためにある、カバーする必要なし。
グラスワインはもう少し種類を増やして、いいグラスで出すと料理も引き立つだろう。
イセエビのポワレ ソース・アメリケーヌ
むちゃくちゃ美味い。 皿まで舐めたい。
スープ コンソメジュレ
クラシックな手間のかかるコンソメをコツコツとるような店も
少なくなった。そうすると技術の伝達も途絶えてしまう。
ステーキはロースとフィレ
ご主人の信条は「いい牛肉は小豆色をしている」 小豆色が空気に触れると発色して、
食欲をそそる色へと変わって行く。
これをここでは分厚い鉄板で焼く。塩と胡椒。ブランデーでフランべ。
歯が入るごとに肉汁がにじみ出し、肉本来の味が広がる。 これはなかなか焼肉では味わえないのだ。
いい肉だからいたずらにレアにすることもなく、キツネ色のもっとも食欲をそそる色合い、焼き具合。
辛子を塗ったり、ニンニクチップを添えたり・・・悦楽の境地をさまようばかり。
主人はウソだらけの食肉から、飲食全般に対し、我慢すえかねる人で、「どない思います?」と
当たるを幸い、ぼやきまくる。 ぼやきと言っては語弊があるか。
世の中、合理主義、拝金主義になってしまい、儲けたものが勝ちになってしまった。
それは飲食店や食に携わる人間にとって決していいことばかりではない。
肥育して屠畜し、精肉業者におろす。この一連の流れの中にも、高く売るためには脂肪交雑にする。
シモフリにするために、あらゆる方法を駆使し、結局は牛自体に負担をかけて作り上げることになる。
それを無知な人間は美味い、美味いと食べる。なぜなら、ほんまもんの味を知らないから。
手間暇かけて、値段も張るほんまもんは陽の目を見ず、生き残っていけなくなる。
偽物ばかりが横行してそれが正常と言えるか。 主人の嘆き節は続くのである。
気持ちは大いに分かる。憤りも悲憤慷慨もしたいとこだが、こっちも一応、記念日なので…。
たまに来たのだ、これで終わってなるものか。
胃袋の中のステーキをよいしょと片隅に寄せて、さらにオーダーしたのは・・・
うひひひ、ハンバーグステーキ。
子供っぽいと笑うがいい。
リング型で焼き上げ、真ん中にポンと生卵を割り入れ、再びオーブンへ。
ナイフをいれるとハンバーグのダムが決壊、デミグラスソースの海へ。
ああ、このまんま、このソースの中で溺れ死んでしまいたい。
いやいや、ご飯を食わねばいけない。
ああ、なんとご飯が美味いこと。 これやぜ、これ!
諸君、洋食屋のご飯は美味くなければならんのだよ。
デミグラスソースにご飯を入れてまぶしたり、ひと匙とて無駄にはできない性格である。
一度ソース作って見たまへ。どれだけ具材が必要になるか。
イセエビの頭の赤だし この贅沢、何をかいわんや
ケーキもご主人の手による。 もう堪能!
ウイスキーを一杯所望すると、ブルイックラディ15年というスコッチを出してくれた。 アイラの名酒。
主人は、いい肉はもたれない、毎日でも食べられるというのだけれど・・・
毎日食ったら、財布の方がもたず、暮らしの心配で胃がもたれるだろう。
ちょいと散財の夜。 仕事ガンバって、一夜、肉世界にどっぷり浸かりたいという向きには、お勧め。
くいしんぼう 山中 京都府西京区御陵溝浦町 物集女街道 西京都病院スグ