マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

うどん族の一斉蜂起

2009-02-08 17:27:20 | 

北新地のイタリア料理屋でその会は開かれるというのだが、
迷いまくった。かっちょわるー。



店探しの最中、堂島川の美しさに足が止まった。

ようやく辿り着いた時には宴たけなわ。
大阪の讃岐うどん店の集まり、通称「新麺会」初めて寄せてもらう。
参加者およそ150人!くらくら・・・もし讃岐うどんがご禁制になったら、
警察はここに踏み込めば一網打尽である。



各会派というか各派閥というか、グループが次々に紹介される。
職人の縦の関係をなかなか目にすることがないので興味深かった。



まずは、八尾の『一忠』グループ。
右から二番目の森岡さんと、そこで修業した山田製麺所、桂ちゃん、
一心(か一誠)のみなさん。
一忠は私が言うまでもなく、釜揚げうどん一本で名をなした。
讃岐の長田に飛び込み修行し、今や長田の仕事を見られるのは一忠のみともいわれる店。弟子たちはその釜揚げうどんを継承する。



次は新麺会の世話人、木田武史、たけちゃんの『釜たけうどん』ファミリー。ご自分も脱サラで讃岐の三徳に飛び込んだので、真面目に研究する人にはやさしい。讃州、釜ひろ、その他大勢の職人を輩出している一大勢力。誰が誰か顔がよくわかりません。



釜たけ出身の久保さん(前右)率いる「情熱うどん讃州」グループ。
短い期間にもう一家を成すようになったとはすごいパワーや。
たけちゃんから見れば孫弟子にあたるわけ。



「エロエロ一派」と紹介されていた、さらボン父率いる門真のうどん店、
『三ツ島更科』グループ。30有余年うどんを続けて、このとっぽさ。
去年関西一週間でベストうどん店に選ばれ、意気軒昂!新作も次々打ち出し、剛麺という太打ちで勝負する店。これは行かねばならない。

他にも門真の『やしまグループ』がいたし、宮崎や鳥取からもうどん屋さんが来てた。つまり日本一の讃岐うどん結社と思っても間違いなかろう。大手も無視できぬと見え?こんな方も・・・




中吊り広告でもおなじみ。H百貨店のカリスマバイヤー、薬師寺さん。その他、製麺所、出版関係、麺系ブロガー(これを追っぱらわず、うまく使うのが新進讃岐うどん隆盛の遠因でもある)、などのテーブルがある。



昨年、注目すべき活躍をした店には日本コナモン協会から、その栄誉をたたえ、賞品を授与される。やなもり農園の野菜である。変な賞状をもらったりするより、よほど気がきいている。去年ブレイクした千日前「白庵」、滝井「踊るうどん」、江坂「紅葉庵」、谷九「皐月庵」さんなどが登場。



熟年で自家製麺で踏ん張る服部の「銭形」さん、「一忠」さんにも
功労賞?が贈られる。



これだけ横のつながりができたのには、やはり釜たけ木田さんの人柄、バリアを持たない懐の深さが作用しているだろう。うどん店ができたと知るや何処へでも出かけて行き、助言を惜しまない。

味なんてものは他言厳禁、一子相伝のものとすべし・・・という考えもあろう。だが、ことは吹けば飛ぶよなうどん屋である。情報を共有し切磋琢磨することでレベルの底上げに成功し、客はリピーターとなり、それぞれ生活できるようになる。口で言うのは簡単だが、なかなかそうはできない。
つまりはコーディネートできる人材が大事なのだ。これは他業種でも通用することだと思う。

ちなみに、この夜は一切うどんは出ませんでした。誰のを出すかでもめますやろ~。

コメント (3)
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いいメロディは頑丈な家屋のごとく

2009-02-08 02:22:26 | 音楽

…ってことを言ったのはフォーク歌手のピート・シーガーだったと思う。
頑丈に作られた建物は、学校に使われ、集会所に使われ、病院に使われして、時代が変わっても生き残って行く。

歌もそれと同じで、歌詞を替え、意味を替えて生き残って行く。
「リパブリック賛歌」がいい例かもしれない。


John Brown’s Body・・・と歌われたのは南北戦争の時代。
おたまじゃくしは蛙の子、ごんべさんの赤ちゃんが・・・と童謡になり、
まぁるい緑の山手線・・・とカメラ屋のCMソングにもなる。そういえば、大正時代には花の歌にもなったはずだ。

それを聴いたのはTBSの小沢昭一的こころ。大正時代の演歌師が
路上で歌ったというその歌を、小沢さんは朗朗と歌った。
そのタイトルが思い出せなくて、気になってあちこち探し回り、
「いきすいあわれいとおかし」さんのブログで見つけた。
そうそう・・・ばらの歌だった。平凡過ぎて、かえって覚えられない。

かつて歌詞をメモったが、完璧に抜けております。
平身低頭、謹んで拝借し、ここへ再録させていただきまする。
こんな歌知ってる人も、大概いなくなっているんだろうなぁ。


   『ばらの歌』 (大正5年)

  詞 神長瞭月(1888-1976) 曲リパブリック賛歌 


  小さな鉢の花ばらが
  あなたの愛の露受けて
  薄紅の花の色
  きのう初めて笑ってよ


  堅いつぼみに口当てて
  小雨降るような夢ごごち
  あなたは何を話したの?
  花はあなたを待っててよ


  光り輝く春の朝
  花の霜露身に受けて
  匂い染めたるミルド駅
  どうぞ愛してちょうだいな


  花を尋ねていでしまま
  帰らぬ人の恋しさに
  丘に登りて名を呼べば
  山びこばかりが答えてよ


  月のある夜がおイヤなら
  昨日も今日も闇夜だわ
  花に変わって私から
  おいでなさい、と待っててよ


  あなたのお家は川下よ
  私の家は川上よ
  ところ一里をへだつとも
  想う心はひとつだわ


  あぁ川上よ、川水よ
  あなたのほうへと流れてよ
  だから水際に降り立ちて  
  わたし毎日歌うのよ


  西と東に別れても
  白雲遠く隔つとも
  体二つに違っても
  結ぶ心はひとつだわ


いいでしょう?この歌が埃っぽい書生節だの添田唖蝉坊の歌に挟まって歌われたというのだろうか。「笑ってよ」「待っててよ」が久保田万太郎の芝居のようでもあり、小津安二郎映画のセリフのようでもある。こんな品のある日本語が使われているのだ。愛唱歌に加えたい。

コメント (4)
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