遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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もうすぐ花見

2017-03-31 04:28:35 | 雑感

まだ桜は咲いていない亀城公園

それでもほころび始めた桜

露店だけは張り切っている

そろそろお花見のシーズンだ。我が家の近くではなんといっても亀城公園だ。というところで下見に出かけた。駐車場には車が一杯止まっていた。警備員も出て交通整理をしている。が肝心の桜はまだ全然と言っていいほど咲いていない。陽気ははポカポカでまさに花見に出掛けるには丁度よい。露店もあちこちに店を出しお客を呼び込んでいる。

池の水もぬるみ、鯉や亀がのんびり浮かんでいる。近頃の寒さで花だけが遅れている。池の近くの橋の袂で一本だけ花がほころんでいる桜を見つけた。桜まつりのぼんぼりも張り巡らされ、もう何時花見シーズンが始まってもおかしくない。公園下の広場でシートを広げ、花見の宴をしている母子が居たが、やはり花が咲かないと盛り上がらない。

後4,5日で花見のシーズン到来と見たがいかがだろうか。

不気味な足音が聞こえる

2017-03-30 04:49:48 | 


青木理「日本会議の正体」平凡社新書 2016年刊
なぜ、安倍晋三は「美しい国づくり」を呼号するのか。なぜ教育基本法を改定したのか。なぜ安保法制を変えたのか。なぜ秘密保護法を制定するのか。そして共謀罪を新設しようとするのか。

この本で解き明かされる「日本会議」の実態からこれらの問いに対する回答は得られる。閣僚20名のうち13名、官房スタッフ5名中4名が日本会議のメンバーである。現実には元号法制化、国歌国旗制定法、などを成立させ着実にその成果を上げてきている。

その源は新興宗教の「生長の家」と神社本庁によるもので、教義は成長の家谷口雅春の唱える復古主義、資金、動員は神社庁が受け持っている。その主張するところは①天皇、皇室天皇制の護持とその崇敬、②現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破、③「愛国的」な教育の推進、④伝統的な家族観の固守、⑤「自虐的」な歴史館の否定など、民主主義、国民主権、を否定し、国家主義を持ち込むかなり復古的なものである。

敗戦を経て反省された、国家主義や天皇主権などの復興を掲げる、かなり右翼的な主張を繰り広げている。最近話題の篭池氏の学校の教育そのものである。これらの活動は当初左翼学生運動に対抗するものとしてうまれた。次第に力を蓄えてきたが、今や左翼自体が衰えて、相対的にこれらの右翼的活動が浮揚してきたものとも言える。

大戦への反省どころか、明治への復帰を目指すこの団体の台頭はまさに日本を危機に陥れんとするものであり十分警戒せねばならない。現状を鑑みる時、戦前の軍国主義の足音を聞き、考えすぎかな、と一瞬思ったが、これらの組織的な活動、運動を思い,暗然とするのは私だけであろうか。

シュラスコレストラン

2017-03-29 04:29:07 | 雑感


週末、東京の息子ファミリーと孫の入学祝いをしに行ってきた。生憎の雨ではあったが、さすが東京。六本木あたりは大変な人出であった。息子夫妻が選んでくれたレストランはブラジル料理のシュラスコ。最近肉の偽装で話題のブラジルだが、ここなら大丈夫と思わせる店構えと、串焼きだった。

バッフェになっているサラダバーと、肉を焼いた串をテーブルに持ってきてそこで切り分けるサービスで、年甲斐もなく肉を満腹になるまで食べた。牛肉は各部位を別々に焼き、その他羊、鳥、ソーセージなども焼いてくる。ワインもデキャンターで運んでくるので、ゆったり、たっぷり飲める。

見回せば若い人が殆どで、大盛況であった。東京はお金さえ出せばこんなサービスを受けられる。しかも法外に高いものではなく、まずまず我々にも手の届くところのサービスである。孫も花火付きのケーキでお店から祝ってもらい大満足で店を出た。

古都ぶらり⑦ 金閣寺

2017-03-28 01:22:37 | 行ってきました

金閣

案内板と世界遺産表示

鏡湖池の前で

陸舟の松

本能寺の裏手から30分ほどバスに乗り、終点が金閣寺だ。3連休の初日とあってここも大勢の人、警察官が交通整理に出るほどで特に中国人の団体が6割位押し寄せていた。ここには何年ぶりに来るのだろう。雅な金箔の姿はそんなに変わっていないところを見ると3年以内なのだろうか。

タクシーの駐車場、バスや車の駐車場を抜け、境内に入ると右手に案内板が掲示してある。そのまますすむと「世界遺産の」石の石碑、その脇の短い石橋を渡って場内へ。この短い橋が一休禅師が、「橋を渡らずに入りなさい」と言われ、「それでは真ん中を通ります」とダジャレで切り抜けたいわくつきの橋だそうだ。

入場料を払って入ると、入場券の代わりに御札をくれる。拝観料課税に対する抵抗なのだろうか。京都宗教界の気骨を感じた。はいってすぐ鏡湖池越しに金閣を見る。池に写って綺麗だ。外国人も日本人もスマホでの撮影に余念がない。

池を巡って回り込むと、鹿苑寺の方丈、書院方面に出る。そこに有名な盆栽「陸舟の松」がある。見事な棚状の松である。そこからまた金閣に近づく。昭和61年に行わえた大修理では約20kgの金箔が使われ、当時の金額で7億5000万と、それを上回る漆が使われたという。足利義満は草葉の陰で大喜びだろう。3層からなるこの建物は仏舎利等で1層は寝殿作り、2層は武家造り、3層は中国風の禅宗仏殿作りと、各層が異なる贅を凝らしたものになっている。


芦原島

各層の違いがわかりますか?

天頂に聳える鳳凰

龍門瀑と鯉魚石

この他ちょっと鄙びた夕佳亭等をみて、金閣の見学を終えた。出口付近は中国人でごった返し、それを目当てのお土産屋やアイスクリーム屋が商売気たっぷりで呼び込みを行っている。旅の終わりは少々味気なかったが、再びバスに乗り、四条烏丸で下車。街歩きを楽しんで京都駅に着いた。京都は路地も良い。風情がある。


京都駅到着

古都ぶらり⑥ 本能寺

2017-03-27 00:44:30 | 行ってきました

本能寺跡記念碑

本能寺跡

現本能寺山門



宿泊していたホテルからまず向かったのは本能寺跡。実は現存している本能寺は光秀の謀反の翌々年現在の場所に移転して建てられた。そこで実際に変のあった場所に赴いた。そこは現在住宅地内の小学校になっており、は記念碑が残されていた。移築された寺では度々火災が起きており、本能寺の能にヒヒとあるのが縁起が悪いという説まで囁かれたという。

ここで日本の近代史の幕開けを行った、天才信長が没したと思うと感慨ひとしおである。周りを暫く徘徊した後、現在の本能寺に向かう。そこは京都府京都市中京区にある、法華宗本門流の大本山という、由緒正しいお寺だ。寺町商店街のアーケードの端にある。ここには立派な碑が立っており、信長の廟もある。変のあった場所から移設されているのは残念だが、日本の近代を開いた偉人に手を合わせ、廟横の河原町通への路地を抜けて、バス停に向かった。

古都ぶらり⑤ 六角堂

2017-03-26 08:36:27 | 行ってきました


六角堂

翌日ホテルを後にして今日は何処に行こうかと家人と相談し、本能寺、金閣寺と概ねのコースを決める。まずは本能寺であるが途中六角堂へ立ち寄る。聖徳太子によって創建された六角堂は、本尊如意輪観音像が人々の信仰を集め、西国三十三所観音巡礼の札所となった。親鸞が参籠したことでも知られる。また、町衆の心の拠り所となり、京都の中心と認識されるようになった。ここは華道の池坊の発祥地で生花はここから始まったと言っても過言ではない。

門から見るとこの寺頂法寺はなんの変哲もなく、シダレヤナギにおみくじが結んであるふつうの寺である。前は六角にもなっていないが、裏へ回るとこの名前の由来がわかる。また横にはガラス張りの池坊会館がそびえ、裏の池には生花らしきあしらいがされている。浅い池には鯉が放たれ、隣の石造りの池にも鯉が沢山泳いでいる。

こんな風に角をふと曲がると、◯◯発祥の地、とか✕✕ゆかりの寺、というのが至る所に出てくるのが京都である。これも風情の一つかと妙に感心しつつここを後にする。

古都ぶらり④ おばんざい

2017-03-25 07:58:11 | 行ってきました

お店の入り口

カウンター席

京都のホテルは突然のことなので、贅沢は言えず、空いているところに滑り込んだ。それでも四条通りにある宿でシティホテルであった。夕食をどうするかホテル備え付けの雑誌「ホテチカ」を、パラパラ繰っていたら目についたおばんざいの店へ電話したら、カウンター席ならOKですとのこと。

歩いて10分位のところにある、その店「五黄の寅」に行ったら、少し若向きではあったが、感じの良さそうなところ。私の京都嫌いは「お高く止まっているところ」「本音をなかなか言わない」「食べ物が高くて少ない」辺りに原因があるのだが、暖簾を分けて入ってみると、若者が入口近くのテーブルでもうパーティを始めている。奥のカウンターは幅広で、正面が行灯になっている。若い料理人が相手をしてくれるのがソフトで好感が持てる。

カウンターに座るとまずウエルカムドリンクが出てくる。猪口一杯分の飲み物だがちょっと洒落ている。対応が妙に元気が良すぎず、さりとてグズグズするでもなく、ソフトで感じが良い。すっかり気分を良くして、酒の肴3種、おばんざい5種盛り、を頼み日本酒の選定に入る。メニューに沢山ある銘柄の中からこちらの好みを聞き「それならこの酒はどうでしょうか」少し辛めではありますが」とあくまでも若者らしく控えめである。

店の雰囲気、出て来るおばんざいの薄目の味がすっかり気に入って、日本酒を3杯もお代りして気持ちよく酔っ払った。最近の京都は良くなった。


料理の数々

古都ぶらり③ 八坂神社

2017-03-24 04:57:13 | 行ってきました

八坂神社 南楼門

舞殿の提灯

本殿

高台寺から圓徳院、掌美術館を過ぎ「ねねの道」を通り、大雲院方面に向かう。大雲院手前で左折し、少し坂を下リ、今度は右へ曲がる。其処は工事中だが、八坂神社の南楼門である。花街が近いせいか、商売繁盛、縁結びの願い事が多そうだ。連休前、卒業式とあいまって若い人中心にごった返している。本殿の前で手を合わせ、祇園、河原町の方の出口、西楼門の方へ向かう。

神社の朱塗りの柱と、若い人の華やかな着物、袴姿で一遍に周りがぱあっと明るくなるようだ。日本の古都へ来た感一杯である。但し私にはよくわからないが、家人の言によれば、レンタルの着物はほとんどが化繊で、柄もオールシーズン着られるものが多いとのことだ。若い人が喜々として着物に袖を通し、次第に着こなしてゆくようになればそれはそれでまた楽しいことである。

ここから、京都随一の繁華街を西へ向かい、四条河原町の交差点を目指す。お土産、和菓子、油取り紙、コーヒー、旅館、など様々な業種のお店が並ぶ通りをひやかして歩く。間口の小さなお店が多いが、ショーウインドーや貼り紙にはかなり神経を使っている。今風に言えばプレゼンテーションというやつだ。これがかなり京都を意識させる素晴らしいものが多い。

四条河原町を右折し、錦市場に入ってからも感じたのだが、つい手を出してしまいそうな商品展示がしてある。大阪のように「売らんかな」というギラギラしたものはないが、「よかったら手にとってみて」という感じである。それに、ふと角を曲がると、どこか歴史や小説で名を聞いた旧跡やお寺などが現れる。それらの空気もコミで我々に迫ってくるところが憎い。

京都は名所旧跡だけでなく、街歩きそのものが魅力的なところだと、遅ればせながら今回やっと認識した。


西楼門

四条河原町方面から西楼門を見る

古都ぶらり② 高台寺

2017-03-23 03:39:12 | 行ってきました

高台寺入り口

茶室

小堀遠州作の庭園

二年坂を降りてきて高台寺にぶつかる。広い駐車場にバスや乗用車が沢山日差しを浴びていた。拝観料を払って中へ。いきなり小ぶりな茶室がお出迎え。利休好みの侘び寂びの風雅な建物だ。高台寺は以前同年会の旅行できたことがある。秀吉没後、北政所(ねね)が1606年開設した寺で、家康の政治的配慮から、多大な財政的援助を受けて創設されたと言う。勅使を迎えた方丈はゆったりとした作りで、白砂が敷き詰められ反射で室内が明るくなるようにしつらえてある。池を跨いでつながっている渡り廊下も瀟洒な作りで、なんとなく女性的に感じる。明るい庭園は小堀遠州作の石組みが施され、心地良さ気なリズムで満たされている。


方丈前庭と勅使門

方丈前庭

観月台

楼船廊

臥龍廊

第一世の住持三江紹益前肢を祀る開山堂には、北政所の御所車の天井、秀吉の御座船の天井がそれぞれ用いられている。なかなか豪華である。臥龍廊で結ばれた御霊屋は秀吉と北政所を祀ってあり、もっとも山側に位置している。北政所像の真下には今も甕棺に収められた遺体が埋まっているそうだ。

ここからさらに山側に登ってゆくと、傘亭と時雨亭に行き着く。桃山から移設したこの茶室は利休が設計し、移設後二つの茶室をつなげたのは小堀遠州だという。秀吉の初期の頃なのか、利休の強い指示なのか、いずれも鄙びた佇まいで、秀吉好みの黄金の茶室の面影は微塵もない。傘亭は船が乗り入れられるような作りになっており、これが凝った趣向ではある。時雨亭も掛け軸の代わりに窓から見える景色をそれに見立てるという施行が行われている。

団体旅行できた時にはない、じっくり、ゆったりした時間の流れの中で、過ごすことができた。


御霊屋

傘亭

時雨亭

遠景

中門からの開山堂

見事な竹垣

八坂さんへの道


古都ぶらり① 五条坂

2017-03-22 06:46:11 | 行ってきました

大谷本廟

京都駅を降り立ち、駅ビルの中で昼飯の腹ごしらえをした後、ブラブラと三十三間堂の方へ歩き始めた。3連休前日なので、結構人は多い。京都国立博物館、妙法院、馬町と見どころだらけの今日の町を歩き、五条坂の大谷本廟へ到着。親鸞聖人の墓が此処にあるそうだ。中国語が飛び交う。学生、生徒も多い。ここから五差路を通り五場坂を上る。ぐっと人通りが多くなる。

まるでお祭り当日のような混雑だ。清水寺への道は喧騒を極める。坂を登り左に階段を降りる。産寧坂(三年坂)だ。着物を着た男女が増えてくる。


五条坂

三年坂入り口

三年坂


二年坂入り口

二年坂

よくわからないが、国光大師ゆかりの寺の脇を通り、今度は二年坂へ。同じような店構えのお土産屋さん、旅籠、食べ物屋などが並ぶ坂道を下る。清水寺の人気は何なのだろう。人がほとんど切れ目なく続く。着物の着こなしが乱れている人が少なからず多い。外国人である。コスプレ感覚なのだろうが、やはり着こなしや精神も同時に伝授したら楽しい思い出になるのだろうにと余計なことをつい思ってしまう。



道が平坦になり、竜馬の廟がある護国神社への道と別れたら、高台寺への入り口である。人も少し少なくなってきた。