遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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損して徳とれ

2009-02-27 10:23:51 | 雑感

よく「ギブ・アンド・テイク」というが、今年、「プチ紳士を探せ」運動をしている志賀内さんの講演を聞いて、ギブ・アンド・ギブが正しいことが分かった。「損して得とれ」ではなく「損して徳とれ」である

以下はこんなことに関連して、社内報に載せた文からの抜粋である。


企業は利益を上げねば存続できない。
しかし、目先利益を上げるという事にのみ走ると、逆効果になる。
赤福、船場吉兆、ミートホープ、三笠フーズなどを見ても、あきらかだ。

「やずや」や「ドモホルンリンクル」などの企業・商品イメージは上記の企業と
は対極にあるものを訴えていて、それで業績を大きく伸ばしている。

もう20年近く昔になろうか。得意先の一つに、毎回テキスト代に500万ちかくの発注額で、しかも現金を払ってくれる研修団体(宗教団体)があった。深夜TVでその研修生の、非科学的な研修での死亡が報じられ、高額な研修費もサラ金から借り入れてまで支払わせていると言う報道があった。この報道を吟味し、ビジネス上では、良い顧客であったが、この団体とはすぐに取引をやめた。一年後その中心人物が逮捕されたが、幸い当社には影響は無かった。

これらのことを考えると、「利」の前に「信義」が大切な時代になっているように思う。「利」は私たちの都合であり、信義はお客様との間に結ばれる信頼感である。私たちの都合に合わせてくれるお客様はいないのが普通である。

私達がやろうとしている「顧客別CSNo1」「アフターサービス重視」はまさにこのことを指摘している。信義を大切にすれば「利」はついてくるのではないだろうか。
「信」が源であり「利」は結果であるともいえる。或いは「信」は土壌であり、「利」は果実である。同じように「拡大」の前には「充実」が必要である。業容拡大の前に、質の向上がやられているのか、厳しく点検せねばならない。

これはテクニック論ではなく、企業の本質的なあり方に対する問いかけである。   以上


ちょっと肩に力が入っていますが、目先の「利」にどうしても走りがちな風潮に流されないようにしたいと言う願いから出たものです。

学問のすすめ

2009-02-26 08:54:21 | 

 知人に借りた福沢諭吉「学問のすすめ」を読んでみた。100年以上も前に(1872~6年)記された内容であるが、現在にも警鐘を鳴らしているようなものである。

 全17編分冊で発行され、20万冊以上売れ、偽本も出た当時のベストセラーである。当時の人口3500万人からすると、160人に1人は読んだ計算になるというからすごい。

 ご存知のように、この書は、教養を深めると言うのではなく、自由民権運動の精神的支柱であった。有名な「天は人の上に人を作らず、人の下に・・・・」と言うのは米国憲法からの意訳である。この本の前半はウエーランドの「修身論」の解説書であり、後半が日本の実情に合わせた福沢の見解が展開される。

 明治初期と言えば、気骨ある人が市井のいたるところにいて産業を振興し、国家建設のために情熱を燃やしている官僚が天下を牛耳っている、と言う印象を持っていたのだが、どうもそうでもないらしい。お上は今の官僚と同じく、事なかれ主義、ご都合主義に流れている。それを打ち破るには、なんでもお上に任せるのではなく、正しい義を通すことである。今流に言えば官から民への流れをすすめている。そのためには国民が賢くならねばならぬ。と啓蒙している。こうした運動が、我々のイメージしている明治と言う時代を作り上げていったのかもしれない。

家父長制、議院制など社会システムの変更はもっと柔軟に行え、と彼はいう。学問は教養ではなく、実学(科学も含む)であるべきだ。と言い、自身も勧めを蹴って、政府に属さず慶応大学を創設し、新聞(時事新報)を発行し啓蒙活動を展開した。

 これらの内容が、今もって当てはまると言うのが、古典たる所以だが、社会も根源のところでは、進歩が少ないのだ、と認識した書物であった。

セルトニン  早起きは三文の得

2009-02-23 09:48:18 | 講演録

 北京オリンピックに、アメリカのスポーツメディカル・コンディショニング・ドクターとして参加した、知人の今井美香さん(プライマリー ケアシス代表)のお話は面白かった。
彼女は選手が最高のパフォーマンスを見せることができるような体調管理をして、勝負どころ、最後の頑張り、集中力の発揮をするよう指導した。
それをアメリカらしく、主として脳のメカニズムを中心に解明した理論を応用したという。

以下が話の内容である。

○外部刺激(見る、聞く、触れる、語るなど)は主として私たちの前頭葉で受け止められる。そこで必要な栄養素は炭水化物である。
○その刺激を整理し、蓄積するのを「海馬」で行う。集中力、持続力、決断力という風に整理され蓄積される。
その作業はメラトニンという睡眠をコントロールするホルモンにより司られ、蛋白質により助長される。
○そこからアウトプットするのをセルトニンというホルモンが働く。

メラトニン*睡眠を司る。pm10:00~am2:00に良く働く。蛋白質摂取が必要。
      レム睡眠=体力、ノンレム睡眠=精神の回復 90分サイクルで動く。
      3時間~4時間半の睡眠で回復できる。7時間眠ると若々しさが保てる
      7時間以上眠ると逆に免疫力が減少
セルトニン*達成感、充実感を生み出す。不安感を除去。ビタミン、ミネラル、朝日を浴びる事により生成。野菜、果物、海草、きのこなど。     練習日誌などを読み返し不安感を除去するのも有効。イメージトレーニングを有効化する

ビジネスの場でもセルトニンで、α波を出し、パフォーマンスを良くする、成功体験を振り返る、などは有効ではないか。
叱咤激励はβ波がでやすい。目標を達成した人には更なる数量の上積みではなく、質的な向上の目標が有効である。
また日誌をつけておき、努力の跡を振り返るのも有効である。

NASAで開発された技術が民間産業で応用されたように、またブートキャンプで軍隊式のトレーニングで、ダイエットや体力作りがされるように、オリンピック選手の体調管理や、最高のパフォーマンスを引き出す技術が、私たちのビジネスや、個人の健康管理にも応用できるのは面白い。

 何故日本選手は本番、決勝戦で実力を発揮できず、アメリカ選手はできるのか。α波、β波のだしかたの違い、と、科学的な根拠を理解しているコーチの有無が大きいそうである。

 早寝早起き、朝日に向かって合掌、など日本古来からの習慣は、意外に近代医学的な根拠に合致していた。ビジネス分野でも応用できる点は多い。

大変興味深いお話であった。

お年玉(4) 最終日

2009-02-17 08:21:04 | 行ってきました

いよいよ当選旅行も最終日となった。本日もオプショナルツアーで、水上マーケットへ。

昨夕、オーダーしておいた、背広、ワイシャツを受け取りに行ったが、すでに仕上がっていた。
さすがに応急仕立てだけあって、やや雑であった。
ワイシャツはまずまず。インド人店長は更に、ネクタイ、家内へスーツを勧める。あくなき商売人魂だ。

さて本日は7:00ピックアップなので少々ゆったり。途中で若い新婚さんと合流。第一目的地ココナッツファームへ行く間、ずーと二人は眠っていた。途中塩田地帯を通り抜ける。
ファームは、果肉を煮詰めるだけの。簡単な加工所。椰子の実は外側の毛、殻、ジュース、果肉も捨てるところなく活用されている。

水上マーケットは想定より小規模であるが、お客が多く活気ついていた。いまや大半は観光客のようだ。
周囲の運河をスピードボートで走り回り、終点で100m四方足らずのマーケットに到着。ざっと見ればOK。

続いて木彫り工場見学。「チーク材(柔らかい)を丁寧に」認定職人が彫っていた。日光東照宮の細工より細かく立体的な彫刻だ。

お昼でツアーは終了。ホテルへ戻り、モノレール(スカイトレール)に試乗。サヤーム地区(タイの原宿)へ。若い人で賑わっているショッピングセンターだ。名古屋と殆ど変わらない。展示や店舗などはむしろ垢抜けている。ココナッツチョコレートをお土産に購入。
地下の食料品売り場には日本料理店が4.5箇所あった。その一つで味噌ラーメンを食べる。可もなく不可もなし。帰りのモノレールは反対方向に乗ってしまい、慌てて引き返す。

最後の夕食は、ガイドのタニタさんに聞いたサラームビレッジへ。タイ舞踊と音楽の実演付であった。

この三日間で、アユタヤ遺跡、エメラルド寺院、暁の寺院、王宮、水上マーケット、離宮、モノレール、タイ式マッサージ、街中の渋滞、夕市、スーツの仕立て、高級ホテル、高級レストラン、象乗り、などめぼしい所は経験したと思う。

お年玉年賀はがき当選旅行の目玉は、五つ星ホテル=ルブア・アット・ステートタワー連泊と、レストラン「BREEZ」のディナーであった。

経済発展(国力)はタイ、ベトナム、カンボジア、の順である様に感じた。これらの国際関係は歴史的な背景(戦争と侵略)があるだけに、ラオス、ミャンマーを加えインドシナ半島の国民感情は複雑である。
タイは王政の国であり、いたるところに肖像画が掲げてある。政情不安は少しも感じなかった。
物売りは3国とも同じようなものである。街角での朝食も同じ習慣。アジアの国々はなぜか親近感が湧く。

こうして、成田めざし夜中発便で帰途に着いたが、帰りは満席。エコノミーでの6時間半は少々きつかった。

お年玉(3) アユタヤ遺跡ー川下り

2009-02-16 10:27:44 | 行ってきました
 三日目はオプショナルツアーでアユタヤー川下りのコース。
朝がやはり早い。6:30ピックアップ。日曜日だと言うのに街はもう渋滞が始まっていた。ウエンデイーツアーのバス乗り場で昨日暁の寺院で一緒になったご夫婦と乗り合わせ。営業一筋のご主人は定年退職で、水彩画、畑作り、海外旅行と人生を楽しんでいる。

 アユタヤの遺跡は林の中の一角の広場に遺跡がある。レンガ作りに漆喰で固めた仏塔が並んでいる。日本で言えば鎌倉ー室町時代の比較的新しいものだが、隣国ビルマから攻め込まれ、荒らされ崩壊が激しい。一回りするとお供えを持ってお参りに来た一団に出くわす。立派な造花のお供えと食べ物を持っていた。お布施やお供えはある程度市民の義務のように考えられている。

古い遺跡は傾いたものもある。このあたりは地震がないので心配ないとガイドは言う。カンボジアが一生懸命修復しているのに比べ、少しもったいない。

 近くの象乗り場へ。10頭余りの象が餌を求めて足踏みをしている。櫓の上から背中へ、地上3mくらい結構揺れるものだ。耳には毛が生えている。象使いは頭の上に直接乗り、自在に象を操る。珍しい経験である。

 離宮へ。洋風、中国風の建物が堀の淵に立ち明るくてきれい。池と花と草木が手入れされたきれいな建物群である。ここも迎賓館に使われていると言う。





 帰途は川下りクルーズ。まずはランチバイキング時間が遅れたので腹が空き、一杯取ってしまった。布袋草がいたるところ川面に浮かぶ。流れが緩やかなので上り下りの船が行き交う。昨日行った暁の寺やエメラルド寺院を遠望するのんびりしたクルーズであった。




 夕食は52階レストラン「ブリーズ」。お年玉旅行の目玉だといってよい。
女性が4名入り口で出迎え、まずシャンパンでソファーに。そのあと指定の席へ。確かにその名のとおり風が吹き渡る。ウエイターが入れ替わり立ち代りサービスしてくれる。記念撮影のみに来る客がいるほどだ。料理から考え、ワインは白にし、モーゼルを頼んだが展望とサービスはとてもよい。

ほろ酔いで最上階レストランバー「シロッコ」へ一杯傾けに行く。屋上に目立つドームが設定され、ジャズボーカルの生バンドの演奏があり、光る壁で覆われたバーがある。50人くらいがバーコーナーを取り巻き食事をしている人には騒々しくて気の毒。展望もブリーズのほうが良い。しかしおおむね良いムード。朝が早かったので早々に引き上げる。

お年玉(2) エメラルド寺院

2009-02-14 11:21:30 | 行ってきました
 次の観光地はエメラルド寺院と王宮。
なんとも金ピカの寺院だ。赤、青、白、緑、のガラスの破片できらびやかに飾ってある。本尊は65cmくらいのヒスイの仏像。本堂に10mくらいの高さに祀ってある。本堂内は撮影禁止








隣接する王宮へ。迎賓館としてつかっているそうだ。運良く衛兵の交代時間であった。交代の儀式が行われるが、国民性を表すのか、なんとなくビシッとしていない。韓国昌徳宮の衛兵交代はもう少し緊張感があったように記憶している。





宝石加工工場、物産店を経て昼食へ。ホテルバイキング。日本円で500円くらいだと推察できるが、品数は多かった。おすしまである。いろいろなものに青とうがらしが入っており、ピリッと辛い。






以上で半日ツアーは終了。ガイドさんに薦められたタイ式マッサージへ。入り口でいきなり足を丁寧に洗ってくれたのには驚いた。2時間ほど丁寧に揉んでくれた。気持ちはいいが、「効くー」と言う感じではなかった。



ホテルに戻り少々休憩。夕市と蟹レストランへ。まだ少々時間が早く、夕市は殆どの店が開店準備中である。狭いところに数百の店がひしめき合っている。コピー商品の店が多い。なぜか元気がいい。片言で話しかけてくる。「ロレックスあるよ」「見るだけタダ」

蟹レストランへ。かにもえびもうまい。評判どおりだ。常に満席だ。現地ウイスキーを注文。これは「ロックで飲め」と薦められ、出てきた氷(この水は大丈夫か?)にたじたじ。

帰途、ウインドウショッピングがてら帰る。インド人テイラーの店でワイシャツオーダー6枚99$へ立ち寄り、ついスーツもオーダーしてしまう。一日で縫製すると言うことだったが、半信半疑、安いからだめもとオーダーしてみる。

町を歩いて感じた国の発展度は、韓国、タイ、、ベトナム、カンボジアの順のようだ。

お年玉(1)

2009-02-05 09:10:26 | 行ってきました
 昨年のお年玉年賀はがきの一等当選のタイ旅行がやっと実現した。

成田発だが、HISの団体カウンターで受付するだけで「当選おめでとう!」と
か「これが賞品です」と言うイベントは一切無し。100万分の1の確率での希少性がぜんぜん味わえない。商店街でも昔「大当たり~。チリン、チリン」と鐘を鳴らしてくれたのに、当選の感激がまったくないのが拍子抜け。どうも、このツアーでは賞品で行くのは我々夫婦だけらしい。

空港も飛行機も空いていた。夜発の飛行機は、4割程度のお客で、3座席の肘掛
を起こして、眠ることが出来た。これなら、エコノミーでも楽であった。

(写真1 比較的空いている成田空港)

タイ、スワーナブーム空港に着いたのはpm11:30過ぎ。他の6人のグループと
乗り合わせ、市内のホテルをめぐり、我々のルブア・ステートタワーに着いたのは
1時近く。このホテルは、日本人を殆どみない。リビングスペースが別の部屋風になっており、キチンもあり、バスルームはシャワーブースが別になって10畳くらいで広い。セミスイートの部屋である。さすが五つ星ホテル、コンドミニアム仕様である。

 朝 8:00のピックアップなので、4時間くらいの睡眠時間で眠い。
ガイドはタニダさんという女性。ワンボックス8人乗りのワンボックスで市内観
光へ。朝から渋滞が多い。ベトナムのようにオートバイは居ないが、代わりに車
だ。オートバイに荷台をつけた乗り合いバスもある。朝飯を売る屋台が道端で開
店している。東南アジアでは家で料理(特に朝飯)を作る習慣がないのか。
空港からの高速道路、町並み、自動車の量といい、ベトナムより整備されている。
韓国と肩を並べるくらいの発展だ。

 



 渡し舟で対岸の「暁の寺」へ。アユタヤ時代にビルマ軍に破れ、ここまで川を下っ
てきたとき明け方だったのでこの名前がついたそうだ。漆喰に陶器がはめ込まれ
た仏塔がいくつも立っている。アユタヤの後トンブリ王朝のときラマン9世が16
mの塔を64mの塔へ造り替えて現在に至っている。

 タイの人は信仰心が厚く、必ずお坊さんを経験するそうである。6ヶ月、一週間、
4日間など、長さはいろいろだが何しろお寺に入って修行する。僧侶は女性に近
づくことも禁止されているそうである。この寺院にも修行僧がいた。

タイの国旗は赤(自由)白(仏教)青(王様)を表す3色の横縞で出来ている。
そのほか生まれた曜日を表す色があり、現在の国王は黄色である。月曜日は黄色
であるが、順にピンク、緑、オレンジ、青、紫、赤となっている。タイの人は、
それぞれこの色を非常に大切にする。またバンコクとは天使の国(ブルンケイ)
と言う意味だそうだ。街角には国王夫妻の写真、国旗、黄色の国王旗が立っている。

続いてエメラルド寺院に向かう(つづく)