遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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郷土の偉人

2016-06-30 00:25:54 | 行ってきました
    小口太郎の像

釜口水門の敷地の中に小口太郎の蔵が建っている。小口といえば「死んでも喇叭を口から離しませんでした」と伝わる、日清戦争の成歓の戦いで被弾して絶命した、突撃ラッパを吹いていた一兵卒のことかと思って近づいてみたら全くその木口小平とは別人だった。

小口太郎とは1897年(明治30年)8月30日 - 長野県諏訪郡湊村に出生
1910年(明治43年)3月 - 諏訪中学校(現・諏訪清陵高校)入学
1916年(大正5年) - 第三高等学校大学予科第二部乙類入学 
1918年(大正7年)7月 - 水上部(ボート部)、第二クルーの琵琶湖周航の途中「琵琶湖周航の歌」を発表
1919年(大正8年) - 東京帝国大学理学部物理学科入学
1921年(大正10年) - 「有線及び無線多重電信電話法」の特許出願。イギリス、ドイツ、フランス、オーストラリア、カナダにも出願 

という経歴を持つ文武両道に長けた人間だった。よく口ずさむ「琵琶湖周航の歌」はこの諏訪湖のほとりで育った彼が作詞したものだと初めて知った。また長男がお世話になっているNTTに大いに関係のある多重電信電話法の特許保持者でもあった。内容はよくわからないが六っか国以上に特許申請しているところを見るとかなり画期的なものだったらしい。

郷土の偉人と言って良い。こう言う人があちこちにいるというのは嬉しい。

釜口水門

2016-06-29 02:48:24 | 行ってきました
水門の銘板と流れ出る天竜川源流

諏訪湖に流入する河川は何本か山側(茅野、諏訪側)にあるだろうが、流れ出るのはおそらくここだけであろう。釜口水門と言い、魚道や船の通行路(船通し水門)も確保されている。

おりからの雨模様で、水流は豊富であるが濁りとうとうと流れ出ていた。これが下って天竜川になってゆくのだろう。「あばれ天竜」というくらい治水の難しい河川らしいが、源流はきっちりと水門でコントロールされている。

パナマ運河式の複数の水門の上げ下げで水面を調節する方式で船を湖へ入れたり、出したりしている。

ウイキペディアによると以下の記述がある。
1936年(昭和11年)に、近代的治水設備としての水門が竣工した。だが1950年や1961年の洪水では処理能力を発揮できず、改築が決定。1988年に放水量600t/秒の新水門が旧水門から諏訪湖側へ約80mの地点に完成した。これは旧水門処理能力の3倍に当たる。
現在の水門は2段式の6門ゲート(上段は6門、下段は3門)になっており、上段はフラップゲート(飛行機の羽のような形)、下段はローラーゲートになっている。通常は上段ゲートを操作し越流放流を行っている。

    諏訪湖側から見た水門
    水門直下から岡谷方面を見る

天竜橋

2016-06-28 02:23:19 | 行ってきました
    橋たもとの交差点
    特徴ある橋の欄干
    両側にある欄干

岡谷に行った折、少し時間があったので、少し諏訪湖畔迄歩いてみた。天竜川への落ち口に掛かる橋はいかにも戦前に架けたらしいデザインの橋がある。

近くまで歩いて行った。橋を渡ってみると欄干の形も特徴的だが、中央にステンドグラスが嵌めこまれているユニークな橋である。欄干最上部には電燈が付けられ、デザイン的にも面白い。

下を流れるのは諏訪湖から流れでた天竜川源流である。最近の天候から水は濁り、水量も多い。昔は岡谷の町は、古くは繊維(絹織物)、最近は精密機械の町としてこの辺りの中核的な都市として、発展してきた。ある種そのシンボルだったのだろう。何やら文化的な趣が漂う橋である。

   背後には中央道が走る
   2連の頭が芸術的でさえある

武井武雄

2016-06-27 01:26:03 | 行ってきました
    岡谷にあるイルフ童画館
    入り口にある企画展の案内版

6月25日は岡谷出身の童画作家武井武雄の誕生日である。名前は聞いていたのだが詳しくは全く知っていないので隣町までちょっと出かけてみた。

イルフ童画館という立派な美術館が岡谷のデパートに併設されている。「ツペラ ツペラ パラペラプラ展 tupera tuperaの絵本の世界」という企画展をやっていた。(入場無料)

武井武雄は岡谷市出身で戦前戦後を生きた(明治27年~昭和58年)。 

「子どもの心にふれる絵」の創造を目指して、自ら『童画』という言葉を生み出し、大正から昭和にかけて童画、版画、刊本作品、玩具やトランプのデザインなど様々な芸術分野に活躍し、いつも探求心をもって生涯挑戦を続けました。

『童画』という言葉を創出し、子どものための絵を総称する提案を行うとともに、童心を巧みに表現した独自の画風で童画界をリードしてきました。当時ジャンルの確立していなかった子供向けの絵画を世に広めた功績は大きい。この建物の中には彼の絵画以外の特技、小説、ステンドグラス、判じ絵などの展示もあった。

諏訪の豪農の家庭に生まれ、東京美術学校に進み、池袋に家を立ててもらうと言う恵まれた境遇に育った彼が、未だ確立していない分野の芸術を拓くという努力を続けたというのは興味深い。

「遠い星を見ている者は幸せである。星に着陸してその無慈悲な肌にさわるものは不幸だ。もしも愛するものがあったら遠くにおいて手を伸ばさない事にしよう。征服はまたの名を惨敗という。仰ぎみよ、星はいつも君たちの上に居て春夏秋冬はこの星空と、君たちのベッドとの間を静かに流れていく。星曜日こそ星空の最も美しい日なのだ。」

いかにも童画家らしい詩ではないか。

     動画館入口
    展示室の間にある記念撮影場所

原作には・・・。

2016-06-26 10:04:20 | 


話題の映画64(ロクヨン)を見に行ってきた。前後編合わせて4時間の大作である。演じる俳優女優も佐藤浩市、綾野剛、榮倉奈々、奥田瑛二、仲村トオル、吉岡秀隆、三浦友和など実力派を配している。

64とは7日間しかなかった昭和64年に起きた誘拐事件の符牒である。横山秀夫の傑作警察小説の映画化であるが、やはりこの題材は表現が難しかったのだろう。個人と組織だけでなく、新聞記者と警察広報、中央と地方、刑事畑と警務畑、キャリアとノンキャリア等様々に対立する要素と事件解決の捜査とが複雑に絡み合い、その細かい心理描写が緊張感を高めていたのだが、それを映像化するのはかなり困難のようだ。原作には少し及ばないなというのが率直な感想だ。

原作を読んでいたから理解が及ぶ、といった場面がかなりあったと思うのだが、それでも役者の演技力に救われている部分が多々ある。田舎の映画館にしてはかなり入りが良かった。久しぶりに映画館に入ったが、その効果音や音楽の音響の良さにあらためて惚れ込んだ。

64について言えば、まず見て損のない映画だと思う。それでもどちらかと言うと前編のほうが緊張感があったというのが私の感想である。


薊の花

2016-06-24 03:52:13 | 雑感


毎日がうっとおしい梅雨の季節である。最近はこの頃によく海外旅行に出掛けていた。北半球はこの頃が日が長く、旅行には最適なシーズンだ。
暦の上では夏至。七十二候は初候「乃東枯る(なつかれくさかれる)」私も大好きな鮎の季節だ。

散歩の途中道端でよく見るのは薊の花。歳時記で調べてみると春の季語である。ここら辺りは高度があるので少し季節が遅れるのだろう。

6月25日は童画家武井武雄の誕生日だそうだ。そういえば近くの岡谷のイルフ童画館は彼の作品がメインだと聞いたことがある。岡谷に行った折には一度寄ってみよう。

田舎のホタル祭り

2016-06-23 02:59:58 | 行ってきました
    辰野駅の看板
   駅前通の賑わい
    駅前通の賑わい
     夜明け前酒造の試飲

蛍の季節がやってきた。隣の辰野町で先週からホタル祭りを開催していたのでちょっと出かけてみた。3年ほど前に行った時は前評判ほどホタルは飛んでいなかったので、ネットで調べたら観測数がかなりの数になっていた。そこで臨時列車に飛び乗った。

辰野駅は大勢の人で賑わい、露店の列が500m以上続いて活気があった。商店街青年部のテントやお酒の試飲、その他で飲み食いを楽しんだ。田舎の露店ゆえそんなにあくどいこともなく、地元の町内の連による踊りや太鼓の演奏、高校の出店なども織り交ぜ、いかにも田舎らしいほのぼのとした雰囲気だ。

若者の観衆が多いのも特長だ。7時を過ぎ日が落ちてきたのでほたる公園に向かった。この前来た時と人出はほぼ同じだったが、ホタルの数は3倍ほど沢山飛んでいた。帰路の山沿いの溝の上に、手の届くほどの距離でポツポツと光るのは本当に綺麗だ。

自分のデジタルカメラの操作方法がよくわからないので、写真ではうまく捉えられていないけど、実際は写真より遥かに神秘的であった。

    日が暮れて露店の灯りが輝きを増す
    太鼓の演奏
    ホタルの灯り
    夜も更けてきた駅前


整備工事

2016-06-22 02:44:55 | 雑感


山小屋の玄関脇の溝の辺りが崩れかかっていた。加えて落葉松の落ち葉が屋根から落ちうず高く積もっていた。
溝を支えていた材木=鉄道の枕木がゆがんで建物本体にもたれかかっている。

これではダメだろうということで、いつもの建設会社を呼んでみてもらった。何やらくびをかしげていたが「やってみましょう」ということで引き上げていった。暫く放って置かれたが2,3日留守をして戻ってみたら綺麗に補修してあった。

落ち葉も溝も綺麗に整備してあり、掃除も行き届いていた。アプローチ道路に砂利まで撒いてあった。専門業者とは大したものである。この建設業者が特に良いのか他の業者でもそうなのか分からないが、とにかく感心した。

静かな感慨

2016-06-21 02:18:14 | 


道尾秀介「水の柩」講談社文庫 2011年刊

久しぶりの道尾作品である。ストーリー展開や心理描写には無理がなくかなりの力量である。何気ないような事象を捉えて展開してゆく手法は、手慣れたものである。

今回はダムで水没した村の出身者一家が経営する旅館を舞台に、高校生とその同級生が主人公である。それぞれの登場人物がそれぞれの事情を抱えながら、生きてゆこうとし、そのために小さな嘘をつく。それを守ろう、守らせようとして事件が起こる。

この作者の終わり方はいつも穏やかに、ハッピーエンドとはいかないが妥当なところに落ち着く。ものすごい感動を呼ぶというたぐいの作品ではないが、静かに深い感街を覚える著作である。

三度上高地へ

2016-06-20 04:16:56 | 行ってきました
    大正池・穂高連峰を背景に
    僅かに残る落葉松のたち枯れ
     滔々と流れる梓川
    河童橋到着

カナダからの客人を上高地に案内した。雄大な自然はカナダの特長だが、公園のようによくまとまった彼の地もカナダにはない趣であろうと、梅雨の合間をぬって行ってみた。

今年に入ってからだけでも三度目になるが、ここはいる来ても気持ちがいい。着いた日は雲は架かっているが、青空も見えさわやかな風が吹き渡る、緑の楽園である。いつものように大正池で下車し、田代湖ー田代橋ーウエストンレリーフ-河童橋までのんびりと歩く。

今回の上高地行きには、義姉も加わり総勢五名。梓川のせせらぎを聞きながら、いつもの西糸屋目指して小一時間の散歩だ。梅雨の時期とあって人影はまばらで静かである。何時もは賑わう橋の上にも人影は少なかった。

   河原は薄日が指しているが稜線は雲に覆われている
    河童橋も人影が少ない
    岳沢湿原辺りのレンゲツツジ
    岳沢出合いあたりの水流 立ち枯れが多い
    右岸の道は林の中だ
    燃えるような新緑に迎えられる

西糸屋で宴会を楽しみ(ここの料理は地のものが多く美味しい)、翌日は明神池から徳沢園までの片道8km弱の散策。西糸屋の番頭さんが天気予報を調べ「一時間後に雨が降ります。ぜひここの傘をお持ちください」と親切に傘を貸してくれた。

河童橋から右岸の木道や林の中を、水と戯れ、新緑を愛でながら歩く。1時間で明神橋に到着。左岸にわたり徳沢へ。人影はそんなに多くないが、白人の外国人が日本人と同じくらいの数で行き来する。紫や黄色、白色の様々な花が咲き徳沢園付近の山道で遅咲きの二輪草の群落にも出会えた。徳沢園直前で雨脚が強くなり、傘を広げることとなった。徳沢園のテント場ではわずか一張のテントしか無く、シーズン前の寂しい状況だった。

徳沢園の「みちくさ」カフェで一服し、思い思いにビール、カフェオレ、ソフトクリームなどを楽しみ帰途についた。
明神池で神社に参拝し、イワナの骨酒を味わい、雨の中を一路河童橋に向かった。西糸屋が近づくにつれ雨は激しくなり、見かねた宿の人が、「傘はバスターミナルで旅館組合事務所にあずけていただければいいです」と、またもや親切に言ってくれた

よく手入れがされ、清潔に迎えてくれる上高地は何時来ても爽やかである。今回もいい思い出を残した気持ちの良い旅であった。

    橋から見る明神岳も今日は雲に隠れている
    明神橋から下流を臨む 河原で休憩している人も
    明神奥宮の標識
    小梨平の常設テント
    名物絵描きおじさんのテントも雨に打たれている