遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

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パリ・ダカドライバー

2006-03-31 15:50:10 | 講演録
先日パリ・ダカ ドライバー浅賀敏則氏に話を伺いました。
45歳くらいの日焼けをした精悍な面構えの方で、
同伴ナビゲーター沼田靖志氏は20歳代後半の若者でした。

普通ドライバーが若くて、ナビゲーターがベテランと思いがちだったので少々意外でした。

浅賀氏は会社経営の傍らトヨタ車体(旧アラコ)チームから参加。
20回参加の大ベテラン(篠塚健次郎は21回)でクラス優勝6回、2位8回という猛者です。

以下、箇条書きですが、お聞きした内容です。

スピードレースの最高峰F1レースは1戦あたり300~600kmで年16回戦いますが、
パリダカは8000kmを一回で走りぬく過酷なレースです。

スポンサーのひとつにアウトドアのモン・ベルが付いていますが、
レースの途中は野宿同然の宿泊が多いので、
このメーカーのバックアップは非常にありがたい。

砂丘を越えるには、途中でアクセルを緩める勇気を持たねばならぬ。
スピードを競っているので、一秒でも早く駆け抜けたいが、
砂漠の走行が勝負を決める。

いたるところにある砂丘をどう越えるか。
上りで踏み込まないと砂に埋まる。
踏み込みすぎてピークを越えると、車が逆さまに突っ込み、クラッシュする。
思い切ってアクセルを緩める勇気が要る。
早く行かねばという思いのなかで、現実の斜面と向かい合う勇気が必要。

ナビゲーターとの信頼感が大切。
咄嗟の場合、ナビゲーターの言葉と動作が違う場合がある。
(「右」と言いつつ、動作は左を指すようなことが時々ある)
どちらを優先するか難しい判断。

ドライバーは今の運転に全力を尽くし、100分の1秒単位の動作で挑む。
ナビゲーターは先のことを考え指示を出す。
(仕事でも同じ=ラインとスタッフ、闘いの現場と支えているパートナーの関係)

また、ナビゲーターは翌日用の地図を夜に渡され、
殆ど寝ずに明日のシュミレーションを行っている。

そんなことも配慮しチームメートを理解する。


浅賀さんは大変若々しく、サミュエル・ウルマンの「青春」を信じていると
朗読してくれましたが、御歳62歳(パリダカの現役ドライバーですよ!)
と聞きびっくりしました。




視野を広く持ちたい人へ

2006-03-30 12:16:51 | 
グーグルがなぜあっという間に巨大企業になったのか。
我々が住むネット社会は今どんな風に変わろうとしているのか?
社会全体の概観図とその原動力を描いた本です。

梅田望夫「ウェブ進化論」ちくま新書740+税

久々に知的興奮を覚えさせる内容でした。

視野を大きく持って生きたい人、
仕事の方向性を確認したい人
にとって、とても有効な内容です。

将棋の羽生善治4冠が推薦文を書いています。

「これは物語ではなく、現在進行形の現実である。
グーグルとネット社会の未来について、希望と不安が見えてくる」

昨年の今頃、ホリエモンが、
「ニュース記者などそのうち必要なくなる」
と言い放った意味がここにあったか、と思い当たりました。

実はNTT勤務の息子から「面白い本だよ」と送ってきたので、
ぱらぱらと読んでみたら、面白くて、引き込まれていたら、
東京のF所長からも偶然「この本読んでいますか?」ときかれ、
先進的な人は読んでいるのだと確信した次第。

この本をネタに会社でも議論をしてみたいと思います。


早く朝にならないか

2006-03-29 12:28:39 | 雑感
刈谷市の福祉法人「ひかりワークス風鈴」の開所式に出席してきました。

ひかりの家 は昔、我が社の親和会で草取りや、
ペンキ塗りなどのボランテイアをしたところです。

そこが今度高度心身障害者の通所授産施設
(技術を習得する指導訓練所 クイックスの前身も引揚者向けの授産所だった)
を開設しました。

明るく広々としていて、珍しく浴室も完備している立派な施設です。
定員19名に対し、職員が12名ほどいる
「これなら充分な活動が出来るのではないか」という感じでした。

以下は、そこでの父母・利用者代表のお礼のことばです。

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まもなく春を迎えます。

桜の花が散る頃わたしたちは卒業式を迎えますが、
例年それはとても辛い思いの式でした。
18歳を超えると社会へ出なければならないのですが、
そこでは、障害者は、いつも邪魔者、厄介者として扱われます。

この日から、肩身の狭い地獄の日々が続くのです。
毎年一日でも卒業式が来るのが遅いほうが良いと願っていました。

でも今年の春は違います。
自分が職業技術(クッキー作りなど)を身に付ける場がある。
自分も人の役に立つことが出来る。希望がある。

だから早く朝が来て、はやくひかりワークスへ行きたい。
朝が待ち遠しい日がきたのです。
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私たちが、ともすると忘れがちな
職業に対するこのようなワクワク感、ドキドキ感を
熱を込めて語ってくれました。

人の役に立てる喜び
自分が期待されている嬉しさ
自分が向上して行く充実感

これが仕事の本質ではないでしょうか?


ここの職員も皆若々しく、一生懸命でした。
我々も自分自身を見つめなおしたいものです。


無言館

2006-03-13 15:07:39 | 雑感
すでにここを訪ねられた方もあろうかと思いますが、無言館は、
戦没画学生慰霊の美術館です。東京美術学校(現在の芸大)を中心とした
戦没画学生の絵と遺品が納められています。

実は金曜日に私が所属している勉強会の講師に無言館の創立者(館長)の
窪島誠一郎氏をお迎えすることになっていたので、
ぜひ事前に見ておきたいと思い訪ねたのです。

ご存知のように窪島氏は、雁の寺、越前竹人形などで著名な作家
水上勉の長男でしたが、事情があって窪島茂・はつに
貰われ子として育った人です。

彼の言葉では、

偉い親を持った子供は普通のことをしていたのでは一人の人格として
認められない。いつまでも「○○さんの子供」といわれて、
独立した人間として扱われない。親がホームランを打った人なら、
場外ホームランを打って初めて親を超えられる、そんな難しさがある。

としみじみ語っておられました。

窪島氏によれば、最近美術館の観覧者が減ってきているそうです。
兄貴分の信濃デッサン館は最盛期年間3万人の入場者があったのですが、
今は1万人だそうです。無言館は減ることなく11万人だそうですが。

入場者数もさることながら、ある統計によれば、一つの絵を見る時間は
欧米では18秒、日本では6秒だそうです。
これでは画家の名前、題名、受賞作かどうか位しか目に入らないのではないか。
これで、本来のありかた=自分と絵との対話ができているのだろうか?と
残念がられていました。

「軍国主義の中で育ってきた世代は、熱狂の怖さ、恐ろしさを知っている。
だからこそ、静けさの中で自分と向き合う大切さををかみしめねばならない。」

窪島氏自身の静かな語り口は、心に染み入るようで素直に聞けました。

さて無言館は、塩田平とよばれる山里の丘陵地の頂に、
中世ヨーロッパの僧院を思わせる、コンクリート打ちっ放しの
質素な佇まいの建物でした。私が訪れたのは雨の日でしたが、
林の中に雨に打たれて静かに立っている姿はそれだけでも、
慰霊の意思を示しているかのようでした。

小さな扉を開けて入るとすぐに展示場になっています。
上空から見ると十字架の形をした建物の、四つの空間に
それぞれ10点、合計40点くらいの絵がかかり、
作者の簡単な経歴と記事が示してあります。
絵の前のガラスケースには戦地からの手紙や携帯していた絵の道具なども
展示してありました。

自画像も10点近くありましたが、いずれもきりりとした顔立ちでした。
多くは毛筆で書かれた手紙は、20歳そこそこの人が書いたとは思えぬほど、
達筆で家族のことを思いやる文章がしたためてあります。
命の燃焼度の高さを感じました。絵は恋人、許嫁、新妻、家族、故郷の山川、
などが多く取り上げられております。

例えば、日高安典画の説明文には次のように書かれていました。

『…「出征兵士万歳!」の声が響く中、家族が安典を部屋に呼びに行くと、
彼は恋人をモデルにした絵に、絵の具を重ねていた。「後5分、
後10分描かせてくれ。」安典出征後、家族は残されたスケッチブックに
「俺はこの絵を完成させるために生きて帰りたい」と記してあるのを
発見します。…』

これらの展示物には、生きていることへの感謝、絵をかけることの歓び、
肉親への思いやりを強く感じます。彼らは愛する者(物)を
一生懸命描いたのです。

無言館を訪れ、親が子を殺め、子が親を殺す、昨今の日本が失ってしまった
ものをはっきり見ることができました。関わりのある人々への感謝、
絆の確認など、戦時下でありながら、人間らしく生きた人たちに
触れることができました。

機会があれば皆様も是非一度お訪ねになることをおすすめします。
なお、窪島さんは普段は、近くの信濃デッサン館においでとのことです。

(2006.3.13)


乗鞍高原の雪上散歩

2006-03-07 14:58:31 | 登山・ハイキング
3月4日(土)~5日(日)「主として」山歩きを楽しむ仲間の彩山岳会
(リーダーとあと数名は、ヒマラヤ遠征の経験もある)で、乗鞍高原へ
雪上散歩をしに出かけました。

大阪、半田,瀬戸、名古屋、刈谷、春日井などまちまちの住所ですが、
落ち合い場所の中央道駒ケ岳SAへは予定より30分近く早く集合。
メンバーの意気込みが伝わります。

快晴、無風、幹事さん始め、参加者の心がけが良いせいで絶好の天気の下、
中央道をドライブ。中央アルプス、南アルプス、北アルプスと眼前に広がる
パノラマを見ながら、昼食場所の島々・赤松食堂へついたのは10時40分。
「まだ蕎麦を打っているところですが」という開店前の店に入れて頂く。

途中で買ってきた、おやき(これは絶品)を切り分けて頬張りながら
蕎麦を待ち、運転しない人(おもにU氏)は冷の地酒で信州名物野沢菜、
モツ煮で軽く一杯。10割蕎麦を食べ、今日の宿フレンズ岡崎へ。

すでに、大阪のO氏は到着していました。
荷物を置いて、早速歩くスキーの講習。一瀬牧場へ行く。

歩くスキーは普通のより細く、靴の前だけ止めて踵が上がるようになっており、
スキーの裏はうろこ状の凹凸が付いて、後へは滑りにくいようになっています。
トリノオリンピック距離レースで見たのとは大違いで、私はへっぴり腰で
少しの傾斜ですぐ転び、馴れるまでは大変でした。
さすがに先生の岡崎さん(民宿の主、スキー学校の校長やら、
ここら辺りのガイドやらをやられている方、信大の大先輩でもう70歳ですが、
我々より身のこなしは軽い)は、すいすいとスキーを使いこなし、
縦横無尽に雪野原を駆け巡ります。

少しだけ滑り方を教えていただき、皆で雪原を散歩。小川を跨ぐところで、
転倒者続出。足跡のついていない、きれいな雪原をスキーの跡をつけて
歩く気持ちよさ、見上げれば乗鞍の剣が峰、大日岳、高天原、がそびえ
紺碧の空の下、心が洗われるような気持ちで遊びました。

スキー場経由で帰る人と別れ、一足先に宿へ。

宿に帰り、近くの温泉「湯けむりの湯」で入浴。白骨温泉と同じ泉質で、
こちらはまだ白濁している。沢山のお客で賑わっていました。

戻って早速乾杯の練習。念入りに練習しているところに、スキー組合流。
M氏持参の鮒鮨、O氏持参の自家製どぶろく、その他女性陣からのものなど、
逸品に大いに盛り上がりました。(私はただ、おいしいおいしいと戴いただけ)

フレンズ岡崎さんの料理は地産品(エビフライは別としても)が主で、
健康にはよいものばかりです。朝食も山菜・きのこ中心でした。
酔っ払って何を話したかが定かではないですが、かすかに
「酒つくりに大事なのは愛か科学か」の論争があったような覚えもあります。

翌日はスノーシュー(西洋かんじき)で林間散歩。

暖かい日差しの中、雪も春で締まっており、林の中を自由に歩き回れました。
木々も芽が膨らみ、雪で1mは視点が高くなっているので、
サルノコシカケなどが目の高さ以下で見ることが出来ます。
ねこやなぎの新芽もビロードの感触で小さく出ていました。
スキーに比べ、スノーシューは技術不要で、我々には疲れも少ないようです。
M氏、O氏はスキーで同行。やはり技術の有無で道具も変わります。

楽しかった雪上散歩も終わり、フレンズ岡崎さんを出発。

昼食は木曾谷への入り口で「福伝」という蕎麦屋さん。
ここでは、すんきそば(蕪の葉っぱを発酵させたものが入っている)が大人気。
私とI氏はとうじ蕎麦(蕎麦のしゃぶしゃぶ?)を注文。
皆が終わるくらいにゆっくり出てきましたが、これがおいしかった。
鍋の中の出汁と油揚げ、鶏肉などの若干の具の中へ。
小さな竹篭で蕎麦をさっとくぐらせて食べるものです。

ここで、一応解散。
有志は更に、坂下の小野桜酒造で絞りたての日本酒の試飲をしてゆきました。

ここは日本一小さな作り酒屋といわれ(年間65石程度)、農家と兼業で、
きちんと手を洗ってから、ひんやりとした建物の中に案内されました。
今新酒を絞っており、3/10 ころ、出荷とのこと。船といわれる槽から、
ほんの少しだけ絞り出てくる出来立てのお酒を、そこで味わわせて頂きました。

「うまい~」

よかったらもう一杯どうぞ、と御主人に言われ、
それではとすぐさま杯を出したのはU氏、さすがでした。

今年はやや甘口に仕上がったとのこと。私には後味が少し辛目のように
思えましたが、混ざり物無しの原酒が腹の中にしみわたりました。
御主人の素朴なお人柄がお酒にも出ているようです。

Sさんに、出荷したら私の分もとっておいて下さいとお願いして、
ここで本当の解散。楽しい二日間の旅を終えました。

幹事を務めてくださった,Oさん、お世話になった皆さん、ありがとうございました。

(2006.3.7 記)

永平寺の座禅

2006-03-02 14:32:13 | 雑感

2週間ほど前、勉強仲間と福井の永平寺で座禅の体験をして参りました。
さすがに永平寺は全山に厚い雪が残っていました。
(今年は雪害がでたそうです)少し早いせいか境内は人影もまばらで、
修行のお寺という雰囲気でした。

座禅

永平寺では、誰でも参禅させて頂けます。
但し料金は要ります(法話をしていただいて1300円)。

入山3年目の修行僧が案内してくれました。
墨染めの衣に素足で、廊下も階段の昇り降りもきちんと左側を歩かれた。
座禅道場の前で、開祖道元禅師は無音の行を3か所で課せられた
との説明うけました。3か所とは、

 ①東司(トイレ)②浴室(お風呂場)③坐禅場

です。

座禅場にはきまりがあり、スリッパの音をたてぬように、
道場には左足で入ります。出るときは右足で出る。
スリッパは踵を揃えて、縁石に置いて畳に上る。
上るときには、縁板に触れぬように注意。

尾てい骨と両膝の3点で体重を支え、頭頂を引っ張り上げられる感じで
背骨を伸ばし、胸を張り、下腹を突き出す要領で坐る。両手は鳩尾の
あたりで組み、親指同士を合わせ、4本の指を上向きにして、
ゆったりと卵形の円を作る(法界定印)。

眼は開いたまま、頭は直立したままで、視線を下方45度に向ける。
この姿勢で壁に向き合い3つの鐘の音(止静鐘)で始め1つの音で終わる。

姿勢は身体、呼吸は心を表す。坐る前に左右に振り子のように身体を揺らし、
中心を定めて開始しました(左右揺振)。

私たちは、25分くらいの時間坐りましたが、やや短い感じがした。
(逆に長いと感じた方もいました)
板で肩をバシッとたたく警策は心が乱れたとき、眠くなったときなどに、
自ら望んで受ける場合と、監督者が姿勢の乱れなどを正すために
行う場合があります。私は一度受けようと思っていたときに、
鐘が鳴ってしまい体験できませんでした。

静寂の中で、坐り続けていると、逆に色んなことが、
頭の中に浮かんでは消えてゆきます。
なかなか無の境地へは入れないので、
私はゆっくり数字を数えることにしましたが、
これも本当に集中して仲々数えることができません。

少し落ち着いてきたところで、鐘の音が鳴り終了でした。
無言で道場の外へ出ましたが、頭の中がスッキリした様に感ぜられました。
雑念の多い毎日を送っている私には良い頭のリハビリになりました。

開祖道元禅師がいわれたのは「只管打坐(しかんたざ)」です。
ただひたすら座禅することが大切だというのです。
そこで「非思量」思いを放つ、何事にもとらわれない境地に達するのが、
禅の境地だそうです。

30分足らずではその片鱗にも触れることはできませんでしたが、
なにやらすっきりしたのは事実です。