遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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干支

2014-12-27 04:23:23 | 雑感


今年は例年にもまして早めに注連飾りをした。「新しい年を迎えるぞ」という機運がみなぎってくる。

来年の干支は乙未(きのとひつじ):紆余曲折の年だそうだ。乙(きのと)はまがる、かがむの意で紆余曲折の年として、多くの障害、抵抗、紛争の可能性大である。未(ひつじ)は暗い、曖昧、枝葉の繁りすぎであるから、物事の根源を明らかにし、繁りすぎの枝葉を大胆に削除し、規律を正し、筋を通す年とすれば良い年となる。

なかなか困難が待ち受ける大変な年になりそうではあるが、今こそこの難局に強い信念、努力、初志貫徹で取り組めば、新たな道が必ず拓かれる年となろう。

以上はは先輩からの受け売りですが、昨今の世情を見てみると、「当たらずとも遠からじ」といったところです。

ついでながら2015年の恵方は西だそうです。知恵とチャンスを与えてくれる恵方参りは西の方角の神社仏閣にしたほうが良い。

本年も色々お世話になりました。来年も良い年でありますように。

皆様良いお年を。


今年もよく遊びました

2014-12-26 03:16:58 | 雑感


今年も残り5日ほど。あっという間に年の瀬を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

年々月日の経過が早くなってくると感じるのですが、さりとて何があったのかと振り返ると、ぼーっとしているのが現実です。

徒然に思い起こしてみれば、1月の終わりにオーロラを見にノルウエー、フィンランドに行ったのを皮切りに、春に昨年行きそびれたブータン、インドへ、初夏にはかねて温めていた北スペイン、ポルトガルへゆきました。国内は飛騨古川、高山、石垣島、西表、波照間など八重山諸島、11月に熊本、長崎、博多など結構あちこち飛び回った一年でした。

新しい土地、新しい人との出会いは何かと気付かされることが多く、それなりに楽しいのですが、日本人の情の細やかさ、心遣いの深さに感動しきりのこの頃です。人の一生を旅に例えた芭蕉の例にならうまでもなく、この一時を大事にしなくてはと気を引き締める毎日です。

9月にすぐ下の妹が亡くなり、この3年であっという間に6人兄弟が3人になってしまいました。そんな年齢に差し掛かってきたかと、悔いのない人生を送りたいと思うこの頃です。」

日常は蓼科で過ごすことが多くなりましたが、山はもう3000m級は敬遠し、ハイキングに毛が生えた程度のところにゆくことが多くなりました。しかし来年はもう一度気を引き締めてチャレンジしようかとも思っています。今年の後半長男がしばしば単独で遊びに来るようになり、彼のアウトドア好きに引っ張られるように、私も山コーヒーを淹れるようになりました。特製のエスプレッソマシンで入れるコーヒーは香り高く、山頂で思わずゆっくり時間を取ってしまいます。

コーヒー片手に親子でゆっくりと会話を楽しむのも新しい楽しみとなりました。声をかけていただければ、皆様ともご一緒したいと思っています。

戦略眼、戦術眼

2014-12-25 12:34:39 | 


半藤一利著「連合艦隊司令長官 山本五十六」文春文庫

視力が衰えてきたせいもあるのだろう。最近本を読むスピード、理解するスピードがとみに衰えてきたような気がする。そんな中で読んだ名著である。

3,4年前に映画化された時の原本である。著者は山本びいきだというが、映画よりは冷静に史実を拾っているようにみえる。私は山本長官の生まれ故郷の長岡に行き、記念館を訪れ幼少の頃からの輝かしい足跡や、撃墜された搭乗機の主翼の残骸も見てきた。神格化さえしかねない地元記念会の熱気に触れたがこの著作は冷静である。

海軍経理学校で学んだ先輩が、一言彼から直接「しっかりやってくれ」と、声を掛けられたことを終生の誇りとして胸にいだき、我々にも語ってくれたくらい感激していた、カリスマである。

しかしこの本を読むと、彼は個人的な傑物だけでなく、暴走する陸軍の勢いに抗し、冷静な戦略眼をもって戦争反対に集中していたことがわかる。また軍人としては与えられた条件下でベストを尽くす姿勢を貫き、配下の小さなミス(南雲忠一中将の大チョンボにも冷静であったらしい)に動揺しなかったという。

硫黄島守備隊の栗原中将も戦略眼と戦術眼の優れた軍人であったと思うが、同じように腹の座った人物のようだ。冷静な判断力に基づく戦略と、隅々まで細やかに配慮を尽くす戦術とが共存する稀有の天才であったようだ。

著者の抑え気味の著述は、誰やらのヨイショ伝記とは違い、冷静で静かな感慨を生み出す。クールと言って良い著作だ。

軍艦島探訪記ー三菱恐るべし

2014-12-16 17:23:58 | 行ってきました

 3~40人海苔くらいの小さな観光船で出発

「007スカイフォール」に登場した、軍艦島として名高い端島はいっぺん覗いてみたいとかねて思っていた。
長崎港の桟橋から小さな観光船で約50分、途中三菱造船の巨大なクレーンや建造中の10万トンくらいの大きなクルーザーを見ながら進む。

 総合事務所跡(赤レンガの建物)
 風化が進む建物群

コンクリートの建物(ほとんど廃墟)が林立するこの島の南側に回って見ると確かに軍艦に見える。1880(明治23)年三菱が買取り、1941(昭和16)年には41万トンを出炭したこの炭鉱は、最高5300人もの人が住み、等時の東京の9倍もの人口密度に達していた。
石炭から石油へのエネルギー革命により、1974年1月に閉山、4月には無人島となった。

 日本最古(大正5年建設)の鉄筋コンクリートの高層アパート30号棟

ドルフィン桟橋から上陸し、見学通路を進む。まだ40年しか過ぎていないのにコンクリートやレンガ造りの建物は相当風化が進んでいる。潮風や波の力はすざましい。
早くから鉄筋コンクリートのアパートが立ち並び、学校、病院、神社、地下にはパチンコ屋もあったという。なかったのは、火葬場とお寺くらいで、各部屋にはほとんどの電化製品が揃えられ、命懸けで働く男たちの稼ぎはかなり良かったらしい。
その他の施設はほとんど三菱の経営で、お金はぐるぐる回って三菱の懐に入ってゆくような仕組みになっていた。国とタッグを組んで富国強兵に邁進した三菱コンツェルンの強大な支配を感じさせる廃墟であった。

昨年「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコに申請したそうだが、風化が激しいので、原型をとどめておくにはかなり養生が必要であろう。それにしても明治大正昭和と、高度経済成長を成し遂げた、原動力ともいうべきエネルギーを担った事がよく分かる、すざましい遺産である。その中に身をおいてみて、なにかドーンという重い感じを受けた。

 確かに軍艦「土佐」に見える

島でなくなった出島

2014-12-12 12:27:37 | 雑感
 出島の外観
 出島内部のメインストリート

江戸時代、唯一の外国との接触地点だった出島はかねて私の興味の的だったところだ。ホテルから歩いていけるくらいの近さではあったが、港よりかなり内陸にある。明治以降周りを埋め立ててしまったのか、復元した建物群は市電のレール沿いにあった。黒い屋根の上に伸びる物見櫓が青緑色に塗られ、一見して変わった雰囲気を醸し出している建物群に入ってみる。
 一番船頭部屋寝室と大広間
 一番船頭部屋居室

出島はもともとポルトガル人の居住区であったが、1639年追放令を受けて無人となり、1641年平戸にいたオランダ人を移住させて以来、唯一の外国人居住区となったのである。
川(堀?)沿いに250mほど伸びる道の両側に復元慕っ建物が並ぶ。「一番船船頭部屋」、輸入品の砂糖や蘇木を収納した「一番蔵」・「二番蔵」などが復元され、異国の雰囲気を残している。

 カピタン部屋入口
 カピタン部屋食堂
 メインダイニングルーム

カピタン(商館長)部屋は、中でももっとも力を入れて復元したもので、部屋数も多く広く、唯一外国の中では通称を許された、オランダ人の拠点として使われた様子を彷彿とさせた。日本人の出入りは禁止されていたが、宴会接待用の遊女は例外であったらしい。当時の浮世絵に記録が残っていた。どの展示も明るく、本当に今も使っているような状態で、ただやたらに古びた什器、家具をおいている従来の展示とは違い、臨場感は増していた。

しかしながら、オランダ大使館と思えばまだしも、この狭い出島に閉じ込められたオランダ人の閉塞感はいかばかりであったろう。またここしか世界への窓口がなかった日本の状況は、グローバル時代の現代からは想像もつかない。
今は周りがすっかり埋め立てられてはいるが、当時は四方海だったことを考えると、正に東洋の島国に来てしまったという思いでいっぱいだったろう。
 ヘトル屋敷 物見櫓が屋根に架かる

建物はこの他、へトル(商館長次席)屋敷、料理部屋、乙名部屋(日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名が拠点とした建物)旧長崎内外クラブ、旧出島神学校、などが復元されている。狭くはあるが、この力様々な文化が発信されていた息吹みたいなものを感じるには十分な復元建物であった。
 オランダ坂

夜、一千万ドルの夜景と言われる、稲佐山に登ってみた。確かに山の斜面にそって、灯りは散りばめられ、煌めく。ただ函館、神戸のほうは100万ドルと言われるが、海との兼ね合いで、むしろそちらに軍配を上げたい。


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2014-12-09 10:43:34 | 雑感
平和の泉から見た平和祈念像
 祈念公園入口エスカレータ
 平和の泉横の石碑

長崎に来たならここを外す訳にはいかない。真っ青に晴れた晩秋の空の下、祈念公園に向かった。
入り口にエスカレーターが設置してあり、被爆者、遺族の高齢化を感じさせられた。

入ったすぐに「平和の泉」の噴水があり、そこに被曝当日の体験を綴った少女の作文の一部が刻まれていた。
広島の「過ちは二度と繰り返しません」の言葉とは対照的に生々しい。噴水が陽に煌めき、虹が掛かっていた。こんな方向に進んでいくと嬉しいが現実はどうも逆行しているように感じる。外国人、若者の参拝者が目についた。この公園は、原爆投下地のすぐ脇で、長崎刑務所浦上系刑務支所の跡地だ。爆撃で跡方もなく(レンガ造りの土台部分のあとは残っているが)なっているが、その向こうに北村西望の平和祈念像が立つ。

 虹が薄っすらかかる平和の泉
 平和祈念像
 集会をする小学生

佛像のような微笑をたたえたこの像は、たしかに圧倒的な存在感だ。天を指す右手は原爆を、水平にのばした掌は平和を、顔は原爆犠牲者の冥福を祈っていると言われる。像の前では二つの集団、小学生、中学生が、平和祈念の小集会をしていた。ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所で、ドイツの高校生がナチスの台頭についてのクラス討論をしていたのを思い出した。小集会はやや形式に流れてはいたが、こうして歴史を直視するのは悪くはない。

この公園の両側は長崎市の呼びかけに応じた世界各国、各都市から平和を象徴するモニュメントで埋まっている。旧ソビエト、キューバ、アメリカセントポール市、イタリア、オランダ、アルゼンチンなどから寄贈を受けている。各国の芸術性が様々なのが面白い。

 爆心地跡モニュメント
 原爆資料館

公園すぐ下の爆心地へ立ち寄り、原爆資料館へ。ここの展示は広島に比べて一層生々しい。映像よりも実物が多いせいか原爆の無差別性が際立つ。またアメリカ軍人の「原爆投下は戦争修了に必要な措置であった」とのコメントのビデオも展示しているのも、単純に「原爆は悪い」と連呼するだけより深く考えさせられる。確か初期の広島はこんな展示だったような気がする。

ちょっと重い感覚を残して、浦上天主堂に向かい、東洋で屈指の教会を参拝して帰途についた。まさに祈り続ける長崎の意思を感じた一日であった。
 浦上天主堂


亀山社中跡ー長崎は今日も坂だった

2014-12-07 13:35:27 | 行ってきました
 九州主要都市ではでは路面電車が活躍している
 坂というより石段の連続する道
 社中跡の建物

先月のことだが、九州に行く機会があり、長崎に足を伸ばしてきた。
出島、平和記念公園、軍艦島などに行きたかったからである。しかしせっかく来たからには龍馬の足あとも辿ってみたいと思い、日本初の商社「亀山社中」跡を訪ねた。

路面電車で最寄りの駅を降り、写真術の元祖上野彦馬記念碑(カメラのモニュメントと共に、竜馬と同じポーズで撮れるようにセッティングされている)の前を通って、社中跡に向かったが、ここからの上り坂がきつかった。坂につぐ坂、石段の連続で、よくこんなところに事務所を設けたものだと不思議に思った。細く曲がった坂道を喘ぎ喘ぎ登った。

 メインの座敷
 開放された縁側

山の中腹にあるその建物は思ったよりこじんまりとしたもので、見晴らしはよく、秘密結社の感じはしなかった。「何故こんな上に設置したのかという問いに係の人は 1,ここから奉行所が見える 2,長崎港が見える 3,メンバーには脱藩者が多く公然の会合は憚られたと答えた。
開け放たれたガラス障子に、世界に羽ばたこうという龍馬の気概と浩然の気を感じた。唯一それらしかったのは、隠し部屋かもしれないと説明された、梯子で上下した中2階である。

社中跡からさらに風頭公園に立つ竜馬像を見に20分ほど坂を登った。公園のてっぺんに建つ竜馬像は遠く港を見つめて、迫力があった。桂浜の竜馬像より迫るものがあった。

 更に続く坂道
 竜馬像

公園からは石段を下り、寺町上の墓地を通り、寺院の前を過ぎてめがね橋へ出た。この斜面一帯は広大な墓地になっており、黒御影石に金地で刻印された墓石が並んでいる。
めがね橋の架かる中島川は先年の長崎水害の折りは氾濫し、護岸の石垣も壊れたという。

 墓地も斜面に広がる
 中島川とめがね橋

大雪間近

2014-12-05 10:43:34 | 雑感


昨日今日と2日に渡り雪に見舞われた。24節気の「小雪」は暦通りだったが、「大雪」を待たずして雪の到来、冬将軍のお出ましだ。

雪が降ると辺りが一層静かになる。空が暗いと鳥も鳴かない、車も通らないので、しんと静まりかえった朝となる。一面の銀世界に変わり、小さな氷柱(つらら)に雲間からの陽があたりキラリと輝く。風が吹くと枝の雪がハラハラと舞う。

もうここらあたりのゴルフ場は営業終了だろう。雪吊りの必要な木はもう先週には準備を終えていたのでこの雪には泰然としている。こんな時にはゆったりと温泉に浸かって、雪見酒が最高だろうなあ。

寒い朝

2014-12-02 08:57:03 | 雑感


吉永小百合の歌にこんな題名のものがあったっけ。
ぐんと冷えてきました。起きてみたら薄っすらと白いものが積もり、空からもチラチラと降ってきた。今シーズンの初雪だ。

暦は小雪、旧暦では小春ともいう。そういえば2,3日前はホッと暖かい日があった。正に小春日和だ。小雪は寒さが進みそろそろ雪が降り始める頃のことである。

魚はクエ、カマス、ぼら、など。野菜は白菜、セロリなどが美味しくなる。リンゴや柿も美味しい。空気が冷っこくなると大抵のものは美味しくなってくるみたいだ。

寒さがどんどん進んでくると、若い時と違い身体が縮んでくるようで、いろいろなことが億劫になってくる。残念である。