遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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定食的京都旅行(1)

2011-04-30 08:10:23 | 行ってきました

いざ湾岸道路で出発


同年会の年一度の行事、一泊旅行に参加した。

皆定年を過ぎているので、ウイークデイの出発である。
この会も30年ほど続いたので、ほとんどの観光地には足を運んでいる。
今回は原点に帰り、京都のんびり旅行。

朝はゆッくりした時間(9時)のスタート時間だ。
ゆったりしたバスに20名ほどのメンバーが陣取り、出発。
仲間に、車椅子使用の者がいるが、皆手を貸し、助け合ってバスに載せた。
伊勢湾岸道ー新名神と渋滞もなく京都着。震災自粛のせいか市内も空いている。
昼食会場の平安神宮の裏のレストランへ定刻より少し早く到着。


昼食も定食的なものだった。

平安神宮周り

腹ごなしに、神宮付属武道センターの周りを一巡り歩く。
高台寺へ。ご存知秀吉、ねね(北政所)の菩提寺だ。ウイークデイのせいか、震
災自粛のせいか、サクラの終わったせいなのか、駐車場はガラガラである。


高台寺秀吉とネネの廟所

秀吉ゆかりのところとしては、金ピカの感じがしない。そのはずだ、彼が建てた
のではない。しかも創建当時(1624年)は家康の財政援助もあって壮麗を極
めたそうだが、1789年以降度々の火災で多くの堂宇を失っているという。

その横の幕末維新ミュージアムへ案内される。霊山歴史館。
龍馬を切ったとされる刀や、暗殺最後のシーンが再現されていた。
またペリー来日から開国までの幕府の外交駆け引きも説明され、妥協しつつも、
欧米列強の傘下に入らなかった手腕の高さも、改めて認識できた。


さすが天竜寺


桜は終わっていたが、つつじが盛りだった。

そこから天竜寺へ。
宏大な寺である。庭を巡って、嵯峨野、亀山公園へ。
そこから歩いて、大堰川(桂川)河畔の宿 渡月亭へ。嵐山も空いていた。
お風呂に入り、お定まりの宴会。カラオケもコンパニオンも無く落ち着いていた。
こじんまりした快適な宿であった。


嵯峨野竹林の道
嵐山、桂川

お馴染み宴会の始まり


春は来る

2011-04-27 19:05:07 | 雑感

雪はこれよりさらに激しく降ってきた


このところ、山間部では天候不順だ。
一昨日は雪が舞い、一時は吹雪かと思うほど激しく降った。
たちまち少し積もり、八ヶ岳の峰々はまた冬へ逆戻りの冠雪となった。

今日は一転25度を超える陽気だ。7月上旬の気候という。
春風というには強過ぎるが、少しも冷たくない。


まもなく桜まつりを迎える粟澤観音境内


諏訪地方の遅い春が一気に来た。愛知県と違い、一斉に花々が咲く。粟澤観音は
8分崎の桜が強い風に耐えていた。この連休の桜まつりには満開を迎えそうだ。

ここより低い高島城の桜は散り始めだ。さすがに人々が花見に繰り出している。
カラオケやBBQは無く、酒を飲んだ大騒ぎがない。皆行儀よく、花を愛で、談笑し、お弁当を開いている。土地柄もあろうし、震災の影響もあろう。こんな花見を自粛する必要が何処にあろうか。

それにしても桜はいい。人間の世界の有為転変に関係なく、静かに、華やかに咲
いている。水面に花びらが集まって浮いていた。おだやかに心が癒される風景であった。


浮城と呼ばれる高島城

仕掛け人 藤枝梅安

2011-04-25 17:58:01 | 雑感


ご存知池波正太郎の仕掛人シリーズ。鬼平犯科帖、剣客商売の人気シリーズと
肩を並べるシリーズ物だ。
鬼平を読み終えたので、本シリーズに移った。

鬼平は長谷川平蔵、剣客は小兵衛と息子が抜群の剣と推理力を働かせる。
本シリーズは鍼医 梅安と相棒彦次郎が組んで依頼された悪人殺しを果たす。

起こり(依頼人)、蔓(指図人)、仕掛け人(実行者)は著者池波の造語らしい
が、生きていては為にならないとゆう輩を、吹矢と針で仕留める。
しかも実行者を悟られないように行うのが条件だ。

仕掛け人は起こりのことを詮索しない。依頼の所以を聞いてはならない。という
のが掟なのだが、そこは物語である。仕留められる者がどれほど悪かったかを描
写せねば話が成立しない。やられるものの警戒心、実行現場の意外性などに工夫が多い。

人気TVシリーズになったが、経緯は小説、実行段階の描写は映像にそれぞれ一
日の長があるように見える。

ある物語で、事件が一件落着し、岡崎から東海道を下るさい、最後の一行に「この先の芋川のうどんがいけるんだよ」とあったが、刈谷の今川町のひもかわうどんのことである。たった一行のことだが、さすがに良く調べているなあと感服。


訃報 届く

2011-04-19 12:57:34 | 雑感

 孫の節句の飾り


突然の訃報である。

春の陽気が増し、東京の桜も盛りを過ぎて、息子の家で「お食い初め」をしよ
うとしていた、うらうらとした日の朝であった。

30年来の畏友とも言うべき、知人の奥様からだった。
「昨日なくなりました」。声もない。お通夜や告別式の時間、場所を聞くのが精
一杯であった。4,5年前だったか消化器系のがんで名古屋の国立がんセンターに
入院し、順調に回復していた。退院後ゴルフや花見を一緒にした。

5年ほど前に伊那市外の農村にセカンドハウスを購入し、最近は近くの山歩きや、農作業に勤しんでいた。

もともとは、彼が日本を代表する通信機メーカーの名古屋支店に勤務していた頃
知り合った。その後彼は東京に転勤となり、やがて子会社の役員となった。
性格は温厚篤実で、バランス感覚に優れ、人の悪口言う事の少ない人だった。
「ハンディキャップ」の語源や「名古屋は住みにくい」風評の誤解を実証的にと
いて見せてくれたのも彼である。

まだITということが世の中で言われていない時代に、インターネット社会の到
来を示し、電子メールの紹介をしてくれたのも彼である。最近はクラウドコンピュー
ターの未来についても教えてくれていた。

昨年高遠の桜を案内していただき、小型ユンボや、トラクターを駆使した家の周
りの畑を見せてもらい、「うまくできたら届けるから、期待をしないで待ってい
て」と歓談した。冬には一緒に「鰤しゃぶ」をつつき「暖かくなったら、またゴ
ルフをしよう」と語り合ったばかりである。

性格は春風の如く物柔らかであるが、キチッとした主張を持っている。特にIT
関連のことには、何かと相談に乗ってもらった。尊敬すべき友人であった。


寂しい。途方もなく淋しい。思い出すだけでほっと心の中が暖まるような人が逝っ
てしまった。私より6歳も年下である。これから生き続けてゆくのは、こんな寂
しさに度々耐えてゆくことなのか。

大震災の人たちには較べるべくもないだろうが、脱力感は大きい。

早速お通夜に駆けつけたが、生前の故人の人柄を反映し、大勢の人が参列していた。
控え室にかけてある、ユングフラウヨッホへ旅をした時の、奥様と二人の写真が
微笑んでいた。


新しい命 大切に育ってほしい



ボランティアをしたら

2011-04-17 17:30:45 | 雑感
今日は5月中旬の陽気。とてもいい天気だ。

春爛漫という風情で、野山に春の暖気が満ち満ちてきた。

東北の被災地にもこの陽気が来て、少しでも元気が出てくるといいのだが。

50年ほど前、学生の頃、伊那谷の集中豪雨の被災地にボランティアに出かけた
ことがあった。まだ本格的な夏になる前だったと思う。そのことを思い出す。
まず、松本駅前で募金活動をし、そのお金を持って伊那市へと向かった。「伊那
谷集中豪雨救援」「信大学生自治会」とB紙に墨書し、机に貼っただけ、メガホ
ンと募金箱も手製だったと思う。それでも、道行く人は呼びかけに応じ、次々と
募金してくれ、2時間くらいでナップサックが硬貨で一杯になった。ラーメン一
杯が40円の時代、5~7万くらい(ひょっとしたら10万円台か)が集まったように思う。ザックを担いだら重みでひもが切れた記憶がある。

復旧された鉄道で着いた伊那谷の、街道沿いの家々は軒先まで土砂に埋もれ、悲
惨であった。元気と体力だけはある我々は、スコップと鍬で直ちに掘り出しにか
かった。作業は翌日も続いたが、一日半かかって、土砂はやっと埋もれた家の中
から取り除けた。私が作業したのは馬の蹄鉄をうっていた鍛冶屋らしく、すり減っ
た蹄鉄が壁際の棚からたくさん出てきた。

その日の宿舎は、高台にある公民館で、日が暮れかかった道に蛍が飛んでいたの
が印象的だった。何かとっても良いことをしたような気分で気持ちが高揚して
いたが、今にして思えば、若さ故、被災者の人を傷つけるような、行き過ぎた振
る舞いや言質も吐いたのではないか、と気になる。それでもとにかく「沈んでは
おられない」という元気は届けられたかもしれない。

東北では津波で押しつぶされた瓦礫の山が至る所で散乱しているが、片付けるに
は機械力に加え、やはり外部からの元気の良い人の手助けが必要なのではあるま
いか。

私たちは、まだ本格的なボランティアの概念が出来ていない時代に、とにかく力
になれればと駆けつけ無我夢中でお手伝いをした。大して役には立たなかっただ
ろうが、それでも家主の中年のおじさん、おばさん達にすごく感謝され、「秋に
はまた来ます」と約束してしまった。
実際秋の収穫時に手助けに行ったが、稲刈りは、稲藁に脂肪分が取られ手が「か
さかさ」になるのと、稲穂がずんと腰に来た重さを覚えている。若い私達がふら
つくのに、おばさんはしっかりした腰つきで稲束を運んでいるのに驚いた記憶が
ある。励ましに行ったつもりが、こちらが元気をもらうようなことがあった。

正に「情けは他人のためならず」だ。もう一ヶ月過ぎ、ライフラインや交通網が
整備されてきたので、ボランティアの活動が本格化してもいい頃だ。元気な若い
人達の活躍が期待される。現在就職難の学卒が多いと聞く。東北の現場で一年間ボランティアをして、その評価を受けた後企業が採用の材料にしたらどうか。



みつ蔵

2011-04-14 16:59:28 | 雑感

左 玉子焼き 手前 フキノトウの天麩羅

蓼科湖近くの蕎麦屋。

このお店はいつも行列で待たないと入れないのだが、本日は12時15分という
お昼のゴールデンタイムに、たまたますべりこみセーフ。最後のテーブルに座れ
た。震災の影響だろうか。それでもちょうどいい具合にお客は回転し、常にテー
ブルも小座敷も満席だった。

ここの女将さんの客さばきと板さんの清潔感、料理の旨さ、器の吟味された選び
方、それぞれがバランスを保っており、やっぱり並んでも入りたい店である。

ここの厚焼き玉子で冷酒をいっぱい、というのがこたえられないのだが、今日は
フキノトウの天麩羅も頼み、昼間から一杯と至福の時を過ごした。

ここの店名と同じ銘柄の日本酒は甘口だが、つまみにぴったりの酒で、一合でほ
ろっときた。甘露甘露。外は春爛漫、内も春真っ盛りである。



仕上げの蕎麦もまた良い。二枚に分けて出される「ざる」冷たく、コシがしっか
りしており、そば粉の香りが鼻に抜ける。

本日も大満足の昼飯であった。




名残り雪に思う

2011-04-09 09:20:25 | 雑感

山道を散歩していると、まだまだ雪が残っている。
日差しは温かいが、東側、北側には、雪が溶けずに残っている。

イルカの「名残り雪」のメロディが頭に浮かぶ。
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の「緑なすはこべは萌えず  若草も籍(し)く
によしなし しろがねの衾( ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る 
あたゝかき光はあれど ・・」の一節がぴったりだ。



震災の被災地では、未だ時々雪が舞うようだ。寒さが身に染みるだろう。おまけ
に余震である。曲や詩どころではない。

地震ではないが、伊勢湾台風のおりのことを思い出す。轟々と唸る風速70mの
風の中、押し寄せた高潮に、胸まで水に浸かり、隣の家に避難。風に揺れる家の
窓を必死で押さえて一夜を明かし、白み始めた空の下に我が家の屋根が残ってい
たときの安堵感、同時に家の内外に押し寄せた材木などの浮遊物に一瞬茫然となっ
た。

津波の被害はあの何十倍だろうが、少しは似ているかもしれない。しかし若さは
武器だ。高校生だった私はそんな中でも不安は感じなかった。それから2週間、
学校へ行くより、すぐ復旧作業に取り掛かった。二日目から兄貴の友人が訪ねて
きてくれ、激励してくれた。蝋燭の光の中で、ギターを弾き、歌を唄った。浸水
で使えなくなった畳や、布団を運び出し、溝の中に入り込んだ魚と遊んだ。

家族の中で、兄と親父は帰宅できず3日間は男は私だけだったので、これをきっ
かけに大人として自立できたように思う。

被災地ではこれから復興が始まる。ただ年配の方が多いのが気がかりだ。
就職できない若者が全国に大勢いる。組織的に継続的に復興に力を貸せないのだ
ろうか。

古希のご祈祷

2011-04-07 08:30:43 | 雑感


厄年同年会と言う会をやっている。数え年42歳からはじめて、年二回ほどの会
合が30年近く続いている。村社の氏子を原則の範囲とし、小中学校の同級生に
呼びかけた、干支で馬と羊、昭和17年と18年生まれの男の集まりだ。現在二
十数名の団体である。

年に数回集まり、旅行に行ったり、総会を行っている。更に昔は奥様への誕生日
プレゼントやら、花見やら、をやっていた。
また、根尾の淡墨桜の苗を現地から直接購入して、市内の幼稚園、小学校、中学
校、高校、総合運動場公園などに植樹もした。全部で30校を越える処に毎年5,6
校ずつ植えてゆく活動であった。


お寺の門前に植えた淡墨桜の子供も細い花をつけて咲いている

通常こういう会はは、厄年の前年、当年、後厄年と、3年続け、活動終了とする
のだが、気の良い人達が多く、解散するのは惜しいとなり、上記のような活動で三十年近く続いた。昭和十七八会(となやかい)と称するのだが、何故かヤクザの団体名と間違われたこともある。

根尾村の助役と観光課長が訪れ、刈谷市長と苗木の交換をしたり、日本さくらの
会と山本陽子を招き、公園に植樹したり、隣町高浜市の同年会と親善ソフトボー
ル大会をやったりと、結構楽しんだ。

そのメンバーが今年70歳になるということで、古希のご祈祷を行っていただいた。
曹洞宗松秀寺の住職がこの会のメンバーである。この坊さんは全国曹洞宗青年部
の副会長も務めたこともあるしっかりした人物である。

30分にわたり丁寧にお経を上げてくれた。最後に「御敵退散」と三回ほど唱えて
いただきご祈祷は終了。

最後に「私たちは今までは自分の為に生きてきた。古希を機に周りのためになる
よう、少しでも心がけた生き方をしよう」と締めくくりの話をされた。なるほど。

会はこの後みんなで会食をし、和気藹々のうちに散会。2週間後の京都旅行に思
いを馳せて家路についた。




すこーし早いお花見

2011-04-05 12:58:37 | 雑感


福島原発の放射能漏れが止まらない

マスコミ、政府発表では大丈夫、むやみに心配するな、という論調だが、東日本
の住民にとっては、かなり深刻らしい。ネットでもいろんな情報が飛び交ってい
る。

東京にいる二人の息子の家族が相次いで我が家に一時避難してきた。せめて春休
み中だけでも、事態がどう変わるか定かでないので、念のため、というわけだ。

そんな家族連れで先月の20日前の新幹線は母児で一杯だったという。みんな考
えることは同じらしい。

というわけで我が家は一挙に8人の大家族に膨れ上がった。老人二人の生活が賑
やかなになったこと。3家族同居なので当たり前だ。息子はいずれも東京で勤務
を続けている。一人の生活でも平気のようだ。

そんななかで、少し早いが、家族揃って亀城公園へ花見に出かけた。まだほんの咲
き始めだったが、やはりはしりの花見客はいるし、屋台も出るはで、一応の雰囲気
は出ている。
今年は体育館の方(下の広場)は模様替えがあり、いつもとちょっと雰囲気が違っ
ている。屋台の位置や、駐車場との間にあった溝が埋められて、面食らった。

まだビールより燗酒が似合う陽気だ。
うらうらした日が続けば、今週後半あたりが見頃かな?


子どもが遊ぶのに格好の枝ぶりのクスノキ(刈谷の木)

きんぴか

2011-04-04 14:54:11 | 


浅田次郎のエンターテイメント小説。

読んでいてひとりニヤニヤ、わっはっはと笑ってしまい、周りの人に気味悪がら
れる。

服役して仮釈放されたヤクザ、一人反乱を起こした自衛隊軍曹、汚職事件で詰め
腹を切らされた高級官僚上がりの政治家秘書の3人が、叩き上げの名物刑事の手
引きで一緒になって動き出す。という設定だが、まあ面白いこと。

この3人の肝っ玉、肉体、頭脳、の特技?を持った男達がそれぞれの分野でやり
たいことをやる、という設定。

ひたすらエンターテイメントに徹する。入院患者には健康食品/サプリメントよ
りも効果的ではないか。ほとんど何も残らないけど、それが良いと思う。

読んで賢くなることはない本だと断言できる。