遅いことは猫でもやる

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氣比神宮と芭蕉

2018-02-28 04:17:28 | 行ってきました

日本3大木造大鳥居の一つ

雪に立つ芭蕉像

氣比神宮本殿

先日敦賀を訪れた際、雪の気比神宮を参拝してきた。ここには数度参拝しているが、昨年大鳥居の修復が終わったということで、その後の見学を兼ねて訪れた。

雪があちこちに残る中、正面の大鳥居は朱塗りの跡も艶やかに威容を見せていた。春日大社(奈良)厳島神社(広島)と並ぶ木造の三大鳥居といわれる。

俳聖芭蕉は月のきれいな敦賀で中秋の名月を愛でようと1689年(元禄2年)旧暦の8月14日の夕方、快晴の敦賀に入り、宿の旅籠出雲屋の主人に、明日も晴れるかどうかを問います。出雲屋の主人は、北陸の天気は変わりやすく明日は晴れるか分からないので、月見なら今晩の内にと伝えます。

松尾芭蕉はその夜に「氣比神宮」に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂とその由来に感動し、次のように詠みました。

「月清し遊行のもてる砂の上」 

 遊行とは遊行上人のこと。1302年(正安3年)に「氣比神宮」を訪れた時の事。現在の表参道、“大鳥居”のある境内の西側が当時は沼地であったため、参拝者が行き交うのに苦労していました。

そこで、遊行上人は自ら海岸から砂を運び、水の溜まった場所を埋め立てて、参道を整備したのです。その故事に則ったものです。

芭蕉像は雪の中、ぽつんと立っていましたが、弟子に囲まれた賑やかな雰囲気はなく、孤独に耐えているような姿でした。
気比神宮はこの他、長命水やユーカリの巨木、などでも有名である。ウィークデイにも拘らず、参拝客の絶えない境内を後にして敦賀を離れた。

白内障手術予後

2018-02-26 13:47:14 | 雑感


白内障手術を受けてから今週木曜日で3週間目に入る。毎日4回3種類の目薬を点眼する。毎食後と、就寝前の4回だ。左目のプロテクターはもうしなくていいが、日中の保護メガネは一応かけて、不測の事態に備えている。その他近くのものを見る時(新聞購読など)は老眼鏡が必須だ。

白内障は水晶体の汚れが原因で、手術はこの汚れを吸い出し、人工レンズを挿入する。このため装着レンズを選択する時、短焦点か長焦点かによって近いところか遠くかどちらかが見えにくくなる。私は遠いほうがよく見えるのを選んだため、メガネを掛けないと本が読めない。

写真とは逆に遠くがはっきり見え、近くはぼやける。人工の水晶体なのでいくら待っても焦点は少しも改善しない。視力が回復したのでこれくらいは我慢できるが、不便といえば不便である。

もう少し我慢すれば洗顔、洗髪も出来るようになるし、通院回数も減ってくるだろう。それがささやかな楽しみだ。

北前船主通り

2018-02-24 15:50:35 | 行ってきました

ボランティア説明員の千馬さん

河野北前船主通り 山腹右上は右近家西洋館

右近家の概要

先日越前海岸に行った折、北前船の船主の出身地、河野北前船主通りを訪れた。地元のボランティアガイドの説明を聞くと、北前船は貨物の運搬請負船ではなく、立ち寄り港で各々仕入れと販売を行う交易船だったという。

大阪を春3月に出港し、瀬戸内海を通って下関を経て日本海に出る。日本海各地を商売をしながら北上し、五月下旬頃蝦夷に到着。7月下旬再び出発し日本海を商売をしながら南下、11月に大阪到着という、1年1回の航海をしていたという。

明治になり財閥系の大資本が交易に進出するようになり、この地方の船主は運搬専用となり、また代表的な船主右近家は明治期海上保険に進出し成功を収めた。なかなか柔軟な事業才覚を持っていたらしい。

ここには右近家のほか、中村家、中村分家、刀禰家の3軒が残っており海岸沿いのベルト地帯に屋敷が残っている。江戸期は寒村であったと思われるが、いずれも蔵付き、近くには菩提寺も構える豪族であったらしい。山腹に現存する右近家の別荘は1階がスペイン風、2階はスイスの山小屋風西洋館だという。
海岸には北前船のモニュメント、図書館が建てられ、沖合には坊主が沖に向かって手を合わせて祈っているかのような「坊主岩」が立つ。

高気圧のせいで海は穏やかで日本海の荒波は一服していた。敦賀、越前では雪が屋根の上も畑もうず高く積もっていたのだが、この海岸には殆ど残っていなかった。


北前船モニュメント

穏やかな日本海

合掌する坊主岩

ユネスコ文化遺産

2018-02-22 03:37:16 | グルメ

付き出しの集合体

和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたと聞いて、何か今までの世界遺産とは違った違和感を覚えた。

そこでネットで調べたら以下のような記述があった。

“南北に長く、四季が明確な日本には多様で豊かな自然があり、そこで生まれた食文化もまた、これに寄り添うように育まれてきました。
このような、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

なるほど、「食文化」を残そうということなのか。お寿司、天麩羅などの料理や、著名料理店が登録されたのではなく、多彩な食材を使用する手法、出汁を使って旨味を引き出す栄養バランス、花や葉をあしらったり、素材そのものの季節感を活かしたり、あるいは正月などの年中行事との関わりなどの文化が遺産として評価されたというのです。

ただ遺産というからにはこれらの文化が失われつつあるということでもあります。若い世代に正しく継承されるよう期待するばかりです。


和食の美

2018-02-21 12:47:21 | グルメ

前菜(手前)とお刺身

見事な盛り付けの刺し身

天麩羅

寿司も盛り付けも握りもスマートだ

寒いのでこのところ外食が減ったが、気分転換にD-SQUAREに散歩がてら出かけた。片道30分位の適度な距離である。和食のお店で2+3のメニューを選んだ。お酒2杯に料理3品、メニューの中から自由に選べるという、晩酌にもってこいのものである。

お酒もビール・ウイスキー、焼酎、日本酒と各種あるが、日本酒の中に福島の銘酒「飛露喜」を見つけ一も二もなく注文。

前菜は豚しゃぶと水菜のサラダ、胡麻豆腐・鴨とだし巻き・わかさぎ南蛮漬けなどの盛り合わせ、それにお刺身、天麩羅、最後はお寿司の盛り合わせを頼んだ。二人なので計6品注文できるのも嬉しい。

運ばれてきた品を見ると、眼にも美しい。器も色のバランスがいいが料理の盛り付けも見事である。こう言う和食が世界無形文化遺産に登録されたのも、むべなるかなというところである。勿論味もよく、その上びっくりするほどのリーズナブルなお値段であった。

お腹は9分目ほど、おさけも8分目ほど、ホロっと来たくらいで丁度よい。少しやわらいできた夜風にあたりながら帰途についた。

梅綻ぶ

2018-02-20 04:24:50 | 雑感


冬季オリンピックでやっと金メダルを獲得。日本中が湧いている。平昌の寒さも少し緩んでいるのでは、と思わせるほどの熱気である。

立春を過ぎても厳しい寒さが続いているが、自然の営みは着実である。猫の額ほどの我家の庭にある梅の木にチラホラと花が咲き始めた。なにやら陽射しが暖かく感じるのは私だけか。

冬季オリンピックも2つの金メダルをきっかけに、次々と花を咲かせてほしいものだ。

面白い設定

2018-02-18 00:57:18 | 


田中経一「ラストレシピ」ー麒麟の舌の記憶ー 幻冬舎文庫2014年刊

「料理の鉄人」のテレビ番組の演出を手掛けた人物の作品。「みおつくし料理帖」「鴨川食堂」などと違い、人情物ではなく、ミステリー仕立てである。

題名からも推察されるように、ラストエンペラーと同時代、同じような満州、日本が舞台である。当時の軍部から大日本食菜全席なるメニュー作りを下命された宮内省大膳寮の料理人が主人公の一人、そのレシピを探す現代の凄腕の料理人がもう一方の主人公。

料理というのは人間の感情に依存することが多いのだろうか。それほどメニューそのもの、料理そのものには深入りしないが、料理人には傾倒する。ストーリー展開も結構よくできている。何がラストかなという疑問は残るが、面白く読める一冊である。

嬉しい心遣い

2018-02-17 10:34:29 | 友人・知人


先日の「おでんしゃ」の2次会席上、「貸していただいている本の2/3程読みました。」といわゆる畏友に話をした。この方はD社の元役員で、若いのに今は悠々自適の境遇。ロータリークラブ時代ご一緒した時、ゴルフも碁も麻雀も何もかもよくできた方で、しかも謙虚な人であった。

上場企業の役員とはこんなすごい人がなっているんだとそれ以来尊敬の念を抱いていたが、ロータリークラブ卒業後もお付き合いさせていただいている。彼は読書家でもある。寸時を惜しんで本に向かう姿も印象的であった。

その彼が、早速「おでんしゃ」の翌日、本の入れ替えに訪れてくれた。行動がスピーディである。このところ寒さと白内障の治療で外出もままならず、読書量が増えている身としては有り難い。その辺のところも慮っての配慮にただただ感謝である。

おでんしゃ

2018-02-14 10:47:05 | 行ってきました


出発前の車両

料理と社内飾り付け

持ち込みのお酒とツマミ

豊橋駅前のイルミネーション

ロータリークラブ時代の幹事さんのお世話で豊橋の「お電車」に出かけてみた。市電の改装版のこの電車は今は豊橋鉄道が運行しているらしい。一日2回の運行で、結構人気があり、なかなか予約が取れないという。

定刻にドアが開き乗り込んでみていっぺんに楽しくなった。車内はかすかに記憶に残る昔の花電車より派手派手しくデコレーションされ、テーブルの上には加熱式容器に入ったおでん、お弁当、枡と酒などが並ぶ。

酒はカップ1つだがビールはアサヒスーパードライ生が飲み放題らしい。座席数は24席貸し切りの時は30席まで増やせるそうだが、「走る屋台」というだけあって、隣りに座る人とすぐ仲良くなる。勿論満席である。

前と後ろに豊橋鉄道のバスガイドさんがお世話係として応援に乗り込み何かとサービスしてくれる。我々は持ち込みの日本酒とつまみの枝豆・ピーナッツで発車前から酒盛りを始めた。

間もなく発車。市電のゆっくりしたスピードが屋台の雰囲気にぴったりだ。おでんの加熱開始の紐を引き、弁当の蓋を開け、大いに盛り上がる。窓の外の夜景など全く目に入らない。生ビールのピッチが上がりジョッキ3杯目で折り返し地点に到着。公園で用を足し再び電車へ。

1時間半の運行時間はあっという間に過ぎ、再び豊橋駅前に。余韻覚めやらぬ私達一行は近くの飲み屋に飛び込み、追加の酒盛りをしたのは言うまでもない。すっかりいい気持ちになって、駅前のイルミネーションが賑やかに瞬く中を家路についた。

距離といい内容といい、手頃なイベントであった。予約手配などをしてくれた元幹事さんご夫妻に感謝しきりである。

碁界の権力争い

2018-02-13 02:04:01 | 


百田尚樹「幻庵」上下 文藝春秋社 2016年刊

ご存知売れっ子作家の青春歴史小説。江戸末期の「名人位」をめぐる碁界の覇権争いを描いたもの。この作家はこう言う覇権争いの世界を書くことが得意なのだろうか。関係者の立場、心理状態などを克明にたどる。

江戸末期の棋界には、本因坊、井上、安井、林の4家が幕府公認で君臨しており、碁の世界を緩やかに統括していた。この世界は寺社奉行の管轄であり、江戸城で手合を行う御城碁が開催され、幕府から扶持も出ていたという。こうした保護育成策もあり、元々中国から渡来した碁のゲームもこの時代には中国を抜き去り、世界最強となったという。

その幕末40年間空白であった名人碁所の地位につこうとした男とそれを阻止しようとしたものとの戦いや絡みを描いたものである。若干囲碁の用語が出てくるので、打ったことのない人には退屈な部分もある。

唐突ではあるが、オウム教団の上祐氏を思い出した。彼も才能はあるのだが、元の哲学の部分でどこか違和感がある。私の先入観かも知れないがこの著者は「永遠の0」は別として以降の作品はどうも権力に阿るにおいがする。