遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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「21世紀に生きる君たちへ」を見つけた

2010-12-28 09:19:53 | 


時間ができ、書の整理をしていたら、表記の小冊子が目に止まった。

現役の頃、少しの時間を見つけて、慌ただしく東大阪の司馬遼太郎記念館を訪れた際、購入したものだ。安藤忠雄設計の記念館には、図書館のように膨大な蔵書が展示されていた。

「竜馬がゆく」を執筆したときには彼が資料を買いあさったために、一帯の古書店では、龍馬関係の紙価が上昇したほどであったという。司馬遼太郎はそれほどの史料を読み込み、そのなかから「一滴の史実を掬いとるように」して本を書いていったそうだ。



またこの冊子には推敲原稿が併載されている。手書きの原稿に赤、青、黄色、緑、茶色の鉛筆で、加筆したり、塗りつぶしたりして推敲を重ねた様子がよくわかる。

この文章は小学校六年生向けの教科書に書いた短文である。彼はこの4000字くらいの文書を書き終えたとき「長編小説を書くほどのエネルギーがいりました」と述べたという。

人間は社会的なつながりだけでなく、歴史的にもつながっていること、生きてるのではなく、生かされている存在なのだ。他への尊厳と自己の確立を目指せと呼びかけている。小6へ解りやすい言葉で述べているのだが、現在の自分にもずっしりとくる内容である。

読み返してみると、哲学的、宗教的にも通用しそうな言葉であった。
こういう文章に若いうちに巡りあった人間は幸せである。


本年もつまらない文にお付き合い下さりありがとうございました。
皆様よいお年をお迎えください。

養老訓

2010-12-25 15:15:38 | 


以前に一度読んだのであるが、少し気になりまたページをめくってみた。

ベストセラー「バカの壁」の著者養老孟司の本である。
「養老訓」養老孟司著 新潮社刊 1200円(税別)

歳を取ってきたら、どう生きるべきなのだろうか。
著者は一言で言うなら、年をとったらそれなりに素直に、目の前の現実と向き合って生
きなさい。ということだろう。

いままで、体験、ルール、観念、常識と言われる事柄などに如何に我々は支配さ
れてきたのか。まだ来ない将来に対していたずらに不安になっていないのか?
私自身まさに彼の指摘通りの傾向で過ごしてきている。

いくつか記憶に残った項目をあげるならば次のとおりである。

素直に感覚に従う。感覚こそ具体的な事実である。
本当によれよれになったら、お金は要らないのでは?
なにより大事なのは体力。
きちんとしたマナーを身につける。

などなど、恵まれた学者の甘さも時折目に付くが、したり顔で先行きの不安を煽
る輩よりはずっとまともである。

なんとなくではあるが、気持ちがデンと座ってきたように感じる。

ホワイトクリスマス

2010-12-24 08:15:15 | 雑感


今日はクリスマスイブ。おあつらえ向きにうっすら雪が降り、ホワイトクリスマスだ。滲み込むような寒さで身が引き締まる。

この日は、なにか、今は一大イベントで、プレゼントはなにか、レストランは何処が良いか、二人で過ごすシチュエーションはどうか、など世間は喧しい。



ちょっと待って。この日はキリストの誕生日前夜ではなかったっけ。昨日は天皇誕生日だ。日本人としてはどちらが大切か。キリスト教信者でもない我々が、騒ぐなとはいわないけれど、本来は誕生日を祝い、神に祈るという日ではなかったか。その祝の日に、恵まれない、貧しい子供たちに施しをしたというのが、プレゼントの根源ではなかったのか。

楽しいことに水をさす気はないが、ルーツを忘れ、上滑りにならないようにしたい、と自戒しようと思う。若い人達に対する僻みかなあ。



池波正太郎

2010-12-22 09:37:08 | 

リタイアーして本を読む時間がたっぷりできたのが嬉しい。
乱読である。浅田次郎、高杉良、真保仁、幸田真音、堺屋太一、藤沢周平など手当たり次第だ。小説が多くなるのはやむをえまい。

何故か池波正太郎「鬼平犯科帳」に凝ってしまった。会社のT君から藤沢周平の用心棒シリーズを勧められ、その流れで「剣客商売」「鬼平」ときてしまった。
年をとると時代劇が良くなる、といつか聞いたことがあるが、確かにそんな気がする。

勧善懲悪、危機一髪の場面もあるが、必ず最後は長谷川平蔵が犯人を召し捕る、或いは斬って捨て、正義が勝つ。但しそこは若い頃無頼の生活を過ごした平蔵の事ゆえ、事件処理には粋な計らいを見せる。このパターンが水戸黄門と同じように読む者に安心感を提供する。

長谷川平蔵の設定は、若い頃不遇の環境に育ち、放蕩、暴れん坊生活をして過ごすが、事の成り行きで旗本の家を継ぎ、江戸の町を取り締まる役職につくというもの。
その平蔵ゆえ、下情に通じている。盗賊の心情を読むのに長け、関係者(同心、密偵、被害者家族、加害者家族など)、にきめ細かく目配りをしている。捕物に姿を借りた人情物と言ってもよいくらいだ。ここらあたりが小説の幅を広げている所以なのだろう。東京の中堅証券会社で丁稚働きをしていた作者の経歴と少し重なって見える。

「お盗め(おつとめ)」「連絡(つなぎ)」「畜生ばたらき」「急ぎ盗め」「押
しこみ=盗みの決行」『打ち込み=現場への捕獲決行」など池波ワールドの独特の用語を私も覚えてしまったが、著者はこうして時代の雰囲気を盛り上げている。

史実にあったかどうかは判らぬが、池波はこの小説の中で、繰り返し「真の盗賊の三ヶ条」を挙げている。
いわく
1.盗まれて難儀をするもの(家)には手を出さぬこと
1.つとめ(盗め)をするときには人を殺傷せぬこと
1.女を手ごめにせぬこと
である。

真の盗賊は、これと的を決めたら、準備に1~年かけ、そこに引き込み役(内通者)を送り込み、勤めさせたり、女将さんとして入り込んだりし、家の間取り、金庫、土蔵の錠前の鋳型取り、など準備を十分整えて、家のものに気付かれないように決行したという。あまりの手際の良さに、感心した豪商はお上への届出をしなかった例もあったという。

私にとって、ちょっと悔しいのは、出てくる江戸の地名の土地勘がないので、橋や川、屋敷跡
などそれぞれの位置関係がよくわからないのが、残念である。

人の心の動きとストーリー展開を愉しむエンターテイメントとして絶好である。もう15巻まで読んでしまった。


ロータリークラブ

2010-12-14 13:55:32 | 雑感

さようなら、歯車のバッジ

仕事からのリタイアーに伴い、ロータリークラブを退会することにしました。
このクラブの特徴的な理念=職業奉仕(自分の職業を通じて社会に奉仕する)という場から離れるからです。28年と7ヶ月在籍した事になります。

このクラブでは個性あふれる、人たちと交わることができました。諸先輩からは色々なことを示唆されたり、畏友とも言うべき人に巡り会うことができました。腹が立ったり、悔しくなったりしたこともありましたが、今となれば楽しい思い出です。
人を見る目の的確さでは、私が所属した組織の中では最高だと思います。ほんとうに良い人の集まりだと思います。


別れが辛くなるので、退会の挨拶は書面でとも思いましたが、会長の強い要請で、例会の場で行いました。皆さん静かに聴いて下さり、
例会後予想以上のたくさんの人からお別れの挨拶を頂きました。この組織は温かい人の集まりでもあります。

豫め用意した書面は次のようなものです。


退会のご挨拶
この度、株式会社クイックスの退社に伴い、平成22年12月27日をもちまして、刈谷ロータリークラブを退会させていただくことになりました。ロータリークラブの柱の一つ、職業奉仕の場から離れるからであります。
 本来であれば例会に出席の上ご挨拶させていただくのが本筋でありますが、お顔を合わせると寂しさがいっそう募りますので、書状にて退会のご挨拶をさせていただきます。

思い起こせば28年前、内藤先輩のおすすめで入会の運びとなり、前田さんと一緒に、オリエンテーションを受けました。以来数々の素晴らしい先輩方とご厚誼を賜り、文字通り、ご指導とご鞭撻を頂戴しました。私にとってはまさに人生の黄金期とも言うべき期間だったといえます。地区大会の記念誌、50年史の編纂に携わったり、地区の副幹事や委員長、2005~6年には会長までやらせていただき、経験を積ませていただきました。皆様の寛容なお心と友情に感謝しております。このクラブはほんとうに楽しく、素晴らしい人の集まりです。
旅は「どこに行くか」より「誰と行くか」によって楽しさが決まると申しますが、このクラブライフもそうでした。

 今後は体力の回復を図り、自然に親しむ機会を多く作り、少しゆっくりと第二の人生を楽しみたいと考えております。

最後になりましたが、この素晴らしい刈谷ロータリークラブの発展と会員の皆様方のご健勝、ご活躍を心よりお祈りしております。
長い間本当にありがとうございました。

旅日記 世界一周を終えて

2010-12-06 10:35:38 | 行ってきました


つまらない旅日記を最後まで読んで下さりありがとうございました。
4週間,ほぼひと月にわたる旅を終えて感じたことを記しておきます。

気候
7/24 成田ーセントレアについたとき、まさに湿っぽいサウナへ入ったかの
ような暑さだった。世界で一番過ごしにくい国へ来たのかという有様だ。今年の
猛暑は特別だったにせよ、クロアチアより、メキシコより、ロサンゼルスより,
勿論ロンドンより名古屋はすごかった。行った先ははいずれも乾燥しており、過ごしやすく、
殆どクーラーは要らなかった。それに比べ,日本は一刻もクーラーがないと過ごせない程だ。

時差
西周りのせいか時差ぼけは最後のメキシコで少し感じた程度。たいしたことはな
かった。

気質
スロベニア,クロアチアはやはりヨーロッパ文化圏で、歴史を感じさせられ、ロ
ンドンは大英帝国の自信と誇りを示している。
3週間も遊んでいたので、こんなことでいいのかと薄々思い始めた頃訪れたメキ
シコはさすがラテンの国。毎日の生活を楽しむ,人生を楽しむという点で考えさ
せられた。仕事の中に楽しみややりがいを感じている日本と、遊ぶために働くラ
テンの違いを感じた。同じなのは昔私達がやっていた、ご近所付き合いも大切に
しているのが懐かしい。特に田舎は良い。

日本の良さ
日本流の相手を思いやる配慮、連携プレイ(組織力)、清潔さ、などの良さも確
認できた。ホテルニッコー、ミヤコホテル、のサービスはやはり私達には心地良
かった。物作りだけでなく,サービスも日本の品質が良いのではないかと思う。


ミヤコホテルの日本風の湯船 とっぷり浸かって休まるう~。

食べ物
食べ物はどこも美味しかった。それぞれの土地でそこの特徴ある料理を頂いたが、
甲乙付けがたい。懐具合もあって、ワインもビールも紹興酒も高級品は飲まなかったが、
どこも美味しかった。

悪評高いイギリスでの料理も、インド,韓国,中華,トルコ,日本,イタリア、
など各国料理を味わったが、いずれもレベル以上で美味しかった。コッツウォル
ズ地方観光で食べた、スワンホテルのマスのムニエルやストラットフォードのア
フタヌーンティのクッキーは「この程度かな」と思ったが、酷評するほどの事は
ない。

年齢
欲しくてたまらないというほどではないが、やはり日本食を食べると、ほっとす
る。それと以前ほど精力的に一日中観光するという日程が少々きつくなってきた。
やはり年齢のせいだろうか?

家内に感謝
しかしなんといっても家内が、旅行の企画,交渉,手続き、荷造り、をきめ細かくやってくれ
る。まるで個人付きの添乗員のようだ。(プロと違うのは時々わがままが出ること
がある。たいしたことではないが)色々気を配ってくれるのが嬉しい。お陰で今回も快適な
旅をすることができた。感謝したい。



原則的に「旅はどこへ行くか、より、誰と行くか」により楽しさが違ってくる。まるで人生のようだ。と私は思っている。

南アルプス

2010-12-04 08:13:02 | 雑感

甲斐駒ケ岳

晩秋の一日,中央道を走ったら南アルプスがなんとも綺麗だった。

空気がいかにも透明な午後、左手に山並みが続く。

雪をかぶった甲斐駒と仙丈ヶ岳だと思うのだが(間違っていたらどなたか教えて
ください)、陽の傾きかけた秋空に堂々と聳えている。小黒川SAで車を止め、
しばし見とれた。


仙丈ヶ岳

もうあそこまで登る体力は残っていないだろうな,と思うと何故か悲しい。

旅日記 ロスアンゼルス 義兄へのお見舞い?

2010-12-03 10:07:34 | 行ってきました

メキシコシテイ空港

ビジネスラウンジは空いていた

7/22(木) メキシコシティーロスアンゼルス
朝2:00に目が醒め、ウトウトしたら4:00。時差ぼけが出てきたのだろう
か。
5:00ホテル発。5:15空港着。来るとき40分かかったのが僅か15分。
空港はサンフランシスコ行きの便乗客で賑わう。ビジネスラウンジでちょっと休
憩する。人は少なかった。予定通り7:30離陸。空気が薄い空港だと聞いてい
るので、少し気になったが、離陸したら眠くなった。

3時間でロスへ。米国本土への入国なので審査は厳しいかと思いきや、あっけな
く通過。甥っ子一家が車で迎えに来てくれていた。トーランス地区にあるミヤコ
ホテルへ。ハイブリッドホテルと謳っているのが面白い。(ここにトヨタ米国本
社がある)日本人スタッフもおり,サービスもきめ細かい。


ミヤコホテル

ホテルの裏にあるスーパーは、本屋(三省堂)、レストランなどは日本のスーパー
と同じである。9割が日本の本でメニューも、スーパーに並ぶ商品もほとんどが
日本製品。トーランスには5万人以上の日本人がいるそうだ。ここに赴任してき
た大企業のサラリーマンの奥さんは,一言も英語をしゃべらずに駐在を終えた例
もあるそうだ。なにせ「注文した料理ができた」という呼び出しも,日本語と英語と両方でやってくれる。

午後義兄が自らホテルへ迎えに来てくれる。もう一ヶ月近く前に退院し,今はリ
ハビリに専念しているとのこと。元気そうである。運転手付きの大型リムジンで
丘の上の自宅へ。豪華なお寿司をごちそうになり、子供たちと遊ぶ。お見舞いに来たつもりがごちそうになりに来たようなものだ。10時ホテルへ。

明日はいよいよ日本へ帰る。


旅日記 メキシコ(7) 田舎ところどころ ダニエルと

2010-12-01 11:24:38 | 行ってきました

7/21(水) 曇りー晴れ:雲の流れ早い 現地の人の案内で
家内の調子が今ひとつ良くなく、一人でダニエルと地方にあるピラミッド探索へ





朝ホテルへダニエルが迎えに来てくれる。家内は少し調子が悪く、ベッドに入っ
たまま。朝のラッシュで混雑する市内を抜け、高速道路を使い郊外へ。通行料は
日本の1/5位だ。まずカルメン教会(跡)へ。森の中にある古い教会。「獅子
の砂漠」にあるというが、一面の大木である。13世紀~16世紀(スペイン征
服後)建てられ、中庭,外庭が残されており、静かな佇まいのきれいな教会であ
る。時折結婚式が行われるという。幼稚園(小学校低学年?)の子供たちが20
人ほど団体で来ていて賑やかに騒いでいた。

ささやきの部屋

中庭

暗闇の中の通路(フラッシュで明るい)

建物の中は一部のみ公開だったが、庭の隅に会った庵では、片方の隅で角に向かっ
てささやくと、対角線上の反対側でその声が良く聞こえる。この構造が不思議だっ
た。また地下室の戒壇巡りみたいな、真っ暗闇の部屋の中を進むのも面白い。入
り口に懐中電灯売がいた。50ペソくらいだったような気がする。出口近くの壁
は紫色に光る石が美しかった。


ピラミッド群

壁画も残っている

古代の競技場跡 なんの競技だろう

次はティオティナンゴのピラミッドへ。ダニエルの車はカーナビが付いていない
ので、地図と現地の人の案内を頼りに向かう。3,4回車を止めて,道を聞いて
やっと現地到着。案内事務所から10分くらい登ったところに、いくつかのピラ
ミッドが点在する丘がある。テイオテワカンの小型版だ。頂上の平らなピラミッ
ド、競技場もあった。壁画も残っている。ダニエルは次々と案内してくれるが、
同じようなものなので途中でやめる。見晴らしの良い神殿にしても、砦にしても
良い場だが、まだ高いところが背後にあるので、砦にしては不十分か。


マリナンコの街

復元された神殿

神殿内部

ダニエルと二人で

丘からの展望

帰り道の石段

次はマリナンコのピラミッドへ。ダニエルはまた頻繁に道を尋ねる。ちょっとし
た集落へ入る。マリナンコは小さな街だが市場もあり、山が迫っている。ティオ
ティナンゴよりは観光資源としての扱いがされている。聖人サン・ミゲルの泉が
あるせいだろうか。小径の角から整備された石段を上がる。途中門があり、41
ペソ支払う。ダニエルはタダ。(大学でなにか教えているらしい)。そこから2
0分近く石段を登る。終点には復元された神殿が建っていた。横には石室がたく
さん残っていた。武士の部屋のようだ。神殿+砦の機能があったのだろう。

道路沿いのタコス屋

犬ものんびり昼寝

もう一箇所ピラミッドへ行くか?とダニエルが誘うが、疲れたのでもう十分と断る。帰途道
路脇のタコス屋でスープ、タコス、コーラを食す。75ペソ(二人分)冷えたコー
ラはなかったが、タコスの中味をを色々聞いてくれたり,娘さんはなかなか親切
だ。一路メキシコシテイへと言いたいところだが、やはり途中ところどころで道
を尋ねる。夕方のラッシュの中を渋滞に巻き込まれ6:30頃ホテル到着。部屋
へ電話するがまだ家内は調子悪そう。ラウンジでダニエルとお茶を飲む。


ダニエル夫婦

マリ・カルメン(奥さん)登場。手土産にトルティージャ(直径10cm位のかわいいも
の)をくれた。写真をとろうとしたら,ポーズを取る。熱々だ。ダニエルとメー
ルアドレスを交換し、再会を約して別れる。

明日の空港までのタクシー予約を30分繰り上げ、部屋へ戻る。
家内の調子がいまいちなので、夕食はホテル内の和食レストラン「弁慶」ですま
す。天麩羅,寿司定食、ビール。美味しかった。家内は少し元気が出たようだ。
就寝。12時近く。