遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

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たんたんたぬきの????は~

2010-11-28 14:01:10 | 雑感
以前に書いた,最後の社員旅行で信樂に行った折、体験教室で狸の焼き物を作ったがそれが手元に届いた。

15cm程の小ぶりで愛嬌がある。狸はどうも憎めない。

なぜ信樂が狸なのだろうか?

信楽焼の狸の置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造氏が作ったものが最初と言われている。1951年(昭和26年)、昭和天皇が信楽町行幸の際、
たくさんの狸(の焼き物)たちに歓迎されたことに感銘して歌を詠んだ逸話によって、全国に
名が知られるようになった。
「をさなどき あつめしからに 
            なつかしも 信楽の狸をみれば」と詠まれた
というから、まだ60年足らずの歴史である。

縁起物として喜ばれ、狸が「他を抜く」に通じることから商売繁盛と洒落て店の軒先に置かれることが多い。信楽焼八相縁起に因んで福々とした狸が編み笠を被り
少し首をかしげながら右手に徳利左手に通帳を持って突っ立っている、いわゆる
「酒買い小僧」型が定番である。

地元の人によればこの狸は次のことを表している、という。

信楽狸八相縁喜
笠・・・・災難から身を守る
目・・・・物事を正しく見つめる
顔・・・・愛想良く誠実に!
腹・・・・大胆な決断力を持て!
徳利・・常に徳を身につければ自ずと利益が!
通帳・・世渡りは信用第一!
金袋・・貯金せよ!
尾・・・・しっかりと身を立てる
杖・・・・転ばぬ先の「杖」で幸福をつかむ

いちいち理由が付いている。
本当かなあ!まあ,愛嬌に免じて許そう。

久しぶりの入笠山

2010-11-26 00:06:03 | 登山・ハイキング
もったいない位の天気だったので、久しぶりに入笠山に登りました。(11/ 21)
上の方の林道には雪が残っており、滑り気味で夏タイヤでは不安だったので、途中の駐車場に車を置いて、一時間半ほどかけて林間の道を登りました。(通常は上の駐車場から30分ほどで頂上につ
きます)

右下に富士山が見えます

思いついたのが遅く、1時30分ころから登り始めたので、頂上には3時頃に到着。
林間の緩やかでよく整備された落ち葉の道が快適でした。登山道というよりハイキングコース
です。
頂上には一人しか人はいず、360度の絶景を心ゆくまで堪能できました。


甲斐駒ケ岳

暮れ始めた八ヶ岳

富士山も、北アルプスも、御岳も、乗鞍も、木曽駒も、勿論南アルプスも,八ヶ
岳も陽が傾きかけた青空に、きりりと聳え、谷間に広がる薄藍色の影と八ヶ岳連
峰の残照に輝く赤色の峰々との対比がなんとも綺麗でした。


山頂の輝きと麓の影の対比がなんとも美しい

帰りは空気が冷え、手先が凍えてきましたが、日が暮れるのと競走で小走りで降
りてきました。駐車場にはさすがに私達の車しか残っていませんでしたが、澄ん
だ空気の夕暮れの中を降りてきました。

里に入ったら、山の端に満月が輝き、気持よく帰途につきました。

読了。面白かった。

2010-11-24 13:25:41 | 
「神々の指紋」上下二巻、読み終えてしまいました。

この連休で読み終えましたが実に面白い。司馬遼太郎の考古学版みたいである。

終わるのが惜しいと思いつつ、つい読み進んでしまいました。

我々が通常認識している時代を歴史時代というのならば、そのはるか前、紀元前
8000年から10000年以上前に高度な文明があった。天文学、航海術、土木建築学、暦学
数学、などなど。

その文明は南極大陸で栄え、気候変動で滅びた。一部の先進的な人々が、文明を伝えるべく
数々のメーセージを残した。

まるで文明の輪廻転生ともいうべき推理を、数々の証拠を検証しながら展開する。

温暖な気候や,氷河期が激しく地球の気候を変化させただけでなく、地殻が激し
く移動し、南極大陸は今よりはるかに赤道寄りにあり、氷に覆われてはいなかっ
た。(ピリ・レイスの南極大陸地図。アインシュタインの大陸移動説)

スフィンクスは地質調査の結果10000年~15000年前に建造されたことが明らかに
なった。隣にある巨石で作られた河岸神殿も同じ。

例えばナイル河から12キロ離れた地から12隻の巨大船がアメリカとエジプトの考
古学者により発見された。5000年前に建造されたものである。(洪水期)

南極大陸から落葉樹やリーフ(礁)の化石が発見されている。(温暖な気候)

などなど、を傍証として挙げている。
そんなに文明が進んでいたのなら、どうして文字や記録が残っていないのだろうか?
そんな疑問が沸いてくる。南極大陸の厚い氷を取り除いたらなにか出てくるのかもしれない。

十分に意を尽くしませんが、興味は増します。お陰でメキシコ・ティ
オティワカンは読んでから行けば良いと思ったし、エジプトへも行きたくなりました。

時間の許す方は一読下さい。面白いですよ。

旅日記 メキシコ(6)テイオテイワカン 神々の集まる場所

2010-11-23 23:42:16 | 行ってきました
7/20(火) 曇りのち豪雨




いよいよこのツアーハイライトのテイオテイワカンへ向かう。
テイオテイワカンは現地語で神々の集まる場所という意味だった。

ピラミッドは墓ではなく神殿である。宇宙は3角錐だと考えていた。地動説もゼ
ロの発見も西洋より早かった。(「神々の神殿」グラハム・ハンコックによれば、
エジプト文明もマヤ・インカ文明も共通の古代文明から先進技術を受け継いでい
ると言っているが)とガイドの千葉さんが教えてくれた。


ピューマの壁画

アステカ文明は黒曜石の加工技術があまりに進んでいたので鉄器が発達しなかっ
た。そのため鉄の武器と馬のスペインに負けた。
神殿の一部にピューマの壁画が残る。紀元前~300年ころに書かれたものらし
い。


月のピラミッド


死者の道 ハンコックによれば水路


太陽のピラミッド

太陽のピラミッドからの展望 この方向も天文学的に意味があるらしい


これもピューマの壁画

ピラミッドの発掘作業に近代技術を駆使して、的確に対象を探すのが日本の杉山
三郎氏である。この辺りは古墳群とも言うべき様相だ。「死者の通り」と呼ばれ
る広い通りを挟んで数多くのピラミッドが並ぶ。一際大きい二つのピラミッド、
月と太陽のピラミッドに登る。死者の通りは軽い傾斜が太陽のpに向けて付いて
いる。ハンコックの推理ではこれは水路だったのだという。太陽のpは75mの
高さだが、登ってみるともっと高く感じる。頂上で息が切れ,軽いめまいを覚え
る。ガイドの千葉さんは膝が悪い人のことでどちらにも登らなかった。


昼食のテーブル

メキシコシテイに戻り昼食。サラリーマンが集まっているレストランで定食を食
べる。運転手さんと4人で一緒だ。スープ(コンソメ、ポタージュの選択)チャー
ハン、メイン(横隔膜の石焼かステーキ)水(オレンジ、ハイビスカスの選択)
 デザート。勿論パンとトルティーヤは付く。満腹。

広場横の商売

大聖堂

市庁舎と大統領府

ソアロ広場にはためく大国旗

大聖堂

検問のある入り口

取り付きの階段にあるリベロの壁画 2階の回廊

中庭

食後旧市街、ソアロ広場へ。天安門、赤の広場と並んで大きな広場とのこと。周
りは工事中であったが、大きな国旗が中央に立っていた。市庁舎(宮殿)大統領
執務室、大聖堂に囲まれている。市庁舎などに入るには検問があり,パスポート
を提示せねばならぬが、中庭,2階の壁画が解放されている。リベロ作、文盲対
策の意味もあり、メキシコの歴史を描く。

中庭にあるサボテン植樹?


大聖堂内部

大聖堂自身の傾きを示す分銅

外へ出ると雨が降ってきた。大聖堂に入って時間を稼いだが,雨は強くなる一方
だ。まさに豪雨と言っていいほどの、すごい雨に見舞われた。街頭でモノを売っ
ていた人たちはあわててビニールをかけるか、片付けて店じまいを始めたがとて
も間に合わずに雨に濡れた。

夜ダニエルさんが奥さんを伴い訪ねてきた。近くの韓国料理店に行くが、狭いと
ころに押し込められ、場末の雰囲気だった。ふたりとも殆ど食べずに終わった。
ホテルに戻ってラウンジで一杯(奥さんだけ、ダニエルは車の運転のせいか飲ま
ない)やって別れる。ダニエルは真面目、奥さんは可愛い人だ。11時30分頃
まで話が弾んだ。

旅日記 メキシコ(5) メキシコ文化を訪ねる一日ツアー

2010-11-22 22:26:02 | 行ってきました

7/20(火)曇り→大雨 メキシコの歴史探訪。現地一日ツアー参加。

朝食は近くのコンビニでコーヒー(間違ってココアになってしまったが)、サン
ドイッチ、水を買ってきて簡単に済ませる。9:00ガイドの千葉さんがホテル
に迎えに来る。私達2名のみのツアー。ミニバンで出発。


アンヘル像 右手に月桂樹、左手に鎖を握っている

市内レフォルス通り。ナポレオン3世の時代、マクシミリアンが3年だけ統治し
た。その折の后が『シャンゼリゼが恋しいと」言ったのを受けて、そこを模して
作ったという。植民地時代の,わがままな后と、いいカッコしいの統治者のお蔭
でできたメインストリートである。通りにはアンヘル=天使像、アステカの最後
の王クラウテモク、コロンブス、1910年独立100年を祝って建てられた数
々の銅像が並ぶ。

メキシコシテイは殆ど道路は一方通行で、左端にバス、パトカー、救急車用のレー
ンが設けてある。トロリーバスが走っている。環境保全の観点から最近これが見直され
てきたのだそうだ。外務省の近くの教会の前にピラミッドの土台部分が残ってい
る。スペインが1521年に征服した後、この遺跡の石を使って教会を建てたと
いう。街の中心部にも遺跡の上に教会を建てたところもある。当時のアステカの
人々は耐えらえなかったのだろう。スペインはひどいことをするものだ。


グアダルーペの教会

キリスト教の布教が進まなかったのもこういう背景があったのだろう。
奇跡を起こした褐色の聖母、グアダルーペの教会へ行く。
現地人ディエゴが親戚の人の治療に助けを呼ぼうとかけ出したとき、褐色のマリ
ア、グアダルーペが現れ、病気は治った、この花を持ってゆけと,冬に薔薇の花を
授かった。これを包んでもって帰ったマントに聖母が姿を現した。ここからキリ
スト教の布教が進んだという。現地の人と同じ肌の色の聖母、病気を直し、その
他の奇跡を起こすなど、外来或いは新興宗教が定着する要素が沢山盛り込まれて
いる。


奇蹟のグアダルーペの像(実物)

この教会は世界の三大奇蹟の地(フランスのルルド、ポルトガルのファティマ)
ということらしい。丹下健三と親交のあった建築家の手になる近代的な建物だが
たしかに代々木体育館にどこか似ている。いまやメキシコの一億600万の人々
は殆どカソリック。ここはその中心の教会。メキシコだけでなく、中南米、世界
中から信者が訪れる。教会前の広場では時折風船が空に放たれていた。右手の丘
には古くからの教会が集まっている。見ただけでも三つはあった。地盤沈下や地
震で傾いてきているのだそうだ。ウイークデイの午前中といえども、さすがに三
大奇蹟の教会。各所から集まった人たちで賑わっている。韓国人の団体も来てい
た。奇蹟の布地がみんなに見えるように壁に展示してありすぐその下まで行って
見れるような通路が出来ていた。

日本からの観光客もリーマンショック以後徐々に回復してきたが、メキシコー日
本の定期便はJALが撤退し、暗雲が去らなかったがアエロメヒコが週4便就航
させることとなった。但しメキシコ空港は2000m以上の高地にあるので、離
陸時に膨大な燃料がかかるので、メキシコシテイの直接便はないそうだ。

次はいよいよハイライトのティアティオカンのピラミッドだ







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埋もれた文明「神々の指紋」

2010-11-13 12:32:07 | 
閑話休題 世界一周の話を友人としていて、「メキシコのマヤ文明は西洋よりも
遥かに天文学が進んでいた」とメキシコのガイドから説明を聞いたことを伝えたら、「面白
い本がある」と勧められたのが、「神々の指紋」グラハム・ハンコック著 翔泳
社刊。3年ほど前のベストセラーだ。親切にも彼は上下二巻の本を貸してくれた。

ところが何気なく読み始めたらこれが面白い。まず米国空軍中佐オールマイヤー
司令官からキーン州立大学ハプグット教授への手紙から始まる。もちろん実話である。それによると、教授が鑑定を依頼したピリ・レイス(オスマントルコ帝国海軍総督)の南極を含
む世界地図はほとんど正しいとのべている。ところがこの地図は1513年に描かれています。しかし、南極大陸が発見されたのは1818年、しかも1・6キロの厚さの氷に覆われています。1949
年にイギリス,スウェーデンの南極大陸調査団が氷原の上から行った地震波測定
の結果と図形は一致している。南極大陸が氷に覆われていなかったのは紀元前4000年以
上も前である。しかもこの地図は正確な数式を駆使した図法(メルカトル図法な
ど)をもちいている。いったいこれはどうしたことか。

この研究をアインシュタインも支持をしている。パグウッド教授の主張は紀元前
のはるか昔に高度の文明があったのではないかというものだ。ナスカの地上絵、
マチュピチュ、チチカカ湖沿岸の遺跡、そしてメキシコ・ティオティワカンなど、
にもその痕跡が残る。とハンコックは書いている。これらはエジプト文明などと
似ていたり共通事項が多いが、どちらかが片方に伝えたというのではなさそうだ。
つまり、マヤ,アステカ、エジプトなどに影響を与えた更に前の高度文明があ
ったのではないか、という主張だ。皆さんはどう思われますか?

ハンコックは綿密な現地調査を行ない、欧米人特有のかなりしつこい論理の組み
立てと実証を行っている。この本は面白いのと,緻密なので,同じところを何遍も読み
なおして,なかなか進まない。まだ漸く半分だが、終わるのが惜しいような気持
ちになってきた。

私達が想像もしなかった世界がノンフィクションで展開する。文明についての新
しい視点だ。メキシコ旅行の前に、大英博物館見学の前に読んでいたらと惜しまれる。


旅日記 メキシコ(4) 少し緊張のメキシコシテイ

2010-11-11 16:44:07 | 行ってきました
7/19日(日)晴れ 本日は移動日。出発がアグアカリエンテス空港14時な
のでゆっくりだ。 友成君は相変わらず、何か仕事に取り組んでいる。とても熱
心な先生に見える。日本よりは先生一人当たりの生徒数は随分少ないように聞い
たが(確か生徒数60人余りに先生11人のように聞いたが、うろ覚えではっき
り思い出せない。)、そこは外国のこと,また進学、進路についての父兄の関心
は非常に高いので,教育現場では何かと配慮がいるのだろう。彼の話では、校長
は2~3年で交代するので、赴任中とにかく事故がなければ、という姿勢が強く、
日本にいる時より遥かに強い「事なかれ」の傾向がある、と不満そうだ。いかにも日本的な
悩みだ。


スーパーで遊ぶ優衣ちゃん 彼女のワンダーランドだ

奥さんと近くのスーパー(といってもコンビニに毛の生えた程度)へ遊びにゆく。
ここでも店の人とはるみさんは親しげに声を掛け合う。ハムの試食。2種類を大
きく切って出してくれる。買ったのは少々。お客同士も挨拶をしあう。珍しい豚
皮を揚げたスナックも大量に試食に出してくれるのにはビックリ。優衣ちゃんへ
の愛想も肉屋さんの時と同じで、店員もお客も非常に親しげだ。

家に帰ると掃除のおばさんが来ていた。国の政策で雇うのが義務付けられている
のだそうだ。9~11時で一ヶ月90ペソ。無駄口を叩かずひたすら掃除,洗濯
に励む。ラテンとは思えない生真面目さだ。知成くんからお土産にテキーラを頂
いた。乾いたこちらの空気の中で飲むと美味しそうである。


アグアカリエンテス空港

見送りに来てくれた菱田ファミリー 可愛い優衣ちゃんともお別れ

待合室からのエアーメヒコ

妹とはこの家で別れ、空港へは優衣ちゃんを含め3人が送ってくれた。菱田一家
には奥さんを始め、妹,優衣ちゃんも含めて、すっかり歓待された。忙しい中やっ
と休暇に入った知成君にも負担をかけた。仲良くなった優衣ちゃんと別れるのが
ちょっぴり寂しかったが、彼女の方はあっけらかんとしている。地方空港なので
荷物検査は機械でなく、目視で丁寧にみられた。金属探知のみ。ペットボトルは
OKだった。公私共に暖かだったアグアカリエンテスを後にメキシコシテイへ。


メキシコシテイ空港

ホテルニッコー



定刻通り到着。空港出口のタクシー乗り場で、行き当たりばったりで乗り込み、
170ペソの定額でホテルニッコーへ。暫くはフィリピンを思わせる治安の悪そ
うな街の中、渋滞しながら進む。何かが起こりそうで少なからず緊張。緑の街路
樹が増え、綺麗な街並みになった頃ホテル到着。40分ほどかかった。ホテルは
日本人スタッフはいないが、日系だけあってフロントもベルボーイも丁寧,親切。
コンシェルジェに聞いたところ、このあたりは治安もいいそうだ。緊張が少し解
ける。


今夜はマルガリータで乾杯

料理はどれも結構美味しかった

コンシェルジェの言葉に安心し近くを少し散歩し、コンビニでビールを買ってき
て,部屋で乾杯。刈谷から東京へ出たようなものか。都会は緊張を強いられるの
はどこの世界でも同じだ。知成くんから連絡があり、明日18:30知人のダニ
エルがホテルに訪ねてくるとのこと。
夕食はホテルで紹介された,近くのメキシコ料理の店。スープ、肉,魚一皿ずつ。
マルガリータを2杯飲んで700ペソ。味はまずまず。量が多かった。9時ころ
店を出たが、その頃からお客が入り始めた。こちらは時差ぼけのせいか、夜はば
かに眠い。10時就寝。

ボーイ頭が気を利かせて二人をとってくれた



旅日記 メキシコ(3) ラテンらしい極彩色の街グアナハトへ

2010-11-07 17:20:02 | 行ってきました

7/18(日)晴れ グアナハト=レゴハウスのような世界遺産の街

本日はかねて行きたかった、銀山の街グアナハト。日本の石見銀山と同じくらい
の産出量を誇った街だ。以前NHKの世界遺産紹介番組で銀山に働いていた人を
題材にして取り上げていて一度は行きたいと思っていた。


チリソースをかけてくれる店員さん

グアナハト入り口のモニュメント


街へ入る地下道


朝9時過ぎ知成君の車で出発。途中スタンドで給油をし、付属の売店でスナック
菓子(豚の皮を揚げたものに、袋を開けチリソースをかけてくれる)とコカ・コー
ラを買う。鉱山跡の地下道(坑道)が道路になっており、そこを抜けて街に入る。日曜日の
世界遺産の街とあって観光客が多い。

知成君の話によると、メキシコでは人口1億600万人で、自殺者は4000人だ
そうだ。今日本はメキシコ人が考えるほどのパラダイスではない。人口1億3
000万人で、3万人の自殺者がいる。貧富の格差がが進み、リストラにあって人生を
はかなんで自ら命を落とす人も多いという話を彼がしたら、メキシコ人に「どうして会社を首になったくらいで自殺をするのか?」と不思議そうに聞かれたらしい。ラテンでは、規律に縛られ働かなくても済む生活ができるのではないかということが優先するようだ。

そういえば、車が交差点で渋滞気味に止まると、ぼろ布を持った若者がニコニコ
笑顔を見せながら近づいてきて、窓を拭き、明るく手を出してくる。甥っ子が「あげな
くてもよいが、ポケットの中の小銭くらいで十分だ」と教えてくれる。それでも
多分一日やっていれば、10ペソ以上にはなるだろう。パンが1ペソの国だから、
食べてゆくのには十分だろう。しかも人は温かい。自殺者が日本の1/8くらい
というのが頷ける。


銀鉱跡の見学地


坑内の酒場

坑道

道具の展示場 なぜかミイラがあった

鉱石を砕く道具

観光客用の銀鉱跡へ。当時の酒場,坑道,鉱石を砕く道具などが展示してある。説明係のお兄さんが何やら早口ののスペイン語で熱心に喋る。参考に入る坑道はは長さ30m、深さ2
0m位のミニチュア模型みたいな場所だ。むしろさっき通ってきた、町の入口の坑道跡を利用した地下道のほうが宏大だ。


くちずけの小径

グアナハトの街角

大聖堂の中


レストランで一休み

スペイン語の注文はすべて知成君が

ビールはもちろん,料理はみんな美味しかった


マリアッチが休日気分を盛り上げる

街中に戻り、くちづけの小径、ドン・キホーテ美術館、大聖堂、劇場などを見て
昼食。大きなガジュマルの木陰のテーブルに座る。ソバ・デ・トルティージャ
(トルティージャのスープ)、春巻きのチーズソースがけ(クラウタ)を肴にビー
ル。マリアッチが何組も回りで演奏をしている。

大劇場


ケーブルカーで登る山


山頂の英雄像


極彩色の絵の具箱の中のような景色


風船売もここでは景色に溶け込んでいる

市場の中も賑やかだ



昼食後ケーブルカーで大きな像のある山頂へ。ここからの展望が素晴らしい。山
際に散在する住宅がまるでレゴの箱をひっくり返したように,色とりどりで綺麗
だ。ヨーロッパのように統一された色調の街並みもきれいだが、これらもいかに
もラテンらしくて楽しい。再び街へ降り,街角でトルティージャうりに声をかけ、
味見をさせてもらう。大きな市場をざっと見て帰途へ。グアナハトはなかなか雰
囲気のある街だ。メキシコ各地から観光に来た人が多い。6時半ころ帰宅。


待っていてくれた優衣ちゃんとのツーショット


フレンドリーなレストラン


甥っ子家族と妹

一日待ってくれていた奥さん、優衣ちゃん、妹、も合流して、全員でスペイン料
理のレストランへ。日曜営業の店は限られているが、やはり店員はフレンドリー
である。

メニューは、昨日飲んだ黒ビール(ネグロ・モデロ)サングリア、ハウスワイン、
料理は、ステーキ,パエリア、タコの柔らか煮、地中海風サラダ、タコス、生ハ
ムとバケット、などで和やかな雰囲気で愉しむ。勘定は全部で約1000ペソ。
本日は今までのささやかなお礼にもならないが、気は心で我々が,サインした。

帰って家で、テキーラ,オレンジジュース、の砕氷割りを一杯飲み、みんなで話
をして就寝。11時。


旅日記 ラテンの国メキシコ(2) トラケパケ(地方都市の観光)

2010-11-04 18:01:40 | 雑感

7/17日(土)晴れ 日中は28度くらい

昨日が遅かったせいもあり、朝9時ころ出発の予定だったが、車の修理に手間取
り11時半になった。ハルミさんと優衣ちゃんは本日はお留守番。出発まで、優
衣ちゃんと遊ぶ。

ガソリンスタンドに寄って給油し、ついでにゼロ・コーラと絵葉書を買う。(と
いっても知成くんが買ってくれた)乾いた土地ではコーラがよく合う。
車で高速道路を走るのだが、140kmくらいで飛ばすので,少々怖い。ワーゲ
ンは120kmくらいから音が大きくなる。平原の中をひたすら真っ直ぐ進む。ヨー
ロッパではこうした場合、ところどころ教会の尖塔を持つ集落を通り過ぎるのだ
が、こちらは一向にそんな集落が見えてこない。牧場と湖が二つほどあるだけで、
ノンストップで230kmを突っ走り,目的地テラケパケへ。

トラケパケの街角,中心

舗装されていない駐車場に車を止め街中へ。観光客も多く(中国,韓国,日本は
ゼロ)いかにも南米という雰囲気の街角を歩いた。ここにもあるイダルコ神父の
像の周りで,本の市場が立っていた。この国の文盲撲滅に呼応するかのようだ。


チョコレート煮は意外にいけた


トルティージャは冷めないように包んで出てくる


ソースと飲み物  ビールにカボスを入れるのも美味しい 

2時半過ぎコロニアル風のレストラン(バリアン?)へ。牛肉のステーキ、チキ
ンのチョコレート煮、ラムの炒め、小エビのカクテル、それにトルティージャ。
揚げたものも付く。ビールはネグロ・モデロという黒を頼んだ。甥っ子は車の運
転があるので残念ながら、オレンジジュース。

マリアッチ

中庭での民族舞踊

愛嬌よくサービスの人が動きまわるが,効率は良くない。中庭で楽団が演奏を始
める。ギター,アコーディオン,バイオリン,トランペット、など総勢12人で
ある。一曲終わると、お客の席へ注文を取りに来てそのテーブルを囲んで唄を中
心に演奏。この楽団をマリアッチというのだそうだ。3曲くらいで2000円見
当だという。
陽気でいかにもメキシコ的である。中庭の舞台で民族舞踊。これもそれらしい雰
囲気だ。料理と音楽で昼間なのについビールを2本空ける。おいしい料理だった。
苦しいほどの満腹感だ。明らかに食べ過ぎだ。
良い気持ちになって外へ。ちょっと小奇麗な通りを歩く。


看板代わりの大きな椅子


終点の広場とモニュメント

鉄でできた人形のマリアッチ

教会内部

駐車場付近

テキーラ専門店、スカーフ屋、陶器、レストラン、大きな家でそこの家具,調度
品を売りに出しているところ、彫刻や背丈以上もある大きな椅子(看板代わり)
など何故か「ギャラリー」とかいてある店が多い。冷やかしながら楽しんで200m位歩いて広場に出る。
モニュメントと噴水があり終点。教会を覗いて帰途へ。7時半くらいに自宅到着。ま
だまだ明るい。夕飯は満腹が抜けきれず、とうとうパス。

PCで久しぶりに、「太田総理」という番組を見た。懐かしい。

旅日記 フレンドリーなラテンの国 メキシコ

2010-11-02 08:01:18 | 行ってきました
 フレンドリーなラテンの国 メキシコは意外に涼しい

7/16(金) 晴れ 爽やか

朝は涼しい。18度~20度くらいか。空気も乾燥しているので爽やかな朝だ。
味噌汁,ご飯の朝食。やはりホッとする。おいの知成は既に学校に出勤。本日は
終業式だ。朝食後30m位の距離の近所の肉屋へ。


近所のお肉屋さん

5坪くらいの小さな店なのに5人ほどの店員がはたらいている。一人はレジ専用
店員だ。人件費が安いのか、失業対策のワークシェアリングかのどちらかだろう。
甥の嫁さんが姿を見せると「ハルミ(嫁さんの名)××××(スペイン語)」と口々に笑顔で、親しげに話しかけてくる。まさにラテン民族の応対だ。子供の離乳食用なのでほんの少しのひき肉を求めるだけなので,金額にしてわずか50~100円なのだが、親密な笑顔は絶えない。
おまけに試食に食べろと提示されたサンプルは、皿一杯に盛られたハムで、とて
も食べきれない程大量にだされる。そういえば私も子供の頃、近所の商店のおじさんやおばさんとのやりとりはこんな風だったと懐かしい。

とても可愛い優衣ちゃん よくなついてくれた。

2歳になる子供の優衣(ゆい)ちゃんが機嫌よく私になついてくれる。ピーピー
言ったり、わがままを言わず、おとなしくて可愛い。街を歩いていると、すれ違
う人があいさつを交わすだけでなく、優衣ちゃんを親しげに触ってくる。「知り
合いか」と聞いたら、お母さんは「初めて会った人」と屈託がない。温かい社会だ。

ひと休みして、タクシーで街の中心部へ。メキシコシテイから北へ200km位に
位置するアグアスカリエンテスには日産の工場があり、関連企業に勤める日本人
は500人ほどがこの都市にいるそうだ。

ランドマークの大聖堂

大聖堂前の広場

大聖堂と内装

ランドマークの大聖堂は外側がいかにもメキシコ風に赤土で出来ている。内装は
白に金のスマートな装飾。懺悔をする人が行列を作っていた。広場を挟んで斜め
前の市庁舎へ。コロニアル風の歴史的な建物で独立革命を指導したイダルコ神父
を描いた壁画で飾られている。

市庁舎とカトリーヌ


入り口の観光案内所にはカトリーヌという名のガイコツ人形がおいてあり(ゲゲ
ゲの鬼太郎みたいなものか)写真を撮っていたら,係の人が「もう一つあるよ」
と衣装なしの物を持ってきてくれた。フレンドリーである。近くのレース屋さん
でお土産を買う。ここの店員もフレンドリーだ。

レース屋さん ここの店員もフレンドリー

再びタクシーでスーパーへ。モールの片隅の屋台で、イカマーという赤いキャン
デー状のものを一口づつ味わう。クワイみたいな芋に赤い酸っぱい粉をまぶした
ものだ。この辺の名物だそうだ。歯ざわりが良い。一口目は大いに酸っぱかった
が、これはまぶしてある赤い粉のせい。二口目は美味しく感じた。

スーパーとイカマー

スーパーは食料品が激安。大きなパンが1ペソ(7円)、レーズンやごまなどで
加工してあるもので4ペソ。30cm経のスポンジケーキ40ペソ、水2L 5
ペソなどなど、とにかく安い。

お昼ごはん サボテンが見える

昼飯は再びタクシーで、サボテンを食べさせる、トルティージャ(タコス)店へ。
ビールをラッパ飲みしながらのサボテン料理。タコスは美味しく4回もお代わり
をした。

帰宅して昼寝。おきて優衣ちゃんと遊び、終業式を終えて帰るはずの甥っ子を待
つが8時半迄帰宅せず。本日は教え子達が演ずるオペラ「夕鶴」を見にゆく予定。
最後まで指導をしていた人のこと。帰宅後直ちに上演会場へ。学芸会の延長かと
思っていたが、会場は市民会館の大ホール。1000席ほどの客席に大勢の人た
ちが鑑賞に来ている。
舞台の半分をオーケストラが占め、きっちりとした装置がセットされている。プ
ロのオペラ歌手が出演し、一部子どもが10人ほど合唱する場面に教え子が出演
する。堂々たるオペラだ。

ちょっと日本で見たのと違ったのは、鶴の恩返しに重点があるのではなく、金儲
けのために、何度も反物を織らせるというストーリーだ。知成は出演者の世話で、
最後まで楽屋に詰めていた。9時開演、11時終了。盛大な拍手でカーテンコー
ルがあり、少し冷えてきた街を帰る。車で5分ほど。

帰宅後、知成があたたかいスープを近くで買ってきてくれた。とてもおいしい。
少しお腹に入ったので、よく眠ることができた。午前1時ころ就