さらばスクレ
山奥で子どもたちに出くわす(砂利採掘場)
砂利採掘場の釣り橋
峠を越える
高原地帯 キヌアの栽培地
南米に来て本日で15日目。こちらは雨季だと言うが、連日いい天気が続く。本日はスクレからポトシ経由でウユニ湖まで300km近い移動の日である。朝8時発。ドライバー兼ガイドは昨日ホテルにも顔を出したオリバー君。ホテルで会うなり「今日は、私オリバーといいます。オリと呼んでください。これどうぞ」とウユニの光景のパッケージのチョコレートを差し出す。なかなかの商売人である。
スクレから平原を抜け、峠を超えてひたすら走る。途中下の方に吊橋のかかっている砂利採掘場を見ながら休憩。学校が夏休みだとみえて子どもたちが遊んでいた。次はゲートを超え、峠を越して高原上のところまで走る。キヌアという作物(食べ物か織物の原料か?)の傍で2回めの休憩。
ポトシの街が見えてきた
鉱山鉄道の名残りか
オリバーと車 このフォードで走ってきた
土レンガ作りの教会
街を走るバス
貨幣鋳造所
記念コインを作ってくれる
ポトシは銀山の町。16世紀から19世紀まで膨大な産出量でスペインの財政を支えた。銀は、ポトシー石見ーグアナハトと世界でも主要鉱山が変化し、集中的に算出するらしい。一説によると、ここから算出された銀でマドリードまで橋がかけられたという。しかし同時に銀山で亡くなった人の骨でも橋ができたという。すざましい過酷な話だ。オリバーの運転するフォードのバンを街の中心部においてカサ・デ・モネーロ(貨幣鋳造所)へ向かう。途中土レンガ作りの教会の脇を通るが、この町には70もの教会があるそうだ。スクレでも40だから、いかに信仰心が厚かったか、或いは銀山の労働がきつかったのか、であろう。
巨大な面が掲げられている貨幣鋳造所は街の観光の中心らしく、ひっきりなしに観光客が訪れていた。この面のモデルは謎の失踪を遂げた造兵所の支配人だそうだ。続いて中央銀行のある広場に向かう。そこはニューヨークよりはずいぶん小さいが、本物の(フランスから贈られた)自由の女神、オベリスクなどがある。ここから旧市街を抜ける。途中何か祈りを捧げている集団に出会った。「君たちも一緒にそこに座ってゆきなさい」と老婆が手招きする。我々も腰掛けに座って暫く参列する。聞けば先祖供養(大地の神)のお祈りを捧げているのだそうだ。市内を走っているバスのボディには国見幼稚園、とか(株)ワールドエンタープライズとかの看板が書かれている。日本から中古車を輸入してそのまま使っている。
市街を走るバス
旧市街、街角での行商
自由の女神像
中央銀行
オベリスク
旧市街の街並み
先祖供養(大地の神)のお祭り
再び車に乗って、昼食レストランへ行く。ポトシの郷土料理の店。スープがグツグツと沸騰している。熱い石が入っている。別に豚の皮の揚げたものが出てきてそれを入れて食べるのだそうだ。結構美味しいが脂は少々余分だった。なんでも料理コンクールで何度も金賞を取ったらしい。考案したおばちゃんが奥から出てきて挨拶したり一緒に写真に収まったりして愛想が良い。 ただここはトイレが自分のところにはなく、隣の家まで借りに行かねばならぬところが不便であった。
湯気を上げるスープ
豚皮の挙げたもの
レストラン内部
金賞受賞の賞状
昼食後この街にも別れを告げる。レストランの横は道に市場が開かれ大勢の人が押し寄せていた。街の中鉱山跡に近づくにつれまた人が多くなってきたのでオリバーが「汽車だ、それも日本製だぞ」と叫ぶ。大勢の人がカメラやスマホを手に群がる。海を隔てても鉄道ファンは多いらしい。我々も車を止め線路近くに移動。そこにレトロな機関車がやってくる。観光用ではなく現役なのだろう。引込線の脇にあったのもずいぶん古い機関車だった。ポトシの町にも別れを告げ、標高3000m以上の高原を走る旅が続く。(続く)
レトロ・ディーゼル機関車
ポトシの町にも別れを告げる