遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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9/29(土)のPhotomemo日記

2012-09-29 16:25:01 | 雑感
13:22普通のと違います。豊橋カレーうどんです。紙のエプロン、おつけものがついています。違いは、トマト、産地らしく、ウズラの卵三個、ほうれん草、豚肉、あぶらあげ、の具。丼の底に、ご飯、とろろが潜っていること。結構イケたが、少々塩辛かったのが残念。
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16:24東京駅なう。お上りさんの殿堂は上野よりはこちらだな。コンクリートとガラスのビルの中で、生命をかんじる。
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小さな火

2012-09-27 06:16:51 | 雑感

茅野市にある総合運動公園の駐車場の一角に、小さな塔があり、火が灯っている。

なんだろうと近づいてみたたら、「原爆の火」と記されている。
そういえば、折鶴のモニュメントや千羽鶴がそばにかけてある。

火の前の石には次のように標されていた。

碑文
原爆の火・平和の塔
 
この塔に燃える火は、1945年8月6日広島に投下された。原爆の火です。
福岡県八女郡星野村の山本達雄さんが、原爆投下後の広島で肉親を捜
していた時、倉庫にくすぶる原爆の火をカイロに移して持ち帰り、以来その
火は星野村で保存されてきました。そこから分火してもらい非核平和のシ
ンボルとして核兵器廃絶の日まで、ここ茅野市で燃やし続けようとするもの
です。
この塔は、原爆の悲惨さに思いを致し、世界中の核兵器をなくし、地球上
に真の平和を願う市民の募金と、非核平和宣言都市茅野市の協力によっ
て建設されました。
被爆・戦後50年
1995年(平成7年)12月  
  茅野市原爆の火・平和の塔建設実行委員会

この火は広島から移されて以来、65年以上も静かに燃え続けているのだ。
原爆を落とされた広島の焼野原にくすぶっていた火が、遠く長野県の地で燃え続けている。

派手な反対運動ではないが、この火を見ると何か襟を正されるような思いがする。

痛快・日本人論

2012-09-26 10:46:27 | 

ポール・ボネ「がんばれ!!日本人」不思議の国ニッポンVol.21 1994年角川文庫刊

山本周五郎を貸してくれたとは別のもう一人の義兄が「面白いぞ」と薦めてくれた本。確かに面白い。というより痛快というべきか。

日本在住のフランス人の著者は親日家と言わず愛日家と称す。
20年前に書かれた本書の内容は社会、政治、教育、経済などなどについて、西欧人(ヨーロッパ人)らしい視点からズバズバ指摘をする。

しかも日本の評論家のように、やたら日本の欠陥を指摘し、嘆くのではなく、世界的な視野から比較をしながら客観的に評価をしている。
ボネの論拠を聞いていると、自虐史観という言葉を思い起こす。その問題点の指摘があまりに的確なので(書かれたのが20年前とは思えないほどである)快感さえ覚える。日本人には少なからずM的な血が流れているのかもしれない。

だが、根底には愛日家の心情が流れている。世界の人々の日本人に対する評価は案外こんなところなのかもしれない、と少々うれしくなる。ただ彼の労働観(キリスト教的な贖罪意識)は我々には受け入れがたいが、そこを除けば概ね彼の意見には賛成できる。

少し昔の本なので、私の様に図書館で探して読むだけの価値がある。21巻のシリーズだが、今の世情を読み解くものとなろう。

そんな意識でいたら、機会を得て同じ著者の「最近ニッポン事情」という本を手に入れた。読むのが楽しみである。

久しぶりの好天

2012-09-25 16:06:01 | 雑感
このところ明け方か、日中に雨が降ることが続いた。

久しぶりのすかっとした好天だ。ゴルフにでも行くか。と家を出たら山がくっきりと望めた。
阿弥陀岳の頂上には、少し雲がかかっているが、気持ちのいい天気であることは間違いない。
(こういう気楽さが田舎暮らしの良さだと思う)

秋らしくさわやかな風が吹いて、絶好のゴルフ日和であった。

先日の麻痺が微妙に残っているのか、スコアーは最悪だった。なにもかも思うようには行かないものである。しかし久しぶりの快い疲労を感じた。

9/12(水)のPhotomemo日記

2012-09-12 20:45:03 | 雑感
9:46退院まじか。ちょっと嬉しい。朝一番、朝飯前に主治医がきて、ちょっと手足を動かして、いいね、と言っておしまい。朝食をとり、最後の点滴をしていよいよ退院だ。点滴チューブと、心電図送信キットを早く外したい。
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20:44無事退院し家に戻って来ました。ご心配おかけしました。暫くはおとなしくしているつもりです。お酒もひかえて。何にも残らなくてよかった。
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9/11(火)のPhotomemo日記

2012-09-11 17:45:01 | 雑感
17:18信州そばはこの店だ。蓼科カントリークラブの近くにあるみつ藏、11時30分にはもう満席でした。ここは蕎麦は勿論、小料理もよい。だし巻き玉子、ネギ味噌、そばがき、を頼む。今回初めて食したそばがきはマイルドで薬味のネギ、山葵、ネギ味噌、海苔と合わせると、とても美味しかった。ここの女将さんのパキパキとした客あしらいも気持ちがよい。窓の外には蕎麦の花が満開であった。
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17:44トホホ、緊急入院。蕎麦屋さんで二合ほどの冷酒を飲んでご機嫌で帰還しようとしたら,途中で左足に力が入らなくなりずっこけた。立てないので、諏訪中央病院へemergency入院。さすがに行き届いた対応でちょっと嬉しい。多分一過性虚血症で明日には退院できそうだ。
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偉人輩出の町

2012-09-08 07:40:42 | 行ってきました

峠を越えると、長い下り坂が続いた。うねうねと伸びる下り坂には、積雪量を測る赤白のダンダラ棒が道の両側に標してある。
眼前が広がる盆地に出て、大きな橋を渡ると賑やかな場所にかかり、長岡の街に出た。

ここは西の坂本(龍馬)、東の河井と言われた幕末長岡藩の風雲児、河井継之助や、米百俵で有名な小林虎三郎、聯合艦隊司令長官山本五十六など近代の偉人を輩出した町である。


これが市役所です

雪ぶかい、鄙びた街を想像していたが、近代的な明るい町並に少々驚いたが、市役所に行ってみてなるほどと得心。なにかショッピングセンターの様な外観で一歩中に入って、その開放感溢れる市民センターになるほどこういうところに継之助精神が生かされているのか、と感じた。まちの案内人というボランティアの観光案内人に観光ポイントを聞く。親切に丁寧におじいちゃんがパンフレットを示して教えてくれる。市役所のすぐ横の「まちなか観光プラザ」も念のため立ち寄ったが、ここの女性説明員は必要情報を無駄なく的確に教えてくれた。スタンプラリーが記念館の入場割引なっており、観光プラザでの買い物も割引になるという。観光施策もよくできている。


河井継之助記念館

継之介像 額が広いのが特徴

まず、河井継之助記念館に向かう。額の広い小柄な継之助はまさに「義」を尊び、近代民主主義を体現しようとした人で、経済(商売)の合理性、近代兵器の優秀さをよく理解していた。新政府軍との戦い、自らガトリング砲(当時日本に3台しか無かった機関銃)を扱ったという。(司馬遼太郎の「峠」に詳しい)
下級武士の出自で、藩政にまで携わり、封建の枠にとらわれない生き方をする。米百俵の小林虎三郎とは幼馴染であったという。又山本五十六は長岡藩家老職山本帯刀の家を継いでいる。長岡藩は人材の宝庫だったのだろうか。


山本五十六記念館

生家前にある銅像

続いて、山本五十六記念館へ。入り口に映画山本五十六ヒット御礼の横断幕が掲げてある。私も見た役所広司主演の映画だ。彼は小中学校の頃から秀才で16歳の頃の手紙が起こされているが、文字がしっかりしている。海軍兵学校を2番で卒業、あとは順調にエリートコースを歩むが、エリートにありがちな、傲岸なところがなく、又人情に篤かったといわれる。同じ海軍兵学校の後輩のF先生は、生涯一度だけ長官に声をかけてもらったが、その感激を一生の光栄とされていた。それほどの人物だったらしい。硫黄島守備隊の栗原中将と同じように、アメリカと戦うことに反対していたが、任務には忠実に従うという姿勢は軍人の鏡であった。近くに保存してある生家にも立ち寄ったが、どこにでも有りそうな昔の質素な町家であった。

この時代の偉人はすべからく視野が広く、きちんとした哲学を持ち、現実処理をしっかりやっている。私など彼らより外国に行った回数は多いだろうが、それほどの世界観をもたず、哲学もない。恥ずかしい限りだ。
長岡を去るにあたり、へぎそばを食した。観光プラザに戻って「美味しい店は」と尋ねたら、言下に「小嶋屋です」と教えられた。行ってみたら、確かに味、客あしらい、酒、文句なしであった。

色々満足して長岡をあとにした。

北陸は暖かい

2012-09-07 09:02:44 | 行ってきました

親知らず子知らずの断崖

残暑厳しい北陸の旅だったが、暖かさを感じたのは人の心だ。
八尾へ行ったついでに、少々日本海沿いを旅した。八尾から富山を抜け、国道8号線を北へ向かう。
まずは親不知子知らずの断崖を見るが、とても通り抜けられるようなところではない。
日本海は干満の差が少なく、波も荒いのに、この波打ち際をどうやって通ったのだろう?
確かに他人のことなど構っておられないようなシチュエーションだ。

近くの道の駅親不知ピアパークで昼食をとる。名物の「たら汁」、近くのドライブインなどではやたらに看板が出ている、この汁を食してみた。ちょっと薄味の味噌汁にタラのぶつ切りが2切れ入っている。ネギが少し入っているが全く生臭くない。予想に反して結構おいしい。魚が新しいせいだろうか。ぬる燗によく合う。定食についてきた刺身も美味しい。7勺ほどの徳利でホロッとしてしまった。
器を別にすれば、定食一つにもいい加減な感じをうけない。


レストラン前の風景

能生道の駅の風力発電器

目の前は静かな海ではある。夫婦岩に似た岩が海中にでている。のんびり旅を進める。道の駅に軒並み立ち寄る。風力発電と観光船が泊まっている能生の道の駅で、立ち寄った鮮魚センターでは破格の肴に驚いた。手のひらより少し大きい鯛が20匹近く入っているスチロールの箱が何と1000円。高級魚ののどぐろ(アカムツ)が3匹とカサゴとソイ?で3500円など、破格であった。今夜帰らないので残念ながら手が出なかったが、見るだけでも満足だった。


高台に立つ旅館

絶品が並ぶ夕食。このほかのどぐろの焼き魚を食した。

今夜の泊まりは鵜の浜温泉の割烹旅館「三景」。高台に立つ小さな宿だ。出迎えてくれた女将さんは上品な感じのよい人だ。北陸温泉宿の女将のポスターにも顔が出ているが、実物のほうがはるかに良い。早速温泉に行く。綺麗に掃除された、鉄分がこそうな塩辛い湯。温度が熱からず、ぬるからず、絶妙だ、湯船も浅からず、深からず、入りやすい。半露天野湯は外気にあたり気持ちが良い。湯の花も鉄分のせいか赤いが、気になるほど多くはない。湯の花のことを知らない若いお客が、掃除がされていず、垢が溜まっているなどと誤解をしたようだが、湯船の周囲を見れば清潔この上なく掃除されているのに、観察眼と知識がが足りないせいなのだろう。

楽しみの夕食はさすが割烹旅館と銘打つだけあって、お刺身は勿論、かにみそ豆腐、南蛮漬け、夕顔の煮付け、かに、焼き魚など、どれもそのうまさに唸った。
中居さんが薦めてくれた「男の酒」もうまく肴にピッタリ合った。


旅館から見る鵜の浜方面

海岸

翌朝浜へ散策に出た。海水浴場は撤収の最中で、まだ暑さの残る浜に人魚の像が寂しく一人ですわっていた。

朝飯も手抜きなく美味しく、コシヒカリの米飯を活かすお菜に囲まれ、幸せな気分だ。「品数があればいいんだろ」というのではなく、一つ一つに手数と気持ちがこもっているようだ。給仕をしてくれた中居さんの応対もよく気がつき、暖かい応対で気持ちよく食事を終えた。
この宿は周りに何とて無いが、癒しを旅に求めるのならば、北陸の暖かさを感じるおすすめの旅館といえる。料理、温泉、この旅館の人(女将さんだけでなく全体の)の応対と3拍子揃って暖かい。凍える冬に温泉と人の心の暖かさが身にしみるだろうなあ。日本の温泉宿の典型であろう。

美味しかった朝食