遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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崖上の僧院

2014-04-30 21:55:27 | 行ってきました

崖の上にへばりつくように立つ僧院

タクツァン僧院はブータン観光のハイライトというべき地点である。
パロの中心街からバスで20分ほど離れた山地の断崖に立つ僧院。タクツァンとは虎の巣という意味だそうだ。8世紀グル・リンポチェ(伝説の高僧)が虎の背に乗りチベットから飛んできた。そしでここの岩穴で3ヶ月瞑想をしたとつたえられる。
 出発地点での物売り
 出だしは緩やかな登りだ
 第一展望台
 シャクナゲが一輪

赤土の駐車場にバスを止め、まずはトイレへと案内。と行っても青空トイレだ。ここでは普通の事らしい。
登り口には木の杖を1ドルほどで売っている。他に露店でアクセサリーや、仏具などを並べている。その上には登山用のロバの群れ。馬子が声をかけてくるが、ガイドから危険だから乗らないようにと注意をうける。林を抜けると前方の崖にへばりつくように僧院が見える。谷筋にシャクナゲの赤い花が一輪だけ咲いていた。昔この花は国花だったという。

 遠くドルテンがはためく
 ロバの列が続く
 山間に覗くピラミッド型の山

山道は次第に急になり、林の向こうの山の中腹にドルテン(木の竿に経文旗をつけたもの)が立っている。ロバに追い抜かれながら山道を喘ぎ喘ぎ登る。道端には時折水場が現れ,ロバも首を突っ込み水を補給。乗客は中国人が多い。ロバの足首は意外に良く曲がり,土や岩を捉える。中間地点の展望台、カフェテリアまで1時間20分。すぐ前に第二展望台、そこから横に僧院が見える。ここで一行の時間調整をする大休止。コーヒーを飲んで更に上へ。
 第一展望台
 展望台からの僧院

そこからも同じような山道が続き少し傾斜はきつくなってくる。ロバも喘ぎながら登り、馬子の叱責の掛け声が強くなってくるとやがて第二展望台へ到着。ここからは、水平道路が少し続き、石の階段で下り始める。次第に綱に結んだ経文旗が多く張り巡らされ、ロバの終点に着く。やがて谷を隔てて眼前に僧院が迫る。こんな急峻な崖の上に立てるには、資材を運び上げるだけでも大変な労力がいっただろう。
 石楠花と第二展望台
 傾斜は次第にきつくなってくる
 トケイソウ

ここからは石段となる。まず下りだ。手すりが完備し安全である。石段の岩には黄鉄鉱?の光る石が多く使われている。ティンプー-パロへの道で河原に沢山あった石だ。この国は鉱物資源も豊富だろうと推測できる。谷には旗綱が何本も掛かり、風にはためくさまは神秘的で綺麗だ。谷の左奥には高さ150m以上の滝が落下。そこまで下ったら最後の上り。カフェテリアから約1時間で到着。ここは土足禁止、カメラ禁止、帽子も禁止で、入口横にロッカールームがありそこに置いてゆく。6つの堂のうち、我々は3つの堂へ参詣。虎の穴の聖堂、プナカからの遷像の堂、2体の高僧の像を祀る堂を巡った。はじめの堂ではこの僧院のトップから聖水を受けた。この僧は2011年ブータン国王とともに来日し、東北震災地でお経を捧げた方である。いつもニコニコ笑っており、遠くからよく来てくれたと笑顔で聖水を注いでくれた。我々もお布施をし、五体投地を仏前で行った。

 崖に立つタクツァン僧院
 僧院からの展望
 僧院前の滝
 最後の登り

ここの高僧は「おごそか」というより親しみやすい。3つの堂を巡り我々もガイド同様五体投地をした。2番めの堂出は国王も佛像の前で一晩過ごしたという。帰途は写真撮影をしながらゆっくり下る。カフェテラスまで約1時間。ここで昼食を取りながらまた時間調整。昼食はお馴染みのブータン料理のバッフェ。ゆっくり休んで麓までさらに一時間。帰りはロバの数も激減。快適に下った。
 極彩色に彩られた見事な建物である
岩肌に顔が浮かび出ているという

夕方パロの街に戻り、パロ市街でもっとも古いと言われるお寺に立ち寄る。ここで、西遊旅行の別のグループに合流し、旅行の安寧と家庭の平和祈願を受けた。もともとこのグループが企画していたのに便乗させてもらったのだが、実際の法要は仮特徴があった。カネ、太鼓、笛、大笛、が読経に合わせて響く。本堂では我々にバター茶と甘いお米のポップコーンが回される。厳かとは別次元のものである。最後に一人ひとりが和尚様の前に進み、白いマフラーのような布を首にかけてもらい、ミサンガを受けて終了した。

午前2時半からのご開帳に始まる長い一日が終わり、ブータン最後の日は充実したものであった。

江戸のグルメ

2014-04-27 06:01:01 | 


宇江佐真理著「卵のふわふわ」講談社文庫 2007年刊

八丁堀食い物草子・江戸前でもなし、と副題が付いているように、舞台は江戸、北町奉行所臨時廻り同心の組屋敷の中の物語。
息子夫婦が主人公だが、其の父椙田忠右衛門が喰い道楽で心優しい洒脱な人柄.周りを幇間がうろつき、賑やかす。

この男、屋敷を貸間に出している店子だが、なかなかうまく父・息子、嫁のぶ・実家の間をうまく取り持つ。
江戸の下級武士の生活はかくありなん、と思わせる筆運びで、そこに夫婦の機微を滑りこませる。味付けはなんといっても表題にもあるように,要所に出てくる食べ物の描写。
あっと驚く贅沢品や美味材料はでてこないが、下町の美味しいものがちょくちょくと出てくる。いかにも江戸である。

そういえばこの本は「おいしいです」と言って、次男の嫁が貸してくれたものだ。勿論東京住まいのグルメの女性である。

なんだか「ホッ」とする本であった。

半沢直樹への助走

2014-04-26 05:58:57 | 


池井戸潤著「シャイロックの子供たち」文春文庫 2008年刊

半沢直樹シリーズの原型とも言うべき、銀行内部犯罪シリーズ。

著者は実際に銀行勤めをしたのであろう。かなり銀行という閉鎖世界を熟知している。
その内部競争の激しさや派閥争い、縦割り社会の不合理さなど組織悪を描いて余りがない。

半沢直樹シリーズでは、上席が出世のため、意識的に悪いことに手を染めるが、ここでは半ば無意識のうちに、或いは組織防衛、業績追求のため、言い換えれば自己保身、立身出世のために部下を動かし、不正に目をつぶる。
銀行内部の論理が見事に描かれる。顧客第一主義と言うより業績第一主義で顧客を利用し、踏みにじりる。資本主義の冷徹な論理が貫かれる。

この辺りの描写は半沢直樹シリーズでは明快に描かれるが本書ではまだそこまでには至ってない。
人気シリーズの助走作といったところか。

現代版 三匹の侍

2014-04-25 05:39:54 | 


有川浩著「3匹のおっさん」文春文庫2012年刊

旅には文庫本を持参することが多い。飛行機の中は絶好の読書タイムだ。今回も2冊持参し読了した。
最近TV化されたドラマの原作。3匹の侍をもじったのだろう。

定年直後のおっさん3人が自警団を結成、それぞれ剣道、柔道、機械いじり、の特技を活かし、町内の悪を懲らしめる。
おじいちゃん、息子夫婦、孫と三世帯が入り混じり、それぞれに自己主張しながら、平凡な日常を暮らすのだが、そこにアウトローが出没し、悪さを行う。

ゆすり、詐欺、強姦、学校荒らし、催眠商法、などなど町内に出没する小悪を懲らしめる。
読書家だった児玉清いわく「孫とおじいちゃsん、孫から見た両親、おじいちゃんから見た息子夫婦、そういう世代間のことが全て含めて見事に描かれている。いやいや面白かった。」
たしかにこのへんの描写は納得できる。

エンターテイメントとしてかなりのレベルである。

パロのツェチュ祭

2014-04-23 16:47:17 | 行ってきました
 祭りに参加する人々
 橋を渡っていよいよ会場へ


今回の旅の最大の眼目はパロのツェチュ祭を見学することだった。
ティンプーから70kmの山道を小型バスはゆく。途中牛がのんびりと道端で草を食む。

川沿いの駐車場にバスを止め、4日目を迎えた祭りの会場広場へと向かう。晴れ着の「ゴ」や「キラ」を着た人々が中腹の寺院前広場へと列をなして進む。
川を渡り石畳の道を登る。露店を開く人がここにもいる。祭りらしくシート張りのテント村が下の商店街の一角に店を広げているらしい。

山の中腹にはダルシンがはためく108本立つそうだ
 参道に店を広げる簡単な行商
 祭り用の仮設橋

会場は黒山の人だかりで、丘の斜面には一杯の群衆だ。カラスのような黒い装束の出演者が座って見物している人の間に入り、布施を受け取っている。皆争って喜捨している。座るところが逆傾斜になっていて、腰のほうが足より低くなっているので座りにくい。立つとコミュニテイ・ポリスの表示をつけた若い人から注意を受ける。でも皆案外素直にそれを受け、小競り合いみたいなものはない。この4日目は閻魔大王の裁きが下る日で、踊りが次々と変わってゆく。一段と声が大きくなると、いよいよ大王の登場。どよめきが起こり、隣のお年寄りは何やらお経を唱えている。子供連れの家族も多い。敷物持参で座って見ているのだが、前の人が退くと少しずつ前へと進む。その際言葉はさっぱりわからないのだが、手振りで「お前も前へいけ」と我々を気遣って勧めてくれる。近所の農家の人だろう、それが一人だけではなく大勢の人がそうだ。心根の優しさに感激した。

 会場は黒山の人だかり、丘の上まで一杯の人だ
 お布施を集める黒装束の出演者
 閻魔大王のお出ましだ
 コミュニテイポリス(自警団?)が活躍する

一年に一回のお祭りで、見物の輪から離れた人は家族親類縁者が一塊になって、円陣を組みお弁当を食べているのはどこも同じだ。ご馳走を広げ、魔法瓶にどぶろくを入れてきて飲んでいる。いい気持ちになって大声を上げている人を2,3人見た。
中心で踊りをしているのは土地の人の他に僧侶も参加しているとのこと。終盤近くのゾン(お寺、城、官舎の複合体)へ大王の面や手のカバーを持った僧とすれ違った。
 車座でご馳走を広げる
 丘の上から祭りを見る
 若者たちにとっては着飾って出会いを待つ場所でもある
 祭りの出演者か、大王の面や手を仕舞に来た僧


 まだ暗い会場
 読経が始まる
 僧侶も整列しいよいよご開帳だ
 参集者も輪を作る


翌日はまだ暗い午前3時頃現場到着。5日目はトンドル(絹で描かれた巨大緞帳)のご開帳を待つ。じっとその時を階段席からみていたのだが、動かないのでさすがに冷える。ダウンを着、セーター、ウインドブレーカーを着てやっと寒さが防げた。
夜明け前にろうそくを灯し、読経が始まる。沢山の僧侶が参集し、村人も行列を作って待つ。巻かれた緞帳が担ぎ込まれ、横の金属のバーに結ばれ引き上げ開始、左右の高低に気をつけながら次第に引き上げ、40m×40mはあろうかという巨大緞帳が掲げられると、読経の声や太鼓は音を上げ、極彩色の飾りをつけた男が舞を舞う。行列は男女に分かれて建物の前に進み、緞帳に手を触れ、お布施をし、お経を上げる。長い長い列は500m以上伸び、夜明けとともに長さを増す。お経の声が響き渡り、行列を作っている人たちは余り声高に声を上げない。五体投地をしている人もいる。
 ご開帳
 少し夜も白んできた

夜明け前の儀式はきっと太陽の光による絹の劣化を防ぐという意味もあるのだろう。この御開帳は日の出までには終了させるとのことだが、我々が下ってゆく頃にはまだまだ下から参拝に来る人が多かった。川を渡るのも、橋を一方通行にして整理をしていた。なんとも信心深い人が多い。日本にも村祭りはあったのだが、これほどの信心深さはなかっただろう。
この国の人達の静かなパワーを感じた。

 この橋は一方通行になった

ほんのさわりだけど

2014-04-21 14:12:49 | 行ってきました
 ドゥルック航空
 パロ空港メインゲート
 空港の建物はすべてブータン仕様

「幸福の国」といわれるブータンを訪ねてきました。五泊七日でその内1泊がインドという駆け足のツアーでした。
小さい国といえども、東部の方は全く手付かずで、首都ティンプーとパロのツェチュ祭を見てきただけですが、やはり長い間鎖国をしていたこの国は他のところとは少し雰囲気が違い、異郷を旅してきたという感じは受けました。ほんのさわりだけの旅でしたが、受けたものは大きかったと思います。

このツアーはインドのデリー経由で入ったのですが、飛行機のつなぎが悪く、初日は成田-デリーは9時間半、デリーについたのは24時過ぎという長丁場でした。デリーで一泊して翌日午後便でブータンパロ空港に着くという不便さでしたが、山間の空港に着陸した瞬間、同乗の欧米旅行者から拍手が起きたほどでした。ブータンの旅行者はキューバと同じく、韓国、中国の人は少なく、欧米の人、日本人がほとんどでした。 
空港の建物はすべてブータン仕様、遠くの山沿いには民家がポツポツと点在する田舎です。滑走路が一本あるだけのひなびた空港で、2011年に来日した若き国王夫妻の大きな写真看板に出迎えられ、第一歩を踏み出しました。

 国王夫妻の写真
 入国手続き

入国手続きもフレンドリーで、その場の写真撮影もOKだというのには驚いた。
この国の人は皆親切で暖かい。熱心な仏教国で、信心深い。ガイドさん以下骨惜しみがなくよく働く。祭りの見物席でも、会場に向かう道すがらでも、数珠を携えお経を唱えているお年寄りに何人も出逢った。国王の住まい(俗には宮殿というのだろうが)も驚くほど質素で、其の行動も率直である。欧米の王家とはまるで違う。国民全体が質素な暮らしをしているが、それほどの貧しさを感じさせないのは、貧富の差があまりないからだろうか。

 谷間に点在する村落(これはティンプーで密集しているほう)
 山の中腹に建立中の巨大佛像

色々な寺院には多くの人が争うようにして、喜捨(お布施)をしたり、五体投地やお祈りをするが、坊さんも請求がましいことは一切なく、淡々と色々な施しをしている。食事もどちらかと言えば質素で(決してまずいものではないが)、殆どの人が民族衣装である「ゴ」(男性用)か「キラ」(女性用)を着用している。若い女性は、アクセサリーをつけたり、ヒールの靴を履いたり、おしゃれを楽しんでいたが、伝統柄は縞で、色鮮やかなものが多い。我々も試しに着てみたがなかなか快適であった。帯一本で止めてあるところなど和服に似ている。
 メモリアル・チョルテン
 西面に安置してある佛像
 大きなマニ車

この国は全体の雰囲気は昭和初期、或いは明治の日本と似ている。民主共和制の形をとっているが実質まだ立憲君主制だし(歴代国王が先取的に民主化を進めている)、宗教の力が強い。ついこの間まで鎖国政策を取り、教育水準も高い。無口ではにかみ屋の人が多い。日本と違うのは、色使いが極彩色で、赤、青、黄色、緑、オレンジ、金色ととにかく派手な色使いが多い。民族衣装や家の軒、窓枠などにこれらの色をふんだんに使う。

この国には資本主義的な競争社会とは一線を画した、穏やかな国情を感じた。近年自然保護にも力を入れ始めたという。懐かしい、故郷のような、包容力を感じた。性急に資本主義化を急がず、この民族性を大事に保持したいものだ。(つづく)

 ダルシン(お経を書いた旗を木の棒で立てる)
 ゾン(中央官庁と寺院、国王の執務室)
 ゾン内部
 ゾンの入り口、国旗を守護する警官
 民族衣装の「ゴ」
 中央右の森のなかの建物が国王の住まい 左は国会議事堂

名店の閉店

2014-04-10 00:26:10 | 雑感


JC時代お世話になった老舗のバーから閉店の挨拶状が来た。56年間にわたり街角でひっそりと営業を続けていた名店である。
刈谷では、B、Mと並んで3大バーといわれたが、すでにMはマスターが亡くなって店を畳み、Bは代替わりをして店の雰囲気も変わって往年の縁はない。

渋いマスターと愛嬌の良いママと二人が絶妙のコンビで、「私は酔っぱらいと花見客は嫌いだ」とこの時期花見帰りの一見さんが来ると「うちは会員制なので」とお客を断ってしまう一途な性格をのぞかせていた。カラオケもガンとしていれなかった。
しかし我々(常連やJCメンバー)には寛容で、議論伯仲で夜明けまで居座っていても嫌な顔もせず店を開けておいてくれた。およそ商売っけを感じさせない店で、それだけに安心して立ち寄れた。口数は多くないが、どことなく品格を感じさせるお店であった。

しかも料金はホームバー並みで、懐にやさしい。腕も確かで息子が20歳になった時「カクテルを飲めるバーに行きたい」と希望を出した時、真っ先に此処に連れてきて、作ってもらった。ちょっと小腹がすいた時のお好み焼きやステーキ、稲庭うどん、素麺もありがたかった。
お二人には51歳になる息子さんがいて、お孫さんもいるそうだが、全くお店とは関係がない。時代をつくづく感じさせる。半世紀以上よく続いたものだ。

こうしたお店が1つずつ消えてゆくのはさみしい。お世話になったJC時代の仲間と連れ立って久しぶりに飲みに行った。いつもと変わらない応対に満足し、若い時代に立ち戻った。いつの間にか日付が変わる寸前まで、飲み、語り合い、時を忘れた。青年時代の血が騒ぐ。

JC時代の仲間と


暫く旅行に行ってきますので明日から少しの間(10日間くらい)お休みします。ご了承ください。

今更ながらの緊張感

2014-04-09 00:25:43 | 


長岡弘樹「教場」小学館 2013年刊

先日新しい本を入れてくれた畏友の袋の中にあった一冊。週刊文春2013年度ミステリーベスト10国内部門第一位、本屋大賞2014年度ノミネート作品。
私にとっても初めての作家である。舞台は警察学校の修習生と教官。警察という組織に属する第一線の人間を育てるための訓練所。躰だけでなく、頭脳も鍛えられる。

以前JCの時代、「警察学校ではひたすら走らされた」、一ヶ月500km学科の他に走ると出身者に聞いたことがある。、この小説にあるかぎり、こんな中でも人間の愛憎劇が繰り広げられる。そこで軍隊式の連帯責任で縛られ、脱落者は容赦なく追放される状況である。今までの警察小説よりは格段の緊張感を強いられる。小説だからこんな高度な訓練と観察力の鋭い教官の指導があるのだろうが、本当にそれに近いのなら、かなり安心して警察官に治安を委ねることができる。

現実には、日常勤務の繰り返しによる緩み、世俗的な誘惑、権力の側にある傲岸、組織防衛、などの要素でたとえこのように厳しい訓練を受けてきたとしても、かなり警官の姿勢は後退するのではないか。

しかし小説としては見事に成功している。楽しむというより緊張するといったほうがいいのだろうか。私の中では大賞に値するものである。

東京大学

2014-04-08 07:51:22 | 行ってきました
 銀杏並木 左文学部右法学部

上京のついでに東京大学に寄ってみた。
親戚の方(物理学者)に案内してもらった。現役の頃時々出張できたそうだが、今は学期の変わり目で構内は閑散としていた。

門から入ってすぐ、法学部と文学部が向かい合って並ぶ。最高学府と呼ばれるにふさわしく、格調高いというべきか古色蒼然というべきか、何やら威風堂々とした建物である。
すっかり葉っぱを落とした銀杏並木が続く。東京都の木だ。その向こうに学生運動で焦点となった安田講堂が聳える。但し何やら下部は工事中であった。その横を下ってゆくと三四郎池だ。「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。兎角この世は住みにくい」漱石の名文句がふと浮かぶ。東京のこんなどまんなかに、これだけの緑の庭園があるのはさすが東大だ。と中身ではなく、外観、環境に感心する。ここから日本の中枢が巣立ってゆくのか、日本の歴史はここから作られるのか、と柄にもなく感慨にふけり、構内を後にした。

 安田講堂

早くも葉桜

2014-04-07 17:25:16 | 雑感
 幹からも若芽が顔を出している

別に東京だからというわけでもあるまいが、都会は季節の移りが早い。先週の日曜日は早くも桜は葉が出始め、葉桜の様相。
剪定をされた(桜切るバカ、梅切らぬバカといわれるが)日暮里の街路樹は、幹から鮮やかな若葉を付け、花と混合して若芽を出す枝は勢い良く空を目指す。

風が強いのか、車が脇を通るせいだろう。樹下にはほとんど花びらが残っていない。満開の時の盛大さに比べ、葉桜は何やら堅実で、控えめな感がする。少し寂しい。この処気温が下がり、花冷えともいうべき気候だが少し遅く、花の持ちには影響しなかった。残念。

 日暮里駅近く
 外堀通りはまだ沢山残っていた