遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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年齢相応か

2018-08-30 08:02:38 | 雑感

田舎の道をキャリーケースを引いて歩く

東京でJRに乗り込んだときのこと。眼の前の年配のおじさんがいきなり席を立ち「どうぞ」と譲ってくれた。隣の家人がつかれた顔をしていたせいかと推測しながらも、どうも腑に落ちない。我々と殆んど同じくらいの人だ。隣りに座っていた若い人まで立って「こちらへ」といわれる。断るのもなんだから好意を受けることにしたが、なんとなく面映い。

次の日も区営のバスで席を譲られた。最近は譲った方はその場で立つより、席を移動してゆかれるので、ぼやぼやするとお礼を言いそびれる。

その次の日、バスターミナルの待合室でも若い女性に席を譲られた。3日連続である。そんなに疲れた様子なのか、座りたそうにしているのか、それとも年老いてヨボヨボに見えるのか、ちょっと自信がなくなってきた。若い人のマナーが良くなってきたのかもしれないが、JRで譲ってくれたおじさんは殆んど同じ年配だ。

自分ではまだ若いと思っていても、他人から見れば年齢相応に年老いているのか。年寄りがキャリーケースなど引いているのが不釣り合いなのか、そこのところがよくわからない。

AIのもたらすもの

2018-08-28 02:05:33 | 


井上智洋「人工知能と経済の未来」文春新書

最近AIとか、IoTとかいわれ、コンピューターが一段階上がったような気がする。わかりやすいのは、自動運転の車の出現、あるいは応答をするスピーカー、スマートスピーカーなどであろう。囲碁や将棋の世界でも、コンピューターがプロ棋士を凌駕してきている。

この動きが進んでゆくとどこまでゆくのだろうかと言うのが本書のテーマである。2045年ころにはコンピューターが人類の能力を超えると予測される。蒸気機関、電気モーター、コンピュータ+インターネット、そして人工知能と次々と革新的なことが起きてきたが、そのなかでも人工知能は人間の代わりをするという点では恐るべき影響力を持つ。

生産が全て自動化され、生産設備も自動生産する世の中が来たとき、労働者は一部を除いて必要がなくなる。それはユートピアなのかそれともディストピアなのか。生産力は余るほどあるが、消費する人の購買力がなくなる社会はどう維持されるのだろうか。

著者はベーシックインカムがその一つの解決策だと提唱するが、もうその時期は目前にきている。コンピューターの発達が社会を根底から変える時代を生み出す。政治家の覚悟と先見性が必要となってきた。

本書はあらゆる意味で社会を考えさせる啓蒙書である。


痛飲のOB会

2018-08-26 01:11:20 | 友人・知人




東京に引っ越しするにあたって、いろいろな関係先に事情の説明をしてまわっているが、リコー時計のOB会の方々にも報告する機会を探していた。次回のOB会は9月の半ばにあったが、その日が東京で別の会合があるので出席できない。

無理を言って,OB会の会長と実質的な幹事長格の人(随分昔からの友人である)に名古屋で会うことにした。昼間の2時集合で空いている居酒屋を探し、会合を持った。昼間の酒はよく回る。いろいろな事情を全部話し終える前に酔いが回ってしまった。

この二人は紳士で人柄抜群で応対が良い。はじめの頃は今までの感謝を述べ、今後の見通しなどを話していたが、次第に話が盛り上がり、脱線しはじめ、わけがわからなくなってきた。

此の飲み屋では、飲み放題コースをとったのが裏目に出た。その後が定かではない。どこに寄ったのか、さっぱり覚えていなくて、最後のスナックの記憶がおぼろげながら蘇る。年配の母娘がやっている、なにかホッとする感じの店だった。

だがそこに入ったのが10時過ぎ。最終電車に乗り遅れないように11時過ぎに店を出た。相当酔っ払っていたらしい。地下鉄に首尾よく乗れ、終電に間に合った。家に戻ったのは日をまたいで姉妹、家人に大いに文句を言われた。

年甲斐もなく、久しぶりに二日酔いするほど痛飲した。

処暑のころ

2018-08-24 00:35:48 | 雑感

出始めた薄の穂

朝の風や夜の虫の音に、秋の気配が漂い出す頃を表す24節気の「処暑」であるが、まだまだ暑さが和らぐ様子がない。72候の初候は「綿のはなしべ開く」、綿花を摘む時期がきた、というころである。此の頃は綿を作る農家や畑を見かけないので、季節感はない。

だが季節は確実に進む。周りを見回すといつの間にか薄が穂をつけ風になびいている。流石にまだ赤い穂ではあるが、秋の風情を運んではいる。

旱星は輝いているか?

2018-08-22 00:03:16 | 雑感


雲懸かる阿弥陀岳

立秋を過ぎ、72候は「濃霧昇降す」(深い霧が立ち込める頃)。8月の夜空には豊作を占う、赤く輝く旱星(ひでりぼし)と呼ばれる、火星、さそり座のアンタレスがあった。このアンタレスが赤く輝くほど、その年は豊作になると言われた。旱星は夏の季語である。

刈谷の万燈祭りも、この星を仰ぎながら、万灯を振り回して踊っていたのだろう。日照り続きの夏に、そろそろ雨が欲しいと天に祈った気持ちは、自然に対する科学知識が少なかった時代だけに、一層強かったのだと推測できる。

八ヶ岳も雲が懸かったり、雪を被ると一段と高く見える。そろそろ暑さが和らいでも良い頃だ。

風草

2018-08-20 00:29:01 | 雑感

力強く天に向かう風草

依然暑さが続く。時折は涼しい日が回ってくるが、1日、2日で猛暑日に戻る。あまりの猛暑で野菜は高騰、果物は傷んでくる。道端の雑草の中でも代表的な風草はこの暑さの中でも青々と葉を茂らせ、穂を出している。

雑草の強さ、逞しさが如実に現れている。この穂先は「猫じゃらし」とも言われたような記憶があるが、定かではない。まだまだ暑さは続くが、この勢いには感嘆する。


95%がゴミ

2018-08-18 03:39:41 | 雑感

刈谷市のクリーンセンター

東京に引っ越しすることに決め、家の整理に取り掛かってみて驚いた。出るは出るは際限なく出てくるのは数々の不用品。東京のマンション暮らし、都会の生活を予測し不要なものを整理し始めると、身の回りの数々の物品は不要品だらけである。

例えば卒業証書、トロフィー、カップの類、趣味の品(例えば釣具、古い山道具)、絵画、写真、本、現役を退いて着なくなった背広、ワイシャツなど、まさに身の回りの95%は不用品=ゴミである。色々な思い出がまとわりついているが、残り少ないこれからの行く末を考えて、再登場するかと問えばほとんど、Noである。

こういう品物の処分をしていて感じるのは、刈谷市がゆたかでめぐまれている街であることだ。ほとんどのゴミが、手続き簡単で、無料で処理できる。市のクリーンセンターでは職員が親切に案内してくれ、ほとんどのゴミが処理できる。

引っ越しが決まってから、ここへ何回通っただろう。クリーンセンターには10回以上、野田の埋め立て地へも5,6回通った。思い出が残る品物の処分には若干感傷が残るが、冷静に考えてみれば、現在の生活の延長上には、おそらく絶対に登場の機会はないものばかりである。

毎日の生活は、こうした貯蔵品とはほとんど無縁にすごしている。現にこうして処分しても毎日の生活に殆んど影響はない。いかに我々は不要なものに取り囲まれているかを認識することになった。期せずしてこの引越は終活の一端となったような気もする。

引っ越し業界の過当競争

2018-08-16 11:14:00 | 雑感

引越し業者の運搬車が到着

運搬車の中は整理整頓が行き届いている

後期高齢者となると、身体のあちこちに故障が発生してくる。東京にいる息子二人から、「そろそろ引っ越してこないか」とかねて言われていた。挙句の果て「もし親父が入院沙汰になっても、見舞いも十分できない」と脅かされる始末。

そうはいっても、関心を寄せてくれるうちが華かと思い、東京移住を決断した。この歳になって「田舎暮らし」というのはよく聞くが、都会へ移住というのはどんなものだろう。それでも、息子のお嫁さんは二人とも協力的なのが嬉しい。

早速引越し業者に見積もりをやってもらうことにした。たまたま一番始めに来た業者は営業担当で話が早い。概要を聞いて見積もりを提示したあと、「この場で他社の見積もりの断りの電話を入れてくれれば、さらに15%下げます」「それでも他社さんは訪問してきて我々を下回る金額を提示しますよ」

その率直さを信用し、他の会社2社にその場で電話を入れ断って即決した。それでもその営業マン氏のいうとおり、断った業者が玄関口まで来て「我社のほうが安いんですがねー」と食い下がってきた。

引越し当日、二人プラス食器収納担当の女性3人で来たが実に手際が良い。知立からここへ引っ越したときは会社関係の人に大勢手伝ってもらい、一大イベントだったことを思い出す。搬出は男二人、搬入も男二人で手際が良い。聞けばそのうちの一人は搬出をメインで行い、車を東京まで運転してきて、搬入まで行っている。いくら若いといってもちょっと過酷ではないか。

人手不足と価格競争はこんなところにしわ寄せが来ていると実感した。この業界もかなりの過当競争にさらされている。


玄関周りも養生万全

エレベーター周りも養生

部屋での荷解き

台風の影響

2018-08-14 03:51:38 | 雑感

空にかかる虹の橋

暑い暑いと言っているうちに暦の上ではすでに立秋を迎えた。立秋の初候は「涼風至る」で涼しい風が秋の気配を感じさせると言うことだが、実際には西日本は連日の暑さだ。(10日現在)

この頃作った俳句の一つ
「炎天下蟻は日陰に忙しなく」
は季重なりで投稿できず、解消すべき言葉選びもままならず力不足を痛感。

ただ台風だけは連日列島を襲う。12号13号14号と西に東に次々と本州あたりをかすめる。例年より7月、8月の台風発生頻度が随分多い。

その影響からか、茅野でも黒雲が湧き、雨が降った。そしてしばらくして虹が立つのを見た。周りに遮るものが少ないので大きく橋がかかる。先程までの雨は上がり背後からの陽の光を受けて虹の帯が輝いている。


刈谷ではあまり見かけなかったので、久しぶりである。こうした自然現象との触れ合いは田舎暮らしの恩恵だ。


まかて版井原西鶴

2018-08-12 03:22:53 | 


朝井まかて「阿蘭陀西鶴」講談社文庫 2014年刊

最近私が気に入っている作家朝井まかてが、あの井原西鶴を描いた作品。庶民派の西鶴が大阪に陣取って、俳諧の世界からスタート。まさに才覚のある西鶴はいろいろな趣向を尽くし、談林派の頭目目指して奮闘する。

それをこの小説は西鶴の盲目の娘から見た姿で描く。10代で母を失った娘「おあい」は母から厳しく仕込まれ料理、裁縫などの家事は殆んど自分ひとりで出来るようになっていた。少女期の常でそんな自分を何かと皆の前で持ち上げてくれる父西鶴を疎ましく思う。

西鶴が次第に俳諧から草紙作家へとシフトし、世の中で新しいジャンルを次々と切り開いてゆく。松尾芭蕉の俳諧に「気取りやがって」と敵愾心をむき出すかと思えば、自分のもとを訪れて同じ題材を浄瑠璃の世界に展開しようとする近松門左衛門に、鷹揚な応対をするなど、いかにも大阪庶民派の面目躍如の生き方である。

傍迷惑で手前勝手な父だと思っていた娘は「好色一代男」あたりから父への見方が少しずつ変わり、晩年は心を通じ合わせる。養子に出された弟たち家族との関係も修復される。

庶民の生活、版元とのやり取りや、情の描写に流されず俳諧、出版業界の事情などを的確に描く冷静なところがこの作家の魅力だろう。

大阪好きの私の心情にも沿う、この作家の次の作品が楽しみである。