遅いことは猫でもやる

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癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月5日)カトマンドゥー日本へ(最終)

2007-04-13 12:35:09 | ネパール紀行
今日はネパール最終日。
午前中エベレストを空から見て、午後一番のタイ航空で帰国の予定。

5時モーニングコール。外は一面の霧。寒い。
最後のパッキングを終えて、6時朝食。

6:15ピックアップの予定なので慌しくすませる。
今回の旅行の中では一番きちんとしたレストランなので、
ゆっくり楽しみたいのに残念。

ところが、30分たっても迎えがこない。
この霧でフライトが遅れるのを見越してのことか。7:50ごろやっと到着。
ポーターが荷物運びのチップを稼ぐため、我々の出発を虎視眈々と狙っていた。

空港へつくとさらに濃い霧。とても飛べる状況ではない。
空港利用税を払い、とりあえずチェックインして待合室へ。
発着便双方がまったく飛んでいない。

待合室のビデオで、ネパールの観光スポットの紹介をやっていた。
ほとんど我々が回ったところ、なので興味深い。
タルバール広場(此処は行っていない)スワヤンブナート、タメル、
パシュパティナート、ブダナート、ナガルコット、パクタブル、
パタン、サランコット、など、など。
行っていないのはチトワンくらいか。
これから味わおうとしているマウンテン・フライトもあった。

7:00の飛行予定が10:00でもまだ飛ばない。

11:00になりまだ飛ばないので時間切れ。
やむなくキャンセル。断念。

ラザンさんのところへ清算をしに戻る。
が市内は「オフィスタイム・ジャム」(業務時間帯での渋滞)でちっとも進まない。
途中までラズンさんが迎えに来てくれていた。

路上でキャンセル料の清算をし、慌しく別れる。
プレムさんが運転してきていた。
妙に懐かしい。良い人だった。

空港へ12:15分着。

大勢の人。チェックイン。
出国カードを書き、ビールとパイで一休み。

2:05カトマンドゥ発。





窓から最後のヒマラヤに別れを告げる。
楽しい、ホッとする国であった。


■マチャプチャレ、アンナプルナⅣ、Ⅱ



■エベレスト







機中最後のネパール料理。

バンコックはやはり暑い。空港内で1時間仮眠。

その後約6時間のフライト。

眠気が一気に襲ってきた。機内食はサラダとフルーツのみ食べ、
タイ風味のスパイスのメインは敬遠。

5:20関空着。

空港内はさすがに店はまだ開いていない。
宅配受付も6:00まで待った。

朝飯を食べるところがない。
難波近くの24時間営業のファミレス「やよい」で、
朝定食(サバ味噌煮定食)を食す。
白いメシ、サバ、煮物、漬物、味噌汁、やっぱり日本食がうまい。
難波ー名古屋はひたすら眠る。

名古屋駅10:51着。

名鉄グランドホテル11階和食「四季」で、昼御膳と吟醸酒で新年を祝う。
ちょっと改まった感じで、今回の旅を締めくくった。

お疲れさまでした。


癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月4日)ポカラーカトマンドゥ

2007-04-11 14:13:46 | ネパール紀行
朝5時に目が覚める。まだ暗い。
部屋にはローソクが常備してある。
サランコットのロッジにはなかったが、
昨日の夜も停電があったことを考えると、必需品だと思う。

8時起床。
今日は予定がなく、カトマンドゥへの移動だけなのでのんびりである。

8:30ホテルで朝食。
9:00パッキング。
時間があったので、ロータリークラブのパネルディスカッションの準備をする。

10:30散歩がてら街中へ出てウインドショッピング。
家内が民族衣装風の子供服を見て、孫へのお土産にと店の中へ入る。
外は250/枚だったのが、中でサイズが少し大きくなると、
550,850だと言うのでやめる。値段の駆け引きが激しい。

この国はいたるところで外国人から入場料を取る。
しかしそこはゴミが一杯落ちたままである。
リピーターを呼ぶ工夫が少ない。

物を作るのは、農業を含め、価値を作ることである。
値段の駆け引きはうまいが、それは商業の本質ではないような気がする。
商業は最適の相手を見つける機能で、
価値を生むというより、価値を生かす仕事ではないか。
これだけ、ボーとして、何もしていない人が多くては、国は貧しいはずである。


スーパーで胡桃を買い、隣のレストランでマチャプチャレを見ながら
ビールを一本(180)飲んでホテルへ。
出口で客引きみたいな人がなにやら話しかけてくるが、
現地語は勿論わからないので無視。
ところがこの人は迎えの運転手だった。
ホテルで会ってびっくり。

11:25出発。

空港近くでデモ隊に会う。まだ政情不安定が残っている。
回り道して到着。(写真7)



セキュリテイチェックは荷物も身体も人が行う。

ブッダエアー608便に我々は一番で乗り込んだ。
今度は左側(山側)最後尾の座席に座れた。ラッキー。
行きと同じ19席満席である。

14:00発。

アンナプルナ、マチャプチャリ、
ランタンヒマールからエベレストまで続く山脈を満喫。
エベレストへもうじき近づくと言うところで、
機首を東に向け旋回、雲の中へ入り西から着陸。(写真6)



14:30着陸。



空港へはプレムさんが迎えに来ていた。
ホテルドワリカヘ直行。カトマンドゥは来たときより混んでいた。(写真3)
ドワリカはリゾートホテルの様相。格調を感じさせる一流ホテルである。
部屋も広くてきれい。庭も、建物も、細かい彫刻が施され、センスの良い配置である。(写真2、4,5)





3:30ホテル発でアースボンド社(旅行会社)のあるタメル地区へ。
事務所はブッダホテルの横の中庭の小さな建物の二階にあった。
ネパールティーを頂き一休み。

プレムさんの案内でタメル地区散策。観光客相手の繁華街。
ヤクウールのバッグや靴、Laughing Budda(笑う仏)の置物、
刀や仏具、Ring Boulなど紹介してくれるが、関心がわかない。

紅茶(7袋1000)とカレンダー(120)を買う。
手持ちのルピーがなくなったので両替商で少しだけ替え、不足分の紅茶を買い足した。


事務所へ戻り、旅行中の有料入場料の清算をして、ラズンさんと夕食へ。
立派な民族レストランで玄関で額に赤い染色をして入る。
胡坐をかいて座る席が2列、その周りは椅子席の大広間。
群青色の強い酒(ジン?)を杯に一杯。細かいピーナツ。

エベレストビールにはフライドポテト。モモ、ビーンズスープ。
いずれも少し濃い目の味だがおいしい。
その後は例のネパール料理。これは丁度良い味加減。今迄で一番おいしい。
お代わり自由とは聞いていたが、一種類ずつサービスする人が違い、
次々と来てくれる。今までと違うのは、チキンでなく水牛の肉だった。

民族舞踊が始まる。楽しそうに客席の間を踊る孔雀のぬいぐるみがコミカルに回り、
チップをねだる様が面白い。


隣の席のフランス人(シャンパーニュ地方の人)とブロークンで話をしていたら、
向こうの列のお坊さんの団体の人がキムチを皿の上に置いてどうぞと言う。
「台湾人か」と聞くので「日本人だ」と答えた。
暫くすると例の強い酒を注ぎに来た。これは利いた。
酔っ払いは世界共通、皆友達だ。店の人が、CDを売りに来た。
500ルピーで一枚買う。

ラズンさんと楽しいおしゃべりをした。
旅行が良かった。案内のラム君、運転手のプレムさんが特に気持ちが良い、と感謝の意を表す。
ラズンさんはホテル建設の夢を持っているとのこと。

9時頃ホテル着。これでプレムさんとお別れ。

余韻を楽しむため、ホテルのバーで一杯。
Today’s Special Ccoktailを。
甘いバナナとウオッカベースのカクテルだった。

いい気持ちで10時頃部屋へ。
二人でタイガー・ムービング・ゲームをやってみる。(写真1)
立派なバスタブだが、お湯が極めてぬるく、シャワーはやめて12時就寝。



癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月3日)ポカラ トレッキング2日目(3)

2007-04-07 11:15:28 | ネパール紀行
14:30 ホテル発で市内観光。



・オールドバザール
・古い寺院
・ミルクリバー
・Davis fallと洞窟

をまわる。街からヒマラヤが遠望できる(写真2)



オールドバザールは古い繁華街というが、
通常の街とそれほどの違いがあるとは思えない。
金細工の店がかたまっていた。
その端近くに古いヒンドゥーの寺院(ビンドゥバシニ寺院)があった。

扉の付近に赤い顔料が置いてあり、
顔につける人がいる。それで「顔料」というのか???
#親父ギャグ失礼...

ミルクリバーというのは文字通り白い川。
50Mくらい浸食した谷に交差して、引き込み水路がある。
何か大臣がここで遭難したのがきっかけで作られたと言うが、
なぜここが観光スポットなのか良くわからない。

中学生(高校生?)の集団が先生に引率されて見学に来ていた。

次はセティ川が奇妙な状態で侵食しているところ。
侵食が基盤の硬軟の関係なのだろうか、
曲がりくねったり、地表を残し気味に潜っている。
あいにく水の量が少なく(掲示してある写真の1/5くらい)、
パタレ・チャンゴの滝も、迫力はなかった。

ここの出口の土産物屋さんでヒマラヤの写真を買う。
はじめ300ルピーといっていたのを「いらない」と断り、
100ルピーなら買うといって交渉成立。

ナガルコットの展望台でこれより小さいのを
150ルピー(210円)で買ったことを考えると、
値段はどうついているのかわからない。


道を挟んだ向かい側に洞窟があり、そこに入る。
途中にシヴァ神が祭ってあり、そこまでは撮影禁止。
頭を打ちそうなところや、横向きでやっと通れるところをすぎて
向こうに明るい窓状の出口?が見えるところに出る。

高さ10M、窓の外には滝が落ちている。
ここはグプテシュワァール・マハーデブ洞窟というそうだ。


17:00 ホテルへ戻る。

ここでラム君とお別れ。彼は3月に日本に来るとのこと。
お兄さんが東京にいるそうだ。
日本に着たら連絡しなさいといってメールアドレス、自宅電話番号を教える。
(3月に彼からメールが来た。残念だがビザが取れず今回は来日できずとのことでした)

この観光2時間30分で2000ルピー。
こちらの物価からすると、タクシー代込みとはいえ、高いように思える。
ラム君にこの4日間のお礼でチップ30ドル
(こちらの物価換算にすると1万5千円くらい)を渡して日本での再開を約す。

若者らしい気持ちの良い男だった。


部屋へ戻り、バスを使ってさっぱりした。
おとといとは部屋が違い、少しグレードが上がったみたいだ。

夕食のため外へ。

今夜はレイクサイドのラブ・クシュ(ネパールシェフコンテスト入賞シェフの店)。
暖炉の傍で、エベレストビール、フライド・オニオン、ソーセージチリ味、
ミックスフライドライス(炒飯)で満足。そこそこおいしかった。





ホテルへ戻ったら、息子から誕生した三番目の孫の名前を決めた、
というFAXが着ていた。

10時就寝。


暫くして電話あり。本人から新年のあいさつ。こまめな男である。

ちょっとうれしい。幸せ感を味わいつつ眠りにつく。

癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月3日)サランコットーポカラ トレッキング2日目(2)

2007-04-03 14:21:29 | ネパール紀行
8:50分清潔なロッジ出発。
昨日の山口さんは一足先に出ていた。




フェワ湖に向かい、一気に急斜面を下る。
湖面を覆っていたガスも晴れてきた。南向きなのかとても暖かい。
緯度は小笠原列島くらいで、なるほどサボテン、ブーゲンビリアン、
ポインセチアなどの亜熱帯植物が多い。






途中足の調子が悪くなり、ラム君がザックを持ってくれる。
これで助かった。

相変わらず家の前でボーとしている人を見かける。女学生が多い。
制服を着て同じ色のリボンで髪を束ねて集団登校している。




レイクサイドに降りて休憩。ネパールティを飲む。



田んぼの畦道を水牛が\列を作って横切る。


湖畔を歩きパラグライダーのランディングポイント横を通る。
丁度一人が降りるところで上手にランディングしていた。
ラム君によればここは世界一のパラグライダーポイントだそうだ。

途中タクシーに乗り、バハリホテルへ11:30着。




昼食はカフェ・コンチェルト(イタリア料理とJAZZ演奏の店)で
PIZZAとPENNE。
湖畔のポインセチアがきれいだった。
1:30ホテル着。


ホテルで寝転びながら感じた事で、
世界遺産のパタンやパルタブルの遺跡を見たとき、
5~6世紀(奈良時代の少し前)はネパールも日本も同じレベルだったのに
19~20世紀になってどうして近代化に差が出来たのか?
と言う疑問でした。

私なりの結論は

 1.勤労意欲(倫理=儒教思想)
 2.教育レベル(江戸時代の寺子屋による教育の普及)

ではないかというものです。

トレッキングの途中、
街道端で何にもせずにジーと私達を見ている人の多い事、
学校がいまだに寄付がなければ運営できない事などから感じた事です。

癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月3日)サランコットーポカラトレッキング2日目(1)

2007-04-02 15:22:53 | ネパール紀行
朝6時起床。暖房が効いていて暖かい。
昨日シャワーを浴びて寝たので、ぐっすりだった。


ラム君約束どおり6:20モーニングコールに部屋まで来てくれる。

6:30分発。

薄暗がりの中、サランコットピークへ石段を登る。
25rp/人払ってピークの塀の中へ。

ちなみに、このピークはマオニストと政府軍との抗争のときから、
政府軍が警戒して、軍が駐在するようになったとのこと。
周りには新しい鉄条網も廻らしてあった。

塀の中に入ると、マチャプチャれを真ん中に、左にアンナプルナ主峰。
右にⅡ峰、などが一望の下である。
ナガルコットよりも山に近い。圧倒的な量感を感じさせる。
このピークより遥か上に聳えている。

すごいなー。

マチャとⅡ峰には殆ど雪がついていない。それほどの険しさか。
頂上の展望台には続々と人が集まってきていて、
狭いところに100人くらいがひしめいた。
写真を写すサイドは、人が入れ替わり立ち代りで交代。





やがて日が昇り、山々のピークが赤く照らされる。

すばらしい。ずーと見ていても飽きない。
この景色を見に来た旅行であるがその甲斐があった。

持参のトリュフチョコ(抹茶)を分け合って祝う。


帰って朝食。
簡単にチャパティ、ミルクコーヒー、ゆで卵。


昨日のパラグライダー予約キャンセル。
千載一遇のチャンスを逸したが、万一の事故のことを考えると、
立場上やむをえないか。

癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月2日)ポカラーノーダラーサランコット

2007-03-30 17:31:31 | ネパール紀行
◎軽トレッキング

今日はトレッキングの日。朝5時に目が覚める。
6時に窓の外を見るとマチャプチャリが聳えるのが見える。
天気は上々。

一応トレッキングの荷物をパッキング。
寒いのか普通なのかわからないので、
一応ダウン、雨具、着替え、懐中電灯、非常食を持参する。

ラム君8:00に来るが、事務所に行くので9:00出発とのこと。
来たときには、運転手の他に友人のハリ君を乗せていた。
一緒に行くと言う。


小型車に5人乗って出発点ノーダラへ。

マチャプチャリ、アンナプルナⅠが迫ってくる。
すごいスケールだ。大きい、高い。
ヒマラヤに来たな、とぞくぞくするような快感。満足。

9:50歩き始める




この山々と一緒のトレッキングか、とワクワクして歩き始める。
田舎の山道。ネパールに来たぞ!

埃の立つ石ゴロゴロの道。緩やかな上りの道が続く。
街道沿いの小さな泥レンガ造りの家の前でじっとこちらを見ている老人(女性)が多い。

途中「Child Care」と書いた建物の前で10数人の子供たちが
我々を見ると近づいてきた。



引率の先生みたいな人がノートを引っ張りだしてきて「寄付を」(と多分言ったとおもうが)と話しかける。
突然だし、よくわからないので「ノー」と言って通り過ぎた。
その後でも、子供や若い者がサッカー少年団へ、とか何とか言ってくるが、
それに渡すなら、あの先生に渡したほうが良かった、と後悔しながら歩く。



学校も天気がいいので、屋外授業である。



途中一箇所、ヒマラヤが見えたが、
後は反対側の斜面の道なので、山は見えず。

小型バスで途中まで来てそこからノーダラへ向けて歩くユーラシア観光の人たちもいた。
菜の花やブーゲンビリアンが咲き、段々畑がつづく。
家の前でミシンを出してなにやら縫っている人もいる。
老人、子供、女性がほとんどで、若い男の働き手がほとんどいない。

休憩していたら、ラム君の帽子が変わっている。
途中で忘れてきたらしい。ラム君のをかぶっている。

サランコットの頂が見えてきて、空にハングライダーが舞う。




近くの清潔そうなホテル「アンナプルナ・シェルパ」で昼食。
(13:00~14:00)




中国人系の主人。日本語も片言でできる。サービスが良い。
食堂にいたら、屋上でどうですかと案内され、
屋上にテーブルを出してくれた。

双眼鏡を持ってきてくれたり、
せっかくだからハングライダーをやっていきなさいよ、と勧めてくれる。

屋上からは、アンナプルナ連峰、マチャプチャリが一望の下である。




すばらしい景色、時間を忘れる。

ハングライダーの人たちが手を振っている。
インストラクターと二人乗りでいる人もいた。
昼食はモモ、チャウメン(スープつき)、エベレストビール。



そこから20分ほど歩いて、サランコットの丘のふもとの小さなホテル
「トップビューレストラン&ロッジ」

2005年創立、清潔そうな小さなホテルである。




明日のハングライダーを予約しに少し下まで降りて
帰り道、手織りのテーブルクロス(1000るルピー)、
ホテルの前でストール2枚(850)を買う。

いずれも女性が売り手。商売上手、駆け引き上手である。

サランコットの丘まで登っていったが、入場料がいるとのことで、
どうせ明日、日の出を見に来るので、引返してくる。

ホテルの屋上で夕暮れの村を見る。

段々畑の続く村では子供たちが遊び、牛、ヤギ、鶏が放し飼いされている。
50年前の日本の風景だ。

人々は夕靄の中、暮れかかった畦道を列を作って家路につく。
とても懐かしい気持ちだ。癒される。(写真12)



夜、一階の寒い食堂での食事。
一人旅の山口の井上さんとお客は三人。
井上さんのガイドとポーター、ラム君とハリ君、計7人。
モモ、チャウメン、ピザ(パン)トマトスープ(一応オーダーである)

ラム君たちは例のカレーセットみたいなものだ。
山口さんのガイドたちは器用に手で食事をしている。

山口さんを誘って、ホットウイスキーを一緒に飲んだ。
この人はフルマラソンをやるくらいの元気な人だ。


9:00就寝。暖房が入り部屋は暖かい。

癒しの国へナマステ ネパール紀行(1月1日)カトマンドゥーポカラ

2007-03-27 18:10:20 | ネパール紀行
空港へ11時についた。
国内便の建物は小さな村役場と言った雰囲気。人は結構いる。

12:55のフライト。
11:45チェックイン
全て家内がやってくれる。
空港利用税 169・5ルピー/チェックイン/人




ブッダエアー67便。
イエテイ(雪男)航空と言うのもあっていかにもネパールらしい。
しかし、スモッグのせいか軒並み便が遅れていて、結局3時発となった。

ゲートからバスに乗って、空港端の駐機場に行く途中でまた15分ほど待機。
聞けばネパール首相(大臣?)が着いたからそれを優先したとの事。
3:30近くやっと離陸。

双発プロペラ機、2列シート、20人乗り。
半分近く日本人ツアーのひと。

雲の上に出れば圧巻!ヒマラヤ連邦がズラリ。
右側座席が山側で、見晴らしが良い。
私と家内は並んで座ったが、家内が右側だった。途中で交代する。
飛行機は3,000m位の高度で飛び、岩の塊を斧で削ったような荒々しい峰々が迫る。
写真に撮るが、到底その迫力は映しきれない。





30分程があっという間に過ぎ、雲の中へ突入。

ポカラへ。



小さくこぎれいな空港。
出迎えがあると聞いたのだが、一緒だったツアー客がバスで去っても誰も来ない。
空港のガードマン(軍隊?)が指差す方向を見ると、
門の外で紙を広げている人がいる。
近くへ言ってみるとその人が出迎えだった。


15分ほどで今夜の宿、ホテル・バラヒへ。





レイクサイドへ。とにかく腹ペコなので街に出た。
街はニューイヤーフェスティバルで道路に店がでて、商店も品物を並べている。
道路の店でチャウメン(焼きそば)とビール。
(ビール130、チャウメン40,70 計240ルピー)
フェア湖のほとりを散策。
といってもお祭りの最中なので、にぎやかである。
暮れなずむ湖面は色濃く、国王の別荘の森も闇に沈む。
両替を少し(1万円)して後はぶらぶらと散策。
山の用品、インターネットカフェ、両替商、旅行社、
CD・本屋、パシュミナ、クラフト工芸品、レストラン、
小さなスーパー(コンビニに近い)などである。
同じような店が並ぶ。

リゾート地(観光地)の雰囲気が出ている。

ホテルより上の地区に行ったら、いっそう祭りらしくにぎやかになってきた。
スクリーンに映像を映す店、
モモ(肉まん)やカバブーを焼いて食べさせる路上カフェ、
空き地ではスイカ割のように、目隠しをして棒で石をたたくイベントに回りは黒山の人だかり。
懐かしい輪投げなどもあった。

途中の店で、家内がノースフェースのヤッケ(多分ニセモノだろう)を買う。
1400ルピー。着心地がよさそうである。ネパール記念としてぴったり。

ホテルバラヒに帰り、夕食。
庭でネパール舞踊とバーベキューをやっていたが、
ちょっと疲れが出て、ビールも残して、8時頃部屋へ。
ここの部屋は、暖房も入るし、TVもつく、バスタブもある。
いかにもネパールの中級ホテルと言った風情。
だから、バスタブの栓はない、シャワーの勢いは弱い、堅いベッド、でも楽しい。
しかし2日ぶりでお湯を浴びて眠るのは気持ちが良い。
窓からマチャプチャリのピラミッドのような尖峰が夜空に浮かぶ。絵のような景色だ。

早々に就寝。
元旦にしては淡々とした一日であった。

2007年もこうして始まる。

癒しの国へナマステ(1月1日) バクタブル

2007-03-20 14:28:55 | ネパール紀行
朝日の中を下る。

ネパールの人は私くらいの背の低い人が多いような気がする。
親しみがもてるのもそのせいか。

40分くらい走り、急にミルク色のガスが濃くなってきたら、世界遺産パクタブルに到着。
入場料が二人で1400ルピーとちょっと高い。



ゲートへ行く途中道端で糸を梳いている人がいた。



ここの建築様式はパタンと同じようであるが、
こちらのほうが域内、外の区分がはっきりしているようだ。

ガスもだんだん晴れ、
沢山の観光客(ネパールの人が6割くらいか)が行き来している。
近くに学校があるらしく学生、生徒が多い。
緑色の制服の学生がひときわ颯爽と歩いていた。







域内には、青空市が開かれ、つぼを作るところもあり、人が多い。
狭い路地をオートバイが走りまわる。いかにも東南アジアらしい。


パクタブルゲートの前でチベット音楽のCDを買う。
山の仲間へのお土産。5枚1000ルピー。
駐車場できれいな小物袋25枚1000ルピー。商売がうまい。
相手の顔色を見て、2枚、5枚とおまけを増やしてくる。

カトマンズ空港着11:00。

12:55のフライトに悠々間に合う。
ここでお世話になった運転手さんのプレムとお別れ。

寡黙だが人柄のよい人だった。
チップ1000ルピー。

ラム君とも一旦別れる。ポカラで落ち合う予定。

癒しの国へナマステ(1月1日)ナガルコット~バクタブル

2007-02-20 09:50:24 | ネパール紀行
元旦の朝。
部屋の前の屋上に続く鉄の階段を登る音に目が覚める。

6:30分頃我々も屋上へ。

ダウンを着ていても寒い。
うっすらとヒマラヤ山脈が見える!ピンク色に浮かぶ山々の峰。
あそこがエベレストとちっちゃなピークを教えられるが、
それより雄大な連峰に目を奪われる。




運転手のプレンさんが、こちらがランタンヒマール、
あちらがガネッシュヒマール、
うっすらと見えるのがマナスルだと教えてくれた。
我々よりはるかに目が良い。

靄の中から上がる2007年の初日の出をここで拝む。
日が上がる頃には、だんだんガスが上がってきて、
景色はますます見えなくなる。
サランコットから来た人は、向こうもガスが出ていて景色には恵まれない。
今日は良い方だと慰められた。




朝飯はバイキング。

食欲はあまりなかったので、少しとっておしまい。
ラム君は遅く起きてきた。




8:30出発。

村には朝から人が大勢出ていた。
肌の色は我々より少し濃い目だが、
髪の毛は黒く、背丈もそんなに違わない人が多いので、
なんだか親しみを感じる。

昨日来た道を下るが、陽が差してきて暖かくなってきた。
プレムさんは結構スピードを出して走る。
すっかり下ってきたところで、急にガスが濃くなり、視界が30m位になる。
町並みが出てきて、学校へ行く子供が多くなってきた。

そこは世界遺産のパクタブル。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 2日目-ナガルコットの夜編

2007-02-06 16:13:39 | ネパール紀行
パタンでの昼食を終え、一路本日の目的地ナガルコットへ。
ヒマラヤの展望台と言われる標高2000mの丘である。



つくまではかなり長い山道を車は進む。
九十九折で、時々牛が横切る。
ヤギや鶏も放し飼いだ。
山の斜面に点在するレンガ造りの家々。

埃を上げながらプラムさんの上手な運転で、リゾート地ナガルコットへ。




ホテルが点在する地域に入って、HOTEL UNKAI(雲海)の看板。
日本人がよく来るところらしい。
丘の上の五階建てのホテルが本日の宿ホテルヴューポイント。
一階のフロントから5階の部屋まで狭い鉄階段を上る。

重いスーツケースを運ぶのに閉口して、
担ぎ上げてくれた少年たちに100ルピーのチップを弾んだ。
大喜びだった。

部屋は最上階で、ここからヒマラヤが見える。
まさにホテル名どおりの部屋。

シャワーのみの粗末な洗面、ポットにはお湯が入っていない。
暖房はなし。TVはつかない(紅白歌合戦などダメ)。照明は暗い。

ホテルとしては粗末な部屋だが、
山小屋と思えば、清潔、立派な個室である。

ダブルベッドとシングルベッド。
重い布団も添えてある。




時間があるので、近くを散歩した。
途中で毛糸の帽子を買う。120ルピー。
40分ほど歩いて、日が沈みかけたので、
サンセットを見るべくあわててホテルに戻り、屋上へ。
赤い夕日は見えるが、全体にもやっておりヒマラヤはうっすらとしか見えず。

夕食まで、あとは一杯やるしかないとレストランへ。
日本人もちらほら。暖炉に火が入り良い雰囲気。
エベレストビールを二本、
プラムさんは紅茶、ラム君も飲まないという。

食事は昨日のホテルと同じ、少し雑なカレー料理。
でもおいしい。ワインを頼んで大晦日を祝う。
ラム君も一杯付き合う。


9:30に部屋に戻るも、寒いだけ。
またレストランに戻り暖炉のそばでホットウイスキー。
日本人が7~8人。若い人がほとんど、遅くに家族が一組参加。
欧米人も7~8人。彼らは陽気だ。自然に2グループに分かれて歓談。

W杯のことなど話題提供。
盛り上がってきたところで、カウントダウン。
若いカップルが皆にシャンパンを振舞う。

私が最年長らしく、カウントダウンの掛け声役を務め
「5,4,3,2,1ハッピーニューイヤー!」で乾杯。

ネパール人のガイドや、従業員がボンゴを持ってきて、
ダンスをはじめ、欧米人、日本人入り乱れて、シェルパ踊りを踊る。

歌の交換は我々は「スキヤキソング」「かえるの唄」。
但し「かえる・・」は輪唱がうまく機能しなかった。
異国の地での年越しはこうして楽しく過ごせた。




12:45明日の夜明けのヒマラヤを期待して就寝。
寒い。