遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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熱気球に乗る

2011-07-31 07:40:29 | 行ってきました
気球で遊覧

トルコ、カッパドギアでのこと。

空から、この奇岩群を見てみないか、という誘いにのり、熱気球に乗ってみた。

朝3:30起床。4:00にはコーランの声が聞こえる。西には満月が輝いているが、
東の空が徐々に赤くなってくる。4:25まだ暗い内、定刻通りに来た迎えのバンに
乗り、途中のホテルで客を拾いながら、気球の営業所へ。大勢の人が待っている。
コーヒーとビスケットのサービスを受け呼び出しを待つ。



気球の運転手ごと(我々はセマル)に呼び出しを受け、ミニバンで現地へ。東の
空は明るくなり、乗り込む頃には陽が昇ってきた。LPガスが燃料で、大きな炎
で熱風を送り込む。
ゴンドラはぎゅうぎゅう詰め。2列に押し込められ、前5人後ろ6人計11人の
客。フランス人のおばさん6人、おじさん3人の組に乗り合わせた。ドライバー,
セマルは陽気である。



快晴微風の中、ゴーッと言うノズルの音を聞きながらゆっくりと上昇。レッドバ
レー、ローズバレーを地形に沿ってゆっくり上昇、下降を繰り返しながら谷間を
進む。下の木すれすれにわざと下がってみせる。
回りには沢山の気球が浮かぶ。はじめはもし故障で落ちたら、と余分なことを考
えたが、5分もして慣れたら快適である。一気に1,000m迄上がると爽快、地上
が小さく見える。

この台地は石灰岩が奇観をつくっている。地上から見た印象とは随分違う。



小一時間の飛行を終えランディング。すぐ係が来て気球をたたむ。ワインのシャ
ンパン割り、ビスケットで、草原での小パーテイ。記念撮影と乗船証を一人ひとりに渡し、
「おめでとう、乾杯!」

なかなか楽しい体験であった。






スペシャルオリンピックス開会式

2011-07-30 09:06:47 | 行ってきました

この旅行の、公式な目的であるSO(スペシャルオリンピックス)世界大会の開
会式に出席をしてきました。


街中のSO旗。SOは趣旨から言って国旗の掲揚はしないのだがなあ

アテネの街には、SO旗がギリシャ国旗と並べて飾られ、市役所、図書館、国会
議事堂には大会開催の掲示がされていました。勿論W杯やオリンピックのような
盛り上がりはありませんがすごくマイナーな感じもしません。

SO日本中興の祖、中村勝子さんにも久々にお会いした。相変わらずお元気であ
る。この方とお会いすると何かしら元気をいただける。SON愛知の人ともホテ
ルで合流。会場には5:30に案内された。式は8:30開始というのに。陽は
あかあかと照り、聞けばスタンドは西日に照らされるというので、暫く道路脇の
木陰で時間をつぶす。


アテネ競技場の入り口の標識

入場時の手荷物検査 飛行機にのる時と同じだ

会場内の警備 デモの影響だろうかやたらたむろしている

アスリートたちを乗せた各国のバスが次々と目の前を通り過ぎてゆく。それに向
かって手を振ると、張り切って応えてくれる。ところが交通整理のおまわりさん
が、やたらに怒鳴りまくっている。進入不可のところに入ってきた車に「出てゆ
け!」「ここは進入禁止だぞ!」(ギリシャ語が分からないので私の勝手な推測
ですが)と追い返している。外交特権のありそうな中国旗をつけた車にも容赦無
い。一種のショーだ。

陽が陰ってきたので7:30過ぎ会場に入場。会場は近代オリンピック発祥の地
馬蹄形(音叉に近い)のアテネ競技場だ。細長い競技場のフィールドに一本の道
が設けられ、西側の開放部に大スクリーン、と入場口、東側の閉鎖部の上に聖火
台がある。


会場のグッズショップ

まだ人が少ない会場

会場のレイアウト



入場行進前のパフォーマンス

遠くにパルテノン神殿がライトアップされ、太陽がその横に沈む。夕暮れが迫っ
てきた頃、開会式は始まった。知的障害の子供を加えた3人が司会を始める。女
性歌手が2名オペラの歌曲のごとく3,2曲、朗々と歌い上げ、大規模な集団舞踊、
男性歌手四角な箱を使ったパフォーマンス、その後素焼きのツボを叩く音楽、終
わってそのツボを、道の下に叩きつけて割るのと同時に花火がそこから上がる。


入場行進(アメリカ)まだパルテノン神殿が見える

入場行進

アスリートメッセンジャーの宣言


それが入場行進の合図であった。選手団は一文字の道を進み、東の端で、左右に
別れてスタンドに入る。日本選手団の先頭には有森裕子SON理事長、ブラジル
選手団の先頭にはジーコがいた。160ヶ国の国と地域の入場行進は壮観である。
通常のオリンピックの入場と同じ雰囲気だ。但し選手団の大きさは、国力の差に
比例しているのではなく、その国の社会福祉の力の入れように比例しているよう
だ。SO提唱国アメリカの選手団の数は群を抜いていたが、カナダ、アイルラン
ドは日本と同じかそれ以上であった。中国などはまだまだ、日本には及んでいな
い。


スティービーワンダーの演奏

創始者、ユニス・ケネデイ・シュライバーの息子ティモシー・ペリー・シュライ
バーが現在の代表だが、彼は次のように演説した。「我々は他との競争でなく、
純粋にベストを尽くすことに集中する。これこそ真の、本物のオリンピックだ」
またそのあと、スティービー・ワンダーも演奏、挨拶をし、「選手や、家族は勿
論だが、ボランテイア、支援者、ここにいる皆さん、地域の人々、みんな皆、同
じ側、内側の人だ」と叫び、大きな拍手を受けた。

実行委員長は女性だったがこの方の演説が少々長く、8:30から始まった開会
式はスティービーワンダーの4曲の演奏が終わった頃には、10時15分を過ぎ
ていた。登場した4人の歌手の歌を聞くだけでも、入場料は充分もとは取れたと
思ったが、聖火の点火までいると、帰りが大変なので、聖火の入場を待たず退散。
熱気の覚めやらぬ競技場を後にした。


会場の夜景 遠景


徒歩でホテルまで戻ったが、途中国会議事堂がライトアップされ静かに佇んでいた。

いろいろな形で、メッセージを受けた開会式であった。

やはり日本は良い国だ。

2011-07-25 12:00:50 | 雑感
NYを走るリムジン こんな車がたくさん通る

日本に戻って、蒸し暑さが増し、連日30度以上のベトベトした空気に閉口してい
ます。

が、やっぱり日本はいいな。

旅の終盤、ペルーに来たとき、親日的雰囲気を感じたし、シャイで勤勉な国民性
に触れて、居心地が良かった。

ロスのホテルは、昨年と同じトーランスのミヤコ/ハイブリッドに泊まった。お風呂が日本式の湯船があったというだけでなく、その心配りにはなにかほっとするものだった。

帰りのロスー成田便はANAに乗った。この機内サービスもほどが良く、神経に触らな
い。
両方共「察する」「確認する」応対というのが、そのほっとする根源なのだろうか。
頼んだことが、目的達成できたかどうかを、先方から聞いてくれる。そのことはちゃんとできましたか?またサービスも「よろしかったら」と強制はしない。

日本語対応だからかもしれないが、(でもトーランスのスーパーミツワでは感じ
なかった)とにかくあたりが柔らかい。柔らかいバスタオルで身体を拭くようだ。

そう思って家のシャワーを使ったら、その水流までソフトに感じた。
隅々まで神経の行き届いたこの国はやっぱり良い国だと改めて思う。押し付けがましくなく、相手本位の行き方こそ、世界に誇るべき美徳ではないか。

そう思いませんか?

ただいま~

2011-07-22 18:46:11 | 行ってきました

40日余にわたり、旅行をして昨日帰りました。名古屋はおもったより暑くなく、ほっとしています。


エーゲ海クルーズも経験しました

今回はトルコーエーゲ海ーアテネーバンクーバー、シアトルーニューヨーク、ーリマ、
ークスコーマチュピチューロスアンゼルスー成田と地球を西回りで一周してきま
した。




親日国トルコの奇景、スペシャルオリンピクスの世界大会開会式参加、及び競技
応援、バンクーバーの義妹宅訪問、姪っ子宅訪問、まだまだ世界の中心のんNY、そして
ここまできたなら世界遺産人気No1のマチュピチュを見てこよう!ついでにロ
スの義兄の手術経過も見舞ってくるという誠に欲張った、自分本位の旅行でした。


マチュピチュと後ろの山はワイナピチュ山(ここにも登りました)

ナスカの地上絵 宇宙人

案の定、体力的な衰えが随所に顔を出し、最後のペルーでは、ワイナピチュ(2
700m)登頂のおりは大変しんどい思いをしましたし、クスコ近郊で3800
m地点のインカ道へ行った際軽いめまいを覚えました。ナスカの地上絵のセスナ
遊覧で飛行機酔いになったのも疲れからだったと思います。この工程と高度では
高山病はほとんどないと言っていいのですが、個人的な疲れのほうが影響は大き
いのだと考えています。


NYタイムズスクエアの雑踏

日本が未曽有の災害にあっているとき、物見遊山でもあるまい、と出発前かなり
迷いました。しかし、日々衰えゆく自らの体力を考えたとき、来年この日程がこ
なせるか、到底自信が持てなかったのであえて今年決行したのです。

パック旅行をとらず、かなり日程に余裕を持たせたつもりでした。それでもさすが帰ってきたときは
疲れが溜まっていたようです。

トルコは、観光/売買の国、ギリシャは観光/加えて遊行の国、カナダは自然の
中に生きる国、アメリカは消費の国、ペルーは貧しく、しかし勤勉な国のように
見えました。


カナダデーのパレード

マリナーズのホーム セイフィコフィールド

ペルーはフジモリ大統領の時、大使公邸人質事件くらいしか、関心がなかったの
ですが、現地に行ってみて、哲学的な風貌、物静かな物腰、インカ他の文明がス
ペインに蹂躙された悲しみ、勤勉な市民性、など何やらアイヌに似たところが多
く、この国を好きになりました。


スペシャルオリンピクス開会式 スチービーワンダーのステージ

実際の競技は夏のオリンピックと同じ会場で行われた

スペシャルオリンピクスの開会式、7/1のカナダデーに現場にいたのは幸いでし
たが、6/28日のクスコのセクスワマンの民族祭(南米ではリオのカーニバル
に次ぐ祭だという)が、日程違いで見られなかったのは残念でした。機会があったら是非見てみたいと思う。

旅の内容はおいおい皆さんにも知ってもらいたく、ブログにあげてゆくつもりで
すが、なにせ長い間、留守に致しまして申し訳ありませんでした。


旅はトルコから始まりました。エフェソスの図書館跡

トルコ・セマの旋舞

カッパドキアのキノコ岩群

パムッカレの石灰棚