遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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見詰め合わずに

2008-02-29 19:18:18 | 雑感


社員の結婚式に招かれて名古屋市内のホテルへ出席した。
非常に前向きな青年で奥様もきちんとしている。

新郎新婦とご両親中心の和やかな披露宴であった。新郎新婦だけのデュエットや、
両親揃ってのケーキカットなど、意表を突かれたが、友人たちの余興大会的なも
のもなく、落ち着いた宴であった。新婦の感謝の言葉に「一番我侭をぶつけたけ
ど、いつも味方になってくれたお母さんありがとう」というくだりに実感がこもっ
ていた。両家とも温かい家庭に見受けられた。

祝辞で「これからは見詰め合わずに、同じ方向を見ながら歩いて下さい」と申し
上げた。向かい合えば「私のことをどう思ってくれているか」ということになり、
人間だから欠点も見えてくる。挙句、良いところも忘れて「この人とは合わない」
などと早とちりしがちである。

そうではなく、一緒に人生を歩もうと決心したのは、同じ方向に行こうというこ
とだ。山あり谷ありを、二人で乗り越えてゆこうということだ。どうやって山を
乗り越え、谷を巡ろうかと知恵を出し合うための結婚だ。という意味での祝辞だ。

この若者たちはそんな事はなく、きっといい人生を歩むのだろう。この前見た
母べえ」を鑑賞することを勧めた。





母べえ

2008-02-24 08:18:35 | 雑感
久しぶりに映画を見た。

家族の絆、夫婦のあり方、国家権力の無残さ、を感じさせる映画であった。
ストーリーが取り立ててよいできだというより、演出がすばらしい。テーマは違うが
マジソン郡の橋」と同じ様な気がする
これから結婚する人、家庭を持っている人、夫婦向き合って生きている人にもお勧めする。

サユリストの私としては、吉永小百合のひたむきさ、ピュアーな姿を見るだけで満足だが、
キューポラのアル街」「泥だらけの純情」時代と、演技は殆ど変わっていない。
さすがに、歳を取り母親らしさが加わったことくらいが変化か。

傍役陣がすばらしい演技を見せる。義妹、書生、二人の子供、近所の薪屋、鶴瓶演ずる
義兄など。いかにも適材適所のように見えるのは、山田洋次監督の腕なのだろう。

戦時中に学者の夫が、治安維持法に触れ逮捕拘留され、留守を守る家族3人と、弟子を
中心とした生活を描いた映画である。国家主義の下で、けなげに生きる庶民の日常生活を
描いているのは、寅さんシリーズを髣髴とさせる。

少し、さらっと描きすぎているのではないかと感じるのは、鶴瓶演じる義兄が、
自由奔放・金が第一と主張する、当時としては異端の生き方、近所の人たちの、
この家族の接し方である。
皆善人ばかりで、これも柴又の隣人と重なって見える。庶民はこのように肩寄せ合って
生きてきたのだろうが、軍国・国家主義の日本では、この家族に対しもう少し風当たりが、
強かったのではなかろうか。

母べえの臨終で、次女が「向こうで、父や、義妹、書生と会えるからね」というのに対し、
最後に「あの世でなく、この世でこそ会いたい」と言い残す。ジハード意識に対する
痛烈な批判である。

サユリストは勿論、そうでない人でも、満足できる映画だと思う。

寒さを超えて

2008-02-22 12:35:10 | 雑感


梅が満開となった。寒い2月に凛として咲く梅は、華やかで豪華な桜とは趣が違
う。王と長島の違いのようである。

寒い冬を越えて、真っ先に咲くのが梅というのも嬉しい。
枝ぶり、幹の肌合いを見ても「苦労しているな」「耐えているな」と感じてしま
う。(東海林さだお風に)

長浜の盆梅展を思い出す。数百年を耐え、色々切られ、矯められ、今日の姿をと
どめる。生命力の強い植物なのか。

憂鬱な事実

2008-02-22 12:24:16 | 雑感


ゴア氏の「不都合な真実」は幅広い環境問題を提起しノーベル平和賞に輝いたが、
レイチェル・カーソン女史の「沈黙の春」を忘れてはなるまい。

45年も以前に書かれたこのレポートは、化学物質(農薬)が生物に及ぼす広範
囲で壊滅的な影響を、実証的に示す。

DDTパラチオンBHCなどの農薬が、土壌汚染、水の汚染を引き起こし,
人間の健康に直接影響を与え、植物、昆虫、ミミズから鳥類へ、また魚類へ、家
畜へと猛威を振るう様を、記録をたどってゆく。

百年河清を待つ、全てを水に流す、などの文化を持ってきた我々には、衝撃的で
あり、食料自給率の低い国としては憂鬱である。

今、長年の眠りから醒めた中国が、40年前のアメリカと同じではないだろうが、
農薬入りの毒ギョーザ、毒采を生み出している。この国の国民にも読ませたい。

もし女史が生きておられたら、食品添加物、電磁波、遺伝子組み換え、などの影
響もレポートして欲しかった。

史跡めぐり散歩

2008-02-18 14:10:44 | 雑感
休日にリハビリを兼ねて、史跡めぐりの散歩に出た。
主として江戸時代の史跡を巡って見た。



1.亀城(きじょう)公園、刈谷城近くの母校の、小学校付近からスタート。
 常夜燈(写真6)。明治時代刈谷町と熊村の境にあった。お堀端の道にあった
と思われる。





2.椎の木屋敷跡(写真3.4.5)。家康の生母「於大の方」が住んでいた屋敷跡。
岡崎松平広忠に政略により嫁ぎ、離縁された折、父の刈谷城主水野忠政の元へ身
を寄せた。その折の屋敷跡。古地図によれば、政務を司っていた屋敷の外に面し
ていた。小高い丘の上に記念公園はある。
於大の方はその後、またも政略で阿久比に嫁いだが、岡崎で設けた竹千代(家康)
の事を気にかけ、阿久比からも諸々の品を手紙と共に岡崎に送っている。



3.松本圭堂生誕地(写真2.1)。幕末の志士、天誅組総裁の記念碑。明治維新前
夜、初めて公然と武力で、幕府に立ち向かった尊王倒幕の組織のリーダーの生誕
の地。
幕藩体制を築いた、家康とそれに終止符を打つさきがけとなった、天誅組を率い
たリーダーを生んだのが、同じ刈谷というのも歴史の巡り会わせか。



3.実相寺(写真2-5) 天誅組の義挙に参加した伊藤三弥の墓がある。キリシタ
ン灯篭が境内にあると記されていたが、残念ながら確認できなかった。このお寺
は小学校、中学校時代、お墓や裏の藪でよく遊んだ。西勝寺を経て元刈谷神社へ。




4.元刈谷神社 本刈谷神社とも記す(写真2-4.3)。スサノオの命と共に菅原道真
も祀られていた。私の新発見。子供の頃、昔の波打ち際跡に貝塚の発掘に来た
事があるのを思い出した。



5.楞巌寺(リョウゴンジ写真2-2.1)。1400年代からの曹洞宗の修行寺。刈谷藩
主水野氏の菩提寺でもある。近年改築され立派なお寺。本日も寺務所で法事がお
こなわれていた。



都合2時間程度の散歩で、リハビリには丁度良かった。もう一箇所「刈谷古城址」
を目指したが、発見できなかった。小雪が降ってきたので中断。刈谷市も史跡に
は説明版を設置して、保存、啓蒙に努めている。これらの史跡が、郷土愛を感じ
るようなものになるような工夫があればもっといいのだが。




温暖化?

2008-02-10 08:13:45 | 雑感
地球は温暖化している。

実感として夏の暑さ、冬の温かさ、を体感すると
これでいいのか、と思う。
霜柱、ガラスが凍る朝は少ない、或いはなくなってきた。

しかしこのところの寒さはどうだ。
雪は積もり、ツララが下がる。マイナス10度。
世界が違って見える。

寒いが、冬はやっぱりこうでなくちゃ。





大和ミュージアム

2008-02-08 11:22:34 | 講演録


精密模型は入り口

先日、広島県呉市にある大和ミュージアム館長戸一成氏のお話を伺う機会があった。

戸館長は1/10精密模型を見て感心されるのは良いが、ここから、技術背景、世
界情勢背景、軍部の戦略背景などを推測する入り口として、見ていただきたい。
と述べられた。

戦艦大和の1/10模型は、船体の鉄、板金技術、甲板の板張り、スクリューの芯だし、
甲板柵支柱を倒す方向など、本物と同じ工法で制作した。模型の制作ではなく、
本物の戦艦を作る気持ちで作った。

新日本製鉄の技術者に当時の記録を調べてもらい、同じ配合成分の鉄を精製、甲
板の板張りも、1/10の縮尺で、当時の工法、材料とも同じにした。スクリューの
芯だしは、本物と同じ工法で作り、動力さえつければ、いつでも航海できるよう
になっている。甲板柵も、90度倒す方向が違っていたので、小さい部品を取替
え、全部やり直した。

そこから見えてくるのは、明治維新からわずか40年で、これだけの技術、工員、
ドックが日本にあったこと、日本は量でなく質で勝負しようという戦略だった事
(軍縮条約批准)、特攻思想が軍部全体にあったのか、という疑問などである。

中でも、工業国でなかった日本が、何故(この時代では)世界最高の戦艦を作り
えたのか、という疑問の入り口にしていただければ嬉しい。

例えば、大正、昭和初期になぜ、戦艦の修理改造が頻繁に行われたのか。そんな
に技術が未熟だったのか。明治40年には当時世界一といわれる「長門」を造る
技術があった。
しかし、軍縮条約で新建造船が出来なくなったので、意識的に大幅な改造、修繕
を行い、技術の保存を図ったのである。

こんな話を聞くと一度行ってみたくなる。

4度目のクインチ

2008-02-05 12:11:25 | 雑感
葬儀を終えて、気分が少し滅入っていたせいもあり、気分転換にイタリア料理の店、
クインチへ。このお店は4回目である。クインチとは「ここから」という意味だそうだ。

あいかわらず、店員は皆元気が良い。

今日は何故か前回「ちょっとね」といっていた、大衆酒場風の「○○の注文入りまーす」と
いった掛け声と一斉の返事が控えめになったのか、耳障りでない。


まずはビール


料理は5皿。(アスパラのリゾット含む)このお店の生田君が進めてくれたもので、
店長のお勧めだそうである。比較的薄味で、どの皿もおいしかったが、日本的な味付けで
ある。日本料理のイタリア風味付きといったところか。それとも日本料理風味の
イタリアンか。
正月にローマ、ナポリで味わったものとはやはり、「ガツンと来る」点では、現地に
軍配が上がるが、こちらはこれで十分おいしい。
日本人の我々には、ぴったりである。お勧めのワインもおいしい。

生田君の対応で気がついたのだが、イタリアでも、気の効いた店(繁盛店)では、
ウエイターの愛想が良い。お客を楽しませる。パンと食後のコーヒー、ワイン(5500)
ビールを入れて、15000円ほどであった。オーナーシェフが挨拶に来てくれるのも嬉しい。

*数日後会合で、行ったおり、始業前のミーテイングを見させてもらったが、
全員が気合を入れて「日本一になるぞ!」と掛け声をかけていたのが印象的であった。
ハツラツの源はここにあったのか。




寒の永平寺

2008-02-04 16:52:04 | 雑感
かねて家内が行きたいといっていた、永平寺を訪問してきた。

寒のうちで寒い時だが、雪はそんなになく、静かに建っていた。

なにか神社と違い参拝客というより見学客みたいな雰囲気の人が多い。
案内をしてくれる雲水や修業中の人は真摯な態度なのに申し訳ないような気持ち
である。

座禅をしている僧堂のほうは、「摂心中につき通行禁止」と遠回りさせられ、庫
院(食堂)のほうへ。此処では食事も、入浴も、手洗いも日常の生活すべてが修
行なのだという。すれ違う雲水も、廊下や階段の端を歩き、音を立てない。

真面目に一生懸命修行している彼らの脇で、不謹慎な我々が同じ空間にいるのが
申し訳ないと思える。もっと大雪に埋もれるか、しんしんと冷え込んだほうがい
いのかもしれない。
生活すべてが修行という道元の教えは、生き方について、いい加減な事は許さな
いよと言っているようだ。