遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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本格的合唱団

2019-08-27 01:57:57 | 行ってきました




私が住む墨田区で夏の音楽祭があるという。孫が出演をする合唱団も公演があるということで、学芸会の発表会を見にゆく程度の気持ちで、少し涼しさを増した街へ出た。

区立のすみだトリフォニーホールは1800席の立派な大ホールであり、正面には巨大なパイプオルガンまで設置されている。

会場はほぼ8割は埋まっており、オーケストラの席まである。少年少女合唱団と言っても小学生から高校生まで、そしてOG,OBも参加し、加えてプロらしき歌手もソロで加わり、やる気満々である。

曲は懐かしい「サンダーバード」から始まり「宇宙戦艦ヤマト」「踊り明かそう」「上を向いて歩こう」「赤とんぼ」など全14曲オーケストラとの合奏でしみじみと聴かせた。この日のために相当練習を重ねてきたのだろう。なかなかの音色である。演奏後、指揮者、オーケストラ退場後も拍手鳴り止まず、「ふるさと」のアンコール曲が指揮者無しで歌われる感動的な場面もあった。

孫たちの参加という身びいきを差し引いても、この楽団のレベルは相当高いと思う。欲を言えばピアニシモの部分がもうちょっとだけ明瞭に表現できれば完璧だと思うのだが・・・。


エンターテイメント

2019-08-25 00:56:48 | 


道尾秀介「カラスの親指」講談社 2008年刊

残り少なくなってきた、畏友から拝借した本を久々に広げた。定評のある作家なので安心して読み進められる。おなじようなテーマ=偽札作りの物語を読んだような気がする。セリフの隅々まで神経の行き届いたやり取りがあり、謎解きというか、エピローグ的な語りの部分で読み返してみると、なるほどなあと感心してしまう。

ただ最終的には登場人物が全て善人であることがやや物足りないといえばそんなところか。しかし知的な娯楽本としては最高に楽しめる一冊である。本のタイトルもそれなりに意味のあるものだ。

孫来襲

2019-08-23 01:24:06 | 雑感


お盆休み、孫が訪ねてきた。小学校の半ばになり随分少年に成長していた。部分的に反抗期の片鱗を見せ頼もしい。短い期間だが、近所の森に散歩に行き、花火に興じ、プールに遊び、室内のプラレールと共に休みを満喫していた。

年齢が進むとともに、だんだんエネルギー量が多くなり、元気も増す。比較的おとなしい子ではあるが、少しずつ圧倒されるようになってきた。まさに「来てよし、帰ってよし」の状態である。

これくらいの子供が一人家の中にいるだけで、家中が活気づく。日頃相手をしてやれない親もこの休みばかりは、子供の相手に専念し、コミュニケーションをとっていた。貴重な時間ではないかと思う。

足掛け4日間はあっという間に過ぎ、台風とともに去っていったが、コレくらいが丁度良かったか。

収穫の夏

2019-08-21 02:27:50 | 雑感

もも大安売り

すもも各種

とうもろこし

農家が農協の制約を受けず、自分たちで価格ぎめをして、出荷している自由農園は、次第に落ち着いてきてほとんど農協直営のスーパーマーケットとおんなじ価格になってきた。

しかし品種は豊富である。とうもろこしも4,5種類、すももも4,5種類、桃もトマトも3,4種類の品種が並ぶ。最近の品種改良のスピードは早く、新しい品種は殆ど覚えきれない。

新しい品種は、粒が大きい、柔らかい、甘い、等消費者にとっていい事ずくめだ。加えて生産者にも、病気に強い、とか収穫が早い、成長が早いなどの利点があるのだろう。

しかし冷静に見ると、最近野菜も果物も価格が高騰してきた。だんだん贅沢品の仲間入りしてくるのだろう。農産物というより園芸品の様相を呈してきている。

やらかしてしまったか

2019-08-19 01:54:08 | 雑感


久しぶりに、諏訪中央病院に担ぎ込まれた。かれこれ10年以上前になると思うが、昼間酒を飲みすぎて、足腰が立たなくなって、担ぎ込まれたことがある。

当時は、かねてこの病院の評判を聞いていて、一度は鎌田實院長の方針を味わってみたい、と思っていた。担当は気鋭の女医さんで周りの研修医に対する指示も的確、テキパキとしていて、看護も親切で、想像通り、地方の総合救急病院としては申し分なかった。

今回は救急車で搬入されたが、お盆休みの最中にも関わらず、主任医師を中心にチーム救護体制は機能していた。血圧の低下、意識障害、軽い発疹、などの症状が見られたが、その日の夕方には収まる傾向を見せ、大事には至らずに済んだ。

都会の大病院と違って(ここも大病院には違いないが)窓の外から八ヶ岳は眺められるし、緑も多い。空気も良い。看護師の対応がいかにも地方らしくソフトで、親切であった。

私の診断は、ヒスタミン系の食中毒の疑いが強いとのことだったが、2日ほどの入院で、諸データは平常に戻り、無罪放免となった。やはり手術後の体力低下が尾を引いているらしい。油断をせずに、少し用心をしたほうがいいかと肝に銘じた。

夏の花

2019-08-17 01:28:54 | 雑感


夏の花といえばなんと言っても「ひまわり」だ。季節を象徴する花だ。元気な頃、欧州を旅してあの緩やかな丘陵地で、見渡す限りのひまわり畑が続いているのを見て、「こんなにひまわりばかり育ててどうするんだ」と思ったことを思い出す。

フランスだったか、スペインだったか、オリーブ畑と入り混じって一面のひまわり畑だった。中国と違って種はあんまり食卓に出てこなかったので、多分油を取っていたのだろう。

向日葵といえば、全英女子オープンで優勝した渋野日向子選手はまさに向日葵のような女性で、周りがパッと明るくなるようなオーラを放っている。実際の向日葵は太陽に向かって向きを変えることはなく、朝方の太陽の向きに合わせて咲くそうだ。

この写真は、近くの自由農園の観光畑で撮ったものだが、盛りを少し過ぎたのか少々元気がない。

夏空燃ゆ

2019-08-15 03:22:20 | 雑感


都会の暑さを逃れて山に来た。こちらに来てみたら日中は34度近くあり東京と同じだ。だが、湿度と最低気温が違う。日陰にはいると爽やかである。そして空気と水が美味しい。至るところに緑だ。雨の音にさえ和む。

奇妙なのは蝉の声が聞こえないことだ。前回は確か煩く鳴いていた記憶があるが、今回は静かなもんだ。
そんな一日夕暮れ時、西の空があかくなった。と思っているうちに一面に広がり西の空から一面南にかけて、真っ赤に染まった。

夕焼けだ。俳句の世界では確か夏の季語だと思ったが、小中学生の頃夏休みの終わり頃、よく夕焼けを見ていて、宿題の写生画に画面いっぱいの夕焼け空を描いたような記憶がある。しかしながら目の前の赤の輝きはどの記憶より鮮やかなもので、まさに「空が燃えている」ようだ

一瞬で消えてゆく、夕焼け空を見ながら、宿題に追われない幸せを感じながら燃ゆる夏空を送った。


沖縄の怨念

2019-08-13 11:04:02 | 


山城幸松「菊に挑んだ沖縄」ーー天皇の捨て子”沖縄”を生きる 彩流社2018年刊

私にしては珍しいジャンルの本である。実は友人から「私の知人が書いた本を読んで、是非ブログに書評を載せてほしい」という依頼があった。私ごときの書評に如何ほどの価値があるのはわからないが、そう言ってくれた心意気に感じて戴いた本に目を通した。

沖縄といえば、私が初めて訪問したとき、大田海軍中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ賜ランコトヲ」という電文を紹介されたとき、沖縄戦の苛烈さと、それを闘った沖縄県民の忠誠が偲ばれた記憶がある。

この本はそこではなくて、天皇が終戦間際、沖縄に最後の決戦を求め、講和条約締結の捨て石として指示を出したこと、また1947年にも沖縄に米軍の駐留を望む、というメッセージを出していることに怒りを覚えた新左翼系の学生運動家の活動系譜である。

これらの指示やメッセージが実際にあったかどうかは定かではないが、昭和天皇は沖縄訪問に特別な感情を持っていたらしく、気にしつつも生涯訪問の機会を得なかったのも確かである。沖縄出身の著者はこのコトを天皇自身の口から謝罪させることを最終目標に、次第に新左翼運動に傾斜してゆくが、ここらへんの活動記録はやはり体験だけあり面白い。

よくある新左翼経緯の文書と違うのは、いわゆる自己陶酔型ではなく、案外客観的な自己評価の視点が保たれていることである。そこから最後の坂下門外の変の目標は、マスコミに取り上げられ裁判闘争につながれば良く、決して暴力闘争に転じてはならない、という自制の効いたものであった。残念ながら裁判は意図した方向、にはならなかったがここらあたりは自他の力の差を客観的に見据えた活動方針である。

この本を読んでいて、ふと韓国のことを思い出した。あの怨念とプライドはすざましいものがある。沖縄はそれに加えて寛容さ、恕という柔らかな概念が生きている。韓国との違いである。

看護師という仕事

2019-08-05 10:36:40 | 雑感
今回手術前の検査、手術後、或いはそのフォローで入退院を繰り返し、そのたびに医師はもちろんであるが、看護師さんに大いにお世話になった。

その病院のレベルは、医者のレベルにより決まるのだろうが、看護師団のレベルを見ればだいたい判断できる。幸い私がお世話になった病院は、そのレベルが高く「勘弁してほしい」という人は一人としていなかった。

今はパソコンが普及していてマニュアルがインプットされており、医療ミスを防ぐような仕組みになっている。医師の処方を具体的に実現するのは看護師であり、日常の現場情報をいち早く伝えるのも彼らである。

詳しく見ると、これらにも二種類ありマニュアル、或いは医師の指示を忠実に実行しようとする人と、現場の患者の状況に合わせて治療を施そうという看護師とがいる。

例えばリハビリで院内散歩を5周程度やりなさいと医者に言われると、「ハイ午前3周、午後2周ね」と送り出す人と、「今日は診察に出かけてしんどそうだから午後はパスしてもいいよ」、と調整するひとがいる。診察室に通うのも介護付きで車椅子で往復しているのにちょっとなあ、という現場の状況を考慮していない。

意外だったのが男の看護師さんがきめ細かな配慮で看護してくれたこと、看護も大事だがやはり病気を治すのは自分自身(のたい

医療の進歩

2019-08-02 12:10:17 | 雑感
このところの酷暑でサボってはいるが、退院後は努めて歩くようにはしていた。もう40年近く前になると思ったが、次男がカナダで虫垂炎の手術をした折、翌日から強制的に歩かされたと聞き、虐待ではないかと思った時代があった。

現在では歩くことの全身活性化の効用は広く認められており、日本でも主流をなしている。現に私も大手術の翌日ベッドから降りて歩かされたし、リハビリの主力は歩くことだった。

医療の進歩はめざましく、薬学、看護、食事、検査など各分野が進歩しているようだ。血液検査、エコー 、 MRI、 レントゲン、CT、PET、などそれぞれの機能を発揮して検査を行っている。私も手術部位の確定にこれらすべての検査を受けた。慎重なのはありがたいのだが、都合手術までに一ヶ月近くかかり、「明日にでも検査を受けてこい」と急がせた、かかりつけ医の好意はフイになった。

しかし治療は的確で、ムダや間違いはなく、方針通りの治療効果が得られた。医療の進歩と言えるのだろう。ありがたい。